聖書の読み方 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312338

作品紹介・あらすじ

聖書は信仰をもつ人だけが読むものなのか?本書は聖書を、広く人びとに開かれた書物として読むための入門書である。特定の教派によらず、自主独立で読む。聖書学者の著者が、自身の経験と思索をもとに提案する「わかる読み方」。キリスト教に関心がある人はもちろん、西洋思想を学ぶ人にも格好の手引きとなる。

感想・レビュー・書評

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  • 旧約聖書・新約聖書の読み方について平易に語った本。聖書といえば信仰の書であり、キリスト教信仰を持たない人間にはやや縁遠い書物だ。しかも教条的な読み方があったり、現在の科学的見地と相容れない記述も散見される。旧約聖書の預言書であれ、新約聖書の福音書であれ成立過程は複雑であり、一人の著者による統一された書物とは言いがたい。ともあれ、聖書は読みにくい書物なのである。

    本書はそんな非信仰者の学生向けの講義からなっているようでかなり平易な記述だ。本書の半分くらいは学生へのアンケートに基づいて、聖書がどう読みにくいのか、読もうとする人間はどういうところで躓くのかが書かれている。後半はそれを踏まえた聖書の読み方を述べ、後は旧約聖書・新約聖書の成立や並び方、構造について解説される。

    何よりも本書が目指しているのは聖書を自主的に読むように招待する(p.9)ことだ。教会を始めとする権威から「正統・正当な」読みを教わるのではなく、自分のものとして、自分の問題として読むことである。聖書を教会のものとしないこと(p.91)である。そのために著者は、実際に聖書を書いた人物の考えに定位することを提案する。
    「しかし、本当に聖書が「わかる」とはそういうこと【聖書を無謬の書と捉えて矛盾する記述を正当化する論理を立てること】ではない。それぞれの文書を書いている人間たちの経験と思考を理解することが大切である。それはそれぞれの文書の字面に書かれているとは限らない。とりわけ、物語部分ではそうではない。なぜなら、そこで表立って語られるのは、何よりもまず神の行動だからである。それはむしろ、書かれている字面の背後にある。」(p.92)

    キリスト教系の学校などで育ち、聖書には何となく縁があるが信仰はないような人には、改めて聖書とは何なのかとアプローチする入口になるだろう。個人的にはこうした段階は過ぎているし、むしろ信仰上の興味ではなく人類学的・宗教哲学的な興味なので物足りなさはある。

    さて、著者が悪の問題と「神の国」の譬えについて書いている箇所(p.129-134)が印象に残った。新約聖書の福音書の中には、イエスの奇跡話がある。そのうちには水の上を歩くなどの自然奇跡に並んで、病人を治癒するような治癒奇跡の話が多く見られる。病を始めとする心身障害で苦しんでいる人は、「神の国」に招かれているのだ、というイエスの見方は多くの人を困惑させる。これを著者は次のように読んでいる。イエスの時代のユダヤ社会では、心身障害は何よりも、モーセ律法に反したゆえに神が下した罰であると見なされていた。しかしイエスはここから発する弁神論には乗らない。心身障害による苦しみは、「神の国」の到来に対してサタンが最後の抵抗をしている証だと述べる。心身障害は本人(やその両親など)の責任ではない。そうした人々もまた、「神の国」に無条件で招かれているのだ、と。この見解はたしかに既存の(当時のみならず、現在の我々もまた)価値秩序の転回であり、困惑を生む。自分にはこの記述から悪人正機説を思い出した。阿弥陀仏の本願は途方もなく広いものであり、たまたま前世の因縁によって苦しい立場に置かれている人たちをも救うのだと。イエスの治癒奇跡の話も、そうした心身障害を抱え、社会から差別視されている人間もまた等しく救われるのだ、という見解を表したものなのだろう。

  • キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの、中近東の文化に触れていないと、
    聖書を読んでも理解できないかもしれない。

