聖書の読み方 (岩波新書) (岩波新書 新赤版 1233)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312338

作品紹介・あらすじ

聖書は信仰をもつ人だけが読むものなのか?本書は聖書を、広く人びとに開かれた書物として読むための入門書である。特定の教派によらず、自主独立で読む。聖書学者の著者が、自身の経験と思索をもとに提案する「わかる読み方」。キリスト教に関心がある人はもちろん、西洋思想を学ぶ人にも格好の手引きとなる。

感想・レビュー・書評

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  • 聖書をしっかり読みたい人にはうってつけのガイドだと思う。西洋史の授業で紹介されていたんだけど、この内容をどうやってレポートへ繋げようか。

  • 旧約聖書・新約聖書の読み方について平易に語った本。聖書といえば信仰の書であり、キリスト教信仰を持たない人間にはやや縁遠い書物だ。しかも教条的な読み方があったり、現在の科学的見地と相容れない記述も散見される。旧約聖書の預言書であれ、新約聖書の福音書であれ成立過程は複雑であり、一人の著者による統一された書物とは言いがたい。ともあれ、聖書は読みにくい書物なのである。

    本書はそんな非信仰者の学生向けの講義からなっているようでかなり平易な記述だ。本書の半分くらいは学生へのアンケートに基づいて、聖書がどう読みにくいのか、読もうとする人間はどういうところで躓くのかが書かれている。後半はそれを踏まえた聖書の読み方を述べ、後は旧約聖書・新約聖書の成立や並び方、構造について解説される。

    何よりも本書が目指しているのは聖書を自主的に読むように招待する(p.9)ことだ。教会を始めとする権威から「正統・正当な」読みを教わるのではなく、自分のものとして、自分の問題として読むことである。聖書を教会のものとしないこと(p.91)である。そのために著者は、実際に聖書を書いた人物の考えに定位することを提案する。
    「しかし、本当に聖書が「わかる」とはそういうこと【聖書を無謬の書と捉えて矛盾する記述を正当化する論理を立てること】ではない。それぞれの文書を書いている人間たちの経験と思考を理解することが大切である。それはそれぞれの文書の字面に書かれているとは限らない。とりわけ、物語部分ではそうではない。なぜなら、そこで表立って語られるのは、何よりもまず神の行動だからである。それはむしろ、書かれている字面の背後にある。」(p.92)

    キリスト教系の学校などで育ち、聖書には何となく縁があるが信仰はないような人には、改めて聖書とは何なのかとアプローチする入口になるだろう。個人的にはこうした段階は過ぎているし、むしろ信仰上の興味ではなく人類学的・宗教哲学的な興味なので物足りなさはある。

    さて、著者が悪の問題と「神の国」の譬えについて書いている箇所(p.129-134)が印象に残った。新約聖書の福音書の中には、イエスの奇跡話がある。そのうちには水の上を歩くなどの自然奇跡に並んで、病人を治癒するような治癒奇跡の話が多く見られる。病を始めとする心身障害で苦しんでいる人は、「神の国」に招かれているのだ、というイエスの見方は多くの人を困惑させる。これを著者は次のように読んでいる。イエスの時代のユダヤ社会では、心身障害は何よりも、モーセ律法に反したゆえに神が下した罰であると見なされていた。しかしイエスはここから発する弁神論には乗らない。心身障害による苦しみは、「神の国」の到来に対してサタンが最後の抵抗をしている証だと述べる。心身障害は本人(やその両親など)の責任ではない。そうした人々もまた、「神の国」に無条件で招かれているのだ、と。この見解はたしかに既存の(当時のみならず、現在の我々もまた)価値秩序の転回であり、困惑を生む。自分にはこの記述から悪人正機説を思い出した。阿弥陀仏の本願は途方もなく広いものであり、たまたま前世の因縁によって苦しい立場に置かれている人たちをも救うのだと。イエスの治癒奇跡の話も、そうした心身障害を抱え、社会から差別視されている人間もまた等しく救われるのだ、という見解を表したものなのだろう。

  • キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの、中近東の文化に触れていないと、
    聖書を読んでも理解できないかもしれない。

    日本人の多くが、聖書を読む前に、準備運動として読むと、理解するきっかけが生まれるかもしれない。

    子どもの頃から、聖書は読んでいたが、本書は大人になって、聖書を読み直すきっかけになった。

  • 聖書のどう向き合うかを具体的に書かれた、いわば手引書。

  • 宗教書というのは、仏典でも聖書でもそうですが、怪しい。って思いませんか?

    科学万能の時代ですよ? どうしてもあら捜しの対象となったり、「あり得ない」奇跡の内容に、白けてしまったり、信者ってこれを100%信じているの?みたいに思ったりしませんか?

    世界の約3割が信じるというキリスト教にあっても、「聖書の一字一句すべてが神の霊感によって書き表されています」とか言う人を見ると、あ、違う世界の人なんだ、いい人かもしれないけど、まあ分かり合えることはあるまい、とか、自分から扉を閉めたくもなります。

    にもかかわらず、やっぱり気になります。
    非現実的とか、話の筋に統一感がかけているとか、現代科学と矛盾しているとか。そういう齟齬は信者だってきっと感じているんではないのかな、と。実際の信者はどうやって聖典と現実を調停しているのか。

    そうした疑問に答えてくれるのが本書。
    そのものズバリのタイトルですが、どうやって聖書を読むか、という話です。
    現実的な感覚でおかしい、あり得ない、的な部分をじっくり受け止めて答えを出してくれる本です。

