親鸞をよむ (岩波新書)

著者 : 山折哲雄
  • 岩波書店 (2007年10月19日発売)
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  • レビュー :6
  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004310969

作品紹介

今、あらためて親鸞をよむ。頭で「読む」のではなく、からだで「よむ」。それは、描かれたその面がまえから、残された筆跡、歩いた道筋から、そして主著『教行信証』や"和讃"の言葉から親鸞の息づかいを感じとり、その苦悩にふれる営みである。加えて妻・恵信尼の自筆文書を新たな視角で読み解き、親鸞九十年の生涯の到達点に迫る。

親鸞をよむ (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • (2016.05.25読了)(2016.05.22借入)
    題名からすると、親鸞の著作からなにかを読み取ろうとする作業かなと思ったのですが、そうではなくて、著者が親鸞をめぐって感ずるあれこれを綴ったエッセイのようです。
    一般の人が親鸞から受ける印象は、「歎異抄」の悪人正機、という言葉や「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という文章を思い出すのではないでしょうか。
    でも、「歎異抄」は、親鸞の著作ではありません。山折さんは、親鸞の著作である「教行信証」の方を重視しています。「教行信証」をいきなり読むのはしんどそうなので、とりあえず、山折さんの「教行信証を読む」にでもあたってみましょうか。
    第七章で、恵信尼の残したという「音読無量寿経」が紹介されています。「無量寿経」を耳で聞きおぼえて、それを、当て字の漢字と仮名書きで書き残したもののようです。
    「音読無量寿経」を見た感じでは、恵信尼さんは、漢文のお経を直接読むことはできなかったような印象です。やはり、漢字は、公卿や僧侶の男子のもので、女子は普通は、仮名書きまで覚えればよかったということなのでしょう。

    【目次】
    序章 ひとりで立つ親鸞
    第一章 歩く親鸞、書く親鸞―ブッダとともに
    第二章 町のなか、村のなかの親鸞―道元とともに
    第三章 海にむかう親鸞―日蓮とともに
    第四章 弟子の目に映った親鸞―唯円と清沢満之
    第五章 カミについて考える親鸞―神祗不拝
    第六章 親鸞をよむ―日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間
    第七章 恵信尼にきく―日本思想史の背後に隠されていた「あま・ゑしん」の素顔
    あとがき

    ●墓好き・骨好き(13頁)
    鎌倉時代の「改革」運動のすべては、やがて「先祖崇拝」という名のより大きな信仰の流れに呑みこまれていく。法然や親鸞、道元や日蓮などの個性的な匂いが蒸発し、ご先祖様を軸とする「墓崇拝」、「骨崇拝」へと姿かたちを変えてしまった。
    現代日本人の「宗教嫌いの墓好き」、「信仰嫌いの骨好き」も、そこに由来する。
    ●和讃(33頁)
    「和讃」というのは、仏教讃歌の一種のことである。
    漢字と片カナを用いて七五調の句にし、それをつらねてつくることが多い。またこれに曲節をつけて朗誦する。平安時代の中ごろに成立したとされ、鎌倉時代に入って民衆のあいだにひろまった。
    ●親鸞(35頁)
    親鸞という名が天親の「親」と曇鸞の「鸞」から合成されたものである
    天親と曇鸞は親鸞が私淑し尊敬した浄土教の先駆者である。天親はインド人、曇鸞は中国人であり、「七高僧」のうちの二人である。
    七高僧とは、インドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、そして日本の源信・源空をいう。
    ●移住農民(49頁)
    稲田の周辺一帯が北越からの移住農民によって開拓された土地であった
    「移住農民」は北越から役畜にひとしい労力としてつれてこられた「下人」たちであり、なかにはその下人身分から解放されて自営農民となった「新百姓」もいたであろう。
    ●「教行信証」(133頁)
    『教行信証』は『歎異抄』とは違って親鸞自身が自分の手で書いた著作だった
    『教行信証』こそが、親鸞という存在を読解するための第一次資料であって、『歎異抄』は第二次資料ではないか
    ●『教行信証』の主題(149頁)
    この作品に展開されている重大なテーマはただ一つ、父殺しの罪を犯した悪人ははたして宗教的に救われるのか、という問題だった。
    ●五逆(151頁)
    五逆とは、父殺し、母殺し、聖者殺し、および仏のからだを傷つけ、教団を破壊する者、をいう。

