刀狩り 武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版965)

  • 岩波書店 (2005年8月19日発売)
3.57
  • (10)
  • (19)
  • (24)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 230
感想 : 25
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004309659

みんなの感想まとめ

日本刀の歴史とその文化的意義を深く掘り下げた作品で、特に「刀狩り」に関する新たな視点が提供されています。豊臣秀吉の刀狩りから始まり、明治の廃刀令、さらにはGHQによる刀狩りまで、日本における武器の所持...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み

  • 豊臣秀吉の刀狩り、明治の廃刀令、マッカーサーの刀狩り。
    日本では大きく、三つの刀狩りがあったと。

    まず、この刀狩りの歴史についての文献や研究がほとんどないということに驚いた。著者も記しているが、私自身も刀狩りすなわち民衆の武器剥奪だと思い込んでいた。

    個人的には明治の廃刀令をきっかけに商売替えをしていった職人たちに言及した著書を読んでみたい。
    刀を作ることをやめたものたちが、ボタン作りや、宝飾品作りにかわっていった歴史を。

    日本人と刀の歴史は古く、なぜ日本刀が魂なのかということがよく分かる。『菊と刀』で描かれる日本人の精神性に情報が補強されました。

    戦前までの日本には、平均すると三世帯に一世帯が刀を所有していた計算になることにも驚きを隠せない。

  • 民衆のコンセンサスによる平和を見直そうと思わせられた。

  • 刀狩り令や廃刀令の再評価、近世における百姓の鉄砲所持の実態、GHQによる武器の没収など、読み応えのある一冊。

    江戸時代以降の日本人の武器使用自制という理解も面白い。結局、武器が人を殺すんじゃなくて人が人を殺すってことだ。憲法改正やアメリカの銃規制問題等々を考えるときにまた読みなおしたい。

  • 近世社会で帯刀が許されたのは武士のみである。当り前過ぎることだが、「帯刀」の意味を良く知らないでいた。
    帯刀とは、大小2本の刀を差すこと、二本差しのことである。1本では帯刀とはいわない。
    やくざの渡世人は、股旅映画で長ドスという刀を差しているが、1本なので問題ないのだろう。
    庶民は短い脇差一本である。伊勢参りなどでも携行した。庶民は刀を持てないのではない。しかし1本なので帯刀ではない。庶民の刀は、護身用でもあるが、信仰的な御守りのようなものなのだろう。だいぶ重量はある。大正生れの父の代までは、寝室の床の間に刀が飾ってあったが、民俗学的にも寝室に置くものらしい。亡くなったとき掛け布団の上に守り刀である脇差しを置いた。

    有名な秀吉の刀狩りとは、刀を没収したのではないらしい。農民たちは武器としての刀は、一揆の際にも使用することはないとのこと。
    大量の刀の没収が行われたのは、戦後のマッカーサーの刀狩りのときで、刀の多くは米兵の日本土産となったらしい。信仰的に重要な守り刀であるという意識が日本人から消えて行ったのが、素直に刀を差出した原因とのことで、そんなことが書いてある本である。
    藤木久志『刀狩り』 (岩波新書)は、2005年 岩波書店。

  • 武器の一掃と思っていたけど、その実、所持、帯刀、使用の権利があり、地域の違いなど指摘されてみればおかしいと思うものでも漠と信じ込んでいるものがたくさんあるもんだ。

  • 秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」は本当だろうか?秀吉からマッカーサーまで、刀狩りの実態を検証して、武装解除された「丸腰」の民衆像から、武器を封印する新たな日本民衆像への転換を提言する。

  • 「武器を捨てれば平和になる」というのは結構昔からある考えで、しかし同時に自然の驚異と戦ってきた農民にとって武装は、具体的にも抽象的にも重要な意味があった。江戸時代になって、武士が武器の使い方を忘れても、農民にとっては鉄砲も害獣を追い払う「農具」の一つであった。
    歴史の授業では通り一遍に過ぎてしまった刀狩りを、現代の武装解除(紛争地帯におけるDDR)にも照らして改めて考えさせられた。

    日本の本当の意味での武装解除は第二次大戦後の占領軍の施策を待たなければならないわけですが、信長が高野山を焼き払い一向一揆を鎮圧することで宗教戦争の素地を排除し、秀吉に始まる刀狩りによって庶民の武装を解除した、それが現代日本の治安につながっているのかもしれないと思うと、こういうお勉強も楽しくなるかもしれない。

  • 歴史像が転換する。それほど重要な著作。

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2014年度第1回図書館企画展示
    「大学生に読んでほしい本」 第1弾!

