漱石 母に愛されなかった子 (岩波新書 新赤版1129)

  • 岩波書店 (2008年4月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004311294

みんなの感想まとめ

母からの愛情の欠如が漱石の作品の根底にあるテーマであり、彼の人生と作品が深く結びついていることが浮き彫りにされます。著者は、漱石がこの問題を通じて自我や他者との関係を探求し、笑いや狂気といった人間の根...

感想・レビュー・書評

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  • 一人の女性をめぐって、三角関係に陥った二人の男性が、自殺することで自らの生き方の筋を通そうとする。

    そこのところを、教科書を作っている人たちが高校生に読ませたがる、そういう、小説「こころ」。

    しかし、この小説の面白さ、本当の悲劇性は「悲しくなってしようがない」奥さんを描いているところにあると僕は思います。

    現代社会に生きる僕から見て、先生やKのような男性にさほどのリアリティを感じることは出来ません。現代にも通じる普遍的な悲しみは、むしろ、この奥さんの悲しみの方にあるのではないでしょうか。

    三浦雅士は、評論「漱石」の中で、作家漱石を母の愛を疑い続けながら、その疑いを隠し続けた人間として捉え、彼のすべての作品の底には、その〈心の癖〉が流れていると論じています。

    たとえば、ユーモア小説として名高い「坊ちゃん」の下女「おきよ」に対する、偏執的とも言える坊ちゃんの甘え方は、その具体例であるという具合に。

    三浦の論に、誰もが納得できるかどうかはわかりません。しかし、僕には先生とお静のなにげなく、しかし、哀しい場面を引用し、漱石の〈心の癖〉が露見しているという三浦の指摘はかなり納得のいくものに思えます。

    ここにこそ、漱石の作品の凄さがあるのだと思うからです。
    https://www.freeml.com/bl/12798349/1000018/

  • 漱石の文学的主題は、捨てられるのがこわいから、相手に捨てられる前に捨ててしまうという、 心の「癖」のようなものだった。『坊っちゃん』から『明暗』にいたる、いうならば、漱石文学の交響曲にあたる主要な小説は、その主題をめぐって階段を上るように、一つ階を上がるたびに新しい視野が開けるようにして書き続けられた。漱石自身が自らに問い続けた「今の自分はどうして出来上がったのか」という問いは、漱石が母に愛されなかった子であるという事実に由来する、というのが三浦雅士の着眼点である。

    母が子を愛しているかどうかなどという問いは成立しない。母親自身に聞いてみたところで分かるはずがないのだ。人は誰でも、自分は母に愛されているのかどうか、という問いを一度は自分の心に問いかけるものだ。多くの人が思春期にそうした疑念を抱きながらも、とことん問いつめることなく年とともに忘れてしまう。漱石にはなぜそれができなかったか。

    漱石は、母親が懐妊を恥じるくらいの年になってから生まれた子である。生まれてすぐに貧しい道具屋夫婦に里子に出され、四谷の夜店に並べられたがらくたと一緒に笊に入れられていたところを可哀相に思って姉が連れ帰ったというエピソードが『硝子戸の中』にある。その後も養子に出されるが、養父母の側の問題で大きくなってから実家に返されるという経験をしている。母親が愛してくれていたのか、という疑念を抱いても不思議はない育ちなのだ。

    『坊っちゃん』の中に、お前の顔など見たくない、と母親に言われたので親戚の所に泊まりにいっていたら母親が死んでしまい、死に目に会えなかった。こんなことになるのならやめとけばよかったと後悔するくだりがある。建前上の言葉と分かっていながら相手の言葉を文字通りに受けとめて「じゃあ、 消えてやる」と行動してみせるのは、甘えであり、僻みである。

    漱石の小説の主人公は、相手の女性を愛していることに気づかず、愛されてないという答えを聞くのが恐ろしいばかりに、先に自ら捨ててしま う。捨てられるのがこわいから、相手に捨てられる前に捨ててしまうという、このパターンが、どの小説にも現れることに三浦は着目する。これは、母親に愛さ れてなかったという事実を知ることがこわいために、先に母親を捨てた自身の心の無意識の反映だろうというのだ。

    この骨絡みの愛憎に終生取り憑かれながら、漱石は小説を書き続けた。一作ごとに、自分の知らない自分の心を、作家ならではの想像力を通して、他者になりきることで明らかにしていったのである。自分とは畢竟他者にほかならないのだ。

    今まで、漱石について書かれた評論はいくつも読んだが、これほど作家とその作品を綯い交ぜにして、まるで小説のように読ませてくれる評論は はじめてである。丸谷才一ばりの「です、ます調」と「だ、である調」を混在させた文章は、初めは異様に感じるのだが、新字新仮名でカギや改行なしに引用される漱石の文章が、三浦自身の文章に自然にとけこむように工夫されているので、いつのまにか漱石の講演を聴いているような気がしてくる。

