テロ後―世界はどう変わったか (岩波新書)

制作 : 藤原 帰一 
  • 岩波書店 (2002年2月20日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004307709

作品紹介

二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロから、対テロ戦争、そして戦後処理へ。一連の事件は、これまでの秩序観や世界認識のあり方に強い揺さぶりをかけた。テロ後にどんな現実が姿を現し、これから世界はどこへ向かおうとしているのか。いま、私たちが思考すべきこととは何か。内外の識者たちが様々な角度から行なった思索を集める。

テロ後―世界はどう変わったか (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 「まえがき」+12編。ユダヤ・プロトコルは別に、特に、変更されていないwww 遺憾な事実だが、私(李成一)は標的にされている一人である。 200

  • 【資料ID】25254
    【分類】316.4/F68

  • イスラエル問題とは長らくキリスト教ヨーロッパでユダヤ人問題として語られてきたものの帰結である。もともと湯dさ野人が存在することを問題にしたのはキリスト教社会であり、ユダヤ人問題はキリスト教ヨーロッパの宿啊だった。

    ナチスの収容所でユダヤ人は同僚のユダヤ人の死体を遺体と呼ぶことも許されていなかった。それらをFiguren(姿形、人形)と呼ぶことを強制されていた。つまりユダヤ人からは死さえも奪われていた。死体というのはかつて生きていた人間であったことを含意するが、ユダヤ人は人間でないから死体にすらなれなかった。
    そして死を直前にした状態を隠語で「イスラム教徒」と呼んでいた。彼らは死ぬ直前はイスラム教徒に変質してから死んでいったのだ。

    冷戦の終焉を迎えて辺境での紛争に戦略的な関心を失ったアメリカは自らが育てた残虐な武装勢力を残したまま、紛争で荒廃した社会の後始末を国連に委ねてほとんど手を引いてしまった。

    国際関係では軍事力相互の威嚇によって秩序を支えることはごく普通のこと。

    冷戦後の精度構築が準備されていたヨーロッパとは異なり、西欧世界の外では精度構築もないただの大国の撤退として冷戦が終わった。

  • 9.11後の世界、内外の識者が様々な意見を書く。
    アメリカの考え方、報復の是非、9.11が与える影響など、世界がどう動いたかを、改めて確かめることができる。

  • タイトルを見れば解ろうが、本書はテロの後に国際政治がどう変わったのかについて、12人の論者が論じたものであり、とは言え岩波新書というところからも推察できるように、アメリカの「帝国」に対して懐疑的な人々による論考が多く並んでいる。
    メンツはド派手である。
    坂本義和に始まり、西谷修、ウンベルト・エーコ(!?)、杉田敦、大澤真幸、スタンリー・ホフマン、最上俊樹、そして編者である藤原帰一。笑っちゃうような面々がそれぞれの観点から、テロ後に、アメリカがどういう対応をし、またそれはどのような性質のもので、そしてどう危ういものなのかが描いている、というと言い過ぎか。
    ただし、取り立てて、新しいこともない。思想畑の知識人による、いつものやつであった。

  • [ 内容 ]
    二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロから、対テロ戦争、そして戦後処理へ。
    一連の事件は、これまでの秩序観や世界認識のあり方に強い揺さぶりをかけた。
    テロ後にどんな現実が姿を現し、これから世界はどこへ向かおうとしているのか。
    いま、私たちが思考すべきこととは何か。
    内外の識者たちが様々な角度から行なった思索を集める。

    [ 目次 ]
    テロと「文明」の政治学―人間としてどう応えるか
    これは「戦争」ではない―世界新秩序とその果実
    ヤー、アフガーニスターン、ヤー、カーブル、ヤー、カンダハール…―私たちは何者の視点によって世界を見るのか
    揺れるアメリカ社会―法の支配と愛国心
    俯瞰する帝国―テロ事件後のアメリカ外交をめぐって
    グローバル化の別の一面
    “聖戦”―情念と理性
    境界線の政治を越えて
    文明の外的かつ内的な衝突
    対テロ戦争について
    衝撃の法的位相
    アメリカの平和―中心と周辺

