教育力 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 96
  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004310587

作品紹介・あらすじ

教師に求められるものとは何か。あこがれの伝染としての教育、祝祭としての授業、社会に食い込む技術、さらには開かれた体、課題のゲーム化…。著者は数々の斬新な視点から、それを明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の齋藤孝はメディア等でも有名ですが、明治大学文学部教授で教育に関わる著書を多数出版しています。実は、個人的にはあまり好きではないのですが、この本は変わった角度から教育の諸方面を考えていて、一読してなるほどと思ったものでした。岩波新書なので、気軽に読めますし、内容も平易ですので、新入生にもどうかな、と思った次第です。(渡部洋一郎准教授より)PAC→http://libopac.lib.juen.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=0000198272&key=B143132237522233&start=1&srmode=0

  •  齋藤氏のイメージがバッサリ変わった。こんなに熱い人だとは思ってなかった。失礼ながら。
    「教育の根底にあるのは、あこがれの伝染である。何ものかを価値あるものと認め、そこに心のエネルギーを注ぎ込む。何ものかを目指して飛ぶ、矢のようなベクトル。それがあこがれだ。
    心引かれるものがあるからこそ、努力しようという向上心が湧く。あこがれが根底にあるからこそ、技を習得する意欲も生まれる。」
    齋藤さんの「教育者」への理念?理想?がぎっしりつまっている。
    これから教師になろうって人には是非読んでほしいけど、あまりにもこめられたものが多くて気がくじける気もする。そのくらいのぎっしりさ。
    教育者に求められるものって確かにこういうことなんだけど。
    「教育欲」「文脈力」「コミュニケーション能力」「段取力」「発問力」「文化遺産を継承する力」
    どんだけ、パワーが必要よ?
    自分の出会った先生方を思い出し、子供の先生方を思う。
    そして、自分、この歳になると多かれ少なかれ誰かに「教える」立場にいるわけで、そのときにどんな態度で臨んでいるだろうかと考える。

    「あるテーマについてまとまった量の文章を書くにためには、ある程度の知識が必要だ。しかし、知識の引き写しだけでは、アピール力が足りない。書き手の価値判断も含み、個人的な経験というものもどこか行間からにじみでるような形で、しかも知識の豊富さも示すような形で文章が書き上げられる、そういう能力がいま求められている。」(暗記も大切)
    「運動をすると運動神経がよくなる。運動部に入って何年かやっていると、元はそんなに動きが鋭くなかった人でも、ある程度、体が動くようになる。それと似ている。勉強すると頭がよくなる。頭がよくなると同時に心のコントロールもうまくいくようになる、というのが大方の筋道だ。」(勉強ってなんでするの?)
    「知らないことを恥ずかしいと思っていた時代から゛知らなくて、別にいいじゃん。ぜんぜん恥ずかしくないし。もう、ばかのほうがいいし、気楽だし゛というような前代未聞の教養無視の時代に突入してしまった現実は見過ごせない。」
    「才能とは、自分に必要なものがわかるということである。」
    「文学は論理の下にある感情を理解する力を養うのに大切なものだからだ。ものごとを理解する力を身につけるということが、学校で学ぶことの中でいちばん重要なことだ。」
    「向上心を支えたもの。それは、きっちりした技を身につければ、絶対に一流になれる、それは間違いないのだ、という信念だ。それは技の概念でもあり、型の概念でもある。」
    「言葉なんて信用できないとか、どうせ伝わらないというのではなくて、言葉でかなりのところまて伝わるんだ、と信じていることが大切なのだ。」
    「現在、゛主観優先(好き嫌い優先)で別にいいじゃん゛という人が増えてきてしまっている。その事態に社会全体が非常に手を焼いているが、そういう態度は勉強から逃避してしまった場合に起こりやすいことなのだ。勉強は客観性、多角性視点を非常に重んじるからだ。」

