子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311577

作品紹介・あらすじ

健康、学力、そして将来…。大人になっても続く、人生のスタートラインにおける「不利」。OECD諸国の中で第二位という日本の貧困の現実を前に、子どもの貧困の定義、測定方法、そして、さまざまな「不利」と貧困の関係を、豊富なデータをもとに検証する。貧困の世代間連鎖を断つために本当に必要な「子ども対策」とは何か。

感想・レビュー・書評

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  •  親の貧困は、子どもの人生にも不利を背負わせてしまう。しかし、その不利を仕方ないと容認することはできないというのが著者の立場です。

     貧困とは、一言でいえば普通の生活が出来ないということです。絶対的・相対的貧困という考え方もありますが、これらの考え方よりも貧困を具体的に想像しやすくするための指標として、6章では相対的剥奪という考え方が紹介されています。

     そして、子どもの貧困に陥りやすいリスクをもっとも抱えているのが、ひとり親世帯だといえるでしょう(ただ、これはひとり親世帯にだけ支援すればいいという話ではない)。生活保護や母子家庭への給付については、「働く気になればそれなりの生活はできるだろう」とか「離婚したのは自分の選択だろう」というような自己責任的な考え方があるわけですが、3章で政策的な視点から、そして4章で母子世帯の実情という細かい視点から貧困の問題をみてみると、そういう給付が、彼らの自立にはほとんど機能していないということがわかります。

     つぎに、税・社会保障制度の逆機能。これは驚くべきことです。なぜなら、税などを負担することによって貧困状態にあると認められる人が増加したということだからです。所得を公平に近づけるための制度が、まさに逆方向に機能しているということです。いまでも、逆機能はないにせよ再分配の問題は続いていますね。

     結局のところ、うえで書いた「働く気になれば・・・」というような自己責任的な考え方は、政策にもあったのではないかと思います。経済的に自立できる収入を得て、子どもは保育所などに預けられればいい、と。
     しかし、親の貧困によって子どもがこうむる不利は色々な側面があるわけですね。健康、家庭環境、親のストレス、子育て時間の不足、学習意欲など、いろいろな視点を見据えたうえで、より多くの子どもが安定した家庭で幸福に生きられるように、政策として支援すべきではないか、支援しないことは、結果として社会の損失につながるのではないか・・・という問題があります。

     それと同時に僕がこの本からあらためて考えたことは、政策には「結果」をみる視点が必要なのだということです。どれだけの予算を使ってどんな政策を実施したかというだけでは不十分です。たとえば、「母子家庭への金銭的な給付がどれだけ受給者の自立に役に立ったのか?」。著者のいう、「薄く広い」生活保護もそうです。結果をみずに、予算上の問題から給付対象を狭めたりすることに対して、受給している人から反発が出るのは、それなりの理由があるのだろうとあらためて考えました。

  •  貧困研究者が、日本の貧困問題を「子どもの貧困」に的を絞って考察した本。

     著者は国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第2室長という役職にある人で、湯浅誠や東海林智のように「貧困の現場」に直接かかわっているわけではない。ゆえに、湯浅らの著作にあるような生々しい人間ドラマは、本書にはない。それに、データや図表を駆使した内容はどちらかというと政府が出す白書のようで、無味乾燥な感じがしないでもない。

     それでも、アカデミックな場で貧困問題がどのように論じられてきたのかが概観できる点では有益な本だ。また、著者自身がまえがきで「本書の目的は、日本の子どもの貧困について、できるだけ客観的なデータを読者に提供することである」と書いているとおり、資料的価値も高い。

     日本は痩せても枯れても経済大国であるし、もともと「子どもをたいせつにする国」だと思われていた(江戸から明治期にかけて来日した海外の識者たちがこぞって、「日本人ほど子どもをかわいがる民族はいない」と、驚きをもって書き記している)。

