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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004308638
みんなの感想まとめ
テーマは、日本における横書きの歴史とその変遷であり、左書きと右書きが共存していた時代の興味深い考察が展開されています。著者は、夏目漱石のように右書きを使用しなかった作家たちの背景を掘り下げ、豊富な図版...
感想・レビュー・書評
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「伝統」とは一体なんだろう?何年続けば「伝統」になりうるのか?そもそも伝統とは、なんの根拠もない、その「伝統」と呼ばれる事象が好きな人の妄想でしかないのではないか。
日本史を辿るたびにそういう思いを強くする事が多いが、今回もその思いを強くした。
日本はもともと縦書きの文化だった。行は右から左に進む「右縦書き」の文化だ。これは今も残る古文書の類を見ればすぐにわかる。
では「横書き」はどうか。今の日本に多い左から右に進む「左横書き」はどういう経緯で定着したのか?
私と同年代くらいの人ならすぐに思いつくと思うが、日本では右から左に進む「右横書き」があったこともよくご存知だろう。そもそも「印象」としては、古いものに右からの横書きが多いと感じているのではないか。
それでは何故その右横書きは少なくなってのか?
縦書きが右からだから、横書きも最初は右からだったのだろう。
欧文はもともと左書きだから、その影響で右横書きが左横書きに変わったのではないか。
その辺りには、日本の敗戦が関係していて、戦後、日本の「伝統的な右横書き」が、左横書きに矯正されたのでは?
そういう発想をする人が多いだろう。いやむしろ歴史を知る人こそそういう発想をするのではないか。
この「横書き登場」は今に残る様々な証拠、浮世絵、絵画、新聞記事とその新聞に掲載された広告類、雑誌やポスター、チラシを丁寧に調べ、横書きがいつ生まれたのか、そして書く方向がどのように変わってきたのかを明らかにしていく。
簡単に言うと横書きが生まれたのは西洋文化との接触が始まった江戸後期。その時は西洋っぽさだけを取り入れる人たちも多く、右横書きも左横書きも混在していた。
戦前まで、色々な事情で右横書き、左横書きの盛衰があるが、大日本帝国の旗色が悪くなり始めても左横書きは使われていた。
そしてこの時期にまさに「右横書き」が「日本の伝統」であるという横書きの歴史を無視した前提を唱えて右横書きを強制する指示が国から出されるようになるのだ。
しかし、技術書などはそもそも横書きで出版されるものが多いので、そのようなものは例外とするなどの都合の良い「伝統」である。
この都合のよい良い伝統による認識は戦後も残る。
横書きの歴史を事細かに調べ、分析された筆者の根気の強さにはつくづく感心する。
また「横書き」とは何か?という横書きの定義(擬似横書き=1行1文字の縦書きとの区別)なども新鮮だった。
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ふむ
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左書きと右書きが共存していたのは知らなかった。
右書きを使わなかった夏目漱石などの考察や豊富な図版があり面白い。 -
横書きが登場し、横書きの左右が混在していた時代のことや、現在の左横書きに到達するまでの変遷が膨大な史料をもとに描かれている。縦書きにも「左縦書き」があったことにびっくりした。
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非常に面白い
「右横書きが日本古来の伝統で、左横書きは戦後に導入されたもの」という誤った常識が鮮やかに否定される。
扁額など横長スペースに書かれた右横書き様の文字列が、1行の文字数が1文字の縦書きであったということも素人には衝撃だ。
どのようにして横書きが始まり左横書きに収斂してきたのか、まさに本書の書名「横書き登場」の「登場」という言い方がしっくりくる。
ちなみに、縦組右開きの本書で表紙が横組みなのは、書名と内容に合わせた洒落で岩波新書としては異例なのかなと一瞬思ったが、改めて本棚を眺めてみたら、縦組右開きなのに表紙横書きの岩波新書も結構あるんだな。青や黄及び古い赤が表紙横書きで最近の赤が縦書きなのかな? 確かに昔の岩波新書の表紙は横書きで最近縦書きに変わったような気もしてくる。
とすると岩波新書の表紙は横書きから縦書きに、逆方向にシフトしたのか?