    新書版で発表されることを意識してか、難解な理論もかみ砕いて誰にでも分かるように書かれているし、出てくる名前もベルグソンは別としてフロイト、ニーチェ、マルクスと一般的なものに限っている。漱石の作家論として読んでも画期的な評論だが、それだけでなく、自分というものがどのようにして作られるに至るのかという哲学的とも言える考察が随所に挿入されたエッセイとして読んでも面白い。三浦雅士が初めてという読者にはうってつけの入門書であ る。

  • 漱石は母に愛されなかった子だった。

    少なくとも漱石はそう思っていた。

    そのことはたとえば『坊っちゃん』を読めばすぐに分かります。

    と著者は漱石のことを分析した。

    そして、そのことに起因して数多くの漱石の作品が書かれたのだと主張する。

    歩んだ人生との因果関係を探りながら、すべての作品のそのテーマの連関状況の説明をしている。

    漱石の考え方にはマルクスやニーチェやフロイトに通じるところがとても多いとする著者の分析は、さすが現代を代表する文芸評論家であると思った。

  • <知のプロデューサーによる漱石論>
    漱石の取り組む課題は反復する。
    反復される課題は螺旋階段を上がるようにレベルアップしていく。

    漱石の小説群を<母に愛されなかった子>という視点から、一望の元に照らし出す力技。
    漱石の凄さは、<母に愛されなかった>のは何故かという主題を突き詰めていくことで、自我の問題-笑い、自殺、狂気-、そして他者の問題に深く深く水鉛を下ろしていったことにある。
    これはほとんど20世紀の哲学的難問にたった一人で立ち向かう孤高の哲学者の振る舞いだ。
    西洋哲学をほとんど学んだことのない明治人漱石が、その頭脳だけを頼りに、世界の哲学の最前線で思考していたことに驚く。

    作者三浦雅士は、1980年代雑誌「現代思想」の名物編集長。
    彼がプロデュースした新進気鋭の学者たちが、80年代ニューアカ(ニュー•アカデミズム)のうねりを作り出していった。
    栗本慎一郎、岸田秀、廣松渉、丸山圭三郎、蓮實重彦、樺山紘一、西部邁、高階秀爾、浅田彰。。。と、綺羅星のような知を世に送り出していった。

    その敏腕プロデューサーの眼から見た漱石は、
    証明不可能の愛の領域に踏み込む、愚直で孤高の天才としての相貌を明らかにする。
    漱石が、「明暗」で挑んだ<人が人に、認められるとはどういうことか>という<承認をめぐる謎>が、途中で出し抜けに終止符を打たれてしまったのが悔しい。

  • 夏目漱石の作品から、彼の「じゃ、消えてやるよ」という「心の構え」をすくい上げ、漱石が望んだほどには得られなかった(と少なくとも漱石は確信している)母の愛と、それによって生まれた漱石の、無意識の苦悩と対決を指摘する文芸評論。

    私は漱石が嫌いなんだけど、なんで私が漱石が嫌いか、核心をつく答えがここにあった(笑)

    もっとも、著者の三浦雅士さんはそれを指摘しつつも漱石がたぐいまれなる天才だと信奉してやまないわけだが…

    自分を愛さなかった母を罰するために、愛を受け取らず、女たちを殺したり虐待したりする。小説の中で。だけど現実の漱石も相当酷い…扱いを、女性たちにしている。彼にとっては女とはそもそも人間じゃない。対等な人間じゃない。

    「他者の観点に回り込んでいる」と三浦さんは書いてるけど、そうじゃないんだよなぁ。徹底して、漱石は、女性たちの心なんかわかってない。「相手の立場」になんか立ってない。ただ、自分の理論を相手に当てはめて先回りして「そうなんだろう」と決めつけて相手をいじめているだけだ。

    だから、漱石は、涙にくれる女性たちを「書いている」んだけど、「わかってない」。三浦さんのいう「無意識」とはそれのこと。自分が何と向き合ってるのかわかってない。だから何度も同じことをくり返す…(三浦さん曰く、「後退」さえする)。

    うーん。人は漱石を神経症だというけど、私、彼はパーソナリティ障害だと思う。今だったら、自己愛性パーソナリティ障害と名前がつくんじゃないか。

    例えば、東京が私を適切に扱ってくれないから、東京を罰するために松山に行く、松山が私を適切に扱ってくれないから、松山を罰するために熊本に行く…ってどんだけ…。いや別に、あなたがいなくなっても東京も松山もなーんにも困ってないから…(^_^;

