漱石―母に愛されなかった子 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311294

作品紹介・あらすじ

漱石が生涯抱え続けた苦悩。それは母の愛を疑うという、ありふれた、しかし人間にとって根源的な苦悩であった。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』から『明暗』まで、この「心の癖」との格闘に貫かれた漱石作品は、今なお自己への、人間への鮮烈な問いとして我々の前にある-現代を代表する文芸評論家が、批評の新たな地平をしめす一書。

感想・レビュー・書評

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  • 漱石は母に愛されなかった子だった。

    少なくとも漱石はそう思っていた。

    そのことはたとえば『坊っちゃん』を読めばすぐに分かります。

    と著者は漱石のことを分析した。

    そして、そのことに起因して数多くの漱石の作品が書かれたのだと主張する。

    歩んだ人生との因果関係を探りながら、すべての作品のそのテーマの連関状況の説明をしている。

    漱石の考え方にはマルクスやニーチェやフロイトに通じるところがとても多いとする著者の分析は、さすが現代を代表する文芸評論家であると思った。

  • 幼少期、もっと言えば胎内に生じたその時から二十代後半まで抱えていた問題、そのほとんどが肯定感の欠落と承認者の不在に依る不安だが、漱石との共通性に対してまず驚いた。それに伴って、過去に存在していた世界を身体上に再生する能動的行為が漱石という輩を得て、半強制的に行われることになった。ほとんど義務のように感じさせるタイミングで。過去の記憶が何かに阻害され、記憶障害と呼んで差し支えないほど回想すらできないまま生きてきたことは一つの投げかけであり、回収しなければならない。

    問題は、自らが感じているように承認欲求の克服は成されたのか、それともただ承認されないことに慣れたのかであって、この違いは無視することができない。訓練による癖付けにせよ、ただの耐性にせよ、慣れと成就は紙一重で危険な綱渡りである。

    ここ数日あった母からのアプローチを、ことごとく拒絶している。宅急便で送られてきた食品を受取拒否するという行為は、自分にとっては彼女の死を願って喪服を新調した時よりもかなり明確な決別であり、復讐だった。食べるという生を存続させる行為と、生まれた時から、それ以前に生まれる前から生命を維持させるために必要としてきた母との関連を断つということは、おそらく自覚しているよりも大きなことだった。それは、この行為のあとに毒が全身を回っていくように感じている。

    父からは、援助もしないが強要もしない、将来何をしてもいいがその世界で一番になれと言われていた。今思えば具体性のない、間抜けな命令である。その意味はおそらく、責任を一切とらずに達成不可能な目標を強要することで、主従の関係性を保持するためであったのだと今は理解できる。実際それは、その目標が不意に達成された時に顕在化した。報告に対して父は明らかに動揺し、権利を喪失したことを直感し、消沈したのだ。今、父から連絡が来ることは無くなっている。

    そのように失望と勝利が同時に行われた時、承認欲求からの脱却が完了したように思える。エディプスコンプレックスとも関連しているであろうが、既に母の死を願っている状態にあって喜びも報酬も伴うことはなかった。

    「吾輩は猫である」の成功、小説家になるという自己実現は、漱石と両親との関係性にどのように変化をもたらしたのか。

    漱石の手を取り、考えるべきことはまだ尽きていない。

  • 私が夏目漱石をなんだかどうにも気に入らなかったのは、ただの同類嫌悪だったかもしれない。君も一生懸命に生きてたんだな漱石。悪かったよ。仲直りしてもいい気分。また読もう。

  • 『続・悩む力』姜尚中を読んだ後に手に取る。
    母が「面目ない」というほどかなり年になってから懐妊した子だった漱石は、今の時代なら中絶されていたかもしれない。
    「じゃあ、(目の前から)消えてやるよ」という「潔くもあれば捨て鉢でもある構え」には、自分が愛されるはずがないという思い込みや捨てられるくらいならこっちから捨ててやるという思いがある。「なぜ捨ててしまったんです、残酷だ」という問いかけが不意に出てくる。
    笑いと自殺と狂気。罪と罰とそして復讐。覚悟、死の覚悟。

