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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004311973
みんなの感想まとめ
贅沢とは何かを深く問い直す本書は、フランスと日本の歴史を通じて「贅沢」の概念がどのように変化してきたかを探求しています。著者は、シャネルの「簡素でシンプルだがエレガンス」という発想を引用し、現代におけ...
感想・レビュー・書評
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「贅沢」とは何か、フランスと日本の歴史から紐解き紹介する。「プチブルジョア」なる世界からシャネルの「簡素でシンプルだがエレガンス」の発想で贅沢の質・品が変化、日本での「偽贅沢」(なんとか他人に見せたがる世界)など参考は面白い。現代は「美」と「贅沢」が本質的にも大きく変化し始めた。装飾でも高価なものでも安価なものでも似合う人、似合わない人が居るように「着こなし」「振る舞い」など「品」がなければ見かけの「贅沢」はない、と思う。更に趣味的(物欲からの贅沢)から心情・心理的な「贅沢」で世の中には増えてきたと感じる。「贅沢」は人の心の持ち方、捉え方次第でその価値をどこで求めるかの違いになってきた。
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2026年12冊目
著者の前作、「ブランドの条件」を読み終えて、贅沢(ラグジュアリー)とは何なのかをもっと知りたくなり拝読。
結論、ラグジュアリーは歴史と時間、手間をかけることだと解釈した。
筆者の表現では
『遠い昔に起源をもち、悠久の時を経て現在に運ばれてくる、そんなゆったりした時の流れこそ「贅沢の条件」』
つまり、今から、ラグジュアリーブランドをつくることは不可能であるということが再認識できた。
現代で生まれたラグジュアリーは、別の方が言っていたニュー•ラグジュアリーというカテゴリーですね。 -
贅沢とは何かを問い直す本。
19世紀のパリ、溢れんばかりの宝石を身に纏ったマダムたちの贅沢は幸せの証だったのか、そもそもそれは本当に贅沢だったのか。
その問いは現代を生きる私たちと決して無縁ではありません。 -
『モードの帝国』の山田登世子さん。
なんだか懐かしくなって、読んでみた。
ルイ14世の時代から説き始められる。
ファッションは男性のもの。
着飾ることが政治であり、目に見える権力ともなる。
市民革命後、ジェンダー化が進む。
男性はダークスーツ。
一方女性は、男性の所有物として高額なファッションに身を包む。
こうした流れに風穴を開けるのがシャネル。
大まかにはこんなストーリー。
ただ、一方で、贅沢とは心の問題。
時間がかかるもの。
むしろ修道院の清貧から生まれるようなストイックなものが、贅沢に転じる逆説にも着目する。
私にとって興味深かったのは、その修道院の部分。
約10年ほど前の本か。
NHKの語学講座テキストに連載されたコラムなどを改稿したものもあるようだ。
上質のエッセイとして、楽しませてもらった。 -
読んでいて、どんな感じのオネエサマが書いているのか気になってしまう一冊。男性ファッションの大きな流れとして、17世紀の派手派手から現代のシックへという大きな流れがある(少なくとも欧州)。ルイ14世時代の貴族ファッションには吹いてしまう。今でもトレンドの小さな周期はあるが、大きなくくりでは背広の葬列の時代だ。贅沢とは何か?という問いへの答えは、やはり「時間」「閑暇」であるようだ。贅沢な「閑暇」を持てるというのは、自分が何者かを分かっていて、しかもそれを他人に対して遠慮することがないことのようだ。目利きの感覚や、職人の手仕事はなかなか文章の情報には落とせない。シックの源流が修道院であるのは興味深い。白井正子がぜんぜん家事をせんかったのも初めて知った。武相荘の前で入場料に文句をたれたことを思い出す。
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贅沢と裕福は違う。かといって無関係でもない。はて贅沢とはなんぞやという課題に答えを探すべく、著者の専門分野である近世ヨーロッパ文化から、「贅沢」を考える材料が提供される。王宮、貴族、ベルエポックの都 .... なにぶんこうした価値観なので、ドイツやイギリスのような固い国ではなく、イタリア・フランスの中心の華やかな歴史がメインになる。その中で、一風変わった分析は、 贅沢とは真逆とも言える修道院である(ココ・シャネルは修道院出身)。「贅沢の条件」に対する演繹的な解はないが、帰納して愉しむネタが満載だ。
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バルザックの「暇なし人間」への批判から始まる本著。やはりゾンバルトのの奢侈論を辿るが、ブルジョアの跋扈により階級文化としての贅沢は富の競争の精華として認識されるようになり、そこで「ダンディー」達の反抗が始まる、という叙述は30頁まで。バロックからシックの時代がやってきたということだ。王朝風雅を慕いつつ身は侘びにやつすという中世からの日本詩人の姿を聯想する。著者は黒を基調とするシックなスタイルを「孔雀のような率直な自己顕示に代わって、メランコリックで内省的な自己顕示が現れた」と論じ、それを精神の英雄性の最後の輝きと見る。鮮やかな筆である。そこからは産業社会の幕開け。self-denial, diciplineの時代、明日のために今日を準備する「アジェンダ」の時代、贅沢(luxe)から富(wealth)の時代に移る。ここで著者はイギリスのアダムスミス、フランスにサン・シモン主義者を挙げ、次第に贅沢が貴族から女性に移っていく様を描く。そこでヴェブレンである。代理的有閑性、つまり夫の生産力の象徴としての妻の消費、それが夫の名誉の顕示となる。ここでようやくココ・シャネルが登場、ここまでで半分、読み応えあり。
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贅沢とは…?
年代別その人の置かれた状況によって感じ方は違う。
お金?自由な時間?家族と過ごす時?
様々に分かれるが、しかし、結論は心の持ちようと時間。優雅に如何に時間を過ごせるか。
ファッションや価値観が時代によってここまで変わったのか、ということも! -
7年後どこでどんなふうに生きているのか・・・自分にとっての夏炉冬扇、心のゆとりを求めて、この一冊の中で様々な出会いをしてみませんか?お金では買えないぜいたく、時間やタイムスケジュールに縛られずに生きる、そんなひとときをめざして。By 寧夢 さん
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何もしない、ぼーっとする時間が本当の贅沢な時間の使い方なのかも
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贅沢についての考察を時間をかけて行えることも贅沢だと思う。
彼女が贅沢とは何かと興味を抱く部分に共感。明確な結論はないように思えるけど、森茉莉や白洲正子の例、プロヴァンスの別荘から広がるヨーロッパ人の、歴史が感じられるもの好きの考察は面白かった。
タイム イズ マネー思想が全く関わりのない世界に贅沢はあるのかも -
なかなか興味深かったけど、事例が時には深く時には浅くで散漫な印象でした。私の読み込みがたりないのかも。
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201.5.29
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贅沢とは「退屈」だそうだ。
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時間を取り戻せ―『贅沢の条件』『貧乏人の逆襲』『モモ』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100803/1280783480 -
贅沢について。海外や歴史的背景もからめての考察。文章全体の惹き付感は弱いかも。
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先のみえない時代において、貧困でなく贅沢を問うた著作。
キーパーソンは、ココ・シャネル。
それまでの貴族的贅沢を覆して現代的なラグジャリーを世に広めたモードの革命児。
その原点は、シート会の修道院生活であった。
フランスリムーザン地方のオバジーヌにあるココ・シャネルが少女時代を過ごした修道院を見て、著者が見た真の贅沢の秘密とは。
貨幣に幻惑され続けている経済学者も必見の経済思想原論かも?
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
山田登世子の作品
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