    文中に時々フロイトの話が出てくるけど、いや…そこは…そういうことではないんじゃないか…。むしろ漱石を説明するのはクラインの方が適切では…と、心理学徒としては言いたい。

    あと、文体が非常に読みづらい。である調とですます調が一文ごとくらいに混在してて、それを三浦さんご自身は自分の文体の味と思ってらっしゃるのかもしれないが、非常〜に読みづらい。

    まぁ、もし漱石が天才?なんだとしたら、自己愛性パーソナリティの人の心の内をつぶさに(無自覚に)書き記したっていう意味でだと思うな…

    うーん。そうそう、だから漱石が嫌いなんだよね、と苦い煙草でも噛むように読みました。

  • 幼少期、もっと言えば胎内に生じたその時から二十代後半まで抱えていた問題、そのほとんどが肯定感の欠落と承認者の不在に依る不安だが、漱石との共通性に対してまず驚いた。それに伴って、過去に存在していた世界を身体上に再生する能動的行為が漱石という輩を得て、半強制的に行われることになった。ほとんど義務のように感じさせるタイミングで。過去の記憶が何かに阻害され、記憶障害と呼んで差し支えないほど回想すらできないまま生きてきたことは一つの投げかけであり、回収しなければならない。

    問題は、自らが感じているように承認欲求の克服は成されたのか、それともただ承認されないことに慣れたのかであって、この違いは無視することができない。訓練による癖付けにせよ、ただの耐性にせよ、慣れと成就は紙一重で危険な綱渡りである。

    ここ数日あった母からのアプローチを、ことごとく拒絶している。宅急便で送られてきた食品を受取拒否するという行為は、自分にとっては彼女の死を願って喪服を新調した時よりもかなり明確な決別であり、復讐だった。食べるという生を存続させる行為と、生まれた時から、それ以前に生まれる前から生命を維持させるために必要としてきた母との関連を断つということは、おそらく自覚しているよりも大きなことだった。それは、この行為のあとに毒が全身を回っていくように感じている。

    父からは、援助もしないが強要もしない、将来何をしてもいいがその世界で一番になれと言われていた。今思えば具体性のない、間抜けな命令である。その意味はおそらく、責任を一切とらずに達成不可能な目標を強要することで、主従の関係性を保持するためであったのだと今は理解できる。実際それは、その目標が不意に達成された時に顕在化した。報告に対して父は明らかに動揺し、権利を喪失したことを直感し、消沈したのだ。今、父から連絡が来ることは無くなっている。

    そのように失望と勝利が同時に行われた時、承認欲求からの脱却が完了したように思える。エディプスコンプレックスとも関連しているであろうが、既に母の死を願っている状態にあって喜びも報酬も伴うことはなかった。

    「吾輩は猫である」の成功、小説家になるという自己実現は、漱石と両親との関係性にどのように変化をもたらしたのか。

    漱石の手を取り、考えるべきことはまだ尽きていない。

  • 私が夏目漱石をなんだかどうにも気に入らなかったのは、ただの同類嫌悪だったかもしれない。君も一生懸命に生きてたんだな漱石。悪かったよ。仲直りしてもいい気分。また読もう。

  • 承認欲求をめぐる夏目漱石論。
    承認欲求というと、イメージよくないけど、モチベーションとしても重要だし外せないものなんだと思った。

    あと、感動家の著者らしく、ほとんど手放しで『それから』を褒めていて嬉しくなった。

  • わたしは、この本を読み、漱石はすごく文学に貢献した人物だから、気になりました。とても良かったです。

  • 愛は本来証明不可能なの問題なのだが、漱石は「自分は母に愛されなかったのではないか」という疑いを払拭できなかった。どの作品にもその問題が追求されている、というのが著者の考え。

    『道草』で「いまの自分はどうしてできあがったのだろう」という問いを発している。「自己とは何か」という問いではなく、父母未生以前 に視点を置いている。

    前期3部作では「愛に気づかない罪」が主軸。これは単に初心な男性ということでは説明されない。

    「愛しているとしか思えないあなたがなぜわたしを捨てたのか」という三千代の問いは、漱石の母への問いと重なる。

    「愛されていると気づいていながら気づくことを拒否する性癖」「愛されていないという言葉を聞くことが耐えられない、そういういうことに超然としていたい」という性癖がみとめられる。

    会話においても「自分がどう思っているか」ではなく、「相手が自分をこう思っているだろう」と先回りして捉えて話してしまう。


    「母に愛されなかった子」という物差しをあてて読めばこう解釈できるという展開。やや強引の感もあるが、なるほどと思った点も多かった。文末表現の不統一は意識的なものか。

