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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004310716
みんなの感想まとめ
物語の成立や変遷を探ることで、異文化の交流とその影響を深く理解できる内容です。多様な物語がどのように生まれ、再発見されていったのかを追求し、成立事情や翻訳の過程を通じて文明史的な視点から考察しています...
感想・レビュー・書評
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岩波少年文庫『アラビアン・ナイト』上巻を読んで、私がアラビアン・ナイトだと思っていた物語はヨーロッパで作られたものだということに衝撃を受けてこちらを読んでみました。
『アラビアン・ナイト』の成立過程は『アラビアン・ナイト』本編よりもおもしろいんじゃないかと云う予想通り、非常に興味深い内容でした。
めちゃくちゃ複雑なんですが、ざっくりまとめると、
紀元9世紀頃のバグダッドで『アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)』の原型が誕生。
1704年、フランス人東洋学者ガランがフランス語に翻訳した『ミル・エ・ユヌ・ニュイ(千一夜)』を出版。
ガランが翻訳に使用したのは15世紀頃のアラビア語の写本。「ガラン写本」と呼ばれるこの写本に収録されていたのは282夜(40話)。
千一夜分の物語があると信じたガランは続きを探し、手持ちの写本を全部訳してしまうと、シリア人から聞いた物語まで続編として刊行。
結果、もともとのガラン写本にはなかった『シンドバッド』、『アラジン』、『アリババ』も『千一夜物語』として収録されてしまう。
ガランの『千一夜物語』がベストセラーになったことで、完全な「千一夜」を収録したまぼろしの写本探しが過熱。ガランのフランス語版をアラビア語に再訳した偽写本まで登場。
現在まで本当に千一夜あったのかは不明。写本によって収録されている物語にも内容にも違いがあり、シェヘラザードの結末も写本によって違う。『アラジン』や『アリババ』が収録された写本も見つかっていない。原写本が見つかっていないこれらは「孤児の物語」と呼ばれている。
1706年にはガラン版を英訳した『アラビアンナイト・エンターテインメント』がイギリスで出版。それまで原題に忠実な「千一夜」というタイトルだったが、ここで「アラビアンナイト」という通称が誕生する。
1811年、子供向けに猥雑な部分を省略したスコット版『アラビアンナイト・エンターテインメント』が登場。児童文学というジャンルが成立しつつあったイギリスで『アラビアンナイト』は子供向けの物語となっていく。
東洋への憧れだった『アラビアンナイト』は、ゴシックやファンタジー小説へ影響を与え、児童文学となり、一方で大人たちには好色文学として好まれ、アラブ世界を理解するための資料として読まれた。
つまり、私が子供の頃に読んだものは、フランス語に訳されたガラン版→英訳して子供向けにしたスコット版→日本語訳みたいにして入ってきたものなんですね。
(後から作成されたアラビア語版→英訳→日本語版という可能性もあるけど、いずれにせよヨーロッパ経由。)
『アラジン』は「シナの少年」でありながら、私たち日本人はアラジンを同じアジアの少年とはみない。
ヨーロッパから見ると、「東洋」はイスラムからインド、中国、はてはジパングあたりまで含んでいるのに、日本からだと「シルクロードの先にある世界」みたいなざっくりした感じなんですよね。
本書ではこうした日本の欧米フィルターを通してみた「オリエンタリズムのねじれ」についても指摘されています。
今回、ディズニーの『アラジン』(1992年公開)も見てみたんですが、ランプの精ジーニーって弁髪なんですよね。これも今まで気にしたことなかったなあ。
フランス語訳が出版された1704年はルイ14世の時代で、フランス革命が起こるのはこの後。ヨーロッパから見た中東も憧れの国から植民地へ位置づけが変わります。
『アラビアンナイト』とは、実在したイスラムなどの中東世界のおとぎ話というよりは、フランスやイギリス、西欧で翻訳されていくなかで彼らの幻想を反映して形を変えていった物語なんだなと思います。