    ・・・
    構成は結構シンプルです。

    第一章で、学生から集めたという聖書の分からなさ、不明点、読みづらいところを紹介し、聖書学者として解説しています。

    第二章では、言わば聖書の解釈学ですが、どのように『読む』べきかを解説しており、これが非常に役に立ちました。セクションの見出しを紹介しますと、
    1.キリスト教という電車
    2.目次を無視して文章ごとに読む
    3.異質なものを尊重し、その「心」を読む
    4.当事者の労苦と経験に肉薄する
    5.即答を求めない。真の経験は遅れてやってくる
    とあります。

    なかでも、1.にあった「基本文法」説は面白かった。これは新約の話なのですが、神の先在からキリストの受肉、・・・再臨・終末、とキリスト教のストーリの「流れ」を12に区分し、各福音書や文章がその一部を強調していたり、細部が異なる同類のストーリがやはり「基本文法」に沿っていることで、読者が統一感を感じられるというもの。

    また4.も興味深かったです。これは言わば聖書の「行間を読む」ということを勧めているのかもしれません。聖書とは弟子たちの残した言行録であり、その直弟子たちの個別の経験と反省、あるいは歴史的背景があって書かれています。あるいはその筆者のバックグラウンドがあって書かれているとするものです。いつ頃書かれたのかとか、真の筆者の生きた時代などを大まかに特定することで聖書の記述の意味合いを浮き彫りにします。

    そして最後の5も含蓄があり良かった。聖書の読みづらいところ、これを「躓き」ととらえ、そここそが読者にとって問題があるところ、という理解です。とくに新約は一般的な道徳倫理的な話も多いわけですが、個人的にいまいち納得しかねるところもあろうかと思います。そうした倫理がイエスによって叫ばれた理由・時代背景などを考えてみることは、新たな自己認識につながると思います。

    ・・・
    そのほか、第三章で、外伝を含め、まとまりごとに概要をサマってくださっています。

    この章は聖書そのものに格闘するときにきっと役に立つはずだと思います。

    ・・・
    ということで聖書の読み方、という本でした。

    聖書そのものに挑む前、挑んでいるとき、挑んだ後の再読、どのタイミングでも役に立つ書籍だと思います。

    私も来月くらい、本書を頼りに、聖書そのものに挑んてみたいと思います。

  • 聖書の読み難さの分析から始まって、聖書が前提とする基本的な視点・視座の解説、実際に読むときの心構え、そして各書の簡単な解説。
    もう少し具体的な基礎知識を解説したものかと思ったのだけど、それよりもう一歩前段階の内容が多い。
    とはいえ内容が薄いわけではなく、聖書を読もうとする人が挫折しやすいところを丁寧に押さえている。

  • 聖書は読みにくい。
    私は旧約聖書も新約聖書も頭から読もうとして、それぞれ出エジプトと使徒行伝で挫折しました。
    別にキリスト教徒というわけではなく、文学理解の補助線として読んだので、何とか通読できた創世記や四福音書でさえ、かなり苦行だった覚えがあります。

    本書の第一部では、学生アンケートをもとに聖書の読みにくさを整理しているのですが、共感すること頻りでした。
    聖書を読むのに挫折した人が読めば、あるあるばかりでしょう。

    第二部、第三部は、そもそも読み通せない聖書を読むための考え方や聖書の成立などについての解説。
    キリスト教徒視点よりも研究者視点の方が強いので、信者でない人にとって神父や牧師の説教集よりは読みやすいと思います。

    聖書は分かりにくい。だから分かりたいという人のための補助線としての本です。
    読みにくい聖書が急に読みやすくなったりはしないので、悪しからず。

  • あるグループの中で語られる言葉は、そのグループで共有されている「基本文法」があってはじめて理解できるもの。
    その基本文法は言い換えれば「自分なりの根拠」に過ぎない。

    だから、誰かに自分の信じるものを理解してほしいなら、その誰かが「基本文法」を共有していないことを前提に、どう表現したら伝わるかを工夫しなければいけない。

    本のメインテーマの聖書についてより、キリスト教徒がキリスト教徒でない人にキリスト教について話をする時の心構えが響いた。これってあらゆることに言えるよ。

  • 想像していた以上に良かった。

    題名的に初心者向けに書いてある様に思ってしまうけれど、実際にはある程度聖書を読んで少なくとも聖書物語で筋が追える位でないとここに書かれている内容をしっかりと理解するには難しいと思う。

    この本を読みながら思いを強くした。是非とも「聖書を読まずに聖書に強くなる講座」を開催したいと。




  • 本書の主な対象者は,「聖書は読みづらい」というテーマに思うところがある,さらにいうなら聖書を読もうとして挫折した人々だと思う。Ⅱ章「聖書をどう読むか」からが本書の本領発揮で,ここでの解説はむしろ精読へのポイントというくらいには詳しい(なので読んだことがない人には厳しい)。

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著者プロフィール

1945年生まれ。静岡県出身。東京大学大学院人文科学研究科西洋古典学専攻博士課程修了。1979年ミュンヘン大学にてDr. theol. 取得。東京女子大学助教授、東京大学教授を経て、現在東京大学名誉教授。2010-14年自由学園最高学部長。著書に『イエスという経験』(岩波書店、のち岩波現代文庫)、『グノーシスの神話』(岩波書店、のち講談社学術文庫)、『聖書の読み方』(岩波新書)など、訳書にハンス・ヨナス『グノーシスと古代末期の精神』(全2巻、ぷねうま舎)、エイレナイオス『異端反駁』(全5巻のうちⅠ、Ⅱ、Ⅴ巻、教文館)、『ナグ・ハマディ文書』(全4巻、共訳、岩波書店)などがある。

「2019年 『終末論の系譜』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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