- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004311249
作品紹介・あらすじ
うっかり足をすべらせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう。今の日本は、「すべり台社会」になっているのではないか。そんな社会にはノーを言おう。合言葉は「反貧困」だ。貧困問題の現場で活動する著者が、貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしく生きることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語る。
感想・レビュー・書評
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この著者のことは、ワーキングプア関連のテレビ番組で知った(多くの人がそうだろう)。あの「年越し派遣村」の“村長”役でもある。
穏やかな話しぶりの中にも強い意志を秘めた様子に、「この人、只者じゃないなあ」と感じて興味を抱いた。
本書は、著者のこれまでの活動をふまえた、いまの日本の「貧困問題」の概説書である。優れた運動家である著者が、同時に一級の論客でもあることを示す好著になっている。すこぶる論理的で明晰な文章。それでいて、その底に著者の熱い思いを感じさせるところがよい。
貧困を「自己責任」とする論者への反論が、ていねいになされている。私自身の心の中にもあった、「そうはいっても、ワーキングプア(あるいはホームレス)になった側にも責任の一端はあるだろう」という先入見を突き崩され、蒙を啓かれた。
後半では、著者が事務局長をつとめる「もやい」など、貧困問題解決を目指す人々の連帯の広がりがリポートされる。
「政府が悪い、大企業が悪い」と批判しっぱなしで終わるのではなく、相手の歩み寄りも是々非々で評価しつつ、少しずつ現実を変えていこうとする粘り強さに好感を抱いた。
印象に残った一節を引く。
《貧困状態にまで追い込まれた人たちの中には、立派な人もいれば、立派でない人もいる。それは、資産家の中に立派な人もいれば、唾棄すべき人間もいるのと同じだ。立派でもなく、かわいくもない人たちは「保護に値しない」のなら、それはもう人権ではない。生を値踏みすべきではない。貧困が「あってはならない」のは、それが社会自身の弱体化の証だからに他ならない。
貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。誰も、弱い者イジメをする子どもを「強い子」とは思わないだろう(209P)》詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は生活困窮者に対する生活相談を行うNPO法人〈もやい〉の代表を務める湯浅誠氏。
著者が貧困問題に取り組む上で独自に生み出した概念で、本書に紹介されているのが「すべり台社会」と「溜め」である。
第2章で、2007年3月25日付東京新聞に掲載されたセーフティーネットの三層構造を図示したものがオープニングで掲載されているが、その図の中に「ここから落ちた人はどうなっちゃうんだろう…」とつぶやく男性の姿が強烈に印象に残る。
この公的扶助のセーフティーネットからうっかり足を滑らせてしまったら、二度と這い上がれなくなる。このような現代の日本社会を著者は「すべり台社会」と名づけた。
また、第3章ではアマルティア・センの「潜在能力」に相当する概念を”溜め”という言葉を用いている。溜池の「溜め」である。
溜めとは、金銭であったり、両親や頼れる親族など人間関係であったり、自分を大切にできる精神的なものも含まれる。
貧困とは、これらの”溜め”がない状態を言う。
筆者はこれ以外にも、様々なデータや政治的な動きなどから、貧困問題は自己責任ではなく社会の問題だと言い切る。
終章では、反貧困運動を連帯させ、強い社会を目指そうと高らかに歌い上げる。
著者の高い精神力と正義感を感じるだけでなく、わが国の社会の暗部に直面する素晴らしい著作である。 -
昨年末に働きたくないブロガー(笑)のPhaさんのブログで、2014年に読んだ本で良かった本の1冊として紹介されていたので読んでみました。
かなり衝撃を受けました。良書です。
この本は2008年に発刊されており、その頃の僕は割と給与の良い会社で働いていた時期でもあり、世間で話題になっていた年越し派遣村やワーキングプアという言葉にピンときていませんでした。意味は理解できるものの、実感しにくいというか。
●3層のセーフティーネット。3つ目の生活保護は、非常に弱いセーフティーネットであること。2つ目のセーフティーネット(社会保険など)から漏れてしまうと、3つ目のセーフティーネットはいまいち機能していない為、一気に生活そのものができなくなる。
●貧困は自己責任で解決できる問題ではない。
貧困は戦争に繋がる大きな原因となる。
●富裕層から貧困層は見えにくくうまく隠されている。逆に貧困層から富裕層はテレビなどの媒体で見えやすい。
●「溜め」の考え方。これが個人的に一番衝撃的な考え方でした。僕はまだまだ恵まれている。
もっともっと勉強しなければいけないし、僕が社会に何ができるのか?真剣に考えたほうがいいなと感じました。
著者のその他の本も読んでみようと思います。 -
2008年刊行時に「「まじめに働いてさえいれば、食べていける」状態ではなくなった。」(P21)、雇用(労働)のネット、社会保険のネット、公的扶助のネットの綻びが露呈してきていると指摘されていました。コロナ禍で、やっと人ごとではなく、助け合いによる溜めをつくる必要性に気付いたような気がします。
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著者は反貧困ネットワークの事務局長で、特に「生活保護」の面から日本の貧困の実態や政策、「反貧困」の現状について書かれています。
最近(2009年現在)の好景気では上り調子なのに貧困が減らないといったデータに基づく説明があったり、貧困に苦しんでいる方々が如何に「ネットカフェ難民」に至ったかのようなリアルな暮らしぶりがかかれていたり。