以下、引用
紀元9世紀頃 アッバース朝バグダッドで『千一夜物語(アラビアンナイト)』の原型が誕生
1704年 アントワーヌ・ガランによるフランス語翻訳版『アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)』出版
ガラン写本
282夜(40話)
『アラジン』、『アリババ』、『黒檀の馬』、空飛ぶ絨毯の登場する『アフメッド王子と妖精パリ・バヌー』
14
十八世紀のフランス宮廷ではいわゆるシノワズリー(中国趣味)が大流行しており、アラビアンナイトが提示する物語世界は、このような時代の空気にぴったりとそうものだった。
18
清水一嘉『イギリス近代出版の諸相』
ロンドンのコーヒーハウスでは新聞や雑誌に目をとおすだけでなく、店が購入した新刊書を読んだり借り出したりすることもできた。
19
チャップブック
小型で安価な民衆本
26
アラビアンナイトはいわゆる「枠物語」と呼ばれる形式で書かれており、大物語の中に小物語が埋めこまれ、さらにその小物語がいくつもの支話に枝分かれしていくという入れ子式の構造になっている。
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アラビアンナイト研究者の一人、ミア・ゲルハルトはこれらの物語のうち、原写本が確認されていないものをまとめて「孤児の物語」と呼んでいる。少なくとも現在のところ、ガラン版が出版される以前に書かれたと思われるアラビア語写本の中には、「アラジン」も「アリババ」も「アフメッド王子と妖精パリ・バヌー」も見つかっていないのだ。
44
実はガラン版第九巻目以降に収録されている物語の大部分は、一七〇九年にパリを訪れていたハンナ・ディヤーブというアレッポ出身のマロン派キリスト教徒から聞いたものだったようだ。
57
アラジンに関しては、アラビアンナイトで最も有名な話でありながら、ガラン版以前の写本には一度も登場しない。
シャヴィ写本とサッバーグ写本の正体が明らかになったのは、それほど昔の話ではない。アラビアンナイト学の世界的権威とされるムフシン・マフディーは、ガラン写本の校訂を通してアラビアンナイトの原型写本の復元を試みた。彼はさまざまなアラビア語写本を比較対照しながら校訂作業を進め、一九八四年にアラビア語で研究の成果を発表している。マフディーの研究によって「シャヴィ写本」と「サッバーグ写本」はともに、種々のエジプト系写本やシリア系写本を寄せ集めて作成されたことが明らかになった。
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彼(ハンマー=プルクシュタール)はこの写本を読みたいがために戦争視察への同行を断ったのだが、そのおかげで命拾いをしたというエピソードも伝わっている。視察に使った小船がナイル川で転覆し、同乗者は全員溺死したのだ。
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数ある翻訳版の中でも「新アラビアンナイト」の誕生に最も大きな影響を与えたのは、英語による『アラビアンナイト・エンターテインメント』だった。アラビアンナイトのアラビア語原題は『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』、文字通りには「千一夜」だった。ガラン版のフランス語原題も『ミル・エ・ユヌ・ニュイ』つまり「千一夜」である。つまりこの英語訳を通して「アラビアンナイト」という通称が世界中に広まっていったわけである。
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当時のイギリスはフランスやイタリアなどの大陸諸国に対して、かなり大きな文化的コンプレックスを抱いていた。そのためもあって十七世紀中期からは、上流階級の子弟が見聞を広めるためにヨーロッパ大陸を周遊するいわゆる「グランド・ツアー」が一般的になった。
73
この『スコット版アラビアンナイト・エンターテインメント』が重要視される最大の理由は、同書が児童向けアラビアンナイトの種本となったことにある。この時代には、児童文学というジャンルが確立しつつあった。
