桜が創った「日本」: ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書 新赤版 936)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309369

作品紹介・あらすじ

一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 桜の季節が近づいてきた。
    ソメイヨシノが江戸(染井村・今の駒込あたり)の植木職人の接ぎ木から生まれたクローンであることや、たかだか100年ほどの歴史しかないというのは、今や周知のことがらだ。
    ソメイヨシノという命名は明治34年のもの。
    では何故、日本人の美意識の象徴として捉えられたりするのか。
    その桜物語の言説を、社会学者の佐久間俊樹さんが分析していく。
    多くの和歌や引用文もあり、非常に興味深い内容になっている。

    万葉集の頃から歌に詠まれた桜だが、山に咲く桜を「山桜」という総称で呼び、奈良の春日山原生林では「カスミザクラ」の種が発見されているという。
    よく知られる「あをによし・・」という歌も同じ。
    園芸種の「ソメイヨシノ」を思い浮かべてしまうのは思い込みによるものだ。

    促成で、苗木から10年ほどで花をつけるのがソメイヨシノ。
    その手軽さで、日露戦争後忠魂碑や記念公園に数多く植えられたが、「ひとつの国家」「ひとつの軍隊」をつくる運動ではなかった。
    戦争の記念植樹は月桂樹だったし、特別な意味はもっていないという。
    伝統や由緒をもたない新たな場所に、絶好のアイテムだったのだ。
    桜好きが、ソメイヨシノに思想や文化を見出そうとするのはもっと後のこと。

    群生で楽しめるという点が環境整備に便利とされ、大正期から画期的に増えていく。
    昭和の戦後復興時には、新たなふるさと作りに更に積極的に植えられた。接ぎ木しやすく苗木も安くて経済的。
    ソメイヨシノ以前は、桜の種により開花も散る時期も異なって長く楽しめたらしい。
    一斉に咲くことと散り際のはかなさ。
    その性質がやがて、日本人に固定観念を植え付けていく。
    3,4月に咲くという点も、「別れと出会い」の風景のように言われだした。
    いつしかソメイヨシノひとつの桜らしさが日本らしさと重なっていく。
    その精神論は論証や実験といった科学的手続きの上をいこうとするもので、閉じられた固定観念そのものであるという。

    面白いのは、この頃に「山桜」が桜の始源であるかのように言われだすこと。
    これは私自身も思い込んでいたことで、今回大きな発見だった。
    上記に載せたように、万葉で詠まれた「山桜」は、山に自生する桜のこと。種としてのヤマザクラではない。
    山桜は日本全土に咲き、本居宣長が大和心を見た桜のこと。それが何故か同一で語られて来たようだ。

    更に面白いのは、ソメイヨシノの出現以前に、ソメイヨシノが実現したような桜の景色を何人もが歌っていたという事実だ。
    つまり理念が先行して、現実が後追いした結果ということになる。
    桜への固定観念の曖昧さや異常さを解き明かしてくれた本書は、歴史ロマンを打ち消すかもしれない。
    しかし思い込みという常識を手放すと、新しい見方が生まれるのも確かだ。
    メディアというものが皆無だった古代人にとっては、ひと月もかけて咲いては散っていく桜を愛でるのが合っていたとも言える。

    緊急事態宣言が解除される頃には、一斉に咲き出すのだろうか。
    一本桜を遠目で見るか、モニターを通して眺めるだけにするか、悩むところだ。
    参考文献として本格的な植物学の本も挙げられ、学びの大変多い一冊。おすすめです。

