朝鮮通信使 江戸日本の誠信外交 (岩波新書 新赤版1093)

  • 岩波書店 (2007年9月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004310938

みんなの感想まとめ

江戸時代の朝鮮通信使は、日朝間の文化交流と外交の重要な役割を果たしました。特に「誠信外交」と呼ばれるこの関係は、互いに欺かず、争わず、誠意をもって交わることを基盤としていました。著者は、通信使の派遣が...

感想・レビュー・書評

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  • YouTubeで「江戸時代の朝鮮通信使が日本の水車を見てその仕組みに感心し、我が国でも作るべきだとした記録が残っている」と言うのを聞いて、そういえば朝鮮通信使について考えたこと5秒も無かったなと思い借りてきました。

    もうちょっとライトな内容の本だと思っていたのですがポジティブに期待はずれ。

    第1章は「国交回復への道」
    数十年前になりますが韓国の修学旅行生が来阪した際に「秀吉が今も英雄として祭り上げられているとは」と憤慨し悔し泣きすることがあると聞いたことがありました。当時も今も「んなアホな」と思っていましたし1988年の紅白でチョーヨンピルが「恨五百年」という歌を歌った際にも「民謡ってことになってるけど紅白に恨みって漢字の歌持ってくんの?てかこれって秀吉のこと言ってる?(チョーヨンピルは歌が上手いですけどね)」とびっくりしたのも覚えてます。
    ただこの本を読んでみて、確かに朝鮮出兵が前触れのほとんどない突然の侵略行為であり、秀吉亡き後政権を掌握した家康から「あれは間違いでした」なんて和平の申し出があったのならばそりゃ「なんで秀吉が!?」となるかもですね。エジプトとか見ても先代ファラオが間違いでしたーとかなったら徹底的に肖像を破壊したりするし。こういう「朧げな境界線」ってのはデジタルな上下関係を文化とする地域には余計に腹立たしく理解出来ないのかもなぁ。(当時の反日教育によるところが大きいんでしょうけども)
    家康の「秀吉が無茶なことしてごめんね」だけで補償も何もなく済ませたのは朝鮮側にとっては背に腹の選択であって実際ははらわた煮えくりかえってたでしょうし、島国の蛮族として見下している相手が金銀の地下資源、食物、衛生、高い識字率を持ってたら恨みに嫉みがプラスされて増幅するのもまぁ自然かな。
    私の友達のアメリカ人は全員原爆投下について真剣に「あれは仕方なかった。あれのおかげで戦争が終結したんだ。」とか言うのが信じられなかったんですけど、私が秀吉に対してさほど悪い印象を持っていなかったことと同じですかね。
    帰国しなかった捕虜、これも本人が帰らなかったのか、それとも誰かが阻止したのか。記録によれば両方の理由が絡み合ってるような。あと九州地区ってマジで日本人と朝鮮人混ざりすぎてもう境目なくない?

    第2章「通信使」の登場と徳川大君
    国際的な繋がりと無用な戦さは要らない日本、上からは中国下からは日本の圧力に挟まれた朝鮮、間を取り持つ玉虫色の対馬と、まぁ読んでていちいち納得。「国書は日本から先に」「呼び名は」「中国の冊封は」「中国年号記入は」なんてのはスケールの大小こそあれいつの時代もどこも同じですねぇ。
    女帝であった明正天皇についての短いコメントも。作者も「男尊観念の塊であった儒教社会の官吏からすればあり得ないだろう」としているが当時の朝鮮からすればなんじゃそれだったんでしょうね。
    日朝両方の記録を丁寧に拾ってるとはいえどうしても日本側の資料が多い。そのため日本の本音と建前というか裏事情なんかがより詳細に解説されていて「ルール無用の日本と礼節を重んじる朝鮮」て印象を少なからず受けてしまうけれどあながち間違いでもなさそうな。とはいえ国益と我が身可愛さに国書を改竄してしまう対馬がいたのならば、朝鮮側もなんかやってそうですけどね。
    てか人はいつもそう。嘘しかつかないし不正しか働かない。

    第3章 「ご威光」と対等外交のはざまで
    日本側に強いられた日光詣、天皇や関白ついての解釈なども初めて知りました。確かに天皇こそが国主で徳川家はたかが将軍、関白であったとしても陪臣でしかない、でも実権は将軍で任命は天皇、役人達は世襲で試験もないとか言われたらペーパーテストバリバリの朝鮮通信使からすれば「どういうことやねん!!」ってなるかもね。
    新井白石に鎖国の自認はないってのも確かに。

    第4章 通信使を迎える
    普段は防衛のためわざと橋をかけない(将軍の移動以外)大川にも沢山の船を繋いだ上に丸太を打ちつけて橋にするとな。(通信使渡ったらまた取り壊し)
    やりすぎ。
    異国の地で亡くなった朝鮮の子供を弔う碑がいまだにあるのね。

    第5章 文化交流の諸相
    「所詮倭人が」とする見下し表現と同時に「中には文人もいる」「市民の識字率が高く少女ですら読み書きが出来る」「街が綺麗」「国が豊か」「道中来訪する市民多く理知的で気力あり」としている。
    また新井白石の詩は本国に持ち帰り教科書に採用されたり、中国にも渡ったとか。
    この章で一番おもろいのは新井白石と朝鮮側の喧嘩。朝鮮としては「我々ことが中華思想を正式に受け継ぐ国」と主張するも「いやいや、所詮明時代からだろ?ウチは古くは夏、殷、周時代からの文化を維持してたりするし。そもそもおたくが清の文化統合から免れてるのは我々が南に控えてるからだし。あと大昔の国王におたくの通信史が上奏してなかった?日本とは絶対に和平を維持してださいって。」と1400年代の通信史の記録を引っ張り出し、挙句朝鮮ではもう無くなってしまった高麗楽の演奏を始める。
    まぁ本人は気持ちよかったでしょうね。
    ただ。朝鮮の人達のメンツを丸潰しにしていいことがあるのかどうか。