    本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。

    石原比伊呂講師(史学科)からのおすすめ図書を展示しました。
            
    開催期間:2014年4月2日(水) ~2014年6月14日(土)【終了しました】
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

    皆さん、‘刀狩り’と聞いて、どういうイメージを持ちますか? ひょっとしたら「豊臣秀吉などの権力者が強権的に農民から武器を取り上げた」みたいな印象を持っているかもしれません。しかし、「農村には鉄砲などの武器がたくさんあったが、農民たち自らの意志で、その使用を封印した」というのが実態だったとしたら、イメージが大きく変わるのではないでしょうか。戦国時代を生き抜いた農民たちの逞しさを実感できる一冊です。

  • 古本で購入。

    豊臣秀吉による刀狩りによって民衆は武装解除され、丸腰になった。
    その後の江戸時代を通じて民衆のもとに武器はなく、百姓は農具を手に一揆を起こした。
    そう信じられている。

    ところが史実はそうではない。
    刀・脇差や田畑を荒らす害鳥獣を追い払うための鉄砲が、各地の村々には大量にあったという。
    特に刀・脇差を差すことは共同体の成員たる資格の表象であり、自立した男のシンボルだった。

    それに対する抑圧として出されたのが、いわゆる「刀狩令」だ。
    しかし実施されたのは刀の没収ではなく二本差しの禁止と装飾の規制であって、近世のある時期まで民衆は当たり前のように脇差を差していた。
    この法の目的は「二本差しは武士にのみ許される、百姓はその真似をしてはならない」という、身分の峻別だったのだ。

    民衆の武装という問題において、著者は秀吉の喧嘩停止令に着目する。
    村どうしの争いは、時に武器による殺傷を伴った。停止令はそうした村の戦争を「私的な喧嘩」として裁く。「武器をもって争えば法度に触れる」という認識と武器使用の抑制を促すプログラムだった。
    徳川の時代にも引き継がれた結果、一揆の際、一揆側には「人を殺傷する得物を持ち出さない」という合意が浸透し、領主側にも広がっていった。奇跡的とさえ言える、主体的な自律の作法があった。

    時代は下り、「近代の刀狩り」(廃刀令)によって武装権は軍・警・官といった国家の担い手に独占され、「マッカーサーの刀狩り」によって日本の民衆は武装解除される。
    しかし現在でも銃刀は約230万点が存在している。大量の武器の使用を自制し続けてきたという現実に、我々の平和への強いコンセンサスが込められているのではないか。

    刀狩りの目的が身分区別というのはともかく、その内実は初めて知った。
    村々に領主が持つ以上の鉄砲が存在したのも驚きだが、武器ではなく農具という扱いだったというから更に驚く。山村における鳥獣害の大きさが思われる量。

    それにしても中世の村の激しさはものすごい。大名どうし並みの規模の戦争だって起こすほど。
    そのへんは著者の他の本を読んで知りたいところです。

    それにしても、最終的に「憲法9条に自信を持とう」なんて主張が現れるあたり何とも岩波。そうした部分は無視。全体的にはかなりの目からウロコ本としてオススメできます。

  •  秀吉の刀狩りは完璧で、身分の固定した江戸時代の農民は、武器なんか持ってないと思っていました。テレビの時代劇の影響が大きかった。
     しかし、これを読むと農民の身分でも、刀をさしていたそうです。身分の証として。もし明治と敗戦後の武装解除がなかったら、日本も銃社会アメリカのように、刀社会になっていたのでしょうか。

  • 本書は日本の歴史上の三つの刀狩り(秀吉の刀狩り、明治の廃刀令、占領軍による武装解除)を取り上げている。
    定説では豊臣秀吉により刀狩りが行われ民衆の武装解除が進められたと思われているが実態は使用の制限であり所持は許されていたという(狙いは身分制の確立と私闘の制限にあった)。本書によると武装解除が図られるのは占領政策によるところが大きかったという。刀に対する民衆の価値観や秀吉による公議の確立など、目から鱗であり大変面白かったです。