     が、じつはその日本が、子どもの貧困対策においては先進諸外国に比べて大きく立ち後れていることを、著者はさまざまな角度から論証していく。

    《日本の家族政策の多くは、子どもの貧困の削減を目的としていない。その理由は、日本は、長い間、欧米諸国に比べて低い失業率を保っており、「国民総中流」などというキャッチフレーズが浸透していたこともあって、貧困そのもの、ましてや子どもの貧困は、政策課題となってこなかったからである。》

     その結果、日本の家族関連の社会支出はGDPの0.75%、教育への公的支出はGDPの3.4%と、いずれも先進諸外国に比べて少ない。
     日本でとくに深刻なのは、母子家庭の貧困である。

    《日本の母子世帯の状況は、国際的にみても非常に特異である。その特異性を、一文にまとめるのであれば、「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」ということができる。》

     そして著者は、「子どもの必需品」(「子どもが育つうえでなくてはならない」と人々が考えるもの)をめぐる調査の国際比較をふまえ、次のように喝破する。

    《日本の一般市民は、子どもが最低限にこれだけは享受すべきであるという生活の期待値が低いのである。このような考えが大多数を占める国で、子どもに対する社会支出が先進諸国の中で最低レベルであるのは、当然といえば当然のことである。ほかの先進諸国では、すべての子どもに必要であると思われている項目でさえも、日本では「与えられなくても、仕方ない」という認識なのである。》

     日本における「子どもの貧困問題」が思いのほか深刻になっていることを示して、驚きの一冊。最終章では、著者が考える子どもの貧困対策も提示されている。

  • 日本では人口減少の時代を迎えています。国は子供を増やそうと躍起になっています。本当に子供の数を増やさなければならいのでしょうか。本書にもあるように「子供の数を増やす」ではなく「幸せな子供の数を増やす」があるべき姿勢であると思います。

    「これから増えていく高齢者を支えるためにたくさんの若い人が必要」という意見に対しては「高齢者も自活すればよい」です。自己責任という言葉で括るつもりはありません。時代は常に変わるものであり、何もしないで今までと同じ利益を享受しようとする姿勢は、ご都合主義としか言えません。支えられることを望むのならば、自分達で作り出した何百兆という借金を自分たちで返済してから言って欲しいものです。一般論ですが「自分のお尻は自分で拭きましょう」です。

    当の現役世代である自分たちも肝に銘じるべきことがあります。「マイホームを持ちたい」「子供を持ちたい」という従来の「一般的」な願望は、現代にとっては「贅沢」です。

    人口が減少し不動産へのニーズも減少することが考えられる今、昔のように不動産価格が上がり続けるとは考えられません。したがって、一般的な購入形態である20~30年ローンなどというギャンブルは自殺行為に等しいと思います。また、子供一人当たり千万単位で費用がかかるという現実もあります。

    行動の価値も時代によって変わるものであり、過去の価値観に縛られると痛い目にあうでしょう。

  • 学生時代の読み残し。

    まだまだ多くの人にとっては想像しにくい世界であろう「子どもの貧困」について、日本の現状を解説する本。

    データが豊富で、丁寧に解説してくれているのでこの分野について興味をもった方が最初に手に取るにはとても良いと思います。

    「総中流」の幻想からはだんだん解き放たれつつあるように感じる昨今ですが、
    それでも貧困というものに対するイメージ自体まだまだ貧しいですよね。

    日本政府が(というか自民党が)、そもそも視点として子どもの貧困対策というものを持ってこなかったというのは確かだろうけど、その背景にあるのは何よりも社会全体の意識の低さ。

    ある程度は日々感じていたところではあるけれど、第6章で示される、厳しすぎる貧困観には正直悲しくなる。
    ただ、これは子どもとか、貧困といったテーマに限った問題ではないですね。
    人権意識というものがあまりに貧相な社会、日本。
    「剥奪状態(deprivation)」という概念がまったく理解できない人が多すぎる。

