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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784004309871
みんなの感想まとめ
歴代天皇の歴史をわかりやすく解説した本は、日本の皇室やその継承問題に興味を持つ読者にとって、単なる読み物以上の価値を提供します。著者は日本古代史の専門家であり、古代から近代、現代に至るまでの天皇と朝廷...
感想・レビュー・書評
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天皇制(広義)は、時代を通して一貫した性格を持っていたのか? また朝鮮王朝とは古代では似た性格なのに、その後大きく性格の異なるものとなっていったのは何故か? この疑問から本書は、中国・朝鮮の王権の歴史との比較のなかで、日本の王権の歴史の特色を探ろうとするものである。
メモ
<「天皇」号のはじまり>
実はよくわからない。推古期(7世紀初)説、天武・持統期(7世紀後半)説。→「日本」号は7世紀後半に成立して701年の遣唐使が用いている。「天皇」号は「日本」号より先に成立していた可能性。
・701年「大宝律令」には
天子:祭祀に称する所(天神・地祇に告げるときに用いる)
天皇:詔書に称する所(君主の命令を下す文書に用いる)
皇帝:華夷に称する所(中華と周辺の異属に称するときに用いる) と規定。「天皇」は「天子」「皇帝」に並ぶ。律令では天皇の兄弟・皇子を「親王」、その他の子孫を「諸王」と規定。=「王」は「天皇」より下位。==「王」を超越し、中国の「天子・皇帝」と並ぶ点に「天皇」号の最大の意義があった。
・渤海と新羅は唐から「王」に冊封されるが、日本は7世紀以後は冊封を受けない。唐から「王」に冊封されている新羅・渤海に対して、「王」から超越する「天皇」を称することが、日本律令の「天皇」号の最大の目的だったと考えられる。
・次第に「天皇」と「王」の区別があいまいに。江戸期には「天子」号が広く用いられる。
・明治憲法で「天皇」が日本の君主号として正式に規定。
<継体王朝の成立>
・継体を応神の五世孫とする系譜は、8世紀の「記紀」よりも前に7世紀後半に成立していた可能性。あるいは大王の一族と血縁があったかも。
◎しかし実質的には、近江・越前のあたりを本拠とする豪族が、長い年月をかけて大和に攻め入り、大王位を奪ったのではないか。
◎入り婿型の王朝の成立~継体は征服した応神・仁徳王朝の女性(タシラカ)をキサキとした。(これはかつて応神天皇が九州からヤマトに攻めのぼり、征服した崇神王朝の女性・ナカツヒメをキサキとした伝と同じ)
<古代の親族組織>
〇系:祖先を基点とする関係
・父系(男系)
・母系(女系):厳密には女子だけを通じた血縁関係。広く中間に一人でも女子の入った、男系でない血族関係。(2005年の「皇室典範に関する有識者会議」では「広義の女系」の意味で「女系」の語を用いている)
◇日本古代の一般的な親族組織は父方・母方に大きな差がない双方的な家族が基礎組織。(中国では父方母方でオジオバの呼び名も異なる)
◇このような双方的な家族を基礎として、支配者層では父系の親族組織「ウヂ」を形成。「ウヂ」は父系継承を原理とし、古代から近世へと下るにつれ父系の要素が強くなってゆく。
※平安時代の藤原氏は「父系」の一族。道長は、娘の彰子と一条天皇の子後一条天皇の「母方」の親族であるが、「母系」の親族ではない。
〇方:自己を基点とする関係
・父方
・母方
<「姓」と「名字」(苗字)>
・「姓」は「ウヂ」の呼称。天皇が賜う。
・「名字」は「イエ」の呼称。地名や家屋敷名などから自然に発生。父子兄弟で所領に由来する「名字」が異なることがある。
・「姓」と「名字」が重層したまま明治初期まで続く。
<近世>
・江戸幕府は、京都所司代たに朝廷を監視させるとともに、五摂家に朝廷統制の主導権を与え、武家伝奏を通じて操作。
・京都所司代は老中に次ぐ重要な役職で、禁裏に近接する二条城に入る。一方朝廷では公家から選ばれた「武家伝奏」が、京都所司代と連絡をとりながら、幕府の指示を朝廷に伝えた。
・朝廷の五摂家(近衛・九条・一条・二条・鷹司)は摂関と大臣を独占し、朝廷を統轄する権限を幕府から与えられた。
<近代天皇制の諸問題>
・岩倉、大久保ら維新政府の中心メンバーは、少年・明治天皇に権力をゆだねるつもりはなかった。しかし、天子を核として支配体制を構築する以外の道は、おそらく構想できなかった。→天子の存在を人々に知らせる必要
・伊藤博文の構想した憲法における天皇の地位は、のちに美濃部達吉が理論化した天皇機関説に近かった。
※天皇機関説:国家統治の体験が天皇に属することは明白であり、憲法の基本は、君主主権と立憲主義である。その上で、国家を法人格を有する団体と解して統治権の主体とみなし、天皇をその最高機関と位置付ける。
<皇室典範>1889制定 皇位継承法の成文法化
・大日本帝国憲法と同時に憲法と並ぶ皇室典範が制定。天皇自ら制定する皇室独自の法典で、大臣の署名もなく、議会も関与できない。皇位を「男系の男子」に限定し、女系を排除。〇養子は認めない ・「譲位」も認めない ・前近代では皇位継承順位は定まっていないが、明治のこの典範で継承者順位を明文化。国際的に通用する近代的な法体系を創設するため。
※明治前半期の政府と民間の憲法試案のなかには、女帝を認める案もあったが、最終的には女帝は排除された。
※1882年、自由民権結社は女帝可否の討論会を開いている。皇婿が外国人の場合、欧州の君主制との比較など視野が広いことに注目。討論の結果は可否同数。議論は当時の新聞に掲載された。(「日本近代思想体系2 天皇と華族」岩波書店1988)
〇天皇の現人神化
・1936(昭和11) 二・ニ六事件の翌年、文部省は「国体の本義」を出版し全国の学校に配布。ここで「天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神(あきつきかみ)であらせられる」として、皇祖皇宗と一体化した。