    • goya626さん
      こりゃ、読まなくっちゃ。新しい知見がゴロゴロありそうですね。
      こりゃ、読まなくっちゃ。新しい知見がゴロゴロありそうですね。
      2021/03/19
    • nejidonさん
      goya 626さん♪
      はい、ぜひぜひ。とても面白いですよ!
      余計な思い込みなしで桜を眺めたいですが、もう難しそうですね(笑)
      あ、リ...
      goya 626さん♪
      はい、ぜひぜひ。とても面白いですよ!
      余計な思い込みなしで桜を眺めたいですが、もう難しそうですね(笑)
      あ、リービさんの本もね‼
      2021/03/19
    • goya626さん
      合点承知の助
      合点承知の助
      2021/03/20
  • ソメイヨシノは同じ土地だとほとんど一斉に咲いてさっと散ってしまう。エドヒガンとオオシマザクラの掛け合わせでできたソメイヨシノは、差し木や継ぎ木でふえるクローンなので、そうなるという。江戸時代までの日本は、2か月ぐらいいろいろな桜が楽しめたという。ソメイヨシノだけでなく他の品種でも差し木や継ぎ木をするのは藤原定家の「明月記」にも記されているという。(「明月記」は超新星爆発についての記載の辺りを原文で読んだけどなあ。安倍家なども出てきて面白い)ソメイヨシノが明治時代あたりから広がっていったのは、花だけが先に咲くことやすぐに育つことかららしい。たくさんの桜の木が花だけで見事に雲のように咲き、パッと散るのは確かに見事だが、日本人に浸透し、日本という観念と結びついていったのは、昭和になってからで、さらに広がったのは戦後のこととか。平安の時代から歌人たちが桜に抱く理想の姿とソメイヨシノの姿が合致した。戦後、ソメイヨシノが余りに席巻したため、ヤマザクラ(特に吉野の)こそ日本の桜の原点だという逆噴射の考えも出てきた。なるほど。(吉野はしばらく荒れていて、整備されだしたのは明治になってかららしいから、勇み足か)桜は桜であって、それにいろいろな思いを抱くのは人間の勝手であるらしい。確かに、ソメイヨシノもいいし、八重桜も他の桜もそれぞれにいいよね。
    とまあ、自分の覚書でだらだらと書いてしまったが、要するにある意味この本は情報源になっても、実は論じられている日本論はちっとも面白くなかったということなのだ。うーん、なんだろ、この筆者とは合わないということなのだろう。

  • 05−06-11
    びっくりしました。「現在の桜観」と「明治初期以前の桜観」が全く違うなんて。



     ふらりと立ち寄った本屋さんで、季節はずれですが、佐藤俊樹「桜が創った『日本』」という本を買いました。最近、「ドラゴン桜」を読んだせいでしょうか。



     私たちの「現在の桜観」は、ここ5、60年で出来上がった桜観なのです。明治初期以前、というよりも、ソメイヨシノが誕生するまでは、桜の木の植え方は、多品種分散型で、花期が少しずつ異なる桜があちらこちらに植えられていました。ですから、様々な種類の桜の花が咲くのを1か月間にわたって見ることができたらしいのです。



     今、日本の桜の約8割を占めるソメイヨシノは、明治時代初期に東京染井村(今の豊島区駒込)の植木屋が、オオシマザクラとエドヒガンの雑種をつくり、最初は「吉野桜」という名で売り出したものです。交通の発達していない当時、「吉野の桜は、このごとく美なるものか」ということで、ソメイヨシノは関東の地に広がっていきました。

     

     ソメイヨシノの特徴は、葉より先に花が咲き、その花は近隣では同じ時期にいっせいに咲きます。また、花は一重ですがボリュームがあり、遠くから眺めると、一面のべたっとした花色(ピンク色)になります。桜の木の植え方も、以前の多品種分散型から、ソメイヨシノ単品種集中型へとなりました。

     

     そして、単品種集中型のソメイヨシノの咲き方、散り方に桜ナショナリズムが加わっていくのです。



    我が邦の武士はただ桜花の如き気象精神を具有すべきのみならず、またその生命を捨つるに当たりて、桜花の如く潔白ならざるべからざるなり。

    井上哲次郎「桜花」大正2年(国定教科書「高等小学讀本」に掲載)



     このようにして、私たちがもつ「現在の桜観」ができあがりました。結局ソメイヨシノは、全国津々浦々に広がり、開花宣言の基準木になりました。興味深いのは、全国に広がるソメイヨシノは、たった一本の木から接木で増やされていったクローン*1であることです。



    散る桜 残る桜も 散る桜  良寛



     これは良寛さん辞世の句です。以前から気に入っていたのですが、この句の情景も、これまで想像していたものとは違うのではないでしょうか。

     これまでは、同じ種類の木の中で、散り行く桜花とまだ残って咲いている桜花を対比して詠んだものと思っていました。ソメイヨシノ以前ならば、散り行く桜の木と別の種で花期が少しずれて咲き誇っている桜の木を対比して詠んでいるのではないでしょうか。