    今後日本では否が応でも相対的な貧困は増加傾向を辿っていくので、
    社会的な合意基準は作って行きやすくはなるんだろうか。

    それでも、政権担当者だけに任せていて進展していく分野だとは思えないので、
    福祉、教育業界、関連のNPO業界などからの継続的な働きかけが必須でしょう。

  • 近ごろの生活保護問題に関しての発言を見ると、ネットでの貧困に対するイメージは、食えるか食えないからしい。食事など安いんだからカップラーメンでいいじゃないかと言った大学教授もいた。
    餓死者は貧困だったし、餓死していないなら貧困ではないという考え。

    そういう状況をみると、この本の内容は遥か遠くに思える。

  • 日本では、何が「子どもの貧困」をもたらし、何が問題なのか、どのような対策をとるべきか、について書かれた本。図表を多く挿入して、解説を加えています。

    第1章では、15歳時点の暮らし向きがその後の生活水準に影響を与えていることを示しています。子ども期の貧困は、その時点での学力や生活の質などへの影響に留まらず、大人になってからの就労状況などに影響を及ぼして。更に、その「不利」が次の世代(子)にも受け継がれていくことを述べています。
    第2章では、「相対的貧困」について説明し、世帯タイプ別の貧困率、年齢別の貧困率を提示しています。特に心配されるのが、乳幼児の貧困率の増加です。低年齢での貧困が、子どもの健康やその後の成長に、大きく影響するからです。
    第3章では、国際比較を通して、日本の政策を検証しています。税制度や社会保障制度には「所得再分配」の働きがあり、通常、その前後で貧困率が軽減されるのですが、日本は、先進諸国のなかで唯一、制度があるために、子どもの貧困率が悪化しています。「負担」と「給付」が、高所得層に優しく、低所得層に厳しい制度になっていると考えられます。
    第4章は、子どもの貧困率が特に高い母子家庭の現状について書かれています。母子家庭では、働いて収入があるにもかかわらず生活保護を必要とする低所得層が多いことなどが問題となっています。そして、低所得であることは、第1章で提起された問題へとつながるわけです。また、女性の「ワーク・ライフ・バランス」が保障されないことは、女性の貧困問題でもあります。
    第5章では、貧困層の子どもが低学歴であるのは、高校や大学の授業料が払えないから、ということだけではないといっています。貧困層の子どもは、意欲を失い、努力しなくなっているという、子どもの意識の差が生じていることをデータで示しています。学校や家庭環境、家族の意識などが、子どもの学習意欲に影響を及ぼしていることは明らかです。高卒でさえ、ワーキング・プアになってしまう現状にあって、就学前から支援する施策が必要になっているといえます。
    第6章では、「相対的剥奪」という概念が紹介し、この相対的剥奪概念と「合意基準アプローチ」によって、子どもにとっての「社会的必需項目」を選び出しています。その各項目の支持率を調査して、どのような世帯の子どもが、「社会的必需項目」の欠如を強いられているか(必要であると支持され、本人も希望しているのに、家庭の事情などで与えられない状態)を示しているのですが、きわめて水準の低い最低生活が浮かび上がってきます。
    第7章では、イギリスのマニフェストを参考にした「日本版子どもの貧困ゼロ社会へのステップ」という提言が示されています。

  • 私が母子家庭であること、それがきっかけで行政や福祉に興味を持ったこと、それで進路を決定したこと……。
    複雑な気持ちで、この本を読んでおりました。

    貧困の基準ってなんでしょう。
    「貧困」と聞くと、何となくあばら骨の浮いたアフリカの子供を思い浮かべます。
    これは「絶対的貧困」なんですね。
    そして先進国では、絶対的貧困が撲滅されたと仮定したうえで、その社会の中での「相対的貧困」を貧困問題を論じるうえでの「貧困」と定義するんですね。
    で、貧困というのは「許容できないもの」がその定義。
    その許容できない状態も国や状況、価値観によって異なるわけで。
    う、まー…ケースバイケースですね。社会学は難しい。

