報道被害 (岩波新書 新赤版 1060)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004310600

作品紹介・あらすじ

大きな事件や事故が起きるたびに、マスコミは被害者や遺族を取り囲み、マイクを差し出す。松本サリン事件をはじめとして、犯人視報道も後をたたない。深刻な被害をもたらすこの問題に、弁護士として取り組む著者が、報道のあり方を検証し、被害の救済方法について解説。権力的なメディア規制によらずに取材と報道を変える道を提言する。

感想・レビュー・書評

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  •  図書館より
     著者は弁護士の方。松本サリン事件の再考や報道被害の事例、そして、報道被害を防ぐための方策と報道の自由の兼ね合い、そして著者が考える報道被害を防ぐための提案が書かれています。

     個人的に思ったのは報道は誤りを認めないことや、報道によって起こった出来事については徹底的に黙殺することです。この姿勢を直していかないことには変われないような気がします。

     そしてもう一つはスクープ競争をやめてほしい。例外はもちろんあるものの不確実な情報を早く出されるよりも、一日遅れてもいいから確かな情報を出す方が重要な気がします。どこか大手メディア一社が変われば、状況は変わるような気もするのですが。

     もちろん報道を受け取る側もただ報道を受け取るだけでなく、この情報は正しいのだろうか、この言葉は正しいのだろうか、そういうことを考えながら報道を受け取る必要があるのだと思いました。

  • 報道被害の実例に心が痛みます…。一方、その事実を受け止めて、単に報道を規制すればいいわけではない。表現の自由を実現するためにメディアは、編集者は、何をすれば良いのか。
    古い本なので変わっている仕組みなども多いかもしれませんが、何を義とすべきか考えざるを得ない一冊でした。

  • 「ー」

    過激な取材による影響を伝える本。取材対象としてテレビ等にさらされた人はすべてを変えられる。メディアの権力は昔より衰退しているだろうが、それでも依然として強い。そんな報道の現状とそれへの対抗策が書かれている。

  • 30年ほど前に浅野健一氏の匿名報道や署名記事の提言に共感を覚え、以来報道被害に関しては特別な関心を持ってきた。
    マスコミも商売である以上、売りやすいセンセーショナルな取り上げ方をしたり、世間の関心のある事件に殺到するのは理解できる。ならば偉そうなことを言わなければいいのに、自分たちだけは正しいと言わんばかりの上から目線の社説を出すから信用できない。
    それにしてもこういう地味な問題にスポットを当てて社会正義を追及する著者のような弁護士には頭が下がる。

  • あげられている事例は、かなり切実なもの。身近に起きる報道被害から、身を守る術もなく、そういうことに合わないように願うしかない。マスコミやプライバシーについて、深く考えさせられる。

  • マスコミの恐ろしさを感じた。

  • 報道被害の事例のリポートがあったりその環境を考えてみたり、報道被害にたいしての様々なアプローチができている本。よんでてとても興味深かったし、メディアの匙加減の微妙さを考えさせられました。
    ただ根本の解決策ではないのでは…?というのが感想。

  •  マスメディアの報道がもたらす被害(失職、家族との離別、近隣からの孤立)の実態の紹介、原因の分析、解決策を論じた本。著者は報道によって人権を侵害された人の救済にあたってきた弁護士である。

     松本サリン事件、福岡一家四人殺害事件では犯人ではない人が報道機関によって犯人扱いされ、世間から非難を受けた。著者はこうした事例を挙げつつ、犯人扱いされるに至った経緯や実際に被った悪影響、その後の経過を紹介する。また、報道による被害を受けた際に尊厳を復活させるための訴訟のプロセスにも言及している。

     そこでは報道の受け手である我々もメディアがもたらす報道被害を醸成する空気作りに加担していることが白日の元に曝される。国民が関心、好奇心を持たないニュースはそんなにセンセーショナルに報道されないはずだ。そして、犯人でないことが判明した頃には世間の関心の目は他のことに向けられている、という不条理。

     当書は報道被害が起こすメディアの構造上の問題にも切り込む。メディア間の過当競争、事実性や客観性よりも利益を重視する体質、刑事事件報道に対する警察依存体制などがその例として列挙される。過当競争についてはやはり国民も無関係ではないと言える。

     マスメディアに疑いの目を向けるのはいいが、疑うだけで十分だろうか。報道不信は国家権力によるメディアへの法的、権力的規制を容認することに繋がる。

     例えば当書は”人権擁護法案”という政府から独立した人権救済機関を創設する法案を紹介する。画期的に見えるこの法案の実態は、”独立している”というのは建前に過ぎない、取材行為への介入や事前規制を受けやすいというもの。

     メディアの抱える問題を解決するにしても、権力的手段に頼るようでは頭を無理矢理抑えつけるだけで根本的解決には至らない。著者の提言する通り、被害者救済体制作り、警察の捜査情報の公開と相対化、情報源の特定、起訴されるまでは被疑者の氏名は匿名化すること、オルタナティブ・メディアの創設によって報道倫理を向上する必要があると考えた。