この本を読むまで気にならなかったことが気になる。
このような傑作、しかも大量の資料に裏付けられた力作が古書でしか入手できないのは、もったいなく残念だ。 -
38012
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お世話になった屋名池先生の本。奥様が10ページと読んでくれなかったと嘆いておられました。昔の右横書き(右から左へ)は実は横書きではなく、1行縦書きということでした。へぇ
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日本語・国文学を学んだ者にとって、左横書き(左から右に書き進めていく横書き)は「実は一行一文字の縦書」であるという認識があるのだが、それが果たして本当なのか。また、同時に戦後の横書きの急速な普及は政府主導ではなく民間主導の出来事であり、「戦前・戦中は右横書き、左横書きは戦後になってから」というのは伝説に過ぎないことを実例を丁寧に上げながら検証している。本当の意味での横書きは「複数行に渡って書かれていなければ正確に検証できない」という点には盲点を突かれた感。
余談ではあるが、落語や講談などで文字の読めない町衆が主人公の話がある反面、日本には江戸時代「寺子屋」があったので一般に思われているほど文字の読み書きが出来ない人間は多くないという話も聞くのだが、その実態も明らかのなっているのも読み得した気分になる。
著者の屋名池誠は自分の一歳年上と同じ世代。世代的に関心のある事は共通点が多いなぁと思ったりして。 -
おそらくこれまでは存在しなかった横書きの研究本、岩波新書としては硬質で信頼に足る一冊。この研究を一歩進めれば、松岡氏が云うような日本人のdual standard(double standard)の有り様も見えてくる。石川某という書家の縦書き論と併せて読めば興味深い。
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http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4004308631
── 屋名池 誠《横書き登場 ~ 日本語表記の近代 ~ 20031120 岩波新書》
http://q.hatena.ne.jp/1142217875#a499425
上下左右縦横考 ~ ウワメ・ヨコメ・ナナメ ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000607 エンディング ~ タテ・ヨコ・ナナメ ~
2012/10/27 19:55 414res 35res/h 11.6% ▽
【コラム】電子書籍なのに縦書きで本を売る日本の出版社の前近代性
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1351335346/-100
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いまや日本における文章は,横書きが大部分である。私自身,読書以外で縦書きに触れる機会はほとんどない。しかし,江戸中期以前には,縦書き以外の文章はなかった。幕末から明治にかけて現れた横書きは,どんどん広がり,縦書きを駆逐しつつある。四半世紀も前に向田邦子は,某作家のひそみにならって「縦の会」をつくりたいな,なんて書いて縦書きの劣勢を寂しがっている。いったい横書きと縦書きの逆転は,どのように起こったのか,なぜ起こったのか,この本はそのあたりを解明してゆく。多くの文献資料に基づいた分析は,さすが学者の仕事だ。書字方向についてで一冊にするなんて,新書にしてはまことにマニアックだが,こういうの大好き。
言語は一次元だ。音声言語は時間的な音の並びで表現されるし,そこから生じた文字言語も文字を一続きに並べていく。この,音声の時間配置から文字の空間配置への変換は,文字をもつどんな言語でも同じである。どのように文字を並べるかは言語によりけりだが,数パターンしかない。大きく分けて縦書き,横書き。さらに分けると,縦書きは左へ改行するか,右へ改行するか,横書きは行の始まりを右にする(右横書き)か左にする(左横書き)か。不思議なもので,下から上への縦書きや,横書きで下から上へ改行するものは,暗号やパズルなど特殊な用途を除き,社会に受け入れられることはなかった。画面の下から画面の上への流れは人間にとって不自然なのだろう。古くは,改行毎に右横書きと左横書きを切りかえる牛耕式と呼ばれる方式があったが,既に姿を消している(正確には,牛耕式では改行するわけではなく紐のように連綿と文字列をつなげていく)。