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十八世紀初期にガランによって初めてヨーロッパに紹介されたアラビアンナイトは、新たな移植先であるヨーロッパでの文化事情にあわせてさまざまな役割を演じ分けてきた。当初は東方への関心を喚起するとともに新鮮かつ刺激的なファンタジー文学の世界を提示するのみだったが、やがてはその普及度に比例してヨーロッパでの受容形式が枝分かれしていく。
つまり一方では児童文学の題材を提供し、もう一方では成人向け好色文学としての性格を明確にし、さらには植民地となって支配されるべき東方世界についての情報現在としても利用されるようになっていったのである。
84
サー・リチャード・フランシス・バートン
バートンの墓はベドウィンのテントを模して作られたと聞いていたがそのとおりだった。
88
西欧における児童文学というジャンルは十八世紀に誕生したとされている。第一章でふれたように成熟しつつある市民社会は新しい形式の文学を求め、十八世紀から十九世紀初期にはチャップブックなどを通してアラビアンナイトや東方風のおとぎ話が一般市民にも知られるようになっていった。市民社会が必要としたものは、娯楽のための読み物だけではなかった。彼らは市民社会の倫理観に合致した子供向けの読み物も求めていた。スコット版をもとにした子供向けリライト版が普及していった背景にはこのような事情もある。
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『ナルニア国ものがたり』ではアラビアンナイトのイメージで表現される世界(カロールメン)は、必ずしも友好的ではない異文化ないし異郷の象徴として使われている。
92
現在オンラインで閲覧できる『大英百科事典(ブリタニカ)』のアラビアンナイトの項目には「すでに西洋社会のフォークロアの一部となっている」と明記されている。
96
二十世紀を代表する建築家の一人フランク・ロイド・ライト人生最後の夢は、アラブ式の建築様式によった大バグダッド市の建設だった。
ライトは子供のころからアラビアンナイトに親しんでおり、彼が自分の家族のために設計した家の子供部屋の壁面にはアラビアンナイトの場面が描かれていた。
103
各部族には専門の詩人がおり、部族間の抗争では詩人が先頭に立って「言葉の矢」として詩を応酬すること慣わしがあった。
104
現代アラビア語では文学をアダブと呼んでいるが、中世の辞書によるとアダブとは人徳や品性の高さを意味していた。やがて教養人が身につける文芸文化矢言葉遣いにも適用されて、宴席で王侯貴顕の話し相手を務めたナディーム(食客)と呼ばれる人々が心得るべき素養を意味するようになった。
117
シナイ半島に暮らすアラブ遊牧民ジバーリ部族の家に泊まりこんでフィールド調査を行っていたころ、民話を聞く機会があった。祭礼以外の日に音楽を聴いたりする場合には家中の窓を閉めており、夜に物語を語り聞かせるときは「サラーマトク(あなたの安全を祈る!)」という言葉で締めくくっていた。この言葉は、話が無事終わったことを明言すると同時に、話には夢中になっていた聞き手の心にジン(魔物)が入ってこないようにとのまじないの役目も果たすのである。夜話が創り出す物語空間は異界の魔物ジンが徘徊する非日常的な空間なのだ。
118
イスラム世界ではコーヒーハウスにせよチャイハネ(イランの茶店)にせよ、客は男性に限られていた。
126
十九世紀のヨーロッパでは民話の収集には別の動機がかかわってくるようになる。民話を収集することによって、国民国家創出というナショナリズム的枠組が強化できるからだ。グリム兄弟による民話収集の背景にはドイツ国民意識の高揚という目的があったことが指摘されている。
158
バートン版を通してアラビアンナイトの全貌を知ることになった熊楠は、柳田国男にあてた手紙の中で「日本には耳学問だけの者が多い。『アラビアンナイト』を「無邪気第一の小説」と公言する新聞もある。『アラビアンナイト』は、『旧約聖書』、ラブレーの著作と並んで天下の三大猥褻書だとバートン本人が述べている」という趣旨のことを書いている。
158
