自然な建築 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.67
  • (16)
  • (42)
  • (39)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 307
レビュー : 51
  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311607

作品紹介・あらすじ

二〇世紀の世界を覆い尽くしたコンクリート。それは場所と素材との関係性を断ち切り、自然を画一化する建築であった。自然さとは、素材や景観だけの問題ではない。タウトやライトの作品にラジカルな方法論を読み解き、水、石、木、竹、土、和紙などの素材を、それぞれの場所に活かす試みのかずかずを語る。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 20世紀の建材の代表である。コンクリートの脆さを指摘し、そこを一度否定し、その先にあるもの模索していくことが必要だと語っている。その答えを土地、素材に見出そうとしている。建築史の流れをみても、新ゴシックなどで過去への回帰は見られるものだが、隈がおこなっているものはただの過去回帰ではない。昔の思想や素材の使用方法を加味したうえで、その先に現代的な解釈をもって素材と向き合うことで本当の意味での幸福な建築を創りだそうと、今もなお建築を、建築の可能性を探り、表現し続けているように感じた。

  • 隈さんの建築物に対する思いと苦労がわかる。建築物は揺るぎない存在感を放っているので、迷いのないどっしりとした印象を受けるが、完成するまでに様々な悩みや試行錯誤、人々の協力がある。その過程を踏まえた上に成立していることに感動を覚える。本書はとてもわかりやすい言葉で述べられているので、すんなりと理解できた。ただ、私は建築を専門にしていないので単純に言葉を受け取ることができたが、専門家からすると矛盾を感じるんだろうな、とゆう印象を受けた。

  • 昔ながらの茅葺屋根の家とか、木の家とか、
    観にいったり、あるいは一日だけ住んでみるには、
    良いかもしれないけれど(安易なテレビ番組みたいに)

    実際に長期的に住むことが現代人にできるのか、
    あるいは耐震耐火構造上、建築許可が下りるのかといった問題は常に付きまとう。

    かといって、コンクリートの構造に化粧だけ木や石を貼り付けて満足している建築には違和感を覚える。

    じゃあ、どうすりゃいいのか。
    という課題に正面から挑んでいる姿勢には好感が持てます。
    写真もたくさんあって、実際に行ってみたいなあと思わせられます。

    若干、筆が滑って、
    言わずもがなな事を言ってるのが鼻につくのはご愛嬌か。

  • 「偉大な建築家は、偉大な嘘つきである」という言葉を聞いたことがあるけど、まさにそのとおりかもしれない。

    昔は隈さんこんなこと思ってもなかったんじゃないかなぁ。だけど、まるでその当時から「自然な建築」を考えてたかのように、筋の通った話を書いてるところがすごいなぁと思う。

    最近、日本史の授業で習った『日本書紀』の中の聖徳太子みたい。
    聖徳太子が本当にあんなに超人的な力を持っていたのかどうかはわからないけど、日本書紀が書かれた当時の日本には聖徳太子のような人物像が必要であった。だから、まるで昔からそういう人がいたかのように聖徳太子は創りだされた。それでも、今もなお聖徳太子は信じられている。

    歴史は往々にしてその時代の要求にしたがって書かれる。
    建築家だって当然そうだろう。
    昔、ある考え方で建てた建築物を、今、昔とは全く違った解釈で説明したりする。それを悪いとは思わないし、むしろ建築家として必要な素養かもしれない。だからといって、今流行りのあいまいとかグラデーションとかいう言葉を使って説明するのはいかがなものか。考え方がしっかりしていて読んでてもおもしろいと思うけど、そういう言葉を使っちゃうと信用できなくなっちゃう。
    それにしても、言葉の巧みさはさすが。

    P.13
    自然素材か否かの境界は極めてあいまいである。そこに線を引く行為に安住してはいけない。線引からは何も生まれない。線引きは何も正当化しない。我々は、線引きの先に行かなくてはいけない。自然な建築とは、自然素材で作られた建築のことではない。当然のこと、コンクリートの上に、自然素材を貼り付けただけの建築のことではない。
    あるものが、それが存在する場所と幸福な関係を結んでいる時に、我々は、そのものを自然であると感じる。自然とは「関係性」である。自然な建築とは、場所と幸福な関係を結んだ建築のことである。場所と建築の幸福な結婚が、自然な建築を生む。

    P.34
    虹を作るのは水蒸気という粒子の集合体である。太陽と粒子と受容者、その三者の「関係性」によって、虹は出現する。正確にいえば、その「関係性」こそが虹なのである。


    隈さんが、竹で鋼管コンクリートと同じような仕組みを試したりしているとは知らなかった。こういうことに関してはその粘り強さが本当にすごい。そういう新しい構造を考えたら新しいものができるもんね。いやーすごい。
    思想もそうだけど、こういう泥臭い部分も建築のおもしろさの一つだね。

  • 建築家っぽい口ぶり。「本音」を操るヤンキー性が存分に発揮されています。
    ただ、確かにこの方の素材に対する不自然なまでの執念が与えた影響は大きいのかもしれない。

  • 20世紀を「コンクリートの時代」とはじめに位置付けた上で、その材料が象徴する「表象と存在の分裂」の精神を批判する。先端技術の合理性・自然素材の脆弱性を踏まえた上で、どのようにその分裂、非連続性の蔓延する状況を打開するかをテーマに、いくつかの筆者自身の建築について筆者の思考過程を辿る構成となっている。

    表象と存在の二項対立を人工と自然、さらに先端と野蛮のそれへと敷衍させ、両者のコントラストではなくグラデーションによって建築的に融合を図ろうとする精神が一貫している。それはまた、「その土地にはその土地の材料を」という「職人気質」の具現化の試みでもある。

    東京大学の外壁にスクラッチタイルを用いた内田祥三のエピソードは、大変身近に感じられ興味深かった。章立ては簡明で、筆者の丁寧な用語説明もあり、建築学に触れたことのない人も十分楽しめる。

  • 東京オリンピックでなにかとお騒がせな筆者。でも、この本はいかに人工物を自然と調和させるかという苦心が書かれており、筆者のセンスを感じらされる。和紙はそういや自然物なのか。オギュスタンベルクの「日本の風景」と一緒にどうぞ。

  • くまさんいいです、自然、諦めない心。

  • 2016/11/26 53

  • 建築は限られた予算やスケジュールの制約下にあるため、新しい自然素材を建物の構造へ試験的に取り入れる事は難しい。また、自然素材は機能的にも欠点の多い材料であるため、それ自体を構造の中心に据えて丈夫な建築を作る事も非現実的である。著者はこのような制約の中で、コンクリートや木材と組み合わせる「不純」さを受け入れながらも自然素材の活用方法を模索している。

全51件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1954年 横浜で生まれる。1979年 東京大学工学部建築学科大学院修了 コロンビア大学客員研究員2001年 慶應義塾大学教授2009年 東京大学教授現在 隈研吾建築都市設計事務所、東京大学教授◆主な作品「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」「那珂川町馬頭広重美術館」「サントリー美術館」「根津美術館」

「2018年 『場所原論Ⅱ-建築はいかにして都市と統合できるか-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

隈研吾の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
フランツ・カフカ
村上 春樹
宮部 みゆき
有効な右矢印 無効な右矢印

自然な建築 (岩波新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする