ナチ・ドイツと言語: ヒトラー演説から民衆の悪夢まで (岩波新書 新赤版 792)
- 岩波書店 (2002年7月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004307921
感想・レビュー・書評
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東2法経図・6F開架:B1/4-3/792/K
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科学の発達によって、今まで世界を支配していた宗教神話というイデオロギーがぶちのめされつつあったところに現れたヒトラー。ヒトラーは単純化、二者択一、聖書からの引用などを実に巧妙に演説にまぎれこませ、国民を擬似宗教にまきこみます。
驚いたのは、地下と言語の章。ナチ時代にも、ヒトラーを否定するような文脈が見られたということ。
キリストは一回死んで生き返った、というような長い間疑われることのなかったテキスト。理系の技術によって、それがどうやら全部正しいわけじゃないっぽいということがだんだん明らかになってきた。古くから行われてきた異教徒同士の信仰をめぐる争いも、結局は単なる利権争いに過ぎなかった。この先、無意味な争いを繰り返さないためには、正しい現状把握が間違いなく必要だと思う。それはまさしく文系学問の管轄なのではないか。文系は必要ないって切り捨てられがちだけど、やっぱりわたしはそうは思えないなあ。 -
おそらく出たばかりの頃(2002年あたり)、高校時代に書店で買った記憶があります。なんで買ったか覚えていません。きっとナチズムに興味があったんでしょう。
ただ、難しい本です。買ってから12年くらい経った今日、よーーーーやく読み通せました。
この本を読むにはそこそこ予備知識が要ります。
まず、現代ドイツ史。特に、ナチ時代にドイツであった出来事や人物を解説した本は、何でもいいしざっとでいいので、前もって読んでおくと良いと思います。いきなり「ゲッペルス」とか「ラインラント進駐」とかいう単語が出てきてもパッと意味する内容が思い浮かぶまで。
あと、レニ・リーフェンシュタール『意志の勝利』を前もって観ておくといいでしょう。第2章をネタバレとか気にせずゆったり読めるでしょう。
http://www.amazon.co.jp/dp/B002TVFGIE
最後に、『わが闘争』くらいは読んでおくと良いかもしれません。序盤がナチのプロパガンダ分析という性格上、『わが闘争』読んだあとに読むと味が出る本です。
上巻
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下巻
http://www.amazon.co.jp/dp/4043224028
その上で申し上げますと、見事な研究書という他無いです。「独裁者の言語」「映像の言語」「教育の言語」「地下の言語」「深層の言語」の5章が5章とも内容が濃いです。ナチ研究に限らず、「メディアと政治」というテーマならダントツで良書の部類に入ります。
私はこの本でレニ・リーフェンシュタール、アードルフ・ライヒヴァイン、マルティン・ニーメラーを初めて知りましたが、この3人の名前は覚えるに値します。
ただ、新書という性格故か、引用解説されるテクストの量に物足りなさを感じる部分はありました。分析自体も、これでいいのかどうか、まだ納得し難い部分もあります(特に「深層の言語」の辺り)。かなり丁寧な研究ですが、反証の余地はあるかもしれません。ちょっと、深く内容を検討してみたい本ではありました。 -
言葉の持つ効果について、考えさせられる。いまの日本にもナチ時代のドイツに起きたことは起こりえる。言葉とそれを伝えるメディアの怖さ、恐ろしさ。思考を停止させ、抑制するメディアの影響力。抵抗しているつもりが、単に甘受に終わる民衆の言葉たち。例えば、Twitterで我々はつぶやくしかできないのか。日本が向かおうとしている未来に対して、ただつぶやくだけなのか。為政者の言葉の意図に真の意味で抵抗する言語はいかにして発話され、行動されるべきなのか。
そもそも言葉によって人はいかに掌握されてしまうのかを考えてみたくて読んだ本。結果的にそれがナチズムを広める話法だとしても、何か自分に役立つ言語の機能と方法が見つかるかと思ったけれど、それほどすっきりとは読めない本だった。もちろん良い意味で。 -
2011,09,13 読了。
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薄っぺらい新書ながら、なかなか面白かった。
ただしタイトルの「言語」はちょっとふさわしくないような。
ここでのテーマは言語学上のラング/ランガージュではなく、個々のパロールなので、「ナチ・ドイツと言葉」くらいにしておけばよかったのではないか。しかしナチス時代をめぐる記録映画や市民の「悪夢」まで取り上げられるので、もっと漠然と「表象」といったところかもしれない。
第1章、有名なヒトラーの演説に関しては、それが聖書のイメージを縦横に駆使した「疑似宗教」なのだとわかった。「摂理」に動かされている、と言いながら、それを「神の」摂理とは言わないところがミソだ。
第3章では「教育の言語」、要するに当時の学校の教科書が取り上げられる。いつの時代も、偏ったイデオロギーが権威を持ち始めると、子どもたちの「教科書」が狙われるようだ。これは日本でも、戦時ばかりか、最近の「教科書をつくる会」とかいう右翼連中の活動にも見られる。同じだ。彼らは教科書さえなんとかすれば、子どもたちを洗脳し、自分たちに都合の良い子羊を大量生産できると思い込んでいる。まったく、頭が悪いとしか言いようがない。
第4章「地下の言語」がとりわけ興味深かった。
ヒトラー(ナチス)の権力は当時のドイツ国民を心酔させ、絶大な支配力を持っていたように考えていたが、ここに書かれているのは、戦時中にヒトラーやナチス上層部をからかった庶民のジョークが大量にある、という事実だ。
もちろん、恐怖政治だから、そんなジョークは見つかったら処刑されるのである。
にもかかわらず、ここには、権力を軽く「笑い」の中に組み込んでしまう、したたかな庶民的健全さがある。
ヒトラーが勢いのあった最初の頃はともかく、第2次大戦の途中あたりからは、国民もけっこうヒトラー/ナチスにあきれていたのだろうか。
この健全ぶりに、当時のドイツ国民を改めて見直した。
戦時中の日本には、こんな軽やかな「笑い」は無かったのではないだろうか。 -
ナチのイデオロギーとプロパガンダの手法について詳しい。ナチ政権下のジョークや悪夢についての分析や、帝政期・ヴァイマル期と対比した歴史教科書の特徴の分析も。ナチ・イデオロギーの中に利用されたキリスト教的言語についても知ることができる。
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ナチスと言語。この「と」について考える。言語学は反ユダヤ主義に利用され、ヒトラーの演説は多くの人々をひきつけた。「と」が結びつける両者の関係について、さまざまな角度から検討する。ボランティアK
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これ授業で使おうとしたら駄目って言われた本。
けど面白かったから読んだ。
ナチの宣伝とかヒトラーの演説について分析してある。 -
ユーモアは人間に残された希望であり尊厳だ。
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amazonで購入
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言葉の力、それを最大限利用し尽くしたナチスの力どっちも怖い。
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2005年11月24日
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「なぜナチスはドイツで政権を獲得して全体主義国家を形成しえたのか?」
答えは「ヒゲ」