日本の英語教育 (岩波新書 新赤版 943)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309437

作品紹介・あらすじ

世界を覆う「英語の時代」の波に乗り遅れまいと、文科省主導の「英語が使える日本人」を目ざした英語教育改革が進んでいる。だが、「平易な会話」の重視や小学校への英語導入といった施策は、現実的な展望に基づいた「政策」の名に値するものなのだろうか。明治以来の日本人の英語・言語観に照らして、英語教育の根幹を問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • 2005年刊行。著者は広島修道大学教授。小学校での英語教育開始、英語学習の目的を会話・コミュニケーション重視とする点など、英語教育の「改革」が実施されようとする現在、それを教育政策という観点から見た当否、歴史的な展開(いつか来た道ではないのか)、そもそも日本に語学教育政策が存在したか、等の観点から著者の英語教育の在り様についての持論を展開。社会における英語の必要性を生徒が痛感しない限り、周りが旗を振ってもなかなか実効性は乏しいという印象。また、受験英語とされるものも英語学習の通過点でしかないのは同感。
    ただ、これ自体は誰もが判っているのではないかと思う(判っていないのは大学受験を目の前にした学生くらいじゃないかなぁ)。加えて、義務教育は勿論、高校英語でも絶対的な英語読書量が少なすぎて議論にならないのではという印象を持っているところ。文法学習・構文の解読ができなければ話にならないが、それができるだけでも全く足りないような気がしているが、実際はどうなんでしょうか?。本書は、これまでの日本の語学教育には、理念も拠って立つデーターもなく、英語教育の担い手たる教師の力量すら十分ではない可能性を指摘。
    ならば、学習心理学に依拠する全く新しいカリキュラムや教材と、生徒の目的に応じたコースの複線化が必要なのでは。

  • 【内容紹介】
     ■学校は本当に「英会話中心」でよいのですか■
     経済のグローバル化にともなって、コミュニケーションの道具としての英語の重要性はますます大きくなりました。「英語の時代」ともいうべき今、英語教育をどのように取り入れるかは、世界各国で大きな問題となっています。「これからはなんといっても英会話を教えなくては」という声もよく耳にするのではないでしょうか。
     日本でも、文部科学省は「英語の時代」に対応すべく、近年相次いで施策を打ち出しました。「『英語が使える日本人』育成のための戦略構想」(2002年)がその一つ。もう一つは小学校教科への英語教育の導入です。
     しかしこの二つの「政策」は、本当に日本人の英語力の向上につながるのだろうか。いや、そもそも「英語力」とは何かということについての明確なビジョンはあったのだろうか。そうした根本的なところから著者は日本の英語教育を問い直していきます。
     静かな語り口で、理詰めに繰り広げられる(実は)過激な批判は、痛快ですらありますが、そこから私たちは、明治以来、日本人は英語(外国語)にどのように向き合ってきたか、という自画像を見て取ることができるでしょう。「受験英語」「英会話重視」などのやや手垢のついたことばも、どこに問題があるのかが明確に語られます。
     学校教育というすべての日本人がかかわる場で、英語をどうするのか、英語教育はどうなるのか、著者と一緒に考えていただければと思います。(新書編集部 早坂ノゾミ)
    https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0504/sin_k227.html

    【著者紹介】
    山田雄一郎氏は1945年広島県生まれ。1970年広島大学大学院修士課程修了。シドニー大学、レディング大学で外国語教育学を学ぶ。現在、広島修道大学教授。専攻は言語政策、英語教育学。著書に『外来語と小説』(広島修道大学総合研究所)、『言語政策としての英語教育』(渓水社)、『英語教育はなぜ間違うのか』(筑摩書房)ほかがある。


    【簡易目次】
    はじめに [i-iii]
    序章 転換期を迎えた英語教育 001
    第1章 英語時代の到来 023
    第2章 日本に言語政策はあったのか 063
    第3章 英語と義務教育 105
    第4章 英語教育の構造 149
    終章 英語帝国のかなた 195
    あとがき 223