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • この本のタイトルには誤りがある。正しくは、「9.11のテロ後 アメリカとその周囲はどう変わったか」である。


    テロなんてのは昔から無数に行われてきたわけで(例えばパレスチナによるイスラエルへのテロとかね。この本でも言及されてるけど)、特に9.11が珍しかったわけではない。単にそれがテレビをみていた世界中の人たちの目前で起こったことだから、そして犠牲者の数が数千人というオーダーだったから、未曾有のテロと認識されただけだ。

    この本では9.11とその後のアフガニスタン侵攻をめぐり、12人の著者がいろんな角度からアメリカとその周囲を論じている。この本の出版は2002年2月なため、イラク戦争については語られていない。

    各人に共通して言えるのは、アメリカが国際ルールをぶち破ってしまったと主張していること。「テロとの戦い」が倫理的に、あるいは国際法的にとても許された行為ではないのではないかということ。

    アメリカは「例外」国家となってしまった。世界の先頭に立ち、何が善で何が悪か決定できて、そして時には戦争も辞さず(相手が国家であれ非国家であれ)、しかも他の国々についてこいと強要できる、国連よりも強い「例外」国家である。自分とパキスタンが育てたタリバンを「ビンラディンを隠匿している」という名目でぶっ壊し、その過程で一般人も殺す。一部の論者は、「これは国家テロではないか」とまで言っている。アメリカがこんなな、この不安定な状況はいつまで続くんだろうと心配になる。

    だが、事態はこの本の予想を大きく超えたところに行くのは周知のとおりである。そう、イラク戦争だ。アメリカは「独裁政権を倒し、大量破壊兵器を壊す」と言って国連の承認もなにもなしでイラクをぶっ壊してしまった。しかも子分の国家に派兵までさせた。もちろん日本だって子分だ。小林よしのり的に言えば「ポチ」だ。イラクの状況は安定していると新聞は報じているが(スンニ派が政権に戻りシーア派、スンニ派、クルド人による政権がまた出来た)、いつ崩れてもおかしくないガラス細工の和平であることは間違いない。

    この状況を前にして、著者たちはなんと書くのだろう。この本にならい、アメリカを糾弾するのだろうか。しかし、糾弾したところで何がどう変わるというのだろう。代替案はあるのか。テロリストの跋扈という現実を、大きく変えてくれるような代替案はあるのか。あるいはイラクのような、脅威となる独裁政権を壊してしまうような代替案はあるのか。そこらへんが疑問に思った本だった。極論すると、年がら年中「憲法を守れ」と言っていた土井たか子でしかないのではないだろうか。

    おれは現実に適用できない学問はただの玩具だと思っている。だから著者たちに聞きたい。あなたの学問では、「9.11のテロ後のアメリカとその周囲」をどう変えられますか?これは、切実な疑問です。

  • 出版は2002年。中身の論文は、半分が9.11テロ直後。
    それだけに「世界」がどうとかいうより、
    「アメリカ」がどうなのかに終始した印象。
    まあそれだけ世界はアメリカの存在感が大きいということの裏返しなのか。
    アフガニスタンへの空爆は正しかったのかどうか、今になって改めて考える。当時はまだ何も分からなかったからね。

  •  この本の中の1つの論説「揺れるアメリカ社会−法の支配と愛国心−」三浦俊章

     「アメリカ同時多発テロ」に対する措置が戦争だったのか?そもそもテロは誰に向けられたものだったのか?この論説は、同時多発テロで感じていた自分の心の中に「?」に光を当てるものだった。

     N.Y.で「グラウンドゼロ」を見てから、あの出来事をテレビでリアルタイムに目撃したときの衝撃、それ以降の世界の流れに「?」を感じている自分がこの本を手にしている。

