不可能性の時代 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 678
レビュー : 70
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311225

作品紹介・あらすじ

「現実から逃避」するのではなく、むしろ「現実へと逃避」する者たち-。彼らはいったい何を求めているのか。戦後の「理想の時代」から、七〇年代以降の「虚構の時代」を経て、九五年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。大澤社会学・最新の地平。

感想・レビュー・書評

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  • 読み進めてくうちに今の時代の感覚に近づいてきてる感ありました。すべて理解できたわけではないのでまたちょくちょく読み返したいです。

  • 「現実」に逃避しているとして挙げられる「現実」の例が、リスカ、リアリティショー、アニメオタク。作者は一体どんな環境に日頃身を置いてるのか。Twitter?馴染みのない身からすれば、せめて全人口の何割がそれぞれにハマっているのか数字が出されてると分かりやすかったと思う。

  • 『社会学史』があまりに面白かったので、大澤さんの別の著作にも手を出してみた。

    戦後日本を、理想の時代→虚構の時代→不可能性の時代、と遷移してきたと論じる。『虚構の時代の果て』で、オウム真理教事件を分析して、その時代の限界と終焉を論じた著作を継いで社会学的に現代を分析したものだという。

    著者は、二つの少年犯罪を異なる時代の背景を反映したものとして、大きく取り上げる。一つが、永山則夫であり、もう一つが少年Aとして知られる神戸連続児童殺傷事件である。二つの少年事件の対照性を語り、時代の変遷を語る。この二つの少年殺人事件の類似と相違点が理想の時代と虚構の時代を分ける鍵となると結論づけるのである。

    そして、宮崎勤による殺人事件を語り、オウム真理教の地下鉄サリン事件を虚構の時代の終わりと位置付ける。東氏や北田氏を引きながら、オタク文化や2ちゃんねるなどのアングラ文化を語り、美少女ゲームなどにも触れる。
    しかしながらオタクについて「オタクという現象には、さまざまな逆説と謎が詰まっている。本章は、そうした謎を解いたわけではない。まずは、謎を謎として提起したのである」とすることで済ましてしまうのである。

    そこに村上春樹の『羊をめぐる冒険』などを放り込んでくる。
    「軽さ」、決して良い意味での軽さではない「軽さ」が前に出ている。

    時代の考証を、神戸やオウム、宮崎勤などの個の事件によって語るやり方が自分が思う社会学的な姿勢ではないように思う。フーコーはそうではなかったし、本書で時代考証の素晴らしい実例として引かれたジョン・ダワーのやり方とも異なっている。

    『社会学史』を読んで高まった期待に沿うものではなかった。残念。

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    『社会学史』(大澤真幸)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062884496
    『敗北を抱きしめて(上・下)』(ジョン・ダワー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000244205
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000244213

  • 戦後から現在までを社会学的に丹念に分析したのち、現代の閉塞を突破する門を見出す。新書レベルでは中々お目にかかれない密度の高さ

  • 思索

  • 「はじめての新書」フェアで気になった本

  • 同著者『虚構の時代の果て』とセットで読むのがいいと思う。『虚構の時代の果て』でまず筆者の言わんとする「虚構」の概念、枠組みを捉えた上で、「虚構」がどのようにして「不可能」へとすり替わる・移行するのか、その過程に目を向けた本『不可能性の時代』であるという印象。

    実例として取り上げられているのが子供時代のわたしにも強く印象に残った(かつ多くの人も覚えているであろう)かつての少年犯罪の数々なので、理解しやすい。時代の変遷に伴い、少年犯罪の加害者の心理、動機が全く反転しているという指摘が面白かった。
    「オタク」をめぐる様々な概念についても、オタクの社会の捉え方、他者との関わり方等々、言われてみれば思い当たるようなふしも多いし、自分が感じていたことや違和感を平易に言語化してもらえたようで、頭がすっきりした。

    この本が出版されたのはちょうど10年前の2008年。今でも「不可能性の時代」が続いているのか、また別のフェーズに来ているのか、「今」がどんな時代である(あった)かというのはやっぱり10年くらいは待たないと解説できないものなのかな。「振り返る」形でしか社会学は機能しないものなのかと思えば限界を見るようでさみしいし、でもそれもそうだよなとも思う。難しい。

  • 歴史上の出来事を踏まえこれからの未来について構造主義的に捉えている。

  • 2008年刊。著者は京都大学大学院人間・環境学研究科教授。◆理想(45~60)→夢(60~75)→虚構(75~90)という戦後時代変遷に関する見田宗介の分析を肯定的に継承し、地下鉄サリン事件(95)が虚構時代の終焉を顕わにしたとしつつ、以降を「不可能性の時代」と見て、90年代~の時代相を解読する。◆相当面白いが、幾許かの疑問も。◆社会構成者の一部で、購読層・愛好者も限定されるサブカルチャー。これへの批評を社会批評につなげられるか、社会全体への評に拡散できるか。この種の議論の根本的疑問は解消されず。
    ◇持って回った言い方だが、現代政治思想は、実は先祖返りに過ぎないとの疑念。◇リスクに関し、マイナス面を地球が負担するのか(温室効果ガス・核廃棄物)、社会が負担するのか(大気汚染等の公害)、地域が負担するのか(嘉手納爆音問題)、個人が負担するのか(交通事故)による差があるのに、リスクを選択・決定のみに相関させる立場(著者が引用し前提とするルーマン)の持つ甘い分析への配慮がない。モータリゼーションは社会選択の帰結だが、そのリスクの及ぶ歩行者の選択下にはない。社会選択と個人選択を混同したままの議論。
    ◇表現の自由と名誉権との対立に同値の問題提起(241頁)につき、対立止揚の手法(害悪の具体的分析を通じて、場合に応じて優劣決定)において、本書は余りにも大鉈過ぎな論。◇グローバル資本主義の志向はルール一元化、多元的文化主義とは非整合的。が、これを整合的とする本書の説明(225頁)が意味不明。◇監視社会の容認を「見られることへの欲望」に依拠する本書。が、監視によるメリット享受(安全・簡便な情報取得等)+監視に伴う害悪の不可視化や監視者自体の透明化・不可視化に帰着なだけ(ストーカーの監視は欲しない)。

  • 戦後という時代を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」の3つに区分し、それぞれの時代における「第三の審級」のあり方について考察しています。

    オウム真理教事件やオタク文化が現代の日本社会のある側面を示していることは間違いないとしても、それらに焦点化する形で戦後日本社会の総体を把握することができるのか、という疑問はもっともだと思います。ただ本書は、戦後日本社会を包括する試みではなく、見田宗介の『現代社会の理論』や『社会学入門』(ともに岩波新書)から、オウム真理教事件を中心に現代社会を論じた著者の『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)への展開を改めてたどりなおし、同時に『虚構の時代の果て』から東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)への展開に対する応答の試みとして理解するべきだと思われます。

    個別の議論では興味深いところも多くあるのですが、本書の議論の背景をなしている理論的な枠組みは、第三の審級をたえず繰り込んでいく資本主義の運動に対する否定神学的な解決なので、既視感は否めないように思います。

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著者プロフィール

1958年、長野県生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。専攻は理論社会学。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。思想誌『THINKING「O」』(左右社)主宰。著書に『ナショナリズムの由来』『〈世界史〉の哲学』(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『〈自由〉の条件』(講談社文芸文庫)、『自由という牢獄』(岩波現代文庫)、『「正義」を考える』(NHK出版新書)、『社会学史』(講談社現代新書)など。共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)、『資本主義という謎』『憲法の条件』(NHK出版新書)など。

「2019年 『戦後思想の到達点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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