- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004311980
作品紹介・あらすじ
たった三十一文字の歌のなかに、枕詞や序詞など、無用ともみえるレトリックが使われる理由とは?答えのカギは、「演技」という視点にあった-。身近な疑問を入口に、古典和歌の豊富な具体例をあげながら、千三百年も続いてきた文学形式の謎に真っ向から取り組む。歌の言葉と人が生きることの深いかかわりを読み解く、刺激的な一書。
感想・レビュー・書評
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Ⅰ 和歌のレトリック、Ⅱ 行為としての和歌 と題して、分かり易く解説しています。
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[ 内容 ]
たった三十一文字の歌のなかに、枕詞や序詞など、無用ともみえるレトリックが使われる理由とは?答えのカギは、「演技」という視点にあった―。
身近な疑問を入口に、古典和歌の豊富な具体例をあげながら、千三百年も続いてきた文学形式の謎に真っ向から取り組む。
歌の言葉と人が生きることの深いかかわりを読み解く、刺激的な一書。
[ 目次 ]
和歌は演技している
1 和歌のレトリック(枕詞―違和感を生み出す声;序詞―共同の記憶を作り出す;掛詞―偶然の出会いが必然に変わる;縁語―宿命的な関係を表す言葉;本歌取り―古歌を再生する;和歌的レトリックとは何か―まとめの講義)
2 行為としての和歌(贈答歌―人間関係をつむぐ;歌合―捧げられるアンサンブル;屏風歌・障子歌―絵と和歌の協和;柿本人麻呂影供―歌神降臨;古今伝授―古典を生き直す)
和歌を生きるこということ
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
開始:2023:2/3
終了:2023/2/7
感想
和歌をある種の呪文として解釈する試み。和を以て貴しとなす日本の営為を支える文化。喜び飛び跳ねる虚構の世界を作り出す様は水墨画の如し。 -
和歌を詠んだことはないが、本書はとても面白かった。31文字という限られた文字数の内の貴重な5文字を、意味を持たない枕詞に使うおかしさ。「和歌を生きる」という最終章もよかった。詩というのは世界をどう見るかということで、生き方なのだと思う。
メモ
https://local-clavicle-daa.notion.site/76506651363943cfaae4ee2c801fee12 -
解かりやすい
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お茶の水大学日本語日本文学コースの教員おすすめの本
和歌とはその時の情景をただ単に示してそこから描く感情を書いているものだと思ったけど、
体験の真実性に近づけるための虚構で、演技しているのでは?と作者は考える
1つの和歌であっても取り上げるところによってよみが変わったり、人によって感じ方は全く違うのだなあと感じた。
切ない恋心を歌った歌も、歌合の題に沿って書かれたり、成り切って書かれたものだと知ってなんだか残念だと思ってしまった、、、(無知だった)
でも表現も感性も素敵だなと再認識。
個人的にはこの本で出会った
「面影も別れに変はる鐘の音にならひ悲しきしののめの空」がぐっときました。 -
目次の章立てだけを見ると和歌の基本的技術や和歌がどのような場面で詠まれたのか、といった基礎的な事柄がタイトルの「和歌とは何か」通りに書かれているように見える。
しかし序章で提示される、「和歌は演技である」という主題が基礎的事柄のわかりやすい解説の中に編み込まれる。終章では和歌を詠むことと人の生きる世界の関係までも考察して、和歌を詠むという行為が言葉を通じて世界に繋がろうとすることであるとともに、そもそも生きるということが詩なのではないか、と世界を包括した考えが説得力と高揚感を伴って示される。
いわゆる和歌の入門書とは少し違うのかもしれないけどとても納得のいく論考であり、繰り返し読んでいきたいと感じる素晴らしい作品。 -
2021/10/14
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和歌を楽しむ人間としてではなく、「高校生に、受験の知識として教える人間」として、非常に感動的な本。
和歌の技法を「単なる技法」としてのみ認識すると、生徒にとって「単なる暗記対象」になってしまう。それではまったく面白みがない。生徒たちはなぜ(一般的に)15〜18歳という人生にとって大切な時間を、そんな無味乾燥とした知識の詰め込みに使わなければならないのか。私たち教員はなぜ1000年以上の時を経てなおこの国に残っている(それどころか、今なお燦然と輝き続けている)和歌を、そんなつまらない知識に堕させるようなことをしなければならないのか。
そういう気持ちで、「自分は大学で和歌を専攻したわけでもなく、在野の研究者というわけでもないのに、こんな教え方をしても良いのだろうか?」と悩みながらも、「これが生徒のためであり、和歌のためなのだ」と自分に言い聞かせながら(たぶん間抜けなヒロイズムに勝手に酔いながら)、「和歌の専門家」からすれば邪道と言われるだろうかたちで生徒に伝えてきた。
しかし渡部泰明はこの本の中で、まさしく私の言いたかったことを示してくれていた。 -
和歌とは演技性を持つ行為だ、というのが著者の主張の骨子のようだ。
序詞や枕詞などのレトリックは、言葉を儀礼的な空間に呼び込むための技法だ、ともいう。
そういった技法は言葉に二重の意味を持たせるものであり、声が重なるような感覚をもたらすものだと。
歌の中で役割を演じながら、他者とのつながりを作り出す、ということらしい。
こう書いていると、わかるような気もするし、ちっとも腑に落ちない気にもなる。
本書では実際の和歌がやりとりされる空間のことも扱っていた。
具体的には歌合せや古今伝授、屏風絵の歌など。
こちらは具体性があり、読みやすい部分。
やっぱり実際の歌合せや贈答の場面が見てみたいなあ。
結局そういう感想に落ち着いてしまった。
著者プロフィール
渡部泰明の作品