     やっぱりどうにも短絡的過ぎる。

    確かに、アメリカ同時多発テロは、旅客機という「人の足」が「武器」となってツインタワーに突っ込み、ツインタワーが崩落していく様はかなり衝撃をうけた。未曾有の世界がリアルタイムに報道された。罪もない一般人を巻き込んだテロは断じて許せない。

     でも、その後の世界の流れがあまりにも短絡的過ぎる。
    「反テロ」の国際理解・国際協調のもとにはじめられた「軍事行動」は、国を挙げて(「国際協調」に賛同した国々?)強大な軍事力を行使しての「報復」に思えてしまう。「仏像破壊」で悪名高く、かつ、同時多発テロの首謀者達をかくまっているといわれるタリバーンが政権を握っているとはいえ、世界の中でも最貧国といわれているアフガニスタンを最新兵器で身を固めた国々が戦争を仕掛ける。戦争に直接参加していなくとも後方支援に回る国々。いくらピンポイント爆撃しているといっても、罪のない一般市民に多くの死傷者が出る。なおかつ、その戦争の根拠すら曖昧・・・その後のもイラク戦争でも同じだ。 いくら「テロとの戦い」「21世紀型戦争」とはいえ、この「軍事行動」は明らかに従来型の「戦争」だと思うし、こういった措置は「前世紀的」に感じる。

     なんとなくモヤモヤとしていた点を、筆者は簡潔に3つの問題点としてまとめている。

    �テロの否定という点では一致するとしても、それは誰の視点に立っての反対なのか?
    �多数の国家が反テロリズムの主体となったことは、何を意味するのか?人類的な視点で一致したということなのか?
    �反テロという、一般的には正当な目的を達成するためにアメリカがとった「戦争」という手段は、一般的に正当化できるものなのか?

     論者の言葉を借りれば、「自分のモヤモヤしていた点というのは、人間・人類」という視点に立ってみたときの、アメリカの姿勢であったり、日本を含めた国際協調であったり、武力行使についての問題点ということに気づいた。

    この視点から「テロ後」の世界を、自分の国を、論じてきた(論じている)だろうか?

    今からでも遅くはないはずだ。

    「これは「戦争」ではない−世界新秩序とその果実−(西谷修)」には、9.11同時多発テロ以降の世界の流れについて、
    自分が感じていたことを叙述に書いていた。

    ===
    P44;
    『インディペンデンス・ディ』のタイトルが示すように、この手の映画ではつねにアメリカが世界の中心であり、世界はアメリカの延長でしかない。このアメリカ中心主義が、「悪」を成敗し「自由」を守るアメリカと言う単純なイメージを、自己満足的に生み出してきた。だが、いま緊急に必要なのは、「不謹慎」を咎められる映画の続きを、世界を巻き添えにしながら現実の場で念じることではなく、アメリカの「自由」だけに自足する「映画」の外に出ることなのだ。
    ===

    この「インディペンデンス・ディ」というハリウッド映画を見たことがあるだろうか?

    地球征服を狙う宇宙人が、UFOで爆撃。NYを始め、世界の主要都市が壊滅的な被害をこうむる中、アメリカの研究者がUFOに張られたシールドの解除方法を解明し、アメリカ大統領が「世界のインディペンデンス・ディだ!!」と世界へ演説し、アメリカ主導の下、世界各国が協調して宇宙人の侵略を拒んだというストーリー。アメリカ大統領が世界を鼓舞し、世界をまとめ、侵略者を撃退するというストーリーは、アメリカらしいなと思った記憶がある。

    それは「映画」の話で、「現実」からは程遠い。

     9.11の同時多発テロ。その後、「これは戦争だ」という演説。世界各国に「対テロ戦争」「21世紀型戦争」への協調を求め、アフガニスタン、イラクへの戦争が行われた。今、そこに至るまでの過程を大観して見ると、まるで「映画」のような「善の帝国のリーダー」を演じているようにすら見える。

    現実は単純ではない。世界は多様なのだから、単純化してはいけない。

    『インディペンデンス・ディ』のくだりで、そんな風に思った。

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