  • 一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。

  • いろんな桜語りをたくさんの本や文章から取り上げ、集合的無意識の語り口の多さを述べ、冷静に事実を追求して書いている姿勢に好感が持てる。
    無意識に桜に観念を投影してしまわずに論理性と実証性が必要。

  • 『桜が創った「日本」』というタイトルから、日本人の伝統的な美意識を象徴するソメイヨシノが、じつは江戸末期に登場した品種であるという「神話」を解体する、といった内容を予想していましたが、いい意味で裏切られました。

    著者の議論は、「本来の日本の桜はヤマザクラ」といった、ソメイヨシノの「神話」を相対化しようとするまなざしが、ソメイヨシノの「神話」を前提に成立していることにまで及んでいこうとします。

    近代日本の種々の「神話」を解体するカルチュラル・スタディーズにはやや食傷気味でしたが、「神話」を相対化しようとする試みがみずからのまなざしをのぞき込むように反転するスリリングな議論構成には、新鮮な驚きを感じました。

  • 日本中全ての桜の8割がソメイヨシノで、それらは皆同じ遺伝子を持つクローンだとは初めて知った。一斉にわっと咲きパッと散る桜に、古来からの日本人性を重ねがちだが、このクローン桜が広まったのは、この100年程度、しかも人為的な仕業という。こうした事実と裏腹に日本人の複雑な「桜」
    観が形成されてきた理由が本書のテーマで、多くの文献を引用しながら、この問いに答えを探している。

  • 私は、桜が好きだ。坂口安吾の「桜の森の満開の下」の妖艶たる雰囲気は、「檸檬」よりまさる。桜の樹の下に死体が埋めてあることを想像しながら、桜の満開を見て、桜の花びらを散らす様を想像する。死体から生命が花開き散っていく。なぜか満開になると春の嵐がきて花びらを散らす。その様が美しい。美しいとは、満開ではなく、花吹雪になるときに、つかの間の美しさに目をみはる。日本人の遺伝子に組み込まれているような「いさぎよさ」は、桜なのかもしれない。
    著者は、桜について、徹底して情報収集をしている。
    サクラは サは穀物(イネ)の精霊、クラは、神の座すところ、冬が過ぎて、春となるときに、最初に、穀物の精霊が舞い降りてくるところ、それが サクラ。
    染井村(東京都豊島区駒込)で、育成された。明治5年のころだったといわれる。オオシマザクラとエドヒガンの交配でできた。自然交配、人為的交配、枝変わりなのか、わかっていない。
    明治23年(1890年)藤野寄命が学術的に同定。ソメイヨシノと命名。明治33年に学術雑誌に掲載。翌年 松村任三が正式に新種として記載。
    万葉の時代は、花といえば、梅だった。桜はあまり重きをおかれていなかった。
    吉野桜はヤマザクラだった。徳川吉宗はヤマザクラの愛好者だった。ヤマザクラの桜見が始まる。
    サクラの歴史は連綿と続いているようだが、昨今のソメイヨシノの風景は明治中ごろから始まっているのであり、その前はサクラの風景も変わっていたが、ソメイヨシノの風景で昔をイメージしている。ヤマザクラの桜見は、情緒を重んじたが、ソメイヨシノの桜見は、イベントとして組み立てられる。
    本居宣長は「敷島の大和心を人問わば 朝日ににほふ山桜花」とヤマザクラに託した。本居宣長の大和魂は、ソメイヨシノではなく、ヤマザクラだった。
    吉野はヤマザクラの名所で坂口安吾のサクラの世界だ。それで、ソメイヨシノという名前は 卓越していた。ネーミングの持つ普及力。ソメイヨシノは 急速に普及していくが、サクラに 意味がこめられるようになった。
    斉藤正二はいう(昭和55年)『人間がサクラをどう見るのか、サクラの中にいかなるシンボルを読み取るのか、という問いに対する正しい答えは、それはすべて関係によって決まるのであり、サクラ自身になにか意味上の実体があるのではない、ということになる。』サクラのゼロ記号性を説く。
    靖国神社の誕生から読み解く。靖国神社は木戸孝允によって、明治2年戊辰戦争の霊を祭るために建立。そのときの名前は東京招魂社と呼ばれていた。サクラも木戸孝允によって植えられたとされている。日本というものに深くサクラがかかわっていく。明治という時代に国のためと私のためということを区別する必要がなかった。
    赤瀬川原平はいう『ソメイヨシノのお花見も大好きだけど、あの白い花だけを満開にさせる美しさというのは、やはり西洋好みではないかと思う。どことなく分析的な父性的合理主義というか、あるいは一神教的なニュアンスが感じられる。一方吉野のヤマザクラの方は赤い葉が混じり、青い葉もまじり、 これが多神教というとこじつけかもしれないけれど、清濁あわせ飲む様な味わいの深さがあって、そこに母性的な縫い糸の多様さを感じてしまう。』
    それが 時代とともにサクラは変化していく。ソメイヨシノのもつ、一斉に咲く集団性による美しさ、わずか10日間で花の生命を終える、さらさらと散っていく。そのことが、違った意味で使われるようになる。日本らしさや日本人らしさにつながる。貴様と俺とは同期の桜では、ソメイヨシノになっている。
    咲きみちて花より外の色もなし  足利義政
    願わくは花の下にて春死なむ   西行
    花の雲鐘は上野か浅草か     松尾芭蕉
    花のイメージを ソメイヨシノのイメージで、読んでしまう。足利義政の花はウメであり、西行、芭蕉はヤマザクラなのだろう。
    井上哲次朗は言う(1913年)『桜花は百花中散り際の最も潔白にしてかつ優美なるものなり。わが邦の武士はただ桜花の如き気象精神を具有すべきのみならず、またその生命を捨つるにあたりて、桜花のごとく潔白ならざるべからざるなり。換言すれば、桜花は我が日本民族のまさに具有すべき気象精神を表現するものにほかならず。』
    ここから、桜と戦争は結びついていく。
    戦争の中で 極限までシンボル化されたサクラの残骸が、日本のさまざまな思想的な潮流の中に息づいているなかで、日本人のサクラ好みの風潮は変わっていない。