本書ではまず,書字方向の種類についての定義をおこなう。縦書きの日本文の中で英単語などの横文字を横転させて書くことがあるが,これは縦書きでなく横書きという,などなど。縦横は,画面に対する文字の排列方向ではなく,上下左右のある個々の文字に対する文字列の排列方向というわけだ。議論を明確にするうえで,このような定義は有用だ。また,横書きの出現を論じるには,右横書きと,一行一字の縦書きとの区別を明確にすることが必要である。筆者は横書きの基準として,「二行以上書かれていて意味の切れ目に関係なく改行しているもの」とし,さらに一行しか書かれていなくても横棒の長音記号「ー」など,横書きでしかありえない文字が使われていれば横書きとしてよいとする。
この前提でみると,日本語に横書きが現れたのは,江戸後期である。オランダ語の文字の並べ方が日本語の表記にも試みられ,これに新しもの好きの庶民が飛びつく。ただし,右から左へ行移りする縦書きの類推でみんなが読めるよう,多くは右横書きされた。ただ,これは一時的な流行にすぎず,日本語表記の原則が縦書きであることは変わらなかった。右横書きは明治の近代化で,切手や切符,紙幣などにおいて横長のスペースに使われるようになる。
左横書きが普及するのは,明治期になって,西洋の知識を吸収していくころである。知識人が,この書字方向を日本語の表記にも用いるようになった。なぜかというと,彼らの書く文章では,ときに左横書きの横文字と日本語を混在させる必要があったからである。左横書きと縦書きを混ぜるには,どちらかを横転させる必要があるが,これは手書きの当時にあっては大儀だ。左横書きと右横書きも混ぜてしまっては紛らわしい(アラビア語など問題ない場合もあるが)。個々のページ中には混在がなくても,左横書きと縦書き・右横書きでは,製本するときに綴じる向きが違うのでやはり都合が悪い。
そんなことで,明治時代は「縦書き(+右横書き)」スタイルが大衆に,「左横書き専用」スタイルが知識人に普及する。その後,大正昭和と中間層が増えてゆくと,左横書きが一般にも広がり,縦書きを基調にしながら,雑誌や新聞の見出しなどで右横書きにかわって左横書きを併用するものが出始める。左横書きは何も戦後突然出現したわけではないのだ。一方,戦前,戦中には国粋的立場から左横書きを排斥する声もあった。その反動か,戦後には民間主導で横書きは左からになり,次第に公文書からも縦書きは減ってゆくことになった。裁判所の判決まで横書きになったのは,今世紀初頭だったろうか。電脳社会では,左横書きが隆盛を極めている。
筆者は書字方向の将来について,文藝の分野ではしばらくは縦書きが残るだろうとしている。たださらに先の予測は難しい。書字方向は社会的なもので,皆が受け入れるかどうかという不確定の要素が支配的だから。しかし縦書きは衰退しても消滅することはない,ということだけはいえる。本の背表紙,看板など縦長のスペースに文字を入れたいことはいくらでもあり,それには横転横書きより縦書きが便利だからだ。縦横自在な文字をもつ言語は珍しい。日本語のその特性が活かされなくなることはなさそうだ。 -
日本語の横書き・縦書きについて、豊富な史料を示しながら論じた本。横でも縦でもある意味どうでも良い話でもあるが、これだけ綿密に調査された根気には敬服する。現代の日本においては、どんどん横書き中心になっているのは言うまでもない。一方で小説や詩など、文学の世界がもっとも保守的かと思いきや、縦書きから横書きへの移行が難しそうなのはマンガとのこと。確かに、コマ割りの方向性は、横書きになじまないのかもしれない。縦横の問題よりも右左の問題の方が面白く、レトロな看板などで見る右横書き(右から左に書く横書き)と左横書きの対立の歴史などは、隠れた近代史ともいえる。
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言語学でも文字論はあまり授業されないし、されても周辺的にしか扱われないような気がするが、この本は、その中でも「統字論」、つまり書字方向について扱った本ということで、面白そうなので買って読んでみた。(そういえば、文字と使用者の関係を考える「字用論」なるものはないのだろうか、と一瞬思ったりした。例えば字体について考える、とか。もちろんこの本にもどんな人がどんな時に縦書き、横書きをするという話が出てくるので、それは「字用論」なのかもしれないが。)
これまで、「昔は縦書き、今は横書き、そういえば昔は右から書く右横書きもあったらしい」くらいにしか思っていたが、この本を読むと、意外と早くから横書きがあったこと、それでも実は横書きではなくて、1行1字の縦書きであること、決して右横書きが日本的なものではないことなど、想像に反することが豊富な図版や用例とともに、その歴史を探りながら丁寧に紹介されている。特に、右横書きと左横書きのせめぎ合いについては興味深く読むことができた。意外と昔から左横書きが優勢だったんだなあという印象を受けた。