  • いまいち統一性はない?気がするが、著者の溢れる教育熱を感じた。
    教育の難しさに気落ちしそうだったが、斎藤氏のように教育を楽しみ、やりがいを感じるようになりたいと思った。
    学生時代に学ぶプロになりきれなかった自分は、まず多くの本を読んで学ぶプロになりたい。
    そしてこの熱を生徒に還元したいと思う。

  • 後日掲載

  • 勉強しすぎてキレやすくなる人の率よりも、ぜんぜん勉強しないでブチギレている人の率のほうが圧倒的に多い。
    勉強というものをすることによって、ある種の自制心という、メンタルコントロールの技術も学ぶことができる。

  • 著者は教育法を専門としているらしい。だから超多作の著者にとって本著は代表作にならねばならない。確かに著者の熱い想いは伝わってくるし、内容的にもそれなりの説得力はある。教育は学校だけでなく企業や家庭やその他人に何かを教える場面においては全て関係するというのも頷ける。しかしながら、その熱さ故か教育者を聖職扱いし、過重労働を推奨している点は気になる。10年前の作品なので今は考えが変わってるのかもしれないが、なら著者のライフワークとして改訂版を出すべきだろう。また、教育者をリーダーとしているが、教育者はリーダーではなくコーチである。その辺も履き違えている印象がある。

  • 模範的な教育者とは、こういう人ですよ、ということを詳しく説明した本。
    教育者の資質について、かなり具体的に書かれているので参考にはなるが、後半は、結局は生まれ持った資質が教育者に向いているかどうか、ということなのだ、と言っているように読めた。
    そうではないと思うので、星3つ。

  • 道に迷ったら読みたい本。
    斉藤先生の本は読むと元気になる。
    教育の祝祭性は納得がいった。
    教育は祭りなんだ。
    結果じゃなくて過程。

  • 好きでたまらない情熱に溢れた人が先生であるべき、親も子供にその背中を見せるべし的な。

  • 1つ1つ納得しながら一気に読み通しました。「読書力」「コミュニケーション力」に続く決定版とでも言えるでしょうか。著者が一貫して言っていることは「あこがれにあこがれる関係作り」というものです。これが教育の基本です。新しい世界にあこがれ、燃えて学んでいる人は魅力を放っている。その「あこがれ力」に触発された人は自分も学びたくなる。私にもそんな経験がありました。予備校の夏期講習で「カオス」について熱く語っている先生がいました。30年以上前の話です。それを聞いて、大学に行けばこんなおもしろそうなことが勉強できるのだと思ったものです。また後に、私自身が理科を指導するようになって2年目のこと。当時、隔週で公開講座に通っていた私は、聞いてきた話を(たぶん)いかにもうれしそうに(自慢げに)生徒に話していました。全く反応のないクラスで、誰も聞いていないかなあと思いながら話していたのですが、その中の一人が「合格体験記」の中でこんなことを書いてくれました。「理科の先生がいろんな話をしてくれたので、理科も結構おもしろいんだなあと思いました。」まだ経験の浅かった私にとってとても励みになったことをおぼえています。学ぶということは楽しいものです。そこにいたるまでにつらい時期もあるかもしれません。我慢する必要もあります。でも、基本的に楽しくないことは続きません。学ぶことが楽しいということを何とか伝えて行きたいと思っています。そのためには、自分自身が日々楽しんで学ぶ、そしてその姿を見せるということが大切なのでしょう。

  • タイトル通り「教育力」とは何かということが、きちんと丁寧に書かれている王道の本。
    筆者自身のエピソードが交えてあるのも読みやすく、納得できる箇所、勉強になる箇所が随所にちりばめられている。それでいて押しつけがましくなく、「私も前向きにがんばろう」とそう思わせてくれる。特に序章にかかれているこの1文が心に響いた。
    「教育の一番の基本は、学ぶ意欲を書き立てることだ。」