  • 桜語りがなぜ自分から全体にパッと飛ぶのかの説明がほしかった

  • 高校の図書館にて、桜に惹かれて読んだ本。

    桜、特にソメイヨシノについて、身近にありながら知らないことがたくさん書いてあり、すごくおもしろかった。

  •  桜は日本の美、と言い切る人のための本。
     

     今、日本の各地で見る事ができる染井吉野という桜の一品種が作り出されたのは、江戸時代のこと。
     染井吉野という花の特徴は、葉よりも先に花が咲いて、しかもその花が大きいために、一カ所に多数の木が植えられた状態で開花すると、とても見応えがあること。
     それに、染井吉野の木は、同じ木から接ぎ木して創った個体、いわば同一人物ですので、開花時期が地方ごとに綺麗にそろう事も特徴である。
     そのあたりを普段はあまり意識しないけれども、他の桜(例えば、山桜や紅枝垂桜、大島桜、寒緋桜など)とは大きく違う特徴であることの解説から始まり、桜について語る時に日本人が作りだしてきた想像の源泉を辿り、桜に託されて来た幻想がどのように構築されてきたかを丁寧に解説している。

  • 卒業、入学、就職、そして出会いと別れ、と4月始まりの日本社会の節目を彩ってきた桜。そしてその八割を占めるソメイヨシノ。そのソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンの交配によって生まれたことは有名ですが、明治初期の誕生してクローンによってしか繁殖しないことは意外と知られていないのではないでしょうか。そのソメイヨシノをめぐる「桜語り」がいかにナショナリズムと結合した幻想を生み、そして戦後復興に大きな役割を果たしてきたかを考察しています。

  •  サクラの由来は、一説によると「サ」・「クラ」であるという「サ」は穀物の精霊を表し、「クラ」は神の座る場所の意である。そして、現代日本において、サクラとはだいたいにおいて、ソメイヨシノのことをさす。というのも、その占有率において圧倒的(国内のサクラのおよそ8割)だからである。学校に植えられているサクラは例外なくソメイヨシノである。文部省と結託して拡散したといわれている(笑)。 ソメイヨシノは50年から70年という樹齢で人間の生死のワンサイクルとちょうど同じくらいであることが、増殖活動との親和性が高かった理由の一つであると考えられる。もちろんはずせないのはクローン特性である。ソメイヨシノのその多くは挿木、接木によって人工的に繁殖したのである。経済効率がもっともよかったのである。景観を向上させ、かつ新しい記憶を生成させる拠り所として都合のよい、あらゆる意味で都合のよい理想的な品種であったのだ。(実際ソメイヨシノは花だけを前面に押し出して開花する人の理想・欲望を体現している)
    こうして、サクラ=日本という国民的想像力あるいは図式は、明治以降に創られた共同幻想のひとつとなった。

