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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784004310815
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本書は、日本における集団的自衛権の複雑な歴史と現状を深く掘り下げ、特に狭義と広義の解釈の違いを明らかにしています。著者は、安倍政権下での集団的自衛権の解釈改憲がもたらした影響を論理的に分析し、これまで...
感想・レビュー・書評
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本書は多くの発見を与えてくれた。その中から一つを紹介する。
日本においては集団的自衛権が独特に発展している。いわく、集団的自衛権のなかでも自国と密接な関係にある外国まで出向いて実力行使をするという狭義のそれは認められないが、基地を提供したり、経済援助をするといった広義の集団的自衛権については、認められる余地もあるとされてきたのである。
広義の集団的自衛権については、周辺事態法やイラク特措法に代表されるように様々に範囲を拡大させてきており、これについては別で触れる。重要なのは、安倍政権の集団的自衛権は、タブーとされてきた狭義の集団的自衛権を突き動かしたという点にある。また、以下の集団的自衛権は狭義の集団的自衛権を指す。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まずはNPTを履行させること。
核の不使用を約束した地域を広め、核を持つことの無意味にすること。 -
記憶が曖昧なのでいい加減だが、安倍前総理が集団的自衛権を行使できるよう解釈改憲をする前に著された書で、日本国憲法において集団的自衛権が従前、どのように解釈されてきたか解説し、安倍の主張に対し論理的矛盾を指摘し、その危険性を訴えている。
私は、このような類の主張に対し以前までは、その危険性の考え方が飛躍していると考えていたが、台湾有事の発生に備え防衛費の増額や、様々な法整備が行われている現状、この危機感を共有できつつある。
台湾の平和的統一を果たすことができないと、軍事行動を起こすという法律を中国が制定(間違っているかも )しているので、米国の政策次第(国家としての承認等 )によっては、軍事衝突が起こる可能性は十分あるのではと感じた。
軍事衝突が起こった場合、当然米国は日本にも何らかの行動を求めるだろうが、以前とは、法環境も異なっているのでより踏み込んだ対応が求めてくるだろう。
これまでは米中間の緊張が高まると日本は、米国と歩調をあわせ様々な政策がとられてきたが、肝心の米中間では緊張が融和され、日本だけ勇み足をとってきた歴史があるという。日本には災難であるが、こうなったほうがむしろ好ましいだろう。
これは結局、日本が実質的に米国の庇護下にありそれに振り回されてきたからであるが、過去様々な政権は米国の強い影響から逃れ自立しようと手を打ってきたという。
しかし湾岸戦争での日本の対応への国際社会からの非難、細川?村山?政権での対米依存の脱却を図る方針への米国の危機感等から、米国の関与はますます強くなり結局は米軍が大きな権益を握る現状を肯定し、さらに集団的自衛権も行使可能にするという環境が築かれたのだ。
正直、今の現状に恐怖を感じる。なかなか声を挙げづらい現状、政府間の外交努力に身を任すしかないように思える -
2007年刊であり、その時点までの歴史的経緯については比較的よくまとまっているとは思う。ただし、その後事態は大きく変化したので情報的には古さも感じる。また、基本的には当時誕生した第一次安倍政権批判の書というテイストなのでイデオロギー的な偏向が感じられる。よって、題名にある「集団的自衛権とは何か」という本質的なテーマには迫りきれておらず、全体的には「集団的自衛権はケシカラン」という内容になっているのが残念ではある。
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2014年の憲法解釈変更の時にはほとんど興味がなかったが、最近のトランプ発言(日米安保は不平等だから廃棄したい)を聞いて少し勉強してみたくなった。随分専門的な内容だが、素人にも十分理解できるよう懇切丁寧な解説で読みごたえあり。