  • 言葉しか知らなかった「刀狩り」
    歴史の検証をどうやったらいいかわからない。
    そのため、何が真実で、何が隠されているかわからない。

    それでも、言葉しか知らなかった状態から、考え始めることができた。
    今の日本の平和の基礎を作ったと考えることができるかもしれない。

    反面、交通戦争がなぜ防止できないかのヒントをここから考えたい。
    ドライビングレコーダの義務付けのような「刀狩り」と同様の強制力が必要なのかもしれない。

  • 秀吉の刀狩り以降、丸腰の庶民観が世の中で広く受け入れられている一方で、刀狩りに対する研究・検証はほとんどなされていなかった。その中で、著者は近世以降の日本の庶民の武装と政治権力の政策に注目し、日本の庶民は丸腰だったのか、日本の武器はどのように推移していったのかを明らかにしていく。
    研究材料というだけでなく、読み物として興味深いものがあると思います。

  • [ 内容 ]


    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 秀吉・家康以後の農村でも、刀や槍はおろか鉄砲すら所持していたという事実が指摘される。
    そこから農民が無抵抗だったというのは俗説とし、また武器を持ちながら平和を保っていた意義を説く。

  • かつて人間は、武器を持ち自らの食料や領土を、力ずくで得ていた。食料や領土は生きるために重要なものであり、それを得るための手段に武力を使うということが当たり前であった。自らの生活を潤すため、生きるために水や食料となる動植物や作物を育てる土が豊富な土地を求めて戦ったのだ。
    現在であれば、生活に足りないものは交渉や契約という形で得るのが普通だ。しかし、かつての人々にとって、武装して戦うことそのものが交渉の形だったのだろう。つまり、生きるために武器は必要不可欠なツールだったのだ。その重要な武器が、次第に成人の証となったということも納得がいく。
    人々にとって、生活の一部であった武装を解除せよという刀狩令は衝撃であったに違いない。しかし、天下統一を掲げる秀吉にとって、民衆の武装解除は達成しなければならない目標だったのだろう。非武装によって一揆を防ぐことは勿論、今まで生活に必要不可欠であった武器を統轄することによって、「秀吉が日本を統轄している」という認識を民衆に与えることができると考えたのではないだろうか。
    また、刀狩りによって身分が一目で分かるようになったことにも注目したい。武士は武士、百姓は百姓と階級的に分けることによって恐らく統治のしやすさが実現したことだろう。
    つまり、刀狩りは秀吉が天下統一を推し進め、より統治しやすくするところに焦点が当てられた法だったのだ。しかし、この刀狩りによって、民衆は暴力に頼ることなく裁判という手段で交渉をするようになった。生活において必要不可欠であると考えられていた武装を、なくても良いものだと民衆に捉えなおさせたことが、刀狩りの平和に繋がる歴史的意義だったのではないかと思う。

  • 鉄砲伝来の時代から、日本人は銃に対するためらいがあったらしい。
    銃社会にならなかったのは、統治者による配慮よりも民衆側からの配慮が強かったかもしれないという考察の本

  • 見えます見えます。

    自検段から武器を持っていたのに封印し、客分意識がいかに芽生えるかが。

    この本に載っている参考文献で面白そうなのが、塚本学「生類をめぐる政治」(平凡社ライブラリー)

    いつ読めるのやら・・・。

  • 分類=日本史。05年8月。

全22件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

藤木 久志(ふじき ひさし)
1933年 新潟県に生まれる。新潟大学人文学部卒業。東北大学大学院文学研究科修了。群馬工業高等専門学校専任講師,聖心女子大学助教授,立教大学教授,帝京大学教授を歴任。現在,立教大学名誉教授。文学博士。日本中世史専攻。[主な著書]『豊臣平和令と戦国社会』(東京大学出版会,1985年)、『戦国の作法』(平凡社,1987年。1998年に平凡社ライブラリー,2008年に講談社学術文庫より増補版刊行)、『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社,1995年。2005年に朝日選書より新版刊行)など多数

「2019年 『戦国民衆像の虚実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

藤木久志の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×