    この新書のすごいところは、データの豊富さ。
    一番びっくりしたのは、アメリカの実験で、ビンボーな子供を10年、20年と継続してフォローし、どんな大人になっていくかということを調査したもの。
    結果として貧困経験者は所得が上がらないことがわかるのですが……いや、研究だっていうのはわかるんだけれども、データをとり終わった後のその子は放置されてるんでしょうか、ね……。

    その話の流れで、貧困が連鎖しているというデータが示されます。
    生活保護世帯の25%が親の世代でも生活保護世帯(大阪府堺市)、母子家庭に限って言えば41%……。
    筆者は、非正規雇用労働者の増加と、彼らが親になったらどんなに大変だろうかという予測を立てています。
    経済界は、労働力不足になったら困ると政府に少子化対策を要請する一方、非正規雇用を増大している。この矛盾はいったいなんだ、とも指摘しています。
    そして日本の児童手当は「薄く、広く」で、「少子化のために何かをしている」というパフォーマンスでしかないとも言っています。

    そういえば以前、日本は高齢化社会だから、政府は高齢者の票を獲得するために老後重視の政策を立てている、そして若年層に対する手当は薄い、なんて誰かが書いていたような。
    なんか、うーん……誰かが負担をしなきゃいけない、誰が得して誰が損をする、とかじゃなくて、みんなで社会を支えよう、みたいな視点になれるといいんですけれどもね。難しいですよね、うん。どうすればいいのかな。

    で、「貧困者=給付金をもらっている=ズルい」なんて公式で語られることが多いのですが、実際はそうではない。
    社会保険料や税金を引いて、所得の再配分をした結果、他国では貧困率が下がっているのに、日本ではむしろ増加している。
    これは貰う分より、負担のほうが大きいからだ――そんなデータを見て、びっくりしました。
    現役世帯が、苦しんでいる。

    母子家庭の場合だと、それが顕著。
    確かに日本の母子家庭の母親は、他国に比べて就業率が高く、労働に従事している時間も長い。
    でもそれは、ワーキングプア状態なのだ。
    ワーク・ライフ・バランスが取れていない。
    もう働きすぎている母親たちに、これ以上働け、自立しろなんて酷だと思いました。
    離婚であれ、死別であれ、子供は心に傷を負う、ケアが必要。
    でも、それができていないのが今の社会。
    「戦争中は大変だった。今の子供は恵まれている。贅沢だ」なんて論じゃなくて、その子供が、この社会において「貧困」であるということを認め、どうしていくかを考えなくてはならない。筆者はそう繰り返します。

    あと、離婚の場合の母子家庭の話。
    アメリカ、イギリス、スウェーデンでは、養育費の取り決めは税と同じように公的制度が整備されていて、6割の離婚夫婦が養育費の取り決めをしている。
    全額未納者は2割のみ。6割は全額支払っている。……まずまずである。
    でも、日本はその取決めまでの道のりが大変なうえ、払われなくっても仕方がない、養育費を徴収しにくいのが実情。

    子どもには罪はないのに。何で。
    読みながらずっとそう思っていました。

    「総中流神話」「努力すれば報われる神話」そんな神話たちは崩壊。
    でも、その神話が流布し、「負け組」「勝ち組」「上流」「下流」とゲーム感覚で言っているから、現状を直視しないから、変わらない。
    やっぱり、大人になってもずっと勉強しなきゃいけないなと思いました。
    現実の直視って大事。

    PISA調査で明らかなように、中二の段階で学力や学問への意欲、階層によって差が出てきてしまっている以上、高校授業料無償化は意味をなさないのではないか、高校に行く前での学力格差をどうにかしなければならないとも述べていました。
    やっぱりそのとき思ったのは、貧困から抜け出すルートが整備されていないんだなっていうこと。
    子どもの段階で、本人の意思とは関係なく将来が決められてしまう。そんな社会があっていいはずなんてない。
    別に、高等教育は全員が受ける必要はないと思います。行きたい人だけが行けばいい。でも、高等教育を望む人が受けられる、あるいは、受けなくても生きていける社会、一人一人の個性が生かせる社会。
    そんな社会になったらいいなと思います。


