神、この人間的なもの: 宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書 新赤版 806)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004308065

感想・レビュー・書評

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  • 対話形式で、宗教とは何かという問いを考察している本です。

    著者を思わせる無神論者のB氏が、学生時代の友人でカトリックに入信したT氏の訪問を受けて、神や宗教について語りあうという形式で議論が進められています。

    T氏は、結核にかかり死の恐怖に直面したとき、溺れる者が藁をつかむように、カトリックに入信したのだといいます。そのときT氏が頼ろうとしたのは、神についての宗教理論ではなく「人」でした。「人」が彼を信仰の道へと導いたのです。

    そして二人は、仏教、キリスト教、イスラム教をとりあげて、それぞれの教祖たちが「人」として信者の支えとなっていったこと、しかしその後、弟子たちが教祖をまつりあげることで当初の信仰のかたちに変化が生じたことなどが語られ、さらに無神論が蔓延する現代では、精神科医が人びとの病気を判断することが、かつて宗教が果たしていた役割を引き継いでいるという考えが示されます。

    信仰をもたない立場から、人間にとって宗教とは何かを考察した本だといえるように思います。興味深く読めましたが、信仰をもつ人びとにとっては、本書の問いそのものが倒錯しているように受け取られるのではないかという気もします。

  • 宗教の役割についてわかりやすくまとめられていた気がする。
    宗教ってだけで拒絶反応を示す人が多い昨今、もっと読まれればいいなぁと。

  • 精神科医なだいなだがいつもの対談形式で宗教と精神医学を語る。

     私の記憶では確かなだいなださんはクリスチャンだったと思う。この擬似対談はクリスチャンでいる自分とどこかで宗教に疑問を感じていた自分との対談なのだろう。
     宗教とはどうして入るものか。そもそも宗教とは何だったのか。なだは2000年前の始祖達の気持ちに遡っていく。そして宗教がある種の精神療法であったのなら、精神医学はどうあるべきなのか、精神科医である自分は何をするべきかへと話は進んでいく。
     相対的な視点で物事をとらえていくなだいなだ的な視点は相変わらずだが、この本はなだ本人の人生の中核を取り扱っている点で特別だろうと思う。

     私の精神医学の先生は敬虔なクリスチャンだった。その先生に教わっていた頃に興味を覚えて読んで、最近数年ぶりにまた読んでみて、随分印象が違っていたことに驚いた。
     あの頃は気づかなかったが、この本はなだの今までの自分の人生への心情を吐露した告白本なのだと思った。

     なだいなだに興味を持っていてまだこの本を読んでない人はぜひ! なだ初心者にも勧められる一冊。

  • かつての精神科の同僚だったカトリック信者と無神論者が、齢70を過ぎて、宗教とは何か、神とは何かを語り合う。

    精神科医同士の会話という設定だけあって、切り口がかなり精神医療的。キリストやブッダ、マホメットなど、世界宗教の始祖と呼ばれる人々は優れた精神療法医だった、という大胆な(なださんの他にも、こういう説を展開している人がいるのかどうかは知らないが・・・)仮説から展開される二人の会話は、読んでいると「なるほど」と思えて、確かに理屈に適っているように思った。

    読んでいていちいち納得することが多く、今ではきちんと確立されていることや、すっかり凝り固まった認識も、最初は手探りから始まって、だんだんと現在のような形になっていったんだな、と考え直すきっかけにもなる良書。
    しかし、ある程度宗教に対する知識というか視野がないと、話の筋をつかみにくいところがある。とてもわかりやすい本なのだが、宗教を理解している人ほど面白く読める本だと思う。

    私が特になるほどと思ったのは、「大事なのは宗教の教えに沿って考えることではなく、宗教の始祖ならどうするかというつもりで考えること」というくだり。
    今現在に残っている「教え」は、始祖たちが実際に書き残したものではない。弟子たちや後世の人々が編集したものである。よって、始祖たちが実際に言ったこと、行ったことは矛盾が生じるのは当たり前である。
    宗教の始祖たちが一般の民衆に伝えようとしたのは、それら残された言葉などではなく、その言葉が伝えようとした「意味」なのだから、それらの言葉に囚われすぎている今の宗教が、窮屈で貧相なものになってしまうのも当然といえば当然だという気になってくる。
    大事なのは、何か「絶対」だと思うものを勝手に作り上げて、それにすがり切ってきまわないこと。自分の頭できちんと考え、自分の行動に責任を持つこと。
    でも、これが難しい。だからこそ、宗教もこれほど広まったし、必要とされたんだろうな。

  • ちょっといらっとするけど、わかりやすいし、思ってたことが書いてあった。

  • [ 内容 ]
    大学時代の友人で精神科医となった二人が「人生を生きてきた末」に、かつて交わした議論を再開する。
    神は本当にいるのか?
    現代を新しい形の宗教に呪縛された時代と見ながら、教義や信仰のあり方からではなく、「信じる」ことを求めてしまう人間の方から、宗教とは何かを考えていく。
    精神医療から社会、歴史まで問いを重ねる対話篇。

    [ 目次 ]
    序章 Tの訪問
    第1章 信者にもいろいろある
    第2章 教義より重要なのは
    第3章 宗教は集団精神療法だったか
    第4章 二千年の後退り?
    第5章 後退りの結果
    第6章 狂いによって狂いを治す
    第7章 精神医療という宗教
    第8章 宗教は死なず拡散した
    第9章 葦の髄から永遠をのぞく-狂気と習慣

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •       

  • かつての精神科医の同僚T(カトリック)と宗教について、対話方式で語っている。著者は、無神論という立場で読者と同じレベルの意識に立っている。Tとの話を通じて、宗教への思いこみが解き放たれていく。?宗教を信じていると同種類のレベルの信仰を持っているとおもいがちだが、入信理由や信仰の度合いは違っている。?3大始祖であるイエス、ブッダ、モハマドは、それぞれ優れた人間のリーダであり、それを神聖化したのは、後の弟子たちであった。?集団の狂気の存在への気づき。日本の戦争時の国民の精神状態は、狂気といえる。オウムとかなり似た状態であった。集団となりあるイデオロギーをもった状態=宗教と同様の効用を持っている。

  • 三大宗教の教祖は元々精神の病気を治す呪術家で、現代の精神科医と類似してるんだって。教祖たちは2000年早すぎたって言うのは面白い意見だなぁ。。って。

  • 宗教とは何か、についての筆者の考えがわかりやすくまとめてある。

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著者プロフィール

なだいなだ:1929-2013年。東京生まれ。精神科医、作家。フランス留学後、東京武蔵野病院などを経て、国立療養所久里浜病院のアルコール依存治療専門病棟に勤務。1965年、『パパのおくりもの』で作家デビュー。著書に『TN君の伝記』『くるいきちがい考』『心の底をのぞいたら』『こころの底に見えたもの』『ふり返る勇気』などがある。

「2023年 『娘の学校』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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