- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310242
作品紹介・あらすじ
小説家は小説をどう読み、また書くのか。近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、「小説の書き方」ではない「小説家の書き方」を、小説家の視点から考える斬新な試み。読むことは書くことに近づき、読者の数だけ小説は書かれる。こんなふうに読めば、まだまだ小説だっておもしろい。小説の魅力が倍増するユニークな文章読本。
感想・レビュー・書評
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様々な小説を佐藤正午さんという小説家が読み解く。視点もユニークであり、言葉を生業としている小説家だからこそ、丁寧にこだわるところを深掘りしている。国語、読み方、書き方について、学びを得られるし、何より読んでいて楽しいと感じた。
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タイトルを一瞥するや、てっきり現役作家による名作の解説本と思い、読むもストーリーにはさほど触れない。さてさて、どういうこと?
本の扉の紹介文を読む。完全な思い違い。本書は漱石〜開高健まで近・現代作家 総勢24名の作品を丹念に読み解きながら、『小説の描かれ方』ではなく『小説「家」の書き方〈技巧・癖・こだわり等〉』を考察した一冊。
そう、本書は新手の文章読本。文章読本といえば、谷崎・川端・三島・丸谷ら名だたる作家が著しているが、本書はこれまでのものと一線を画す。大上段に振りかぶった『文章指南』ではなく『随筆』という体を取っていること。
一貫して、初読時に抱いた印象や作品と出会った際の個人的体験や思い出からアプローチ。その着眼点は実に細かい。よくぞ見つけましたな的文章上の癖・性向に着目し、本丸である『作家の本質』を射抜く粘着性のある考察を提示。この帰納法的考察が実にユニークで、随筆の愉しさを堪能できる。警視庁特命係 杉下右京の口ぐせ『細かいところまで気になってしまうのが僕の悪い癖でして〜』というアレを想起し、苦笑い。
例えば…
太宰治『『人間失格』
「無頼派の作家はみんな結婚している」という書き出しで、まずは無頼派 代表作家をいたぶり、結婚しているからこそ、家庭を蔑ろにできたり家庭の幸福を踏みにじれる…と、学歴無用論を唱える人は決まって高学歴みたいな『あるある論』を述べる。
三島由紀夫『豊饒の海』
4部作からなる豊饒の海の特徴として、おびただしい量の直喩が登場する事に触れ、その最後の直喩が「数珠を繰るような蝉の声」であると。その比喩から三島の文体をめぐる考察を開陳。
芥川龍之介『鼻』
芥川作品は何回読んでも読み上げた気がしないのなぜか?読み返すたびに初めて読むような印象を持つ。芥川龍之介に対する印象を直言。その理由が実に明晰で目からウロコ状態。
森鴎外『雁』
どんな小説だったか記憶にないと坦懐しつつ、ただ小説に出てきた『サバの味噌煮 』のことだけは鮮明に記憶していると。いまだにサバの味噌煮を食べる度に『雁』を想起と語る。
ひとつの文章の成り立ちや使われている語句の選択にこれだけプロの作家はこだわっているのかを知れると同時に、〈鳥の目 虫の目 魚の目〉をもって射ぬかんとする作家のサガも知れる、一粒で二度美味しい一冊。-
2020/08/07
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goya626様
コメントありがとうございます。作家って、ある意味『変態』ですね。『落語は業の肯定』って言われますが、文学は落語以上だと思い...goya626様
コメントありがとうございます。作家って、ある意味『変態』ですね。『落語は業の肯定』って言われますが、文学は落語以上だと思います。2020/08/07
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小説の文体を解説した本。
大家の名作の書き出しや狙いを推察す小説家の視点。
たまたま
手にとったが小刻みよい文章でスイスイ読める。
頭に残るような一文を探して小説が読みたくなる本。 -
小説家佐藤正午が、芥川龍之介や太宰治ら大作家たちの小説について、分析したり、突っ込んだり、要は(敬意を込めながら)言いたいことを言っている本。
例えば、当時中学生の太宰治が、井伏鱒二の「山椒魚」を読んで、坐っていられないくらい興奮したという話に対し、中学生の自分はどちらかといえば「すわっていられないくらいに退屈した」といじけてみせつつ、太宰がなぜそんなに興奮したのかを推理していく。
そんな深読みをするのか、そんな所に目をつけるのかと、最初から最後まで新鮮だった。
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「小説の読み書き」というタイトルからだと「ああ、小説の書き方みたいな本かなぁ」と思うのだけれども、その実は至極まっとうな文藝評論集でした。
文藝評論、いや、評論というジャンルは、評論のとっかかりが身近であればあるほどいいもんだと思います。そうじゃないとどうなるかと云うと、テレビに出ておいしいもの食べて、なんやかコメントを言う、悪しき「評論家」像に近づいていってしまう。「うまーい!」だの「まったりとしていてそれでいて生臭い」だの言うだけでお金がもらえる職業が評論家だと思われると困っちゃう。
そうじゃなくて、評論家だってなんらかの視点やものの考え方を読者に与える存在であっていいはづで、そのためには出来るだけ己が身にひきつけねばならない。真のオリジナルは各人の中にしかないわけだからして。
井伏鱒二の『山椒魚』にたいするとっかかかりかたが好きだ。太宰治が山椒魚を呼んで「興奮した!」とはいうものの、自分としてはあんまり別に特にそうでもない。じゃあ、「山椒魚」を読んだ太宰少年が、どこが面白くて「興奮」したのか? ほれほれ、これが「評論」ですよ。これだったらちょっと原稿料とってもいいと思うでしょう。
小説家としての佐藤正午作品は寡聞にして読んだことがないのだけれども、この本を見るにつけ、ものの書き手として非常に真摯だなぁと思って読みました。
やや「俺ってこういう人間だから!」という押し付けがましい部分が面倒くさいなぁと思う部分もありますが、文藝評論としてはかなり面白い部類に入ると思います。 -
新書に抵抗がある人は少なくはないと思う。
堅苦しい、書いてあることが難しいというイメージが私にもある。そんな私にも「小説の読み書き」は、するすると滑らかに読むことができた。読書好きなら、(好きでなくても国語の教科書を読んできた人なら)必ず聞いたことがある作家から、初耳の作家まで作者独自の視点で作品の粗筋や文体を語ってくれる。押し付けがましさもなく、思わずその作品を読んでみたくなるような語りで、楽しく読むことができた。「雪国」「痴人の愛」「夜の終わる時」など、改めて読んでみたい作品がたくさん出てきてワクワクしている。 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB00149904 -
志賀直哉『暗夜行路』や、夏目漱石『こころ』などの文豪たちの作品を、文章の書き方に着目して読み解いている。
川端康成『雪国』の章では、小説の書き出し(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった)に触れ、川端康成が「地面」や「あたり一面」など様々な言葉から取捨選択した結果あの文章が出来上がったこと、またそれが書くことの実態だと述べられていた。流し読みしがちな文について、改めて目を向けさせてくれる一冊だと思う。 -
著名な小説家の小説を一編選び、小説家の文体から解説を加える評論書。深く分析するわけではなく、書き出し等の一文を取り上げて軽めの分析や感想を書いているため、堅い雰囲気はなく気軽に読める。その気軽に読めるという点が良い。信奉者の盲信的な解説ではないから、読みながら読者が様々な想いを馳せる余白がある。
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突っ込みが結構鋭かったり、ただの感想だったりもするが面白い。