本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004308850
みんなの感想まとめ
イスラームの多様性と歴史的背景を深く理解することができる一冊です。著者は、イスラームが単なる一神教に留まらず、内部に複雑な論争や対立が存在することを示し、時には宗教戦争に発展する可能性もあることを指摘...
感想・レビュー・書評
-
イスラーム主義を理解するための基礎資料の一つ。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者がエジプトでフィールドワークされていたとのこと、あまり私に知識の無かったアフリカ諸国のイスラム文化や主義に触れられていて少し斬新だった。てっきり中東アラブ近辺のドロドロした歴史がメインだと思っていたので、その点では新しい感覚で読めた。鍵となるのはエジプトやサウジアラビア等、イスラム教の国家と言えど持ち合わせたナショナリズムが何を主体とするかである。国という地理的、国境を意識したケースもあればイスラム教を中心とした共同体的意識に基づくか。本書の記述はエジプト在住時の出来事である1981年のサダト大統領暗殺に始まる。サダト大統領はカーターの仲介でイスラエルと和解するなど、先ほどのナショナリズムの議論で言えば前者、国を中心としたものだ。他方、国内にはムスリム同胞団など、後者の団体も多数存在しており、国家からは弾圧されるが、同じイスラム今日諸国からは援助も受ける。こうした国や共同体が複雑に絡み合う世界はイスラム諸国ではよく見かける状態だ。
こう考えたことがある。様々な団体や国家はイスラム教という一つの宗教に分類されているが、実際のところは彼等個々の思想や要求はバラバラであり、時に似たもの同士が手を組むが、明日には敵同士にもなり得る。悪い言い方すれば、宗教の名を借りて個人や団体が自分たちの利益を守ろうとしてるのではないか。いや、恐らくそんな事はないだろう。
イスラム教は様々な宗派で成り立っており(キリスト教も仏教もそうだ)、シャリーアを社会生活の基礎とし、ウラマーに訓えを請うという点では基本的なスタイルは同一。女性のファッションに表現される様に1970年代は短いスカートも履いていた女性がイスラムの伝統であるヒジャブなどで顔を覆うように変わる。時代が政治が文化がグローバルに傾くと、自然と懐古主義的な勢力が勢を増しイスラム教の教えにバランスをとりにいく、その逆もしかり。そうして長い歴史の中でバランスを維持しながら世界に18億人というムスリムの巨大集団を作り上げてきたのだろう。時には破壊的な行動を起こす集団もいる。一方で平和に穏健に生活をしたい人々もいる。いずれであろうと彼等はコーランやハディースを守りながら生きてきた民族なのだ。
究極的には全ての異教徒を剣のジハードで殲滅するしかないかもしれないが、舌のジハードで全世界を改宗させることが絶対に不可能とは言えない。分かり合えない異教徒ではなく、彼等の主義や文化を理解し向き合う事、知ることから始めてみたい。 -
38104
-
どこでも保守が過激になる
-
【由来】
・
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・
-
時間があれば
-
イスラムでも一神教とはいえ、内部にはいくつかの論争があり、時には宗教戦争にまで発展しうることもある。
-
イスラムのイメージが極めて単純な形で、しかも一部過激派のテロなどによって狂信的、暴力的なものに大きく傾いている中、イスラムの歴史的経緯を簡潔に辿り、その多様性を紹介している。
イスラムにおける近代化は日本を含む西洋式の近代化とは道筋が違うのではないか、西洋的価値尺度でイスラムを捉えることが間違いの始まりなのではないか。
イスラム内の対立をカトリックに対するプロテスタントになぞらえて考えてみたらどうだろう、か。
ただまだ個人的にはイスラム社会が西洋的自由主義的価値観を持つ社会より今日的な意味での発展をより大きなものにできるようになるとは思えないけども。 -