  • [ 内容 ]
    一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。
    近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。
    現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。

    [ 目次 ]
    1ソメイヨシノ革命(「桜の春」今昔 想像の桜/現実のサクラ)
    2 起源への旅(九段と染井 ソメイヨシノの森へ 桜の帝国 逆転する時間)
    3 創られる桜・創られる「日本」(拡散する記号 自然と人工の環)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 日本人がなぜ桜に精神的な意味を見出し、思いを託すようになっていったのか。
    過去の「桜語り」がたくさん紹介されてます。
    個人的には第二章が好き。143pくらいから「ああ!!」と思います。
    近代史わりと好きかもー、という人にオススメ。

  • ここ百年の間に広まった染井吉野と近代のお花見事情。日本の「花」の姿をたどることができます。

    春といえば桜。桜といえば染井吉野。そんな風に信じきっていましたが、いろいろな桜の姿もまた日本の姿なんだと思いました。

  • ソメイヨシノがただだか100年くらいの歴史がないのと同じように、「日本」の歴史も実は長くない。

  • 桜の読書シリーズ第二弾.
    社会学の立場から日本と桜の関係に迫る本といった感じか.
    社会学というのはwikipedia によると「社会学は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を統計・データなどを用いて分析することで解明する学問である。」のだそうだ.たしかにソメイヨシノの誕生と普及という出来事を中心に日本人の桜語りのメカニズムを明らかにしているといえるのかもしれない.
    私にとっての問題は,それを知っても全然嬉しくないこと.桜を見る目がかわる?そうかな.純粋な知的な興奮もない.ということで,たぶん社会学の目指すものを私は理解できていないのだろう.

  • 日本人は桜が大好きと言われているけれど、まとまってパっと咲いてパッと散るソメイヨシノは江戸末期にできた品種であるとか、明治中期までは花=桜ではなかったとか、いろいろお勉強になりました。
    でも、すっごく読みにくい本だった。
    ちょっと自分の論理に酔っている感じの文章で、客観的にわかりにくい。
    わかりやすそうに書いていて、実は論理的飛躍があってわかりにくい本。
    あまりおススメはしません。

  • ソメイヨシノの歴史。
    靖国の桜の話が載っています。
    そしてソースがさりげなく木戸日記(笑)
    びっくりしました。

  • 日本で桜と言えばソメイヨシノ。その起源と、日本の桜の大半(8割)がソメイヨシノになったルーツを探る。

    よく言われている通り、日本に咲くソメイヨシノは同じ種から接ぎ木や挿し木で増えてきた「クローン」であり、そのため一定の条件下で一気に咲き、散っていく。桜の性質である「種で自己増殖せず、周囲の環境に合わせて体質を変化させていく」「接ぎ木でクローンを産み出しやすい」があり、日本人の「一斉に、均一に」という性質等が重なりあって、今の日本の桜事情になっていったようだ。

    桜には怪しい魅力がある、という話もまたよく知られている。梶井基次郎の小説の一説である「桜の樹の下には屍体がある」も知られている。これに関しては本書では「均一に一斉に咲いて散るクローンの不気味さ」が背景にあるのではという見方をしている。それもありか、と思いつつも、私は
    ・出会いと別れの季節の郷愁
    ・季節の変わり目で体調を崩して亡くなる人が多い
    ・生暖かくなる季節で人の心がざわつく
    という人間側の事情が作用しているのではないかと考えている。

  • 2021/07/21:読了
     ソメイヨシノは、今は当たり前のように、春の花として当たり前の存在だが、明治以降に、接ぎ木や挿し木で、人工的に日本各地に広まった花だと、はじめて知った。
     勉強になった。

  • ビブリオバトル首都決戦2011 準決勝にて紹介した本です。

  • 資料ID:C0026370
    配架場所:本館2F文庫・新書書架1(千葉)

  • 2009年度  52冊目  4月9日

  • ¥105

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科教授

「2023年 『メディアと社会の連環』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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