    最後に。
    私は母子家庭ですが、離婚じゃなくて死別で、父が年金の掛け金を払っていてくれたおかげで遺族年金が出て、保険に入っていたおかげで高校までの学費はずいぶん助かっているので、こうして学校に通えているわけですが。
    あらためて、自分の環境が恵まれていることを知りました。
    (そりゃもちろん、母ともいろいろあるし、色々あるけれども……)
    今生きていること、勉強したいことを学ぶことができること、いろんなことに感謝です。
    もっと勉強して、いい大人になりたいです。

  • 読み終えた上での、再配分に対する自分の考え

    「成人するまでの機会の平等を担保するために、貧困世帯のこどもには機会への平等なアクセス権(無償化、学習支援など)、親には必要な額の支援(あくまで機会の平等のため)が必要である」


    努力不足によって所得に格差が生まれることに問題はない。ただ、その所得格差が次の世代に連鎖するのであれば、それは生まれた時点で差がつくため、機会の平等が保たれているとは言えない。

    よって、連鎖が生まれない、また、生まれた世代にかかわらず、こどもの機会の平等が保たれるために、貧困世帯のこどもと、親への支援が必要である。

    親への支援に関しては、こども機会の平等に必要な金額以上の支援は、正当に努力して高所得を獲得した世帯との不平等が生じてしまうため、あくまで「➀こどもの機会の平等を保つため」、「➁競争に敗れたとはいえ、人として最低限の生活を送るため」の2つの目的達成のためにのみ行われるべき。

    理屈はこうだが、高所得者の人が「理屈は理解できるけど、頑張って稼いだから再分配したくない」というのはすごくよくわかる。ここをどう解決するか。


    「治安の改善」、「学力の向上による、生産性の向上」、「労働人口増加」による”経済全体の成長”あたりが肝になりそう。

    いかに1人1人の国民と経営者がこの視点を持てるか、また政治家や研究者、メディアがこのような伝え方をできるが肝になりそう。

    ーーーーーー
    感想

    低所得者への再配分は、「努力が足りないだけ」という自己責任論に行きがちだが、「そもそも貧困家庭に生まれた時点で、教育へのアクセスや家庭環境等で、ディスアドバンテージがある」・「金銭面だけでなく、家庭環境や学力による低い自己効力感」など、こどもの自己コントロールでは管理しきれない影響がたしかにあるために、自己責任論は適切ではなく、きちんと社会全体で支援をするべきである、という論がとてもしっくりきた。

    機会の平等には、2つの条件がある。1つは「公平な競争」で、もう1つは、「だれでも頭がよく生まれる確率が等しくあり」、「生まれつきの遺伝子ではなく、後天的な学習と自由意志によって、だれでも頑張れば」それなりの業績をあげれるという前提。

    しかし、貧困家庭のこどもは、頑張らなくて学力が低いのではなく、生まれた環境のために自己肯定感、自己効力感が低く、努力できていない。これは、前提に立っていない。そのため、支援を受ける権利がある。

    こどもの貧困を解決するためには、親への金銭的な支援も必要になるが、それは機会の平等という観点で難しいなと感じた。貧困家庭に生まれたとか、障害があるとかだったら理解されそうだが、単に努力不足で収入が低い場合、支援の正当性やインセンティブ設計をどう担保するのか。

  • 格差、本人の素質の違い、社会は平等ではないのが当たり前、などと混同されることも多いですが、子どもの貧困は社会が許容すべきでない生活水準のことである、とはっきり言って、いろいろなデータを示して、今後の政策に何が必要かを述べています。2008年に出た本ですが、10年たった今、当時と比べてどれくらいよくなっただろう、、と残念な気持ちになりました。

  • 終始データに基づく話。
    親の年収や学歴との相関など、わりと知ってる内容が多いが、データを用いているので、具体的。

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著者プロフィール

社会政策学者

「2018年 『貧困を救えない国 日本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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