    最終章
    対馬で対朝鮮を長年担当してきた雨森芳洲
    「朝鮮が弱く愚かってのは間違い。礼儀世界一ってこともない。大仏とか日光とか見せびらかしても相手はおやまぁ無駄遣いしてと呆れてるだけで日本の並木や提灯、蝋燭などにこそ驚嘆している。自分の文化基準で他国を評しちゃいかんよ。」と他文化共生を唱えている。
    対朝鮮23年、61歳の時の藩主への進言だそうな。

    国境って曖昧なんだよなぁ。
    対馬が日本であることは疑いの余地がないんだけど、朝鮮側からすれば「そうは言ってもですねぇ」と反論する人がいつの時代も何人かはいそうな感じ。

    朝鮮通信使について他の本も読んでみようと思います。

  •  朝鮮通信使を軸とした江戸期における日朝交流は「誠信外交」と呼ばれる。誠信とは互いに欺かず、争わず、誠意をもって交わることだ。この言葉は、たしかに当時の日朝外交の特質を捉えたものではあるが、同時に誤解を生みやすい。まるで狭い国益から解き放たれ隣人愛に溢れた隣国関係が続いたように思ってしまう。現実には、当時の江戸幕府も李氏朝鮮もともに国益を考えて始まったのが朝鮮通信使であった。
     江戸幕府には豊臣政権を廃して新しい体制を確立し、その権威を国際的に定着させ、新たな国際交易体制を整える必要があった。一方、李氏朝鮮側には壬辰倭乱の戦後処理(捕虜の帰国)をすすめるという理由とともに、北方の脅威(満州族の台頭)に備えるためには南方の脅威を取り除く必要があった。つまり、通信使を始めるのに明確な実利的理由があった。
     といって、その事実が「誠信外交」の価値を貶めることにはならない。興味深いことは、朝鮮通信使が始まる頃も、そして続いているときも、日本と朝鮮の双方につねに通底音のように「小中華主義」が流れていたことだ。それをなんとかしのぐことに日朝双方は知恵を絞り、とにもかくにも12回もの通信使の派遣・受入をこなしてきた。放置すればむくむくと膨れあがる文化優越主義に蓋をする役割を、「誠信」の二文字が果たしていたのである。
     その蓋がはずれたとき、明治日本は朝鮮進出に乗り出し、朝鮮併合へと突き進んでいった。本書が扱っているのは江戸期の話だが、いまにも生きる内容である。

  • 江戸時代、列島に海外の物産や情報をもたらしていた窓口の一つで、文化往来のみならず地域の安定に寄与していた朝鮮通信使について。文禄慶長の役の戦後処理を主目的とした通信使の登場から1811年まで全12回の通信使の来聘までを通し、日朝が互いをどのように認識・理解し、少なくとも外交上対等の相手として看做すようになったのかということが書かれている。
    ●寛永年間の柳川一件(対馬藩の国書改竄がばれた)後、それまで対馬が比較的好きにやってきた朝鮮との通商と外交を幕府がほぼ一元的に取り仕切るようになり、将軍の他称を「王君」に変え、国書を明年号ではなく日本の年号を用いるようになったこの時期が日本が華夷秩序から自立し日本を中心にした?中華?外交をしようとしたとし、その方向性は、林羅山のような知識人の伝統的な日本優越意識を押さえて(もちろん朝鮮も日本に対する伝統的な優越意識があった)、対等な関係を朝鮮との間で作りあげようとしたとしている。そうした観点から著者は通信使の歴史を整理していること。
    ●一方で朝鮮側は、あくまで華夷秩序内での同格としなければいけない立場だから根本的に日本と違うけれど、両国はそれなりに上手くやってきたこと。
    ●例えば朝鮮のように名分と上下の秩序を重視する国の筋からすると矛盾している、天皇と将軍家の身分関係についての解釈、将軍が国内では王ではなく「御所」と呼ばれていることなどについてどう理解すればいいのか、通信使たちが観察したり聞いたりしたことをもとに、ああでもないこうでもないと言いつつ、それなりに正しい理解に達し(「官位と職掌が相去ること千里」ではないかと疑問を投げる通信使に対し、朝鮮について造詣が深かった対馬の雨森芳洲は、説明したって分からないだろうから言わない、というような返答をしている。ちゃんと教えてあげる人はいなかったのだろうか)、かなり強引な新井白石の聘礼改革や柳川一件の始末など朝鮮側から見れば日本が少々規格外の行動をとった時でも事を荒立てないぐらい賢明だったことなどが分かる。

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著者プロフィール

1936年生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。京都造形大学客員教授。日朝・日韓関係史専攻。
著書:『朝鮮通信使と徳川幕府』、『朝鮮通信使と壬辰倭乱』、『朝鮮通信使をよみなおす――「鎖国史観」を越えて』、『朝鮮通信使の足跡――日朝関係史論』以上、明石書店。『朝鮮通信使――江戸日本の誠信外交』(岩波新書)、『大系 朝鮮通信使』(全8巻、辛基秀との共編、明石書店)ほか、多数。
京都国際交流賞、京都新聞学術文化賞受賞。

「2017年 『ユネスコ世界記憶遺産と朝鮮通信使』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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