だが、バートン版を読んだ後では『蓼喰う虫』の登場人物に、「アラビアン・ナイトと云うものは全体大人の読む本なんだよ。その中から子供が読んでもいいような噺だけを集めたのが、お前たちの持っている奴さ」と言わせている。
160
大宅壮一は手塚治虫の総指揮によるアニメ映画『千夜一夜物語』(一九六九)の構成協力にあたったほか、声優としても同映画に出演している。
162
日本では現在でもアラビアンナイトとインドのイメージが複合している部分があるが、その原因は中世以来の三国世界観だけではなく、ヨーロッパ人が抱いていたオリエント・イメージを無批判に受容してきたことにあったようだ。
168
だが、日本におけるアラビアンナイト翻訳史には大きな問題があった。永峯訳から前嶋訳にいたるすべての翻訳版が「ヨーロッパを経由したアラビアンナイト」の紹介にとどまっていたのである。永峯が底本としたのはガラン版に基づいたスコット版だった。前嶋の底本はアラビア語原典の印刷本であるカルカッタ第二版であるが、カルカッタ第二版はヨーロッパ(特にイギリス)による「究極の寄せ集め本」だった。つまり日本語で読めるアラビアンナイト本のうち、アラブ世界で成立した本当のアラビアンナイトに最も近いと思われる前嶋訳アラビアンナイトにしても、近代ヨーロッパが完成させたものだったわけである。
170
今日、アラビアンナイトのイメージは映画、アニメ、舞台、電子ゲームなどにあふれかえっているが、それらの大部分は十九世紀以後に量産されてきた挿絵やいわゆるオリエンタリズム絵画から大きな影響を受けている。
173
アラジンはパントマイムの中でも人気の高い演目の一つであり、毎年のクリスマスシーズンにはイギリス中の劇場でアラジンの舞台を見ることができる。パントマイムのアラジンは原作とは異なった筋立てになっており、登場人物の名前も異なっている。悪役はアバナザール、アラジンの母はトワンキー未亡人といった具合だ。ただし原作どおりに中国を舞台としており、主人公のアラジンは中国人風の衣装で登場するのが一般的なようだ。
179
この映画(リメイク版『バグダッドの盗賊』)でドイツの名優コンラート・ファイトが演じた邪悪な宰相ジャファーの役柄は、ディズニー映画『アラジン』にもそのままの形で引き継がれた。
179
ディズニーの『アラジン』は世界中で大ヒットしたが、オープニングソング(「アラビアン・ナイト」)の歌詞を変更するというハプニングが生じたことはよく知られている。オリジナルの歌詞は「はるか遠く自分の国ではラクダのキャラバンが行きかい、気に入らない人間の耳を切り落とす。野蛮な場所だがそれが自分の故郷なのだ」というような内容になっており、これはアラブに対する侮辱であるとしアラブ系アフリカ人差別撤廃委員会の抗議を受けたからである。
180
また逆方向のステロタイプ化も行われてきた。アメリカの有名映画雑誌による「スクリーンで観たい脚本ナンバーワン」受賞作の映画化作品『ウォルター少年と、夏の休日』(ニ〇〇三)には、「友好的な良いアラブ人」を演じるキャラクターにからんでアラビアンナイト風エピソードが挿入されている。
182
先述したキアヌ・リーブスのテレビシリーズ(『ビルとテッドの大冒険』)の場合もそうだったが、日本人の観客は中国人やモンゴル人が悪役となって登場する映画を欧米人の側に立った視点で楽しんできたともいえるだろう。
185
物語そのもののファンタジー性を強化する場合には、中東という現実感のない異域に舞台を設定することによって現実との関連性を弱め、日本や欧米が舞台となる物語にアラビア人を登場させる場合には、アラビア人キャラクターの異邦人性を強調するわけである。
ここでのアラビアの地は、夢のようなファンタジーの舞台であるとともに、理不尽な運命が支配する場所でもあった。
190
九世紀の紙に断片が記された『キターブ・フィーヒ・ハディース・アルフ・ライラ』、十世紀バグダッドの書籍商アンナディームがけなしながらも実は読み通していたらしい『アルフ・ライラ』、十七世紀のフランス人東洋学者ガランが十五世紀のシリア系写本から訳出した『ミル・エ・ユヌ・ニュイ』、シリア人修道僧ディヤーブがガランに語ったアラジンをはじめとするいくつかの物語、十九世紀初期のエジプトでまとめられたブーラーク版アラビアンナイト、ヨーロッパで知られていた限りの写本を寄せ集めて出来上がったカルカッタ第二版その他もろもろの写本や印刷本、現在までに作られた膨大な数の映画、漫画、芝居など各パーツを組みあわせて作られた創作バージョンは、そのすべてがアラビアンナイトなのである。
