悪について (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 37
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309352

作品紹介・あらすじ

残虐な事件が起こるたび、その"悪"をめぐる評論が喧しい。しかし、"悪"を指弾する人々自身は、"悪"とはまったく無縁なのだろうか。そもそも人間にとって"悪"とは何なのか。人間の欲望をとことん見据え、この問題に取り組んだのがカントだった。本書では、さまざまな文学作品や宗教書の事例を引きつつ、カント倫理学を"悪"の側面から読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 冒頭からあまりにおもしろくて一気読みした1冊。
    うわこれ私もずっと思ってた嬉しい…!と感動しながら読み進めてくといきなり身体をものすごい勢いでえぐられる感覚が。自分が中途半端な人間なのを突きつけられるのだ。天秤でいえばただゆらゆらと揺れてる感じ。だからこの際どっちにもズドンズドンと振り切ってやろうと思った。それで中庸を保ちたい

  • カント倫理学における「悪」とは何かを解説する内容.分かりやすく説明するというコンセプトではないようで私には理解しきらないところがちらほらあった.
    実態は自己愛であるにも関わらず,それを自己愛でないものであるかのように振る舞う行為を悪と見なすということが,論証の対象ではなく公理として存在しており,よってそれについての裏付けを求めだすと,話が繋がらなくなる.
    殺人者から友人を匿う話に代表されるように,教条主義的に,命法の指すところに従おうとすることが,人としてよりよいあり方に繋がるとは必ずしも言えないが,それぞれの行為が何かしらの形で,道徳法則からの義務に反する可能性があることに頭を巡らせ,また何かしらの義務を侵犯せざるを得ない選択の場面で居直らないというのは,道徳を考える上で留意すべきことかもしれない.

  • カント倫理学に基づいた善悪の分析。
    善なる行為だけをなして生きる、つまり善であることはできない。
    自分のなすべき行為が善なる動機から出ているのか悩み、そうあろうと心がけることが善である状態なのだろう。
    思考停止してはいけない。

  • 厳格な倫理思想として知られるカントの倫理学を、「悪について」という観点から解き明かしている。

    カントの問題は、何が適法的な行為であるかを規定することではなく、道徳的に善い行為を、単なる適法的な行為から鋭く区別することだった。著者はこうしたカントの問題意識の中に深く沈潜することで、カントの「形式主義」といわれる道徳法則についての議論が、一見道徳的に見える行為の中にびっしりとはびこっている「自己愛」をえぐり出す鋭い刃として機能していることを読み取っていく。ここでの著者の議論は、上に述べた論理的明晰さと繊細さが類まれな統一を見せており、まさに圧巻である。

    カントの倫理学の中には何が適法的行為であるかを教えてくれるような規準は存在しない。そのために、自分が正しいと信じることとこの世の掟との相克に身を置く者は、どのように行為するべきなのか悩むことになる。それどころか、みずからの信念とこの世の掟のどちらにしたがったとしても、彼(彼女)は、みずからのとった行為が、はたして善かったのだろうかと悩み続けなければならない。悩み続けることによって、彼(彼女)は、自分が道徳的でありたかったということを、さらには、自分が幸福になりたかったということを、知ることになると著者は言う。このように展開される議論にも、この著者らしい繊細さが細部にまで行き渡っていて読者を魅了する。

  • 逆張り
    正義について考える

  • 『道徳的センスは常に善いことしようと身構えることでもなく、自己批判に余念がないことでもなく、善とは何か悪とは何かを問い割り切ろうとしないこと』

    『道徳的に良い行為はなにか誰もが知っている。でも、それは道徳的に良い行為へと向かう指針を与えられるだけで、行為を実現できる訳では無い。』

    『道徳的人間とは、常に善い行為をする人間のことではない。自分の信念を貫くことが他人を不幸にするという構造のただ中で、信念をたやすくも捨てることも出来ず、とはいえ自分の信念ゆえに、他人の不幸のうちに見捨てることも出来ずに、迷い続け、揺らぎ続ける者のことである。』



    哲学初心者としては難しい内容でもあった(カントのこともよく知らない)が、哲学の面白さにも触れることが出来る本。

  • 【読書メモ】
     ・ 「義務」は次の四種類に分類される。括弧の中は、カントが挙げる具体例である。
        1.自分自身に対する完全義務(自殺すべきではない)
        2.他人に対する完全義務(偽りの約束をすべきではない)
        3.自分自身に対する不完全義務(より完全になるべきである)
        4.他人に対する不完全義務(他人に親切にすべきである) p16
     ・ きみ自身の人格における、またほかのすべての人格における人間性を、常に同時に目的として使い、けっして単に手段として使わないように行為せよ。(カント) p28
     ・ その人の語る言葉が、どれだけ個人の色彩を保っているかが重要なのだ。その人の言葉はその人から出て、しらずしらずのうちにその人に逆流してその人のうちに住み着く。その人の血を肉をつくってゆく。ある人が「世間語」しか話さないのなら、こうした人は、いかに外形的に適法的な行為にしがみつこうとも、まったく道徳的に善くはない。 p127
     ・ 悪の「原因」は、不分明である。それでは、悪が湧き出す「場所」はどこであろうか。これについては、カントは凝集して考え抜いている。カントの悪論の中核は、悪の原因でもその克服でもない。まさに、悪の場所を突き止めることなのだ。 p174
     ・ ……それは、そう「要求する」こととの相関で立ち現れるような実在性、単なる願望ではなく、ほかのすべてが崩壊するような強烈な仕方で(プランテラのように、ラスコーリニコフのように)、われわれを襲う実在性である。それは、苦境に陥ったヨブのように、叫びつづける者だけが知っている実在性である。 p208
       