  • 英語の勉強の為1ヶ月の短期留学を経験し、改めて「英語教育」について興味を持ちこの本を手に取った。

    多くの日本人は、何年も英語を学んでいるはずなのに話すことが苦手である。私自身留学先で英語が話せず悔しい思いを何度も味わった。そのため小学校での英語の必修化は「羨ましい!」と思っていたが、この本を読み「自分が思っているよりも期待できないのではないか」と言う気持ちが芽生えた。

    「「文法よりも英会話」とか「外国語学習は早く始めるほどよいと言う思いこみ」が大衆の中にあり、「文部科学省も教師も生徒も、どこかこの大衆の気分に同調しているところがある」、そして現在の我々は「ただ「話せるようになりたい」」と言う夢だけを持っている、と著者の山田は指摘する。

    なるほど、その単なる「夢」から脱しなければ、たとえ小学校から英語教育が始まり学ぶ期間が長くなったとしても本質的な日本の英語教育は変わらないということであろうか。英語を学ぶ身としても「何故英語を学ぶのか」について今一度考え直さなければならないのだと思いしらされた。

  • 日本の英語教育政策について書かれている。日本の英語教育に対する指摘は一読して理解しておくとイイ。多くの人の英語教育に対する考え・期待が変わる。

  • 大学時代に、確か教職に関する科目の何かで課題になった本。
    再読したので登録。

    うーん。なんか読みにくかった。。
    そんで結論は?ってツッコミたくなる箇所がいくつも。。
    よく読んだな大学のときに(笑)

    10年くらい前に書かれているのでデータもその当時のものやけど、小学校の英語教育に関してはもう3年生からやろうということで義務化されそうやし、どんどんこの本の通りになってるなあと思う。

    確かに、「日本人は10年勉強しても全然使える英語を身につけられない」と言われてるけど(使える英語をどこで使うのかと問いたいが)、だから英会話中心の教材を取り扱おう!というのはちょっと違う。それは著者の意見と自分の意見が合致する点。
    「3000語の英会話」とかいう類の本もたくさん出版されてるけど、「3000語しか知らない」人が300語使って英会話はできない。見えないけど根底に基礎能力(文法とか語彙力とか)があってこそ成り立つ英会話なのに。

    「英語帝国」になるのかな~。

  • 英語教育に関する政策的取組には、長期的視野に立った理念が欠けているという著者。
    つまり英語教育を通してどんな日本人を育てたいのかという哲学が欠けたままに、グローバル化の波に圧され、英会話偏重に流されている現在の言語政策に警鐘を鳴らしている。

    成果主義的思想に基づいた英語追放への気運が高まった時代もあったが、それらに抜け落ちている外国語学習における実践的言語運用力とは別のメリットに目を向けさせる。

    それは他言語学習を通して得られる認識世界の多様化であり、その本質を行政、学校、世間等に共有化することが求められる。

  • いろいろ考えさせられる本である。小学校から英語と文科省はかけ声をかけはするが、それは場当たり的でいわゆる言語政策がないこと、「英会話ができなくては」という世間の声はいったい何を目ざしているのか、はっきりしたものがないと、筆者の筆致はきびしい。筆者は小中学校における英語教育の目標を1)一定の実践的能力の養成、2)外国語の学習を通しての豊かな世界観の育成におく。このうち、2)はたとえ英語ができなくても、学習者になにかを残すだろうが、英会話中心の教育はムードに流されていると批判する。なんのために英語を学ぶのか、どこまでやるのか、著者はそれを国家とともに、個人個人につきつけている。

  • 英語の時代、英語帝国の誕生。そんな時代の要請を受けて行われている日本の英語教育に関する作者の意見が述べられています。小学校の英語導入などが話題になる今、関心のある方はどうぞ。ただ、具体性にやや欠ける気がします。作者の考える英語教育の根幹にはなるほどと思いましたが、歴史とかマクドナルド化とかの話の比重が多すぎて、肝心の今の話が見えてきにくいかも。

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