    ☆関連図書(既読)
    「歎異抄」釈徹宗著、NHK出版、2016.04.01
    「梅原猛の『歎異抄』入門」梅原猛著、PHP新書、2004.06.02
    「歎異鈔」唯円著・梅原真隆訳、角川文庫、1954.10.05
    「歎異抄」杉浦明平著、岩波書店、1983.10.18
    「出家とその弟子」倉田百三著、角川文庫、1951.08.20
    「最後の親鸞」吉本隆明著、春秋社、1976.10.31
    (2016年5月28日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    今、あらためて親鸞をよむ。頭で「読む」のではなく、からだで「よむ」。それは、描かれたその面がまえから、残された筆跡、歩いた道筋から、そして主著『教行信証』や“和讃”の言葉から親鸞の息づかいを感じとり、その苦悩にふれる営みである。加えて妻・恵信尼の自筆文書を新たな視角で読み解き、親鸞九十年の生涯の到達点に迫る。

  • 親鸞を「頭」で読むのではなく、親鸞その人に対面することをめざした本ということですが、親鸞について著者が比較的自由に思索を展開させたエッセイのような叙述になっています。

    『教行信証』の中で、親鸞が「神祇不拝」を主張しつつ、現世利益の源泉としての神祇を肯定的にとらえるような叙述をおこなっているところに注目しているのは、宗教民俗学を専門とする著者らしいという気がします。この問題についての著者の結論は、「あれかこれか」というイデオロギー的な呪縛から解放された親鸞のコスモロジー的思考を積極的に認めるべきだというものです。

    また、親鸞とその妻である恵心尼の関係についても、興味深い考察が展開されています。著者は、恵心尼の「尼」は出家者を意味する「尼」というよりも、むしろ夫を喪った未亡人を意味する「尼」である可能性が高いという考え方を示し、親鸞の思想を受容した人物としてではなく、親鸞とともに「非僧非俗」の立場をさぐりつつ生きる女性として理解しようとしています。そして、「恵心尼文書」の中に見られる『無量寿経』の書写断片を手がかりに、みずからのうちにある「執心自力」の根強さにおののく親鸞が、『無量寿経』を静に音読している恵心尼の姿を見て、心を打たれたのではないかという推測が示されています。

  • 著者にとっての親鸞を説いた、という印象を受けた。
    あまり親鸞の話が広く知れるわけではなかった。

  • [ 内容 ]
    今、あらためて親鸞をよむ。
    頭で「読む」のではなく、からだで「よむ」。
    それは、描かれたその面がまえから、残された筆跡、歩いた道筋から、そして主著『教行信証』や“和讃”の言葉から親鸞の息づかいを感じとり、その苦悩にふれる営みである。
    加えて妻・恵信尼の自筆文書を新たな視角で読み解き、親鸞九十年の生涯の到達点に迫る。

    [ 目次 ]
    序章 ひとりで立つ親鸞
    第1章 歩く親鸞、書く親鸞-ブッダとともに
    第2章 町のなか、村のなかの親鸞-道元とともに
    第3章 海にむかう親鸞-日蓮とともに
    第4章 弟子の目に映った親鸞-唯円と清沢満之
    第5章 カミについて考える親鸞-神祗不拝
    第6章 親鸞をよむ-日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間
    第7章 恵信尼にきく-日本思想史の背後に隠されていた「あま・ゑしん」の素顔

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 決して入門書ではない。著者が親鸞について書いた文章を集めたもの。

  • 面白くなかった。テーマは面白いが、いかんせん、文章力が乏しく、また何が言いたいのかもわからなかった。
    最近の岩波新書は愚作が多い。地に落ちたもんだ。

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