    【目次】
     1 「道徳的善さ」とは何か
        ラスコーリニコフ
        思索によってではなく行為によってはじめて道徳的世界が開かれる
        道徳的センス
    善意志
        「義務に適った行為」と「義務からの行為」
        道徳法則と定言命法
        各律と性格
        命法と行為のあいだ
        目的としての人間性
        形式としての悪
        肥沃な低地
     2 自己愛
        誰も自己愛の引力圏から抜け出すことはできない
        「うぬぼれ」というもの
        自己愛と定言命法
        自殺について   
        より完全になろうとする義務
        社会的功績は負い目である
        賢さの原理
        世間的な賢さと私的な賢さ
        道徳的善さと純粋さ
        善を求めると悪に陥るという構造
        幸福の追求
        幸福を受けるに値する
        苦行の否定
        他人に同情すべきか
        自己犠牲的行為
     3 嘘
        適法的行為を器用にこなす人々
        道徳法則に対する尊敬
        真実性の原則
        真実性と友の生命
        窮余の嘘
        愛と嘘
     4 この世の掟との闘争
        適法的行為と非適法的行為
        義務の衝突
        何が適法的な行為であるか
        迫害されている者たち
        道徳性と世間のしがらみ
        漱石は道徳的である
        息子を殺さねばならない
     5 意志の自律と悪への自由
        意志の自律と他律
        「文字」と「精神」
        自己愛以外の意志の他律
        アブラハム
        私は貝になりたい
        「文字」が「精神」を獲得するとき
        アイヒマン
        私が誤っていないという保証はどこにもない
        堕胎について、プランテラの場合
        良心の法廷
        ウィーンでの出来事
        悪への自由
     6 文化の悪徳
        意志(Willie)と意思(Willkur)
        動物と悪魔のあいだ
        悪の場所
        動物性の素質と人間性の素質
        実践理性と人類の発展史
        悪への性癖
     7 根本悪
        人間心情の悪性
        悪性の格律を選択する性癖
        道徳秩序の転倒
        根本悪はあらゆる格律の根拠を腐らせる
        出口なし
        課せられているが答えることができない問い
        ふたたびプランテラの場合
        根本悪と最高善

  • ところどころ解釈が難しいところがあったけど大筋は理解できたし、予てから自分が考えていた事と重なる部分が多々あった。一切の誤魔化しを許さずに「自己愛」を摘発する姿勢には震えるほど共感できる。
    道徳的な人の例の中に私の大好きな「彼岸過迄」の市蔵君が挙げられてたのが嬉しかった

  • カント倫理学における「道徳的善」を裏側から抉りだす傑作。「根本悪と最高善」に引きちぎられる人間の姿を綴ったくだりは荘厳な宗教画のような迫力とドラマを感じた。

  • 私はよく、いい人そうと言われる。穿った見方をするといい人というのは、どうでもいい人とも聞こえる。さらに、~そうということは表面的には少なくともそう感じるということだ。ただ、多くの人にそう言われるので、気にしないわけにもいかない。私自身自分のことはいい人とはそれほど思わない。わがままで利己的だし、他人を憎いともよく感じる。昔はそうではなかったのかもしれないが、社会に出て世の中にすれていくにつれ、どうも自分が悪い人間になっているような気がする、むしろ自分はもともと悪い人間だったのではないかと思い、本書を手に取った。
    冒頭から筆者の弁は痛快だ。「私は自分のうちに膨大な悪が渦巻いているのを知っているのだ」「悪にまつわる私の唯一の関心は、善人であることを自認している人の心に住まう悪である」どきっとさせられる言葉だ。誰の心のうちにも悪があると看破している。これを読んで思い出したのはカラマーゾフの兄弟のアリョーシャの言葉だ。正確には忘れたが、世間的に善人と思われているアリョーシャが、悪人と呼ばれている人達と自分は同じだと述べるシーンがある。そこで、同じ階段を上っているというようなことを言っていた。位置の高い低いはあるが、同じなのだと。
    誰の心の中にも悪が存在するということがわかって、どこか安心した部分がある。これで心置きなく自分と向き合える。悪いことが存在していると認めたうえで、それとどう付き合っていくかが人間としての条件という気がする。一線を越えてしまった人達についての言及が本書であるが、そこで悪が露わになると筆者は言っている。だが、日常にはもっと小さな悪もあるし、表に出さずとも心の中に潜む悪もある。それを見つめるということが自分を理解するということだ。

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著者プロフィール

1946年生まれ。
東京大学法学部卒業。同大学院哲学専攻修士課程修了。ウィーン大学で哲学博士号取得。電気通信大学教授を経て、現在は「哲学塾カント」を主宰。専攻は時間論、自我論。
著書に『哲学の教科書』『「時間」を哲学する』『ウィーン愛憎』『「私」の秘密』『「純粋理性批判」を噛み砕く』『哲学塾授業』『差別感情の哲学』『不在の哲学』ほか多数。

「2018年 『カントの「悪」論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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