- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004311829
作品紹介・あらすじ
イスラエルはいま、「ユダヤ国家」という理念と多文化化・多民族化する現実とのはざまで切り裂かれ、国家像をめぐって分裂状態にある。なぜそうした苦悩を抱え込んだのか。シオニズムの論理、建国に至る力学、アラブ諸国との戦争、新しい移民の波、宗教勢力の伸張、和平の試みと破綻など、現代史の諸局面をたどり、イスラエルの光と影を描く。
感想・レビュー・書評
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はじめに
著者:1990年代初頭、イスラエルに2年間滞在。当時イスラエルは「博物館」という言い方をしばしば耳にする。世界各地からやってきたユダヤ人が住むので、「文化の博物館」。また移住以前の地の言語を使用していたので「言語の博物館」
アラブ人という少数派:イスラエル建国前のイギリス委任統治期のパレスチナに住んでいたアラブ人。難民にならずにイスラエルに残った人々。ほとんどはイスラエル国籍/市民権を持っているので、イスラエル人と呼ぶこともできる。・・が多くは難民となりパレスチナを離れアラブ難民(パレスチナ難民)となった。
イスラエル人はユダヤ人か:本書でのイスラエル人は、イスラエル国籍/市民権を持つ人という意味で使用。「イスラエル=ユダヤ人」というのをひとまず棚上げして読んでください。
「ユダヤ国家」へのこだわり:上記のスタンスをとるのは、イスラエルの多くの人々が今後もずっと「ユダヤ国家」であり続けようと望んでいるから。イスラエルはユダヤ人のための国民国家でなければならず、そのためにはユダヤ人がイスラエルで多数を占めなければ「ユダヤ国家」という看板をはずすこと。したがってイスラエルがユダヤ国家でなければならないという立場は、国是として絶対に譲れない。
だからこそイスラエルは、ユダヤ人が多数である国家を防衛するために、イスラエルの安全保障を脅かす「敵」に対しては、武力など暴力を含むありとあらゆる手段を講じることになる。
臼杵陽:1956生。1988東京大学大学院国際関係論は癖家庭単位取得退学。京都大学博士(地域研究) 佐賀大学、国立民族学博物館等を経て、現在2009日本女子大学文学部史学科教授。
2009.4.21第1刷 図書館 -
広河さんの「パレスチナ」に対応する形で読む。
イスラエルがエスニック国家なんて
知ってましたか。
なかなか日本人には、中東の状況や歴史は理解しがたいが、自分が、日本人で、日本に住んでいることを感謝する。最近だいぶ危ういが・・・ -
宗教シオニズムとはシオニズムをユダヤ教の文脈で正当化する思想であり、シオニズム(エレツイスラエルの地を占領)に邁進する事でメシア降臨までのプロセスが早められると考えている。宗教シオニスト政党としては国家宗教党(マフダル)がありグーシュエムニームがここから派生した。カハ党もイスラエルをユダヤ教神政国家に変えようとしており宗教シオニズムといえる。
また極右政党イスラエル我が家の党首リーベルマンは修正主義シオニスト、ジャボティンスキーを尊敬しており、イスラエル国籍のアラブ人追放を主張している。
修正主義シオニズムは穏健シオニズムを修正する意味であり今のリクードに繋がる。しかしこの修正主義シオニズムと宗教シオニズムは世俗的か宗教的かで異なる。修正主義シオニストは委任統治時代の頃から対英闘争、アラブ勢力への武力行使を厭わなかった。軍事部門のイルグンはアラブ人虐殺事件やデイビッドホテル爆破などを行っている。
またユダヤ教の宗教勢力は神学生の兵役免除だけでなく安息日を社会に遵守させ出生婚姻相続埋葬などを監督する権力を持っている。国政にもアグダトイスラエル党やシャス党が進出している。建国当時、極左極右勢力と組まずに多数派を占めるには宗教勢力を取り込むしかなかった。 -
5章まで読了。それ以降は断念。
イスラエルの多様性を知ることができた。
ユダヤ教というと排他的でイスラム教との対立を思い浮かべがちだが、ユダヤ人の内部でも信仰心の強弱や人種などによって諸派が存在する事を知った。 -
難しすぎる国だよね。
民族国家でもないし、これで民主国家と言えるのかどうにも理解できない。それにも増して「反ユダヤ主義」が分からない。世界(特にヨーロッパでは)の嫌われ者なのはなぜ? まだまだ勉強不足だ。 -
イスラエルはパレスチナ問題とあわせて語られる事が多いと思うが
本書は新書というスペースの中で、イスラエルという国そのものを
なるべく大枠から伝えようとしてくれている。
そもそもの成立の仕方自体が
特殊な国だという気持ちで見ていると
特殊な場所の特殊な出来事のように見える。
いや、そうなのかもしれないけれど
どの点がどの程度特殊なのかということを考えにくくなってしまう。
しかし、人がおり、社会がある。そこは変わらない。
イスラエルは国民の統合をユダヤ教に委ねているわけではない。
ユダヤ教によって統合されている、
という人々もいればそうではないという人もいるし
ユダヤ教が根底であるが、アラブ人を排除する必要はないとする立場もある。
同じユダヤ教の中にもヨーロッパからの移民(アシュケナージ)と
アラブからの移民(ミズラヒーム)での立場の違い。
移民する時期の違いもあるが、
その多くは外面的な特徴の違いがあるだろう。
イスラエルで起こっている出来事は決してイスラエルだけの問題ではない。
いずれ同じ問題を解かなくてはいけない時が来る。
政治的、経済的な繁栄はそうした問題を解く時に猶予を与えてくれるというだけだ。
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社会主義シオニストはマサダ砦の玉砕における集団自決を、降伏せずに最後まで戦った国民的英雄行為の事例として称賛した。イスラエル版の「伝統の創出」である。(中略)
マサダの防衛戦でのユダヤ人の勇敢さが、ヨーロッパのユダヤ人がホロコーストに直面して戦わずして死を選んだという「不名誉」な受動性と対置されていることは明らかであった。(p.72)
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これは全く思いもしなかった視点であるが、
勇壮さは統合運動と相性が良いのであろう。シオニズムはそのような積極的な側面があると。
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和平の挫折は結局のところ、和平の果実の分配に与れずに不満を蓄積した貧困な社会層が、和平に反対する右翼勢力を選挙で支持したためであり、労働党が貧困層の不満に目を向けることができなかったからであった。「和平の配当」に与れなかった社会集団の代表が、貧しいミズラヒームであった。(p.191)
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弱いものが優先されることは合理的な配慮をすれば当然ありえない。
大多数を占めるものの利便性を図ることは、もっとも効率が良いはずだから。
しかし、それでは社会は自らを危うくすることでしか変われない。 -
2.3章を読んで。
ナチス・ドイツとの闘いの中でいかに自分たちの安全地帯を確保するかが急務だった建国期、それを阻むアラブやイギリス、ひいては国家存在について国連という名の元他国からの多数決で決められる状況は不安定極まりないものだっただろうな、とシオニストを同情してしまう。そんな状況を乗り越え軍事力の圧倒的な差で隣国にも打ち勝ち、国連による国家承認を経ていくシオニストの逆転ストーリーには圧巻させられた。しかし、ユダヤ国家と民主主義という矛盾を抱えた状態でのスタートが今後70年の歪みを作り出していったのだった。。。 -
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【要約】
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【ノート】
・日経アソシエ7月