    日本人の多くが、聖書を読む前に、準備運動として読むと、理解するきっかけが生まれるかもしれない。

    子どもの頃から、聖書は読んでいたが、本書は大人になって、聖書を読み直すきっかけになった。

  • 聖書の初読者が必ずといっていいほどつまずくことになるさまざまな原因を、著者の授業でおこなわれたアンケートの結果に基づいて紹介し、聖書の読みづらさが何に起因するのか、そして、読みづらさを乗り越えていくためにはどのような読み方が必要なのかということを解説している本です。

    「聖書の読みづらさ」に正面から向き合うというスタンスで書かれた聖書の入門書ということで、ねらいはたいへんおもしろいと思います。ただ、聖書の読みづらさを克服していくための具体的な議論には乏しいように感じました。それぞれの問題に対して専門家の立場からどのように答えられるのかということについてのあまり立ち入った説明はなされておらず、聖書を読むにあたって読者に求められる基本的なスタンスを簡潔に紹介しているにすぎません。

    立ち入った説明は他の聖書の入門書に譲るということなのかもしれませんが、個人的にはもう少し内容に関する具体的な説明がほしかったように思います。

  • 聖書の読み方について知りたくて読了。この本は「聖書の読み方」の本。その点、「早わかり聖書」のほうが時代背景を知りたい人向けだと思う。

    「目次を無視して文書ごと繋がりを意識して読む(昔は「読む」行為は共同で行う物であった)」、「調停的に読まない」「即答を求めず、答えが後にやってくると考える」は参考になると感じた。

  • 結構勉強になりました。
    少し難しいかな?

  • 自由学園と聖心女子大において、著者が実施したアンケートをもとに、著者の聖書に対する考えをまとめた本です。タイトルの通り、ごく一般のひとたち(主にキリスト教信者ではない方)が聖書を読む上でつまづきがちなポイントと、その対策をじっくりと教えてくれる本です。

    本論は「問題提起とその対策」という不具合処理の定石通りの内容になっています。問題提起が著者の独断ではなく、著者が教鞭をとった大学の学生から寄せられた「タブー無しの」質問に基づいているところが本書の良いところでしょう。上から目線の講演、というよりは、なんというか伴走してもらっているような気分になります(ただ、福音書の中で出てくるイチジクを呪う話はどうしても腑に落ちません。いろいろな解釈があるようですが、結果的にここは「イエス=ワガママ親父」という印象が拭いきれませんでした)。

    「Ⅰ聖書の読みづらさ」を読んでいるとき、わたしはフロイトの著作を読んでいたときのことを思い出しました。本書の指摘する「読みづらさ」(全体を単独の作品として読めない、主語がもやっとしている、規範的なものというイメージが抜けない・・etc.)、どれもこれも当てはまるのです。そのまま「フロイトを読むヒント」として応用が利くのではないかというようなことを思いました。

    聖書を読んでみようと思うきっかけは本当に人それぞれだと思います。けれども、そこで当然のようにぶつかるであろう難読ポイントは、案外共通しているのではないでしょうか。なんとなく流すのではなく、わかったつもりになるのでもなく、当たり前の問いや疑問を大切にしていきたい、という気概を持っている方におすすめできる一冊です。

    (2015/10/03)

  • なぜ聖書は読みにくいのか、という問いに対して、聖書の構造を分析しながら解説している。特定の教派による偏った読み方ではなく、自主独立で読むためにはどうしたらよいか。目次順に通読しても難解だし、かといって拾い読みでは理解したことにならない。個々の文書の集合体である聖書は、目次を気にせず文書ごとに読むのが良い。聖書の内容の紹介ではなく、あくまでも“読み方”の手引きなので全くの初心者には不向きかも。自分も初心者だけど、先に読んだ日本文芸社『面白いほどよくわかる聖書のすべて』で得た知識がかなり役立った。

  • 「人間は神によって造られたもの」というのは、「いのち」が人間の勝手になるものではない、ということを意味している。人間は自分の髪の毛一本でさえ、白くも黒くもできない。自分のいのちさえ自分にとって「他者」である。創造主である神は、その超越的な根拠、言わば「絶対他者」である。

  • まず、ある程度聖書を読んだことがある人なら、今後の読解に役立つと思われる。

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