安部やその取り巻きが説明する集団的自衛権のあり方が、まったくデタラメであることは本書から十分に伝わった。意図的に間違った情報を流して世論誘導したいのか、本当に理解できていないのかは知る由もないが、米国の日本防衛義務と基地の自由使用権はセットであることを日米両国の指導者層はどこまで認識しているのか?仮に米軍が日本から出て行けば日本も同程度の戦力を持つことを選択せざるを得ないが、それが米国の国益にかなうとはとても思えない。
唯一残念なのが最終章のオルタナティブの提案である。机上の空論を地で行くポエムである。日本にそんなことができるならアメリカの属国状態を自ら望んで選択したりはしない。日本には東アジア諸国を束ねていくだけの経験も実力も信頼も備わっていない。悔しい事ではあるが、吉田茂、小泉、安部の米国お追従路線しか採りようがないのだ。 -
【由来】
・「尖閣とは何か」を読んで。
【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
・序章のみ。いわゆる「世界スタンダード」をふりかざした推進擁護の理屈はおかしいという話。法律の概念上、保有すれども行使せず、というのは何らおかしくない。ただし、我が国の安全保障上は、という視点をちゃんと持っていそうな本だったので、引き続き読みたい。
・図書館の延長ボタンを押すタイミングを逃して、予約が入ってしまった。
【目次】 -
参考文献
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選挙の前に理解を深めようとして借りた本。
確かに、日本には集団的自衛権よりも特徴的で1番平和なやり方ができる国のような気がする。
なんとなく自分の意見をまとめることができて良かった。 -
力作。よく書かれている。
集団的自衛権とは、一言で言えば、自国が直接攻撃されていなくても実力をもって阻止すること、かな。
アメリカの為に集団的自衛権を発動する。憲法上許されない。アメリカの作った憲法を改正したい。この矛盾。
日米地位協定とか、本当に日本は独立国家なのかと疑問に思うことがある。 -
昨今話題の「集団的自衛権」についての書籍。
ただし初版が2007年であるので、前自民政権時での憲法改正の気運に対して書かれていることに注意。
最初から集団的自衛権の憲法改正または憲法解釈の変更について反対の立場で書かれているので、公正な議論になっていない(公正な書籍というものは存在しないことは重々承知であるが、それに対してもタイトルと内容との齟齬に対して公正でないという意味)。
本書の内容は、安倍首相のロジックは「A」であるが、そもそもAというのは過去の歴史を踏まえると正しくないという論理、もしくはAということを正しいと仮定しても日本の将来は悲観的なものにしかならない。ゆえに「A」はAgreeできない。というもの。
そもそも歴史的には集団的自衛権を解釈上は否定しているので、歴史を踏まえると転換しているのは当たり前である。問題なのは、日本国憲法という最高法規に対して「A」という解釈は成り立つのか、ということである。もちろん歴史的な背景は重要であるが、解釈の変更という主眼を踏まえると、この見解はフェアーではないと思う。
また、「A」という解釈が正しいとした場合も日本の将来について悲観的なものにしかならないという姿勢であるが、これはひとつのシナリオを出して(多少現実的なシナリオの方が説得力はます)、こんなに大変なことが起こるのだから「A」という解釈は危険であると結論する。
冷静になると、このシナリオはかなり恣意的に選べる。
たとえば、「A」の命題に集団的自衛権を行使すると北朝鮮が発射したミサイルを迎撃できるというメリットが有る。筆者は、なぜかミサイルを核弾頭を先端につけたミサイルが日本の原子力発電所に向けて発射されることを例示している。
ここで、迎撃できる能力がないので意味が無い、または迎撃できたとしても迎撃周辺が放射性物質で汚染して住めないので結局集団的自衛権というのは意味が無いと結論している。
まず、100歩譲って迎撃能力がないのであれば、集団的自衛権という名目で兵器の開発を進められるし、迎撃が無意味なら原子力発電所にクリティカルヒットしたほうが良いのであろうか。
もっとも筆者は、このようにデメリットの方が大きいので集団的自衛権に頼らない方法を模索するべきであると最後に結論づけている。