サウジアラビアのワッハーブ運動、スーダンのマフディー運動、エジプトのムスリム同胞団とジハード団の活動について比較し、一意的な見方をされる"イスラム原理主義者"の内容物を分解するもの。かといって、体系的に整理分類されているわけではなく、筆者の中東での生活から得られた経験も含めて歴史事項もバラバラに語られるので、自分のような素人はさらにイスラムを分からなくされてしまった…。もうちょっと絞られた所から勉強した方が良さそうだ。イスラムは広大だわ。
-
イスラム教について、原理主義とは何か、どのように派生していったのか、分かりやすく書いてある。
-
現代のイスラムにズーム。
-
スンニ派とシーア派の違いがよくわかった。
-
日本人はイスラームに対して偏った考え方を持ってしまいがち。これを読むと、一口にイスラームと言っても様々な考え方を持った人がいると分かる。
-
イスラム原理主義という言葉はメディアを通して、または日常生活で何気なく用いられている。その一般的な意味は旧態然とした狂信的な集団、命を賭してもアメリカを初めとする近代的なものへ攻撃を繰り返す救いようがない野蛮人、といったところであろうか。
本書で著者はこの「イスラム原理主義」という語に潜む不明瞭さ批判し、西側メディアがいわばオリエンタリズム調のレッテルとして創り出したものであることを指摘する(これはもう死ぬほど言われたことだ)。その上で近代に興ったイスラーム側の改革運動を「イスラーム主義」と「イスラーム復興」に分けて定義し直し、真に学術的使用に耐える概念を確立しようと試みた。
「イスラーム主義」とはイラン革命に代表されるような、西洋的近代化が進むイスラーム世界であっても、あえて「真正な」イスラーム秩序によって政治を進めていこうという考えを指す。その根底にあるものとして、著者はウォーラーステインの「世界システム論」を援用し、従来はイスラーム世界内での出来事として収まっていた改革運動が、世界システムに組み込まれていくにつれ近代的要素を色濃くしていったと主張する。そしてその実例として、18世紀のワッバーフ運動、19世紀のマフディー運動、そして20世紀におけるエジプト同胞団をそれぞれ取り上げていく。
「イスラーム復興」とは現代において、イスラム法に基づいた生活を選択する社会的・文化的動きを指す。著者はここで一時期非常に少なくなっていたエジプトにおける女性のヴェール着用が、80年代以降自発的な形で復活していったことを取り上げる。著者によればこれは宗教的なアイデンティティの模索であるとされる。
だが、ここで用いられている「近代」とはなんであろうか?著者はごく当然のことのように(そしてここに私も異論はない)、西洋社会が辿った近代化を唯一の近代化への道筋とする「単線的近代化論」を否定し、その上「近代化」を「世俗化」や「工業化」といった諸要素に分解し、それぞれの文明・社会によって近代化が包摂する概念は異なるという「複線的近代化論」を採用する。これは一見、イスラーム社会の近代について考えるにあたり、適当なものであるようにも思える。
だが、本著内で用いられる近代とは、ウォーラーステインのシステム論が西洋近代世界の分析から始まったように、明らかに西洋社会に端を発した近代概念を念頭に置いているように見える。そしてその概念自体が西洋の歴史学・思想から生じたものであることを鑑みると、非西洋の工業化・世俗化段階にたいして「近代」という用語を用いるのは適切なのだろうか。
我々が問題とすべきなのは西洋的近代を善と悪、文明と野蛮の物差しとして考える西洋文明中心主義であって、「近代」と西洋社会を結びつけること自体を否定すべきではない。一方で、世俗化や極初期の工業化への
兆しは、非ヨーロッパ社会の一部でも見られた。これをその地域の「近代」への一歩と解釈すべきだろうか?当然答えは否であり、「近代modern」という語に潜在的に潜む西洋の発展類型への依存により、そうした運動は「近代」ではない。そして日本やトルコに代表される西洋の文物を吸収しようとする運動は、「近代」と呼称されるだろうし、すべきであるし。いっそ「近代」という語を捨て、まったく新しい社会変動、変化の類型として当時のイスラーム社会を捉えることはできないのだろうか。 -
そもそもイスラーム主義の定義は何か?社会学からのアプローチがなされています
著者プロフィール
大塚和夫の作品
本棚登録 :
感想 :
