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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784004311416
みんなの感想まとめ
清朝の歴史を紫禁城を通じて描くこの作品は、宮殿の建築や皇族の逸話を交えながら、時代の流れをわかりやすく概観しています。著者は特に西太后の時代に焦点を当て、その影響力や改革を詳細に語り、紫禁城が持つ権威...
感想・レビュー・書評
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紫禁城の各宮各殿を具に辿っていくことでこれほど手際よく清朝中国史を概観できるものなのか。文体は簡潔で歯切れよくとても読みやすい。
中心となるのは紫禁城を「征服した」と著者が語り増改築が繰り返された西太后の時代。その前にドルゴンから道光帝に至る隆盛期の清がコンパクトに語られ、晩清に繋がる流れが明瞭になった。清朝と紫禁城のダイナミックな歴史を眺めた後だと、溥儀の紫禁城追放はいかにも侘しく映る。
北京故宮訪問はまだ叶わないでいるけれど、どれだけ本を読んでも、実際に訪れてあちこち見て回っても、この宮城の全貌をつかむことなんてできないのだろう。本を読んでますます行きたくはなっても、何一つわかった気がしない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705795 -
建築物の説明と共に、皇族を中心とした清朝史と言える。皇帝の住まいは乾清宮かと思っていたが、雍正帝以降は養心殿。皇太子にスパルタ教育を行って心身を歪ませた康熙帝、南巡に寧寿宮地域建設にとやり過ぎ乾隆帝、亡国の危機でも熱河に籠もっていた咸豊帝と、逸話には事欠かない。同治帝を見ると、幼少で即位するのは弊害が大きいと思わされる。戊戌変法は明治維新をモデルとしたが、当事者たちはその血みどろの前史を知らなかったようだ。
西太后時代は本書の半分弱を占める。光緒帝即位の理由付けなど政治介入はもちろんだが、西六宮の改築で東西のバランスを崩したことを著者は「伝統への挑戦」と呼ぶ。また東太后毒殺説をとる。
民国の溥儀時代の紫禁城では建福宮が燃えたほか、身分による住まいの厳格な格差という秩序が乱れたというのが、まさに王朝の衰退を象徴しているようだ。 -
古本で購入。
明末期の李自成の乱に乗じた清軍による北京入城から廃帝溥儀の退去まで、そしてその後の故宮博物院の開館を描く。
視覚化された権威そのものであり、その内部に複雑なヒエラルキーの構造を内包した紫禁城を、ひとつの「主役」としているところが特徴と言えるかもしれない。
朝廷に仕える女官(宮女)や宦官(太監)の制度や日常業務に触れられているのも、なかなかおもしろい。
基本的にはすっきりとした清史概説になっているが、所々に不親切な点もあって困ることも。
たとえば西太后が表舞台へ登場するくだり。
宮女選考試験「選秀女」に応募した葉赫那拉(エホナラ)氏こそ後の西太后なのだが、この後、帝位継承に絡むところで唐突に
「今や皇太后に昇格した載淳の生母・懿貴妃と~」
という文が出てくる。
葉赫那拉氏(西太后)=懿貴妃という繋がりがそれまでに全然出てこないので、やや面食らってしまうのだ。
筆者の引用する、1921年(大正)に中国を旅した芥川龍之介が『支那游記』で紫禁城について記した文が印象的。
「紫禁城。こは夢魔のみ。夜天よりも厖大なる夢魔のみ」
大宮殿が抱える光と闇の強烈なコントラスト、とそこに蠢く人間に興味がある人にはオススメできる1冊。
でも清史の概説だったら、同じく「紫禁城」をタイトルに冠した『紫禁城史話』(中公新書)の方がいいかも。 -
「紫禁城」をキーワードに清朝を読み解く。
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紫禁城に行ってみたいのですが、当面中国に行く予定がありません。
しかし、春に台湾へ行く予定なので、故宮博物館で清朝の雰囲気だけでも味わいたいです。 -
中国に行ってみたいです。
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たまたま北京に行くことがあって見学したので、無性にこの宮殿のことが知りたくなりまず読んでみた。
清朝と紫禁城の歴史の概略がとてもよくわかります。
[10.1.7] -
ほどよくドライでほどよくドラマチック。わかりやすく、かつ面白い。
中国の皇帝についてもっと読みたくなる。
皇帝の妃が髪を切ったり自傷したりするのは最大の反逆行為とか、「あなたは午門を通ってきた皇后なのだから」とか、ほんと気になる。
「紫禁城の大屋根は依然として黄金に輝いている。しかし太陽はすでに西に傾きつつあった。
太上皇帝となって二年目の晩秋、天はこの宮廷造営熱に憑かれた皇帝に最後の課題を与えたのであろうか。乾清宮と交秦殿が火災によって焼失した。」 -
副題が「清朝の歴史を歩く」。岩波新書だ〜地上の紫微垣である「紫宮」と庶民立入禁止の「禁地」を重ねた北京の「紫禁」は明の「朱」が造り,天命により清の「愛新覚羅」に移った。権威を視覚化するものであり,康煕帝が順治帝より受け継いで中国統一と大運河改修を手掛ける。期待を掛け過ぎた皇太子は廃され,死後皇子25名の帝位継承巡る葛藤が始まる。雍正帝は帝位一世代一皇帝とし,諱として胤・弘・永・綿・奕(えき)・載(・溥・毓(いく)・恒・啓)と定めた。漢人官吏の朋党を粛正し,奇瑞を集め,独裁色を強め,その死後,乾清宮の「正大光明」の扁額の裏に納められた小箱が開けられ,第四皇字・乾隆帝が即位した。雍正帝の時代から皇帝の居室は中軸線上にある乾清宮から西寄りの養心殿に移り,言論弾圧によって権力を高め,祖父に敬意を表して在位60年で嘉慶帝へと譲位したが,乾清宮と交泰殿は火災で焼失した。養心殿と対照位置にある毓慶宮には傀儡帝が住んだが,四年の雌伏後,収賄と蓄財の官僚機構は存続した。天理教徒が宮城に侵入して,第2皇子が果敢に撃退して,道光帝として即位する。軍機処は雍正帝の時代に整えられたが,アヘン流行から対外戦争へと移行する時期であった。道光帝の跡は咸豊帝の時代となるが,年上の西太后が表舞台が整えられた。結核で死んだ皇帝に代わり直系唯一の男子・6歳の同治帝が垂廉政治に翻弄される時代となる。無子の儘19歳で死んだ皇帝の跡は,西太后の妹の子が継ぎ,光諸帝時代の垂廉政治は後宮の西六宮が三宮一殿に改築されて,本格化する。変法を行おうとした光諸帝は幽閉され,清の正規軍とされた義和団が敗れた時には光諸帝を人質に脱出した。文明という名の下の略奪3日間が許されても,日本軍とアメリカ軍が門を警備して王宮の略奪は免れた。講話成立後,戻った西太后の住まいは東側に移動し死亡,表舞台から追い出された皇族は溥儀を皇帝としたが,明け渡しの協定が成立し,裏門である神武門から出たとき,大監と宮女の行き場所はなかった。宮城は博物館として公開される〜「建物の秘める魔力に憑かれた人々」という字句が見られるが,そのとおりなのだろうなあ。入江さんは1935年生まれで,満州研究の成果がよく表されている。清の歴史を紫禁城を舞台に語っていくやりくちは上手だ
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10/28 これは面白い。
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入江曜子の作品
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