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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004310396
みんなの感想まとめ
道徳的な「善」と「悪」の判断基準を探求する本書は、倫理学の入門書としての魅力を持ちながらも、難解な部分も存在します。善悪の判断は「人々のニーズを満たし快を与えるか否か」に基づくとし、道徳判断が論拠や前...
感想・レビュー・書評
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ちょっと必要に迫られて読みました。
いみじくも著者は、「あとがき」で本書についてこう書いています。
「一般読者には箇所によっては不必要に重く、倫理学の専門家にとっては軽すぎ、情況的には迂遠すぎる…」云々。
倫理学の素養のない一般読者たる自分には、不必要に重すぎました。
だって、「反省的均衡の追求」とか「希薄な評価語と濃密な評価語」とか「共同主観的な沈殿」とか、聞き慣れない言葉が次から次に出て来るのですよ。
手軽さが売りの新書ですが、思いのほか手こずりながら何とか読了しました。
そんなわけですから、分かった風な顔をしてレビューを書くわけにはいきません(いつもそうですが)。
こういう時は、理解できたところ(あるいは感動したところ)だけに特化してレビューを書くがよろしい。
というわけで、まず、最も印象に残ったのは、道徳原理の候補たりうる
「最大多数の最小苦悩」
という命題です。
次のケースがとても分かりやすかったです。
それは、「出生前の診断によって、先天的障害のあることが判明した場合、それを理由とする人工中絶は、悪い事なのか?」というものです。
たしかに、「最大多数の最小苦悩」を前提にすると、一見、人工中絶は悪くない、むしろ善い、という結論になるように見えます。
著者はそのように述べて、以下、2つの理由を挙げます。
①人工中絶をした場合、自分に原因がないという意味で中絶した女性の「いわれなき苦悩」が生じるが、その胎児が生まれるに任せた時は、その後、生まれた子どもの苦悩、生んだ親の苦悩などなど、避け得たのに避けなかったがゆえの「いわれなき(?)苦悩」が増大する。両者を比べれば、「最大多数の最小苦悩」の命題で正当化されるのは前者。
②妊婦が望むなら中絶するという選択肢は、〝生む・生まないは女の自由〟と主張されてきた、女性の自由権ないし自己決定権を尊重することであり、そのことは、女性の自由権が否認されていたがゆえの、幾多のいわれなき苦悩を減少させる。
しかし、と著者は言います。
この2つの推論だけだと、「いくつかの論点が手つかずのままになっている」。
最大多数の最小苦悩とは、正確に言うと、「全体として、最も多くの人の・より深刻ないわれなき苦悩が減るようにするものは、善い」という命題です。
つまり、人々の苦悩の「深刻さ」の度合い、さらには、社会全体にとっての影響も考慮に入れなければならないというのです。
たとえば、胎児の先天性障害が診断された後でも生むことを選ぶカップルの存在です。
もし、「出生前診断の結果を理由とする人工中絶は善いことだ」という判断が正当化されると、生まれてきた障害児は「生まれない方が善かった」子という烙印を押されてしまいます。
そうなった場合、親もまた、生きていく辛さに加え、子どもが「生きているべきでない」とされる辛さを背負い込まされることになります。
それは「いわれなき苦悩」の深刻さにおいて、ほとんど「絶望的」というのが著者の見方です。
私も全く同意します。
では、どのように考えるべきなのでしょう。
著者は「今の私は確たることは言えない」と前置きしたうえで、次のように述べます。
「どの自由権も無制限ではないように、〝生む・生まないは女の自由〟と言われる自由権もまた、無制限ではない。〝本来なら生きているべきではない〟と烙印を押される人が生じる可能性がある場合には、少なくとも〝障害のある胎児を人工中絶するほうが善い〟という結論を正当化するような仕方で自由権を主張することに対しては、なんらかの留保が付されることもありえよう」
実に納得のいく話です。
これだけでも、本書を読む価値はありました。
それにしても、大学時代に倫理学をちゃんと勉強しておくべきでしたね。
チャンスはあったのに。
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えーん難しいよう……最後まで読めなかった
・善悪、いい悪いの判断は「人々のニーズを満たして快を与えるか否か」に帰着する
・道徳判断は判断の論拠や前提の吟味によって、判断が訂正されうると言う意味で、法的判断に似ている
・自分は特別なのでたとえ相手を痛めつけようが許されるし、それがお互い様ということは自分に適用はし兼ねる、という主張。人は他者との関わりの中でしか生きられないということから、これは人間のすることではない。
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【書誌情報+内容紹介】
書名:善と悪――倫理学への招待
著者:大庭 健[おおば・たけし] (1946-2018) 倫理学、分析哲学。
通し番号:新赤版 1039
ジャンル:哲学・思想
刊行日:2006/10/20
ISBN:9784004310396
Cコード:0212
体裁:新書・並製・カバー・234頁
在庫:品切れ
「善」「悪」を判断する根拠とは何か? 大問題に最新の分析哲学の手法で挑み,倫理学の基本を解き明かす.