196
ディズニーの『アラジン』などにも登場する弁髪姿のジン(魔人)が描かれるようになったのは、それほど古い時代のことではない。
198
シェヘラザードにしても最初期の挿絵ではフランス宮廷風の衣装を着た貴婦人として描かれているのだが、好色文学としてのイメージが強まるにつれてだんだんと薄着になっていき、二十世紀に描かれたカイ・ニールセンやロデリック・マックリーの挿絵では盛装したシャルリヤール王の前に座るシェヘラザードは全裸ということになってしまった。
209
日本の子供たちは、ヨーロッパから移入された児童文学の典型であるシンデレラの主人公に感情移入することはできるが、アリババに登場するマルジャーナに感情移入することは難しいという報告がある。
210
日本人の想像力がアラビアンナイト中に見出した中東世界は、ヨーロッパと中国(もしくはアジア)の彼方に存在している。結局のところ、現代の日本人にとってアラビアンナイトの世界はシルクロードの果てに広がるファンタジーの世界であり、江戸時代の庶民が見慣れた三国(日本、中国、インド)地図の片端に描かれたような実体のない異域にとどまっているといえるだろう。
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アラビアンナイトの原本と呼べるものがまだ発見されていないこと、ガラン版が数多あるリライト版の大元であること、アラビアンナイトはヨーロッパによって再発見され、今日日本で読める多くの版がヨーロッパ的色眼鏡を通して書かれたものの翻訳であること。
これらがこの本を通じて知り得たこと。
前半は事実の羅列といった感じで、学者ならではの書き方だなと感じた。確かな情報だけを載せるので面白みに欠ける。
写本の版があれもこれもと出てきて、おまけに後半の翻訳紹介でもそれを踏まえた上で説明するので、わかりにくい。
あと論旨がすんなりと受け入れ難い点が多々あった。
例えばp.186-187のドラクエで登場する「アッサラーム」。オリエンタルな国にも関わらず、ダメージを回復できる場所がモスクでなく、教会であるということについて、「表面上での差異化を行うことによって、本質的な異文化性を巧みに覆い隠している」という指摘。
ゲームの便宜上、回復ポイントは教会と統一しただけでは?と思ってしまった。
またp.197に述べられている、魔神の姿が初めは悪魔のような畏怖される造形だったのが、次第に奴隷のような姿形になり、ディズニーのアラジンでは友達のような存在になること。これを作者は、オリエントの未開への克服と考察する。
ただ単に中東文化のより正確な情報が入ってきて、具体的に描けるようになっただけなのでは?と思う。
「畏怖」→「克服」と論理づける根拠がわからなかった。
おそらくは限られたページでまとめたが故であろうが、A→B→Cと展開するはずが、Bをすっ飛ばしてCに飛んで読者が置いてけぼり、という状況がちょくちょくあった。 -
2022年5月23日購入。
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西尾哲夫×森見登美彦の対談「ファンタジーの挑戦」に参加した時に聞いた内容のまとめ。
ゲーテやアンデルセンも親しんだと言われるアラビアンナイト。
現存する最古の資料は、紀元九世紀(アッバース朝)の紙に書かれているもの。バグダッドで成立
原典はアラビア語→フランス語版のタイトル『千一夜物語』
→イギリスで出版された時は『アラビアンナイツエンターテイメント』
ここではガラン版を詳しく見ていく。
フランス人のガランは仕事で二十年中東に滞在し、オスマン帝国の文人の著作を翻訳。その際にアラビアンナイトの存在を知ったのでは?その後、アラビア語の『千一夜』の写本を入手し、フランス語へ翻訳。
ガラン版1704年刊
当時のフランスで、おとぎ話とシノワズリー(中国趣味)が流行っていたこともあり、瞬く間に人気を博す。宮廷だけでなく一般庶民の間でも広く読まれた。
当時、一般庶民の識字率は男性30%未満、女性はその半分。