資料の中には、鉄道の切符の話もでてくるが、そういえばJRの切符は駅名表示が縦書きなので、昔から横書きだったという切符の歴史からすると珍しいことじゃないかと思った。しかも駅名が長い場合(例えば「葛西臨海公園」駅の場合)は、左から右へ行移りするという、これまた珍しいことではないだろうか。そして、これはJR東日本のことだが、JR西日本の「ユニバーサルシティ」駅の切符の駅名表示はどうなってるんだろうか。今度確かめてみようと思う。あと映画の字幕も縦書きと横書きがあるが、今は横書きが主流のような気がするけど、字幕の歴史を調べてみるのも面白いかもしれない。
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横書き、これまたほとんど知らないだけに楽しい文字論本。
「とにかく外国語との接触で横書きは生まれました」というこの本の主眼が紹介されたところで読み止っているので、早く続きを読もう。
0710読了。
後半も読ませてくれました。とにかく横書きの歴史がこれでもかと連ねられている。どんだけ早くから左横書きも成立していたのか、そして『右横』対『左横』プラス縦書きの関係・・・『書字方向スタイル』などなど、鱗がポロポロでした。これまた新書で気軽に出したのが「?」となるような濃密な本でごわす。 -
書字方向の変遷に関して論じてある本。
私個人が日本語の表記に特に興味があるので読んだのだが、様々な資料が挙げられており、面白かった。
書字方向自体の議論も面白かったが、それ以上に私の関心を引いたのは、「外来のシステムが入ってきた際に一時的な不安定な状態が起こり、それに対して安定化・自己修復が起こる」という結論部分である。これは必ずしも、言語だけに関することではなく、教育もそういう要素を持ちうるように思う。
生徒さんの安定化・自己修復を活性化するような外的刺激でありたい。 -
西欧との接触からの二百年、日本語表記はどう変わったのか。縦書きオンリーだった時代からワープロ登場以降、左横書き主流の現代まで、日本語の書字方向の変遷を辿った二十三章、二百余頁。豊富な資料を紐解きながら、言語という合理的システムの変動とそれを取り巻く人間の右往左往、避けがたいものの受容に至るまでの紆余曲折のドラマを映し出す、地味ながら興奮させられる一冊。<br /><br />
<<エリートと一般人、知識階層と一般大衆、内地と外地、国際派(欧米追随)と伝統保存(国粋)、効率重視の世界と効率を度外視して成り立つ世界、公の場と私の場、書字方向という狭い窓から見えてきたのは生々しい人間の世界の現実である。>>(本書198頁)<br /><br />
効率が最優先事項にならない文字使用のジャンルとして文学や漫画に言及している第二十一章、「縦書き・横書きの現在と将来」では、近年の傾向として横書き化を加速させているWEBベースの文章というものを取り上げながら、縦書きというニーズに合わせて技術のほうが追いついてくる、という可能性も指摘されていて興味深い。このごろは実際に縦書きのブログサービスも登場してきているし、CSSによって縦書きを実現する手法もぽちぽち話題になっているから。<br /><br />
まとめである二十二章の後に置かれた付随的な二十三章、「空間の中の時間」がなにげなく面白い。左へ行移りする縦書きが主流であったころは人のイメージする時間の流れは右から左へと進み、絵巻物や双六も同様であったという。そういえば昔やったファミコン版人生ゲームも、時の流れは右から左だったような。時間の方向、というと安部公房『砂の女』や宮沢賢治『春と修羅』の序を思い出すが、文字というものの魔力はそんなところまで及んでいるようである。『文字禍』の中島敦(本書中にも南洋庁内務部地方課国語編集書記として登場)に一言コメントをもらいたくなるようなお話。
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感想 :

こんにちは。
興味深い本ですね。
私の場合は、画面上だと横書きでないと頭に入らない、紙の本だと縦書きでない...
こんにちは。
興味深い本ですね。
私の場合は、画面上だと横書きでないと頭に入らない、紙の本だと縦書きでないと頭に入らないので(マニュアルとかなら横書きでも大丈夫だけど)、頭がそうなっているんでしょうかね。
昨今だと「全部横書きにしよう」みたいな声も聞かれますが、私としてはこのまま縦書き横書き混在していってほしいです。。
>古いものに右からの横書きが多い
古い看板などで、『場登キ書横』みたいなカタカナと漢字混じり右横書きのものがあると、判読したくなります。
あとトラックの車体の会社名なども右横書きありますよね。
興味深い本教えていただきありがとうございます。
パソコンの画面だと縦書きが辛いというのは私も同じですね。ただ電子書籍を読む専用のデバイスだと、...
パソコンの画面だと縦書きが辛いというのは私も同じですね。ただ電子書籍を読む専用のデバイスだと、目に優しいせいか、縦書きでも読めるようになりました。
トラックの車体の件についてもこの本は触れています。元々は船体に船名を書くところから来たものであったという話だったと思います。