  • 高校生の娘が塾の先生に薦められた一冊ということである。
    斎藤孝さんの文章は本当にわかりやすい。
    小中高教員向けに書かれているのかとも思ったが、大学教員にも大いに考えさせられるし、学校とは関係なく一般的に人にものを教えることについて深く考えさせられる。
    教育という仕事に関わっていることに面白さを感じるし、色々とやる気も出てくる。
    現実はなかなかつらいのだが、環境のせいにするのではなく、自分でできることをやらなければならないのかと大いに反省させられた。

  • 数年前にこれを読んでいたら、否定しないまでもすんなりと嚥下することは出来なかっただろうなあ。今だからこそ素直にそうだよなあと肯定できる。特に、教員の褒める力と段取り力の章には手放しで賛同だ。一つ一つ自分に当てはめて考えると、斎藤孝が言わんとすることが分かる。この人のすごいところは、恐らく自分が経験を重ねてもこの本で言っていることが自分に当てはめて考えられるということ。それは、この人の論が普遍的で恒久的なある意味教育の真理を捉えているからなのではないか。つまり、そうかなぁと疑問を呈するところはまだ自分が至っていない境地なのだろう。この点においてニーチェに近似しているかも。

  • 教育学者の齋藤孝さんの著書。
    主に、教師たるものはかくあるべしという内容がつらつらと書かれている。

    印象に残った部分を備忘録のような形で列記しておきたいと思う。
    ・教師は「学び上手である」こと。自らが学ぶことのプロでなければ、生徒に指導することはできない。
    ・教師に必要な「段取力」。生徒が勉強している内容を把握しやすいように、教師の側はきちんと「段取」して授業を組み立てることが求められる。
    ・教師の「研究者的な態度」。自分が指導している内容の奥底の部分まできっちり確認する姿勢。院生以上では当たり前のことですが。
    ・「問い」の設定。「問い」は生徒の思考のきっかけとなる。
    ・「祝祭」としての授業。授業で全部の力を放出するぐらいの意識で取り組む。
    ・「日本文化の素地をつくる」という認識。さらに、伝統文化を継承するという認識。これは大事。教科書の内容は、先人が築いてきた多くの学説の結晶であり、伝統文化なのである。

  • さまざまなテーマの著書を刊行している著者ですが、本職は教育学者です。本書は、著者の教育論の根幹が、分かりやすく語られている本だと思います。

    著者は、教育の中核に「あこがれにあこがれる関係づくり」を置いています。つまり、教師自身が学ぼうとする強い意志を持ち、その熱気が生徒たちに伝わることで、生徒たちを教え導いていくような関係が、望ましい教育の形だと考えられています。著者はこうした立場から、教育に関するさまざまなテーマを論じています。

    「真似る力」や「段取り力」などは、著者の自己啓発書ですでに目にしたことのある言葉ですが、それらが教育という場面で培われた発想だということを知ることができて、興味深く読みました。

  • 教育とは何なのか、教育は何のためにあるのか、どうすれば教育の質を上げられるのか等、かなり踏み込んで書いてあり自分を見つめなおすきっかけにもなった。

  • う~ん、齋藤先生の本は、やはり「声に出して読みたい日本語」「読書力」以上のものはないみたい。本書は、たまにいいメッセージは飛んでくるが、全体には散漫で統一感・系統性がないのがとても残念。

  • 齋藤孝三冊目。今回の話題は「教育力」。教育と名がついていてもそれには会社の上司と部下の関係、サークルの先輩と後輩の関係など人間社会であらゆる場面で起こりうる「指導する」事に関して述べた言わばリーダーシップ論である。出版から6年経ち、最近の著書に比べると言葉がキツく書かれているのが面白い。少し丸くなったのか…?