読める人の周りに読めない人が集まって、読み聞かせをしてもらっていた。
英語、ドイツ語、オランダ語など様々な言語に翻訳された。日本に入ってきたのはオランダ語訳(1755年)
廉価版が出回り、庶民にも浸透するようになると、子どもでも読める物語として、アラビアンナイトは広く受け入れられた。
現代の子どもは、当たり前のように絵本を読んでいるけれど、18世紀になるまで児童文学というジャンルはなかった。
おそらくインドやペルシアに起源を持つ古い物語がアラビア語訳され物語集が編まれ、アラビアンナイトの核ともいえるべき部分が成立した。歴代編集者たちが別の物語集から話を借用しアラビアンナイトに紛れ込ませ、この一大物語集が出来上がった。わたしたちがアラビアンナイトとして読んでいる物語集は成立当時の何倍にも膨らんでいるわけである。
ガラン版は全十二巻。
ガランが訳出に使用した写本はガラン写本と呼ばれており、現存するのは全三巻だが、四巻目があると考えられている。ガラン写本三巻がガラン版六巻までのものとなり、七、八巻は幻のガラン写本四巻目。九、十巻には「アラジン」、十一巻には「アリババ」、最終章の十二巻には空飛ぶ絨毯の話があるが、これらはアラビア語の原写本が見つかっていない。
実は、九巻目以降は1709年にハンナ・ディヤーブというアッレポ出身のマロン派キリスト教徒から聞いたものだったようだということが、ガランの日記から分かっている。
だが、ガラン版にはシリア人から聞いた話だとは書かれていない。あくまでも写本を訳出したものであるという態度を貫いている。故意に隠蔽しているのである。小細工は他にもある。
「シンドバッド航海記」ガランの手元にあるシンドバッド写本には夜ごとの区切りがなかったので、ガラン版には区切りを勝手に挿入した。
それからガラン写本第三巻は物語の途中で終わっており、続きは別の写本から訳出したと思われるが、ガラン版ではこの事実に触れていない。
それから物語の順序を入れ替えたもの、第七巻からは夜ごとの区切りをなくしたり、第八巻では出版社が別人の訳した物語を紛れ込ませたりもした。
ガランは物語は千一夜分あり、どこかに完全な写本が現存するはずだと思っていた。ガラン写本以外にもエジプト系、シリア系などのアラビアンナイト写本が存在するが、「決定版」はない。どの写本をもとに翻訳するかによって内容がかなり異なるのだ。そして偽写本も出回っていた。
時代と共に印刷技術が発展すると、これまたさまざまな原典・写本をもとに編集される。著者曰く究極の寄せ集め本であるカルカッタ第二版というのがヨーロッパ人にとっての正典になっている。(最終形態は究極の寄せ集め本)
レイン版はレインが見て不道徳と思われる話が削除されているし、逆にバートン版は好色文学としてのアラビアンナイトのイメージを定着させた。バートン版は世界中に広まった。偽写本や素性のわからない写本に記された物語も読むことができる。
現在、日本で読まれている大人向けのアラビアンナイトは、バートン版とマルドリュス版からの翻訳。
日本へ入ってきたのは明治に入ってから。日本最初のアラビアンナイトである1875年刊『開巻驚奇暴夜物語』はあまり売れなかった。1883年『全世界一大奇書』は日本の昔の詩人の愛読書になったりしていた。訳者の井上勤は、16歳の時に神戸のドイツ領事館で通訳を務め、大蔵省や文部省に勤務するかたわらシェイクスピアやジャール・ヴェルヌも訳している。井上のアラビアンナイトはNDLのデジタルコレクションでも閲覧できる。明治末期〜大正にかえて児童文学というジャンルが定着し、子供向けの読みものとして次々と出版されるようになる。1920年代には大人向けのアラビアンナイト(バートン版、マルドリュス版)が発禁処分になっている。
アラビアンナイト学の研究者は世界中にいる。アラビアンナイトの内容は多くの人を惹き付け人々の愛読書になり、またそこからインスピレーションを受けて作品を作る人もいる。さらにその歴史も多くの研究者を惹き付けてやまない。
p103