     真摯に報道被害の問題に向き合った一冊である。

  • [ 内容 ]
    大きな事件や事故が起きるたびに、マスコミは被害者や遺族を取り囲み、マイクを差し出す。
    松本サリン事件をはじめとして、犯人視報道も後をたたない。
    深刻な被害をもたらすこの問題に、弁護士として取り組む著者が、報道のあり方を検証し、被害の救済方法について解説。
    権力的なメディア規制によらずに取材と報道を変える道を提言する。

    [ 目次 ]
    第1章 報道被害と向き合う
    第2章 松本サリン事件報道・再考
    第3章 犯罪被害者への取材と報道
    第4章 報道被害とたたかう
    第5章 報道不信とメディア規制
    第6章 市民のための報道へ

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    [ 参考となる書評 ]

  • 2011.2.27

  • 公安テロ情報流出被害弁護団団長<br />(副団長:上柳敏郎、メンバー:岩井信、山本志都、河?健一郎、福田健治、井桁大介、小松圭介)

  • 報道被害の実態について、弁護士として問題に取り組んできた筆者が丁寧に解説している。
    報道被害が起きてしまう構造、起きたときの救済、起こさないための提言、と本書の内容は単なる解説に留まらない。
    とくに、報道被害を防止するための提言は実現性はともかくとして素晴らしい。
    公権力によるメディア規制を否定し、表現の自由と報道被害を一体に論じており、激動の時代のメディアを考える上で必読と言える。

  • 報道被害とは何か、実際報道被害を救済すべく色んな活動をする中で、筆者が、経験し、見聞きしたことを綴った著作である。
    松本サリン事件報道の分析、犯罪被害者への取材と報道、報道被害とたたかう、そして、報道不信の高まりの中で、人権擁護法案とメディア規制、個人情報保護法とメディア規制へとつながってしまったと述べている。
    最終章は、市民のための報道へと進化させるための提言を行なっている。
    そこで、引用されていた二人の東大教授の考え方を紹介する。
    奥平康弘・東京大学名誉教授
    (言論・報道機関は)言論・報道機関であるという一事によって、個人の自由と同じ性質、内容の表現の自由を無媒介に語るべきではない
    長谷部恭男・東京大学教授
    放送を含めたマスメディアの自由は、何よりも豊かな情報を公平に享受すべき「知る権利」に奉仕するために存在する。この自由は、政府の不当は干渉から市民の「知る権利」を守るための自由である」

    最後に、「すべての市民が記者である」という標語を掲げ、プロの記者と、市民記者が同列に伍して、市民参加のインターネット新聞へと成長している『オーマイニュース』の進化が今後とも期待されるところである。

  • この本はぜひ買ってみるべきだ。読んで、考えさせられる。答えはまだでない。

    読んで心を揺さぶられる。

    印象的な言葉は『メディアは権力の監視役であり、しかし、メディアは権力である』といった内容。


    被害者の心中を察することもできない想像力の欠如、利益追求の結果、過度の競争にさらされる記者たち。
    警察発表に依存する記者。

    表現の自由と個人情報保護法。

    一市民としてどういう考えを持つかを、真剣に考える必要があると感じた。決して他人事ではない。
    あなたは報道にどのような考えを持っているか、取材される側の気持ちを考えていますか?

  • 古くはフライデーから最近の桶川事件等に関する報道被害とそれと戦う人たちについてありのまま描写されています。被害者もしくは被疑者に対する報道機関の報道姿勢には確かに疑問を抱かずにはいられない。どこまで言論の自由なのか、難しい問題ではある。

  • 犯罪事件の報道によって苦しむ人がいる。

    例えば、マスコミの過熱報道によってあたかも犯人のように報じられてしまうこと。

    すると、今まで自分が認識している自分とは違う人間像が一人歩きし、それが本当自分のように周りに認識されるというアイデンティティーの解離が生じる。

    そのような報道により会社を解雇されたり、婚約者を失ったり、家庭が崩壊などが実際に起こっている。

    本書でも取り上げられているが、松本サリン事件の河野義行さんの誤認の殺人容疑をかけたことが記憶に久しい。

    マスコミが人を裁くという事態が生じているのが現状であるといってもいい。正義感に燃えるマスコミが無実の人を苦しめることがあることも忘れてはならない。

    法治国家では推定無罪という原則が貫かれているはずだが、日本では被疑者=犯人という図式が当然のように思われている。
    もちろん大半はそれで正しいかもしれない。しかし、もし間違っていたら…

    マスコミ関係者には避けて通れないテーマだと思います。

  • てっとりばやく報道被害について知るにはうってつけ。文章も平易で読みやすい。

    公権力によるメディア規制には異を唱えながら、報道被害をなくすための提言もされている。

  • 松本サリン事件を忘れまい。

  • 冤罪で報道された人や被害者家族の人権侵害に対して今の報道体制に警告を発した弁護士による本。

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著者プロフィール

弁護士。
豊洲市場用地取得に関する公金返還訴訟(住民訴訟)弁護団長

「2017年 『築地移転の謎 なぜ汚染地なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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