    ☆は4以上。

  • 文豪・夏目漱石を「母から愛されなかった」とあくまでも仮定し、その観点から漱石作品を見渡した研究書。私としては「どーなんだろうなー」と思ってたけど、これも一つの見解だなと思うと新たな発見があって面白かったです。他の作品が読み返したくなった。でも今は三四郎再読に行こうかと思います。。。

  • 三浦氏の講演を聞いた直後であったのでまるで 肉声を聴くように読めた。こんな風に1人の小説家の作品を読めるというのは相当なテクニックがいると思う。

  •        -2009.02.24

    漱石作品を貫く<心の癖>-それは母の愛を疑うという、ありふれた、しかし人間にとって根源的な苦悩であった。彼の小説の数々を、この<心の癖>との格闘に貫かれたものとして読み解き、人間への鮮烈な問いとして現前させる新漱石像。

  • 漱石は母に愛されなかった子だった、少なくとも漱石はそう思っていた。

    漱石の作品のすべてにこの主題が貫かれているというこの主張、とても興味深かった。本当なら漱石の作品を今すぐ片っ端から読んでしまいたい。でも正直とてもそんな時間がない。少しずつ読んでいくしかないかな。『工夫』とか漱石の人生とは関係ないのかなと思ってたけど、そうでもないらしい。

    『それから』を無駄がなくて完璧と言い、何度も何度も登場してくる。確かに、後半の方は一気に読んだ記憶がある。

    漱石の人生について、作品同士の関連について、さまざまな解説があり、漱石と作品群に対する見方を変えてもらえた。語尾がバラバラなのが最初気になったけど、きっと使い分けているのでしょう。今後漱石の作品を読んだ時に少しでも思い出せたらいいな。

  • 「大分漱石論が出て申候。もう沢山に候」とは、漱石の言葉。膨大な漱石論の中から、大胆な表題に惹かれ。

    母親に愛されていたのか、いなかったのか、漱石に、もしくは、その母親に聞いたところで、真実はわからない。文芸評論家の代表とも言われる三浦雅士は、敢えて大胆な仮説を立て漱石の作品を説いていく。

    第一章 母に愛されなかった子
    第二章 捨て子は自殺を考える
    第三章 登校拒否者の孤独
    第四章 母を罰する
    第五章 母から逃れる
    第六章 母に罰せられる
    第七章 向き合うことの困難
    第八章 孤独であることの意味
    第九章 承認をめぐる闘争

    皮膚感覚が特に必要な時期に、里親に出され、道具屋の前の籠の中に入れ晒されてたという漱石の過去は、何度聴いても胸が締め付けられる。
    幼少時に、ここにいていいという承認の感触の有無は、その後の人格形成や情緒に取り払えない光と影を残す。

    母親に愛されてなかったんじゃないだろうか?という疑いの粒から目を逸らさずに、それを芯にして、自分が存在する謎を探求し続けた漱石は、文学に、たくさんの言葉で尽くし刻み残した。それらは100年以上経ても、読者に感動と淡い謎を残す。

    行人、道草、明暗と、階段を登るように筆力は加速する。
    三浦雅士が我を忘れて、評論というより感動に走り絶賛するのも解る(笑)

    愛も孤独も承認も厄介な代物で、でも、人が生きるにあたって切るに切れないものなのかもと、ぼんやりとじんわりと、受け入れずにはいられない。

  • 2013.06.01読了

  • [ 内容 ]
    漱石が生涯抱え続けた苦悩。
    それは母の愛を疑うという、ありふれた、しかし人間にとって根源的な苦悩であった。
    『吾輩は猫である』『坊っちゃん』から『明暗』まで、この「心の癖」との格闘に貫かれた漱石作品は、今なお自己への、人間への鮮烈な問いとして我々の前にある―現代を代表する文芸評論家が、批評の新たな地平をしめす一書。

    [ 目次 ]
    第1章 母に愛されなかった子―『坊っちゃん』
    第2章 捨て子は自殺を考える―『吾輩は猫である』
    第3章 登校拒否者の孤独―『木屑録』と『文学論』
    第4章 母を罰する―『草枕』と『虞美人草』
    第5章 母から逃れる―『三四郎』『それから』『門』
    第6章 母に罰せられる―『彼岸過迄』
    第7章 向き合うことの困難―『行人』と『心』
    第8章 孤独であることの意味―『道草』
    第9章 承認をめぐる闘争―『明暗』

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  • 2008
    漱石批評中級編。読みやすく、わかりやすく、奥深い。

  • これを読むと古い千円札に会いたくなります

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著者プロフィール

文芸評論家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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