アラブ文学では現在にいたるまで韻を整えた詩歌に重点が置かれてきた。詩文偏重の伝統はイスラム勃興以前のジャーヒリーヤ(文字通りには「無知」であるが、「無明時代」の訳されることが多い)時代にまでさかのぼる。各部族には専門の詩人がおり、部族間の抗争では詩人が先頭に立って「言葉の矢」としての詩を応酬する慣わしがあった。また、すぐれた詩はメッカの街に掲げられたといわれている。アラブ世界で詩がどれほど尊重されたかは、アラビアンナイト中にちりばめられた詩の多さを見てもわかる。子供向けのリライト版では詩は省略されていることが多く、大人向けの翻訳でもレインなどは詩の多くを訳していない。 -
説話集『アラビアンナイト』がヨーロッパで再発見されて世界へと広がっていく中で、どのように変わっていったのかに迫った本。
底本がないゆえに新しい物語が次々と加わり変形していく『アラビアンナイト』変遷の歴史を、本書で知ることができます。 -
NHKの100分で名著を見てアラビアンナイトの歴史を知りたかった。
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アラビアンナイトを始めとする一千一夜物語が、西洋におけるアジア文化との交流の役割をどのようにして担っているか。オリエンタリズム的視点。
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S019.9-ブン-901 300291036
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220ページほどの新書版だが,本格的な<アラビアンナイト論>。
こどもの頃には童話集で、アラジンと魔法のランプとかアリババと40人の盗賊などを読んだように思う。この2つの物語は,本来アラビアンナイトには入れてなかった物語だった、ということも初めて知った。そして大人になって読んだ記憶は無いが,アラビアンナイトにはいくつかの異本があることは、バートン版などと謳ったタイトルを本屋で見かけたことなどから想像できていた。
この本で本来のアラビアンナイトの歴史を読んだ。そして世界の中の欧州・中東・亜細亜などいくつかの文明のありようを、改めて感じたところ。
目次は次のとおり。
第1章 アラビアンナイトの発見/最初の翻訳者アントワーヌ・ガランなど
第2章 まぼろしの千一夜を求めて/本当は千一夜なかった?・・など
第3章 新たな物語の誕生/アメリカでの「東方小説」・・など
第4章 アラブ世界のアラビアンナイト/アラビアンナイトは非主流派など
第5章 日本人の中東幻想/江戸期の中東情報/明治期の翻訳事情・・など
第6章 世界をつなぐアラビアンナイト/進化し続ける物語・・など
第7章 「オリエンタリズム」を超えて
日本語全訳版は、岩波文庫88年マルドリュス版・東洋文庫92年カルカッタ2版・ちくま文庫04年バートン版。 -
『アラビアンナイト』のヨーロッパ受容が話のメインになっています。近世・近代以降のオリエンタリズムの交流から「アラビアンナイト」の「発見」、完全なる「千一夜」分の話の発掘、「児童書」「好色文学」としての発展過程が述べられています。そしてまた、江戸以降の日本がこのアラビア文学を受容していった過程にも触れられており、全体的に「アラビアンナイトの受容過程から見た文化交流史」といった内容になっています。ですから、東西文化交流などに興味がある人は非常に参考となる内容ですが、『アラビアンナイト』自体に興味がある人には期待はずれなものになるかもしれません。追記:例えば『詳説 世界史研究』(山川出版社)には、『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』がほぼ現在の形にまとめられたのは16世紀のマムルーク末期だと書いているが、この本では、「今」の形は様々な写本をまとめた19世紀のイギリス領インドで印刷された「カルカッタ第二版」だとしている。
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サイードの『オリエンタリズム』の補足として読もうと思ってたんですが、内容はちょっと違う感じでした。アラビアンナイトが西洋の中でどういった役割を果たし、どう変化してきたか。挿絵による比較がとても興味深いです。
著者プロフィール
西尾哲夫の作品
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