刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

著者 : 藤木久志
  • 岩波書店 (2005年8月19日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309659

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))の感想・レビュー・書評

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  • 戦前までの日本には約530万本の日本刀があった。約3世帯に1本の割合で日本刀を所持していた計算であるらしい。農具としての銃(害獣を撃つための猟銃)は、いわゆる秀吉の「刀狩り令」以降も民衆の所持数は増えている。
    決して「秀吉の刀狩り令」で民衆は武装解除したわけではなく江戸末期、さらには太平洋戦争終了後のGHQによる「刀狩り令」まで相当数の日本刀や猟銃が民間の手にあった。それが江戸の一揆などでほとんど使われてこなかったのは”これらの武器を使ってはならない”というコンセンサスが民衆(農民)たちの間に働いていたからである。
    ・・・らしい。
    新書ながら非常に読み応えのある本でした。
    特に興味を持ったのは”徳川幕府最後の50年間以外の一揆では、武器を持ちだしたのはわずか15件(全体の1%)”という点。徳川時代は大名が一揆に対して発砲するというのは制限されていて、一揆側が鉄砲を使わない限り大名側も使わず、使用する場合は幕府の許可が必要だったことにも少し驚き。
    まだ藤木久志さんの本は読んでみたいと思います。

  • 武器の一掃と思っていたけど、その実、所持、帯刀、使用の権利があり、地域の違いなど指摘されてみればおかしいと思うものでも漠と信じ込んでいるものがたくさんあるもんだ。

  • 秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」は本当だろうか?秀吉からマッカーサーまで、刀狩りの実態を検証して、武装解除された「丸腰」の民衆像から、武器を封印する新たな日本民衆像への転換を提言する。

  • 「武器を捨てれば平和になる」というのは結構昔からある考えで、しかし同時に自然の驚異と戦ってきた農民にとって武装は、具体的にも抽象的にも重要な意味があった。江戸時代になって、武士が武器の使い方を忘れても、農民にとっては鉄砲も害獣を追い払う「農具」の一つであった。
    歴史の授業では通り一遍に過ぎてしまった刀狩りを、現代の武装解除(紛争地帯におけるDDR)にも照らして改めて考えさせられた。

    日本の本当の意味での武装解除は第二次大戦後の占領軍の施策を待たなければならないわけですが、信長が高野山を焼き払い一向一揆を鎮圧することで宗教戦争の素地を排除し、秀吉に始まる刀狩りによって庶民の武装を解除した、それが現代日本の治安につながっているのかもしれないと思うと、こういうお勉強も楽しくなるかもしれない。

  • 歴史像が転換する。それほど重要な著作。

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2014年度第1回図書館企画展示
    「大学生に読んでほしい本」 第1弾!

    本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。

    石原比伊呂講師(史学科)からのおすすめ図書を展示しました。
            
    開催期間:2014年4月2日(水) ~2014年6月14日(土)【終了しました】
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

    皆さん、‘刀狩り’と聞いて、どういうイメージを持ちますか? ひょっとしたら「豊臣秀吉などの権力者が強権的に農民から武器を取り上げた」みたいな印象を持っているかもしれません。しかし、「農村には鉄砲などの武器がたくさんあったが、農民たち自らの意志で、その使用を封印した」というのが実態だったとしたら、イメージが大きく変わるのではないでしょうか。戦国時代を生き抜いた農民たちの逞しさを実感できる一冊です。

  • 古本で購入。

    豊臣秀吉による刀狩りによって民衆は武装解除され、丸腰になった。
    その後の江戸時代を通じて民衆のもとに武器はなく、百姓は農具を手に一揆を起こした。
    そう信じられている。

    ところが史実はそうではない。
    刀・脇差や田畑を荒らす害鳥獣を追い払うための鉄砲が、各地の村々には大量にあったという。
    特に刀・脇差を差すことは共同体の成員たる資格の表象であり、自立した男のシンボルだった。

    それに対する抑圧として出されたのが、いわゆる「刀狩令」だ。
    しかし実施されたのは刀の没収ではなく二本差しの禁止と装飾の規制であって、近世のある時期まで民衆は当たり前のように脇差を差していた。
    この法の目的は「二本差しは武士にのみ許される、百姓はその真似をしてはならない」という、身分の峻別だったのだ。

    民衆の武装という問題において、著者は秀吉の喧嘩停止令に着目する。
    村どうしの争いは、時に武器による殺傷を伴った。停止令はそうした村の戦争を「私的な喧嘩」として裁く。「武器をもって争えば法度に触れる」という認識と武器使用の抑制を促すプログラムだった。
    徳川の時代にも引き継がれた結果、一揆の際、一揆側には「人を殺傷する得物を持ち出さない」という合意が浸透し、領主側にも広がっていった。奇跡的とさえ言える、主体的な自律の作法があった。

    時代は下り、「近代の刀狩り」(廃刀令)によって武装権は軍・警・官といった国家の担い手に独占され、「マッカーサーの刀狩り」によって日本の民衆は武装解除される。
    しかし現在でも銃刀は約230万点が存在している。大量の武器の使用を自制し続けてきたという現実に、我々の平和への強いコンセンサスが込められているのではないか。

    刀狩りの目的が身分区別というのはともかく、その内実は初めて知った。
    村々に領主が持つ以上の鉄砲が存在したのも驚きだが、武器ではなく農具という扱いだったというから更に驚く。山村における鳥獣害の大きさが思われる量。

    それにしても中世の村の激しさはものすごい。大名どうし並みの規模の戦争だって起こすほど。
    そのへんは著者の他の本を読んで知りたいところです。

    それにしても、最終的に「憲法9条に自信を持とう」なんて主張が現れるあたり何とも岩波。そうした部分は無視。全体的にはかなりの目からウロコ本としてオススメできます。

  •  秀吉の刀狩りは完璧で、身分の固定した江戸時代の農民は、武器なんか持ってないと思っていました。テレビの時代劇の影響が大きかった。
     しかし、これを読むと農民の身分でも、刀をさしていたそうです。身分の証として。もし明治と敗戦後の武装解除がなかったら、日本も銃社会アメリカのように、刀社会になっていたのでしょうか。

  • 本書は日本の歴史上の三つの刀狩り(秀吉の刀狩り、明治の廃刀令、占領軍による武装解除)を取り上げている。
    定説では豊臣秀吉により刀狩りが行われ民衆の武装解除が進められたと思われているが実態は使用の制限であり所持は許されていたという(狙いは身分制の確立と私闘の制限にあった)。本書によると武装解除が図られるのは占領政策によるところが大きかったという。刀に対する民衆の価値観や秀吉による公議の確立など、目から鱗であり大変面白かったです。

  • 言葉しか知らなかった「刀狩り」
    歴史の検証をどうやったらいいかわからない。
    そのため、何が真実で、何が隠されているかわからない。

    それでも、言葉しか知らなかった状態から、考え始めることができた。
    今の日本の平和の基礎を作ったと考えることができるかもしれない。

    反面、交通戦争がなぜ防止できないかのヒントをここから考えたい。
    ドライビングレコーダの義務付けのような「刀狩り」と同様の強制力が必要なのかもしれない。

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