    この本で面白かったのは、漱石が求めた教養(漢籍)について二松学舎のカリキュラムが記載されていること。現在の高校の漢文の出典で見かけたことがあるであろうものに加え、朱子学入門書や初学者必読の詩文、歴史書や法律書などである。「朱子学を軸に皇国史観に資する文献」とまとめている。

    15,6歳の頃に不登校になり引きこもり状態で心を閉ざして孤独に精進する勉強スタイルをやり、ロンドン留学でもひきこもっての精進は繰り返される。

    欲を言えば、ロンドンでの学習内容や英語必修の大学予備門に入るまでの成立学舎での英語学習のためのカリキュラムも見てみたかったが、それは載っていない。

    共通引用。
    ・「ことによると社会はみんな気狂の寄り合…何が何だか分からなくなった」『猫』
    ・「死ぬか、気が違うか、夫でなければ宗教に入るか」『行人』
    (余談だが、草薙厚子『少年A矯正2500日全記録』の中では教誨師が「花火の(快楽的な)生活を選ぶ人なら行くところは3つだけ。精神病院、刑務所、墓。」というようなくだりがあったのを思い出した)
    ・「人に病気のことを尋ねられていつも答えに窮し、結局そのつど、どうにかこうにか生きていると答えていたのだが、…病気はまだ継続中です、と答えることにした…所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠いところへ、談笑しつつ歩いていくのではなかろうか、ただ、どんなものを抱いているのか人も知らず自分も知らないので幸せなんだろう」『硝子戸の中』

    絶筆となった『明暗』の「人から笑われても生きているほうがいい」と「人に笑われるくらいならいっそ死んでしまったほうがいい」の構えの行方は知れず。

  • 承認欲求をめぐる夏目漱石論。
    承認欲求というと、イメージよくないけど、モチベーションとしても重要だし外せないものなんだと思った。

    あと、感動家の著者らしく、ほとんど手放しで『それから』を褒めていて嬉しくなった。

  • 漱石の文学的主題は、捨てられるのがこわいから、相手に捨てられる前に捨ててしまうという、 心の「癖」のようなものだった。『坊っちゃん』から『明暗』にいたる、いうならば、漱石文学の交響曲にあたる主要な小説は、その主題をめぐって階段を上る ように、一つ階を上がるたびに新しい視野が開けるようにして書き続けられた。漱石自身が自らに問い続けた「今の自分はどうして出来上がったのか」という問 いは、漱石が母に愛されなかった子であるという事実に由来する、というのが三浦雅士の着眼点である。

    母が子を愛しているかどうかなどという問いは成立しない。母親自身に聞いてみたところで分かるはずがないのだ。人は誰でも、自分は母に愛さ れているのかどうか、という問いを一度は自分の心に問いかけるものだ。多くの人が思春期にそうした疑念を抱きながらも、とことん問いつめることなく年とと もに忘れてしまう。漱石にはなぜそれができなかったか。

    漱石は、母親が懐妊を恥じるくらいの年になってから生まれた子である。生まれてすぐに貧しい道具屋夫婦に里子に出され、四谷の夜店に並べら れたがらくたと一緒に笊に入れられていたところを可哀相に思って姉が連れ帰ったというエピソードが『硝子戸の中』にある。その後も養子に出されるが、養父 母の側の問題で大きくなってから実家に返されるという経験をしている。母親が愛してくれていたのか、という疑念を抱いても不思議はない育ちなのだ。

    『坊っちゃん』の中に、お前の顔など見たくない、と母親に言われたので親戚の所に泊まりにいっていたら母親が死んでしまい、死に目に会えな かった。こんなことになるのならやめとけばよかったと後悔するくだりがある。建前上の言葉と分かっていながら相手の言葉を文字通りに受けとめて「じゃあ、 消えてやる」と行動してみせるのは、甘えであり、僻みである。