<日本国憲法と象徴天皇制>
・1946.11.3「日本国憲法」公布 1927.5.3施行
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく ・・・2026.6.11オランダ・ベルギー訪問を前にしての記者会見での天皇のお言葉はここに・・
・憲法改正と共に、国会は関与できない皇室の私的な法としての「皇室典範」も廃止され、名称は同じだが、新しい法律として「皇室典範」が制定。=憲法と並立する明治の皇室典範と異なり、憲法より下位の「法律」(国会の議決で改正できる)となった。
・「庶子」の継承権を否定 11宮家51人が皇籍離脱。
<日本は天皇の王朝名>
・朝鮮の「三国史記」(新羅・高句麗・百済の歴史書)に、『新羅の貴族・金巌は779年に「日本国」に使した。・・「倭人」は金巌が大国の唐でも・・』
「日本国」の朝廷の人々は「倭人」と記され、王朝名「日本」と、種族名「倭人」を区別。
・「日本」は本来は隋唐、高句麗・百済・新羅とならぶ、ヤマトの王朝名だった。ところが朝廷の天皇を核とする国制がー武家の王権と重曹しながらーたまたま持続したために、「日本」はその国制の対外的な呼称に、なし崩し的に移行していった。そして「日本」は近代の「大日本帝国」に継承される。・・古代の王朝名がなしくずし的に近代の国家名に移行したこと、それが日本の国制をめぐるさまざまな問題の基礎にある。
奥付
著者・吉田孝:1933愛知県生(2016没)東京大学文学部国史学科卒業。日本古代史専攻。2006現在青山学院大学名誉教授。「律令国家と古代の社会」岩波書店1983、「古代国家の歩み(体系日本の歴史3)」小学館1988 など
2006.1.20第1刷 2006.2.10第2刷 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1933年生まれの日本古代史を専攻する研究者が2006年に刊行した歴代天皇について一般向けに解説した本。斬新なものはないが、バランスよく整理されていて読みやすい。
現代の皇室のこと、特に継承問題など歴史が必須のことがらに興味がれば、単なる読み物以上として読めると思う。 -
日本の歴史および天皇と朝廷、幕府などの関係、皇后、皇太子などの歴史変遷、古代から近代、現代に至る総括的な内容がまとめられていて今まで読んだ中では最もわかりやすい。
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「天皇」という呼称は何故生まれたのか。「王」とはどう違うのか。何故こんなに続いてきたのか。「象徴」としての意味合いは具体的に何を指すのか。
これらの問題は日本国内だけにその原因があるわけではない、ということ。東アジア圏内の日本(という国)のありようを考察して初めて、その回答を得られるということが解説されている。
天皇制の特殊性を他国との比較の中で、歴史的に見ていくことで、日本人の排外意識(排外意識そのものは世界中にあるけれど、日本ならではの特殊性)や極端な地域的中央集権の理由までもが理解できる。
新書版でありながら、とても充実した内容だと思う。
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配置場所:摂枚新書
請求記号:313.6||Y
資料ID:95050615 -
天皇制の歴史の概説。広い視野で書かれながらもシンプルにまとまっていて入門書に適している。あくまで入門書なので、物足りないところ、説明の省かれたところは多々あるが、まあそれを自分で調べていくのが学問だしいいと思う。
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11/01/27 期待していたような面白味はなかった。
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[ 内容 ]
「天皇」という語が初めて使われたのはいつか。
「女帝」はどのような背景のもとに登場したのか。
「王統」はどのように受け継がれてきたのか。
練達の日本古代史研究者が、東アジア世界との関係を視野にいれつつ、卑弥呼の時代から現代までを通観し、「天皇」の歴史をたどる。
この列島の王権のありかたを考えるための基本書として最適。
[ 目次 ]
序章 天皇は「王」ではない
1 倭王の時代
2 「王」から「天子・天皇・皇帝」へ
3 唐風の王権への模索と底流
4 東アジアの大変動と古典的な国制・文化
5 武家の台頭とモンゴルの襲来
6 近世の天子と将軍
終章 近代天皇制の諸問題
おわりに 国際的交通と天皇制
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
さくさくと読める「天皇」の通史。
特に専門の古代史は、東アジアとの関係を交えながら、大陸の王権との類似・相違を描く。
王権の相続パターンや臣下との関係など、時代によって変遷しながら天皇制を支えるシステムが平易に説明されている。
ただし、近代天皇制に関しては、ページ数の関係もあろうが、かなりあっさりで、個人的には物足りなさを感じる。
最近の、皇室典範改正問題等で、天皇制について少し興味を持った人が読めば、面白いのではないかと思う。 -
09年11月22日開始
09年12月23日読了
古代から現代までの天皇の通史的な本。江戸時代の天皇についてもっと掘り下げて調べてみたい。明治・大正・昭和(終戦まで)の天皇の権威はそれまでの天皇の歴史の中でも特殊なものであったとの認識を再確認。今行われている宮中祭祀のほとんどが明治以降に作られたものというのも興味深い。 -
天皇陛下については昭和天皇以降しかよくわからなかった。
日本の天皇の歴史を学ぶには良い。
シンガポールからのフライトで読了。
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