    どんな新書を読んでも毎回感じる事だけれど、知識人なり研究者の経験、努力をこんなに手軽に見られるというのは幸せな事である。本書について書いてしまうとそれは膨大な量となりそう(というか自分も頭の中で整理しきれてない)ので直接引用してゆこう。

    ・優先順位をつけて必要な手順を説明できるのが「段取り力」だ。この骨組みだけは外さないでくれというのが、段取りの一番重要な所である。…(全体の骨組みが見えている状態で)作業をやると安心感をもって仕事ができ、ストレスがとても少ない。

    ・(全国規模での)統一試験をすることが、管理の行き過ぎを招くとか、子供の個性を潰すと批判された。…(しかし)統一試験の実施において本当な何が一番怖いかと言うと、教師の力量が(各地区で点数が詳らかにされることで)問われてしまうことではないだろうか。…その当たり前の事実を突きつけられるのを怖がっていたのが、今までの教育界だった。

    ・「技」(技術と言い換えられると思う)というものが、実は日本を支えてきた概念なのだ。素質と関係なく、技を丹念に磨けば誰でもが一流になれる、という考え方が日本人の向上心を支えてきた、と私は思う。例えば生まれつきの才能のあるなしで決まってしまうのだったら、みんな努力しないだろう。そうなったら社会全体が停滞状態になってしまう。

    ・見抜いて見抜いて(間違えを指摘することを)我慢する、見守る能力が、教師にとって重要である。…(間違えを指摘することだけで)十分なわけではない。問題は、その状況を打開するアイデアが浮かぶかどうか、ということだ。

    ・(指導者)にとって、(自らも新しい知見を)学ぶことは才能でなくて、職業としての義務なのだ。

    ・言葉の力を信じて、言葉で色々伝えられるのだと信じることが大切だ。…言葉の力を大切にする態度を伝えること自体が、教師の役割だからだ。



    長く書いてしまったけれど、読んでいただいてありがとうございましたっ。

  • 教採の過去問に出てきて気になった一冊。
    いいこといっているんだけれど、同じことを何度も言っていてしつこい。読書が大事なのはわかるけど、押し付けているように聞こえてしまう。一見するといいことなのだが、再読すると「?」が浮かぶ。

    教師を志望する学生の半数以上は大学入学時に読書の習慣がない。少なくとも人に何かを教える職業に就きたいと思っているならば、読書の習慣は最低限必要だ。自分自身が本を読まず学んでいないのに、教えたがるとすれば、それは本末転倒だ。学ぶことのプロフェッショナルであるからこそ、教える側にたつことができるのだ。(pp.5-6)

    →最読書意外でも学ぶプロフェッショナルになれるのではないだろうか。

    自由な個性を伸ばすということで教科の選択制がとられているが、私はそういう理論を信用していない。それが必要ないと高校生にどうしてわかるのか、ということだ。自分たちに物理が必要でないと、なぜ物理を勉強していない物にわかるのか。(p.27)

    →では、戦争を経験していない人は、戦争が必要でないということはできないのだろうか。
    このようなへんな理論で大人は子どもたちに押し付ける。それがよかったかはすぐにわからない。わかったとき、もしそれが失敗だったら、彼らは責任をとれるのか。その時には生きているかすらわからない。無責任だなー。

    勉強するということの基本は、人の言うことを聴くことである。耳を傾けて我慢して聴くという心の構えが求められる。(p.37)
    →書かなくても、この主張がおかしいことはわかるだろう。

    私たちが公立の小中学校を国民の税金で賄っているのはなぜかというと、この社会を支えていくのに必要な基礎的な知識・能力を次世代に身につけてもらうためだ。(p.113)
    →私たちの税金で賄っている、科研費で研究している人の研究はこの社会の役に立っているのかな?え?すべてが本当にそうと言えるの?

    ついついひねくれて書いたが、いいことも言っている一冊だ。

    (まっちー)

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著者プロフィール

齋藤 孝(さいとう たかし)
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。学者、作家、文化人の役割で多くのメディアに登場している。
2001年『身体感覚を取り戻す』で第14回新潮学芸賞を受賞。2001年発行の『声に出して読みたい日本語』は250万部を超えるヒットとなり、第56回毎日出版文化賞特別賞を受賞。
その他、『語彙力こそが教養である』など多くの著書があり、発行部数は1000万部を超える。『こども孫子の兵法』など監修作のヒットも多い。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。

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