こちらには、Agreeであるがすべての国がこれでYesと言えれば戦争は起こらないわけで。。
戦争については、どのようなロジックでもそれを正当化できることはないが、今般の国際情勢を踏まえると集団的自衛権の行使という選択肢も真剣に考えたほうが良いのではないだろうか。
そのためには、ただしい憲法の解釈、過去の背景を正確に理解する必要があるが、本書はそれに資っしないとかんがえる。 -
今流行の集団的自衛権について知るために読んだ。そもそも集団的自衛権がアメリカのいうがままに必要性が議論されているということがわかる。
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個別的自衛権については自明のものとみなされていたが、米代表団の側は「チャプルテペック決議」がもたらした深刻な問題に直面していた。つまり安保理が機能しない場合に米州会議のような地域的機関が独自にとる強制行動を、国連の枠内でいかに位置づけるか、という問題である。
安倍や佐瀬が憲章51条について、個別的自衛権と集団的自衛権を全く同じレベルにおいて自然権であると主張するのは結局のところ、条文の字面を表面的にのみ捉えて議論を次々と飛躍させた結果にすぎないのであって、そこでは51条の成立の経緯が実証的に踏まえられていない。 -
タイトルに対する直接的な回答を期待すると裏切られる感じ。
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別名「アメリカとの付き合い方」だろうか。村上春樹ではないが、「アメリカ?やれやれ」といった面倒さを再確認した。まあ、主権国なんて、善悪で捉えるものでなく、手なずけるしかないのだが。煮ても焼いても食えない。したたかだからね。
逆に、テロ組織と違って、どんなならず者でも、国家ならば対処のしようがある、との視点は新鮮だった。
タイトル通り、日本にとっての集団的自衛権を考えるにあたっての良書だ。
・ダレスにとっては、日本が集団的自衛権を行使して「米国を守る」ことよりも、米国が日本の基地を特権的に維持し続けることの方が、米国の戦略にとってはるかに重要な意味を持っていた。(P61)
・P118からの江畑と小川の分析。劣等感を抱くどころか、米国に対する「対等の立場」が強調されている。
・「土着テロ」と「革命的テロ」を混同してはだめ。(P138)
・ムスリム急進派というテロリストをアフガニスタンに集結させたアメリカ。(P158)
・「友・敵」設定のあり方こそが、集団的自衛権の核心に位置している。(P171)
・「ならず者国家」「悪の枢軸」といった国家であっても、テロリストとは違い、最重要の課題は「体制の生き残り」にある。(P205)
・2007年1月11日に中国が、850キロの高度にある自国の気象衛星を弾道ミサイルで破壊する実験に成功した。宇宙の軍事化(P213) -
序章にあるように「国際上保持、憲法上行使不可」という集団的自衛権に関する政府解釈は、法律論として議論される問題ではなく国家が採るべき基本的な選択にかかわる問題である。安倍政権は日米安保における日本の米国、に対するプレゼンスを対等にもっていくために内閣法制局長官を集団的自衛権行使の容認派に強制的にすげ替えたのであろうか。そうであったならば、政権の交代ごとに政権の圧力によって解釈が変更されるという異常事態が生じることになるのだ。
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前安倍政権時代に書かれた本。日本国憲法制定から日米の国家戦略の一体化が進む現代に至るまでの集団的自衛権に関する解釈等がわかりやすく述べられている。こういった話に疎かったおれにはめっちゃ勉強になった。以下メモ。