普段我々が貧困にならずに済んでいるのは、様々なセーフティネットによって守られているからである。しかし貧困にあえぐ人たちは、それらにより救われていない。例えば生活保護の申請で役所に門前払いされたり、非正規雇用しかないため失業するとどうしようもなかったりする。ある人は仕方なく多重債務することになるが、過払い金を払い戻せるような法律家の「ツテ」はもちろんなかったりする。
こういった単なる金銭的な「貧乏」だけではなく、様々なつながりの不足が貧困からの脱出を阻んでいる、ということがよくわかる。
我々は、貧困は「自己責任」ではないと意識すべきであり、互いに足を引っ張りあって「底辺に向かう競争」をしてはならない。 -
最近また少し労働問題とか雇用問題に関する本を読んでたところに、湯浅誠の本を見つけたので購入。そういえばまだ読んでなかった。
自分がまだ前の職場にいるとき、派遣切りが問題になって年越し派遣村の村長をやられていたのをよく覚えている。当時自分が正規職員じゃなかったこともあって、身近な問題として感じていた。このまま非正規でしばらく働いて、もし職を失ったらそのあと就職できるんだろうか、という不安。今は運よく正職員で働けているけど、今も同じような不安を抱えている人は大勢いるんだろうなと思う。「すべり台社会」とは的を射たネーミングだと思う。
「溜め」や「下向きの平準化」など、いくつか心に残ったキーワードがある。
“なぜ貧困が「あってはならない」のか。それは貧困状態にある人たちが「保護に値する」かわいそうで、立派な人たちだからではない。貧困状態にまで追い込まれた人たちの中には、立派な人もいれば、立派でない人もいる。それは、資産家の中に立派な人もいれば、唾棄すべき人間もいるのと同じです。立派でもなく、かわいくもない人たちは「保護に値しない」のなら、それはもう人権ではない。生を値踏みすべきではない。貧困が「あってはならない」のは、それが社会自身の弱体化の証だからに他ならない。”
安倍内閣になって「一億総活躍社会」とか言うんだったら、弱者を切り捨てるような社会にしていてはいけないと思うのは自分だけだろうか。最低限度は守るようにしないと。この本で言うところの「溜め」を保つようにしないと。
個々のさまざまな案件に当たりながら、複雑に問題が絡み合う貧困問題をどうしたら総合的に解消していけるのか、さまざまな方面と協働していることがよく伝わってくる。現実離れした机上の空論でもないし、個々の事例に埋没しているわけでもない。読んで良かった。 -
この本を読むことで生活保護についての考え方が少し変わった。この本で書かれている”溜め”という言葉はかなりポイントが高い。確かに”溜め”がないと滑り落ちた時に這い上がるのは難しく、負のスパイラルに陥るかもしれない。。。自分は恵まれていると感じるとともに、1回の失敗で這い上がれない社会をどのように改善していくか考えられる一冊となった。
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貧困は、見えにくい。
ある層の人々からは、存在しないことにできてしまう。
その上に覆いかぶさる、自己責任論。
それを内面化することにより、セーフティーネットから落ちた人は、自分自身をも疎外する。
自分なんてどうでもいいんだ、となり、どうにもならないところまで自分を追い込んでいく。
こんな社会、何かがおかしい。
自分自身もちょっとしたきっかけで自分だって貧困層になりかねない、と思う。
とはいうものの、上記の自己責任論的発想から抜けきれない。
本書では、アマルティア・センの貧困論で、自己責任論の誤謬を指摘してくれる。
センによれば、生活上の望ましい状態(センの用語のでは「機能」)を達成する自由(同様に、こちらは「潜在能力」)が奪われている状態が貧困である、という。
だからいわゆる絶対的貧困ラインより上にいる人でも、例えば移動の自由がない状態であったり、教育を受けられなくてなりたいものになれない状態ならば、貧困だということになる。
「若いんだから、働けばいいでしょう?」
何社も応募しても、どこも不採用なのに、どうやって働くの?ってことだろう。
さて、本書の後半は社会活動として反貧困運動の組織化が論じられている。
困窮した人を助けるのは大事だけど、それだけでは限界があるからだ。
居場所を作ること、互助組織を作ること、法律家などと協力して、不当な処遇に異議申し立てできる体制を整える活動などが立ち上げられているとのこと。
本書を読むと、湯浅さんたちの活動により、大分状況は良くなったんだろうなあ、と思うけれど。
もう出版されて十年。
あれから、格差論争とか、学生の奨学金問題、ワンオペ勤務、ブラックバイト、そうして今は過労死・過労自殺も問題視されている。
そう考えていくと、本書では扱われている貧困の問題は、形を変えて今もまだ継続中、と思ったほうがいいのかも。 -
「児童虐待は貧困と最も強く結びついている」「生活保護基準は最低生活費としての意味合いがあり、最低賃金や各種福祉政策の対象基準などに連動している」など今読んでも新たなきづきがある。2008年の本であるが、ほとんどの内容は今でも通用する。リーマンショックなどもあり、状況は悪化している面もある。このあと派遣村、政権交代などがあり、筆者も政府に入ったりして、まさに最大のキーマンとして貧困対策を進めていった。その意味で本書は日本の貧困問題の原点といえるかもしれない。生活保護の捕捉率向上、自殺者減少など目に見える成果もあったが、再びの政権交代でせっかくのモメンタムが消えてしまった感があるのはまことに残念。
まず第一部の事例に圧倒される。これらの具体例を常に思い返して怒りを持続させよう。貧困とは無縁そうなコメンテーターが生活保護についてあさっての方向の意見をしゃあしゃあと話してるのをみたら、この事例を思い出して、ふざけるなと怒りの意見を番組や視聴者へぶつけてみよう。
そして事例の提示だけでは終わらず、考察や問題解決への提言などを含む第二部。副題でもある「すべり台社会」や「溜め」といったキーワードは忘れないようにしたい。
あえていう。2016年の日本を考えるキーワードは、憲法、安全保障、テロ、少子化などではないと。格差でもない、貧困だ。そうあるべきだと。
著者プロフィール
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