道徳的にみて「善い」「悪い」という判断には,客観的な基準はあるのか? 「赤い」「青い」などの知覚的判断や,「酸性」「アルカリ性」などの科学的判断とはどう違うか.その基準となる「道徳原理」とは? 気鋭の倫理学者がソクラテス以来の大問題を,最新の分析哲学の手法を用いて根本から論じ,倫理学の基本を解き明かす.
〈https://www.iwanami.co.jp/book/b268858.html〉
【目次】
まえがき [i-v]
目次 [vii-xi]
第一章 道徳判断とは 001
§ 生きていくことと、選択すること 002
どれかを選び、それ以外を捨てる
選ぶときの基準
「いい・わるい」という語法
§ 「いい・わるい」の多義性 005
心地よくさせる
「快・不快」という語の再定義
§ 道徳的な「善意」 007
「気分がいい」という表明の論拠?
「いい時計だ」という判断の論拠
道徳的に「善い・悪い」と判断する論拠……
§ 道徳判断の特徴 012
1 道徳判断は、感情の表明に似ている 012
感情の表明と判断
感情を表明する文の真偽
そう感じた理由
2 道徳判断は、知覚判断に似ている 015
反応依存的な性質
道徳判断と知覚判断の違い
3 道徳判断は、法的判断に似ている 017
原則をもとにした推論
自然法から実定法へ
道徳の文化的相対性
4 道徳判断は、結局は無根拠……? 0
21
神の死
善悪の彼岸……
すべては私の選択しだい……?
第二章 「善し悪しは、その人しだい」とは? 025
§ 「お互いに」という相互性を超えて……? 026
善悪の彼岸での、生の充実
自己特権化
§ 自分が主語のときは、「痛い」の意味は特別……? 029
「痛い」という言葉の意味
主語が違えば、意味も異なる……?
感覚・知覚の秘私性
§ 知覚経験の秘私性 033
見え方は、人によって違う……
スペクトル転換は何を帰結する?
スペクトル転換もお互いさま
自分についてだけ適用できる言語?
§ 私は、善悪の区別の外にいる特別な存在だ……? 037
痛みを与えるのを控える理由
私という特別の存在……
世界を見ている私は、世界の中には見えてはこない
世界の全事実の完全な記録
私が特定人物であることには何の根拠もない
相互性の次元の外へ
遠足日誌
§ 特定の視点からの世界描写 045
私のいう「ここ」は、あなたにとって「そこ」
同じ事実の異なる描写
「Nくんは、君だ」という相互的な対応づけ
§ 対応づけるという実践 050
二つの描写の対応づけ
二つの言語にまたがる同一性
対応づけという実践の事実
世界を描くための足場
何の足場にも立っていない……
相互性の圏外への存在論的亡命
存在論的亡命という無理筋
§ 人間として生きる 057
1 理由(わけ)が分かる・共に生きていける 057
行為・態度の理由
理由の理解可能性
評価と、行為・態度の理由
理由の有無と善悪
2 対他存在としての私 061
それは、私/あなただ
対他存在
相手は応じてくれている
経験の自己-中心性
かけがえのない存在の承認への欲求
§ 存在の相互承認 066
対他存在の肯定
相互性の顧慮による抑制
善し悪しの区別の共有
第三章 道徳判断の客観性 071
§ 事実判断の客観性 072
客観性と間主観性
道徳判断の客観性……
道徳判断は、たんに間主観的……?
§ 反省的均衡の追求としての学 075
知覚判断と理論的判断
観察と理論の反省的均衡
反省的均衡の模索としての倫理学
§ 観察の説明 079
科学における理論と考察
観察がなされたということの説明
悪いという性質の実在性?
道徳的な特性の因果作用
道徳的な特性の特徴
§ 投影主義 086
ヒュームによる診断
科学的実在論
道徳的感受性
道徳判断は真偽を問いうる
§ 道徳の説明と、道徳への態度 091
投影と、対象による制約
「神は投影の所産」
存在しない神に祈る……?