「個別的自衛権であっても制約が課される、なら他国への武力攻撃を阻止するための集団的自衛権は憲法上許されない」という1972年の政府解釈の原点。「権利を有するが行使できないのはおかしい」といった言説に対してスイスの永世中立と一緒でむしろそういった説がおかしいという話。米州諸国の「チャプルペテック決議」があって安保理が機能しない時に自衛権を発動することができる国連憲章51条が作られたという話。米国の伝統であった先制武力行使を公式化したブッシュドクトリンが「ジャングルの法」への先祖帰りであること。「極東における国際の平和と安全の維持」のために駐留軍が日本の基地を自由に使えるとする極東条項の起源。イラクに派遣された自衛隊を守っている他国軍が攻撃されている時に共に戦えないのかという議論はそもそもイラク特措法案で「非戦闘地域に派遣される自衛隊が外国軍に守られる」という事態を想定していないものであり、根拠法を飛び越えて現地における既成事実をもとに議論が展開されているということ。米国との対等な発言力を持つため積極的にイラクに派兵した英国を世界最強の米国は大して重要視しておらず、軍事的貢献で対等の発言力をと考えるのは幻想に過ぎないこと。安保条約は片務的とする考えがあるが、米国に重要な戦略的拠点である日本の基地を使わせている点で既に片務的ではないこと。ミサイル防衛もだがまず日本海側の原子力発電所を強化しろって話。パキスタンの不安定さとそれゆえの核拡散の危険。冷戦後の世界を自由主義的民主主義制と市場経済の普遍的イデオロギーと国連と米国の権威と権力の分離から中世ヨーロッパのような世界システムが生じているとして「新中世圏」「近代圏」「混沌圏」に分けて考える「新しい中世」論。また日本への提言として、ユダヤ人の排斥に協力しなかった日本こそがイスラエルにもモノを言い、中東の非核化に努めるべきこと。「宇宙戦争」と「宇宙テロ」の可能性もあり得ることから、宇宙基本条約のイニシアチブをとるべきこと。同じように北東アジアの非核化にも努め、それが地域的な枠組みとして米中露の核に対する依存を弱め、核保有の意味自体を失わせてしまうようにすること。沖縄を犠牲にし続けて来た体制を改めることで北東アジアに平和をもたらすような戦略構想を練るべきといったこと。 -
『安保条約の成立』(岩波新書、1996年)を著した豊下楢彦(関西学院大学教授)の新刊である。
構成は以下の通り
序章 憲法改正と集団的自衛権
第一章 憲章五一条と「ブッシュ・ドクトリン」
第二章 第一次改憲と六〇年安保改定
第三章 政府解釈の形成と限界
第四章 「自立幻想」と日本の防衛
第五章 「脅威の再生産」構造
第六章 日本外交のオルタナティブを求めて
本書の第一印象は、「反米的」な思想だということである。タイトルにある集団的自衛権そのものについて論じているのは、最初の2章分ぐらいなものである。全体を通して見れば、「対米従属外交の危険性と欺瞞」というようなタイトルがふさわしいように思える。
本書において最も重要で興味深い部分は、序章と1章において論じられる「集団的自衛権」の定義である。
よく混同されがちな「集団的安全保障」とは全く別の概念であることを指摘しているのは、一般向けの書物としては妥当な判断だろう。
そして、国連憲章に成文化されている国家の固有の権利としての「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の論理と生成が1945年の憲章制定過程において記述されている。歴史畑の研究を続けてきた著者の面目躍如といったところだろう。
さらに第2章から第3章にかけては、その「集団的自衛権」の解釈をめぐる政府答弁をめぐって、<狭義>と<広義>の「集団的自衛権」あるいは「中核」的な意味合いの「集団的自衛権」の範囲が分類され、語義を正確に定義して議論を整理しようという著者の意向が伝わる。
しかしながら、後半の4~6章はいただけない。特に5章と6章は蛇足だとも言える。前半の精緻な史料分析も、この後半に入るとただの時事論評に堕している。歴史家が現在のことにまで言及する不格好さがにじみ出ている。最後に提言しているオルタナティブも、とても現実的とは思えない。
全体を通して、安倍首相や保守層が言及する「集団的自衛権」の危険性・違憲性を説明するあまりに、一見かなり実証的に論じられている議論のあちらこちらに欠陥があるのも事実である。歴史家にあるまじき軽々しい断定も気になるところである。
巷間の議論に比べれば、かなり水準の高い著作であると言えるが、(期待の裏返しでもあるが)やや不満が残る -
憲法改正は本当に必要か?
アメリカと対等な発言力を得ることができるようになるのか?
答えはこの本の中に。 -
「集団的自衛権」の歴史的見解と現在における意味。そして靖国派の解釈など、これを読めば改憲派の論理がダマシに過ぎないことと論破できます。
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