    漱石の小説の主人公は、相手の女性を愛していることに気づかず、愛されてないという答えを聞くのが恐ろしいばかりに、先に自ら捨ててしま う。捨てられるのがこわいから、相手に捨てられる前に捨ててしまうという、このパターンが、どの小説にも現れることに三浦は着目する。これは、母親に愛さ れてなかったという事実を知ることがこわいために、先に母親を捨てた自身の心の無意識の反映だろうというのだ。

    この骨絡みの愛憎に終生取り憑かれながら、漱石は小説を書き続けた。一作ごとに、自分の知らない自分の心を、作家ならではの想像力を通して、他者になりきることで明らかにしていったのである。自分とは畢竟他者にほかならないのだ。

    今まで、漱石について書かれた評論はいくつも読んだが、これほど作家とその作品を綯い交ぜにして、まるで小説のように読ませてくれる評論は はじめてである。丸谷才一ばりの「です、ます調」と「だ、である調」を混在させた文章は、初めは異様に感じるのだが、新字新仮名でカギや改行なしに引用さ れる漱石の文章が、三浦自身の文章に自然にとけこむように工夫されているので、いつのまにか漱石の講演を聴いているような気がしてくる。

    新書版で発表されることを意識してか、難解な理論もかみ砕いて誰にでも分かるように書かれているし、出てくる名前もベルグソンは別としてフ ロイト、ニーチェ、マルクスと一般的なものに限っている。漱石の作家論として読んでも画期的な評論だが、それだけでなく、自分というものがどのようにして 作られるに至るのかという哲学的とも言える考察が随所に挿入されたエッセイとして読んでも面白い。三浦雅士が初めてという読者にはうってつけの入門書であ る。

  • わたしは、この本を読み、漱石はすごく文学に貢献した人物だから、気になりました。とても良かったです。

  • 愛は本来証明不可能なの問題なのだが、漱石は「自分は母に愛されなかったのではないか」という疑いを払拭できなかった。どの作品にもその問題が追求されている、というのが著者の考え。

    『道草』で「いまの自分はどうしてできあがったのだろう」という問いを発している。「自己とは何か」という問いではなく、父母未生以前 に視点を置いている。

    前期3部作では「愛に気づかない罪」が主軸。これは単に初心な男性ということでは説明されない。

    「愛しているとしか思えないあなたがなぜわたしを捨てたのか」という三千代の問いは、漱石の母への問いと重なる。

    「愛されていると気づいていながら気づくことを拒否する性癖」「愛されていないという言葉を聞くことが耐えられない、そういういうことに超然としていたい」という性癖がみとめられる。

    会話においても「自分がどう思っているか」ではなく、「相手が自分をこう思っているだろう」と先回りして捉えて話してしまう。


    「母に愛されなかった子」という物差しをあてて読めばこう解釈できるという展開。やや強引の感もあるが、なるほどと思った点も多かった。文末表現の不統一は意識的なものか。

    ☆は4以上。

  • 文豪・夏目漱石を「母から愛されなかった」とあくまでも仮定し、その観点から漱石作品を見渡した研究書。私としては「どーなんだろうなー」と思ってたけど、これも一つの見解だなと思うと新たな発見があって面白かったです。他の作品が読み返したくなった。でも今は三四郎再読に行こうかと思います。。。

  • 漱石は母に愛されなかった子だった、少なくとも漱石はそう思っていた。

    漱石の作品のすべてにこの主題が貫かれているというこの主張、とても興味深かった。本当なら漱石の作品を今すぐ片っ端から読んでしまいたい。でも正直とてもそんな時間がない。少しずつ読んでいくしかないかな。『工夫』とか漱石の人生とは関係ないのかなと思ってたけど、そうでもないらしい。

    『それから』を無駄がなくて完璧と言い、何度も何度も登場してくる。確かに、後半の方は一気に読んだ記憶がある。

    漱石の人生について、作品同士の関連について、さまざまな解説があり、漱石と作品群に対する見方を変えてもらえた。語尾がバラバラなのが最初気になったけど、きっと使い分けているのでしょう。今後漱石の作品を読んだ時に少しでも思い出せたらいいな。

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