説明と実践の独立性
食い違いと間違い
対象の側からの制約
第四章 行為・人柄の評価と実践 099
§ 反応依存的な特性の還元可能性 101
反応依存的性質の還元
物性への寄生
還元できないが、たんなる表出ではない
§ 実践に参加している視点 104
ゲームに特有の言語
実践に内在的な言語
§ 投影と性質の循環 106
情趣的性質の描写
投影主義による循環の説明
反応の適切さ
§ 「たがいのために作られている」 109
心理状態と対象との相互依存
鑑識眼の成熟
§ 希薄な評価語と濃密な評価語 112
記述的な意味の濃淡
濃密な評価語の役割
濃密な評価語の用いられ方
心構えと性質の相関
価値判断の真偽
§ 性質とパターン 118
パターンと【もの】
パターンの実在性
パターンの複雑性の違い
パターン認識の理論負荷性
濃密な評価語の使われ方
濃密な評価語の普遍性
§ パターン認知のコンテキスト 125
行為・態度のパターンの認知
濃密な評価語で表されるパターン
評価語の適否を定めるコンテキスト
§ 気づかいという関心 128
濃密な評価語のコンテキスト
気づかいという関心
気づかいの汎文化性
濃密な評価語な使われ方の多様性
第五章 美徳と悪徳――呻きの沈殿と、共感 135
§ 個人的徳目とシステム 136
美徳/悪徳の失効……?
システムによる徳目の代行……?
各システムに固有のコード
個人的信頼とシステムへの信頼
システムと心の世界
システムと心の痛手
聞き取られることのない呟き
§ 想像上の立場交換 145
私には見えないが、相手には見えている
相手に映っている自分を想像する
想像上の立場交換と共感
共感してもらえなかった呻きの沈殿
§ 共同主観的な沈殿と「第二の自然」 150
生きられている道徳
共感と理由
共同主観的な沈殿
「新たな創造」
第六章 諸々の徳性と善悪 157
§ 徳性の判断の食い違い 158
徳性の認知の食い違い
同じ文化のなかでの食い違い
徳性の認知の実践的重要性
徳性の認知と行為する理由
徳性の認知と、行為の理由の間のひび
徳性のバッティング
§ 善と悪の区別 166
徳性から善悪の問へ
諸徳性に通底する善性?
災いと悪
悪とは善の欠如ではない
悪の輪郭
人間にとって本質的なもの
§ 痛めつけられる苦悩 173
このまま・いていい、という承認
人間の存在の毀損
いわれなき苦悩
悪いと思ったことを慎む
§ 「善意」と諸々の徳性 177
善・悪という概念の抽象性
善悪の実在性
善悪の識別
観察と理論の擦り合わせ
第七章 道徳原理 181
§ 推論と原理 182
判断と原理
科学の法則と道徳原理
§ 普遍化可能性 184
原理としての一般性
普遍化可能性
§ 不偏性 187
特殊な前提に依存していない
不偏の観察者
道徳原理
いわれなき苦悩
§ 最大多数の最小苦悩 191
苦悩を減らすが、善いとは言い難い行為
量・程度の限定にとどめる
§ 所得格差の道徳的是非――ケース・スタディ(1) 193
§ いのちの選別の道徳的是非――ケース・スタディ(2) 196
中絶を正当化する論拠
全体的帰結と苦悩の深刻さ
生きているべきではない、とされる辛さ
障害の深刻さの流動性
線引きは、どんどん滑りうる
社会全体にとっての帰結
いのちの所有?
終わりに いい人生と、よく生きること 207
文献案内 [213-214]
あとがき(二〇〇六年八月一五日 大庭健) [215-220] -
道徳的な「善」と「悪」に論理的な判断基準を求めていく倫理学の入門。「熱い・冷たい」、「赤い・青い」といった、科学的に計測可能な基準より上位に、「誠実・不実」「親切・冷徹」と言った「徳性」という抽象化された判断基準があり、その上に絶対的な「善悪」の基準が存在するという理屈を、ケーススタディを交えて積み上げていく。簡単に読み進められるものではないが、本格的な哲学書のように歯が立たないわけではないので、絶妙な頭の体操になる。そもそも「倫理学」という学問の片鱗に触れたのは初めてだが、単純な善悪以外の様々な意思決定に示唆的なロジックが勉強できる。
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道徳言語が「実践に参与」しており、実践に「内在的な視野」を離れると意味を持ち得なくなる。
普遍的な評価語(善悪、正邪など): thin
記述的な評価語(誠実、温厚、冷酷など): thick
濃密な評価語の方が世界を描写する言語(科学的言語も含む)より普遍的。誠実な人はどの文化圏でも高い評価が与えられるが、世界を描写する仕方は様々。 -
本のタイトルが悪い。「善/悪とは何か?」を純粋に求めたい人にとっては期待外れになる。道徳の根拠の正当性を探るのが倫理学だとすれば、その倫理学の根幹の問いを分析哲学の手法でゴリゴリと探究していくので、規範倫理学や義務論、カント倫理学などを学びたい人にとっては若干方向が違うように思えてしまうだろう。むしろ「分析哲学入門」の入門としてタイトルを変えて出した方が読者が求めていた疑問に応えれたのではないだろうかと今更ながら思う。
しかしながら、道徳的行為の判断基準が個々人によって違うとする相対主義の問題や、道徳の根拠の客観性はいかにして担保されるのかなどの問いには、分析哲学の手法にせよ、人間が他者との関係性の中で自己や世界を再帰的に形づくり、その関係性にこそ倫理が求められる場面が現れてくる、という視点は重要である。
ただし、この本は分析哲学の本であるが。 -
さすがに難しい。M・サンデル「これからの正義の話をしよう」を読んだことがあるので、その論点を別角度から考えてみるにはよい機会となった。といっても半分も内容を理解してはいないのだろうなぁと思う。たまにはこういうものを読んでみるのも悪くない。
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ペラパラ読み
倫理学は向いていないのかもしれない。 -
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倫理学演習で使った本。
人は「善い」「悪い」をどうやって決めるのか?
「よく生きる」にはどうすればいいのか?
入門書だし、読みやすい。 -
前半は結構面白く読めたが、
後半はまあまあだった。
この本のテーマを一言で言うと、
「道徳の規範性はどこからくるのか」である。
道徳判断は相対的であり、反応依存的であると同時に、
対象の側から何かしらの制約も受けている。
この相反する2つの要素を備えた道徳の特性を、
投影主義や科学との類比、パターン認知などを通して、
著者は紐解いていく。
そもそも投影主義とは、
「当人の主観的な心理状態が、
あたかも対象の特性を認知したかのように、
対象に投影される」(p.107)という立場を取る。
だが、
どのような心理状態が投影されたのか、
という点を説明するには、
投影の結果とされる特性の概念を引き合いに出す必要が生じ、
循環が起きてしまう。
そこで、この循環を解決するために出てきたのが、
「パターン認知」と呼ばれるものである。
私が物足りないと感じたのは、
規範の問題をパターンの実在性によって
ごまかしている点である。
つまりパターンを、
投影主義のような「個人の心的過程」ではなく、
「共同主観的な過程」に位置づけることで、
規範性もしくは道徳の客観性を確保しようとしているのだ。
ここの議論は、
前半部分での議論の流れを考えると、
あまり納得いかなかった。 -
読了に一月を要した。倫理学という学問になじみがなかったことと、くせのある語り口に慣れるのに手間取ったため。
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善と悪まったく反対語であります。中国語での善という意味は非常にいい意味で、私の名前にも善という文字が入ります。両親は私が大人になってもやさしい人になってほしかったでしょう。
しかし、世の中は悪があるこそ善の優しさや大事さを感じられるし、善があるこそ悪というものもあるわけです。その二つの概念はいつも同時に存在しているわけです。 -
難しいかったので途中で切り上げた。
「いい」とは何か?「悪い」とは何か?「いい」「悪い」を「快い」と「快くない」で分ける。「快い」とは何か?そもそも、人が感じる感情は何をもってして判断すればよいのか?こういった感じで、ものごとではなく意識層を深く掘り下げて読み進めていく著書。‘倫理学への招待’という副題はわかりやすいく簡潔であると感じる。 -
入門書として大変良くできている。しかし、初学者にとってはそうスイスイ読み流せるものではない。ゆっくりと丹念に思考しながら読み進ませるがゆえに入門書に適している。
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分析哲学の見地から、「誠実・不実」、「親切・冷酷」、「善悪」といった問題に取り組む一冊です。ある程度、序盤で説明がなされているという意味では、まさに副題の「倫理学への招待」に適う内容になっているものと思われ、これらに興味のある方にはオススメといえるかもしれません。
ただし、そもそも「分析哲学に対する立場」や、「これほどのテーマを分析哲学の見地から論じるにあたり、新書の分量で足りるのか」といった点が問題になるでしょう。特に後者は、仕方のないことでしょうが、かなり不満の残るものとなってしまっています。また、「希薄な評価語と濃密な評価語」、「生きられている道徳」といった耳慣れない言葉が用いられているため、少々戸惑いました。これらの点をおくにしても、専門外の者からして疑問の残る記述があります。たとえば、従来、対をなすものと考えられていた「善悪」について、「悪の増大の防止に寄与するのが、善」(170頁)としたことで、「悪」を基礎付ける観点が完全に抜け落ちてしまっている点が挙げられます。さらにこの点をおくにしても、「善」の定義は、その後「いわれなき苦悩が、これ以上増えないようにすること」(190頁)、「いわれなき苦悩が、減るようにするもの」(192頁)と変遷していきます。とりわけ「増えないようにすること」と「減るようにすること」とは、まったく異なるものである以上、専門家の記述としては到底看過しえません。同様の指摘がなしうる個所がみられる点や、明らかに結論を先取りしている個所がみられる点、
(著者の自覚のもとで)説明の不十分な点もあり、残念な読後感が残ってしまいました。
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善と悪の判断って単純なもんじゃない。
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