思い出袋 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 330
レビュー : 41
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312345

作品紹介・あらすじ

戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。

感想・レビュー・書評

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  • とても、おじいちゃまが書いたとは思えない、するする読める文体でした。
    失われた時を求めて。百年の孤独(さらば孤独)など、さらに気になってしまいました。

  • 鶴見俊輔入門に最適。

  • 重いキーノートをバックに美しく複雑な音楽を聴いたような読後感。凄まじい知性と感受性。受けとる側(私)が未熟なため受け止めきれていない感があるが。

  • 思索

  • 80歳を超えた思想家が、自らの人生を振り返るエッセイといっていいのだろうか。雑誌の短い連載をまとめたものということもあってか、少し断片的な感じがあり、同じ話が何度か出てくるものだから、思想家の人生を問わず語りに聞かされているような、恍惚の人、夢うつつな感覚もなくはない。それでもしっかりと芯を感じさせるのは、やはり著者の生きざまゆえだと思う。

  •  内田樹氏のブログで「大学生が読んでおくといい本」として紹介されていたもの。

     1922年生まれでハーバード大学に行った著者は、第二次大戦中に交換船で帰国したという。そんな世代の思想家が80歳を越えて人生を振り返るエッセイ集。年寄りの思い出話のように同じ話が何回も出てくるが、雑誌に連載されたものだからだろう。

     古典的な本かと思ったら2010年3月初版なので意外に新しい。そして中身も割と軽く読めるが、浅いわけではない。あっさりした語り口なのでつい読み流してしまうが、よく考えるとかなり深いことが書いてあった気がする。

  • 一月一話で連載されたエッセイ
    テーマごとにまとめられているが、重複した内容もあり
    何か新しい議論をするとか、そういったものではない。

    鶴見俊輔がどういった人だったかは知らないが
    電車の中で毎日数話ずつ読んでいく

    読みやすい
    単純に読み流す話もあれば興味深いエピソードもある
    偉大な先人が、老年になってまとめた、この著書は
    どこか人を勇気づけさせる何かが存在する気がする

    ●気になったメモ
    ・ジョン万次郎のエピソード
     彼を救った船長は有色人種を受け入れる教会を探して
     移籍までした。万次郎は彼に「尊敬する友」と呼んだ
     ひざまずき感謝するのでは彼の心にそぐわない
    ・大臣、国会議員は今年、来年しかみない
     歴史的観点でみることができない痛烈な批判
    ・イランで人質となった日本人
     日本では反日分子扱い、自己責任で追い落とす
     アメリカでは「社会を前に押し出す」と評価
     この違いは何か。
    ・ある中国人が親から伝えられた日本人観
     心をうちあけてはならない。個人として良い人でも
     国家方針が変わればがらりと変わる
     ※日中戦争時代の話
     ※この本では書かれてないが鶴見俊輔の父親は
      家では日本は戦争の敗北を示唆しつつも
      仕事では戦争支援(国会議員だった)
      日本人というものが何か、と考えさせる
      鶴見俊輔は「一番病が日本をダメにする」と
      語った
    ・消滅にむかう老人
     昨日までできたことができなくなる
     もうろくの中心に、「ある」という感覚
     亡くなった人と生きている人の境界があいまい
     (そういえばマイルスディビス自伝でも、マイルスは
      似たことを発言していた)
    ・言葉
     死刑宣告された韓国の詩人への署名活動
     それを届けに行った時に、詩人から受けた言葉
     “Your Movement cannot help me.
    But I will add my name to it
    to help your movement.”
     単純に「ありがとう」ではなく、自分の主張を込め、
     かつシンプルな言葉で伝えることが自分にできるか
     鶴見俊輔は自分に問いかける
    ・日露戦争での誤ち
     勝ったのではなく負けなかった
     だが日本は「勝った」と考えた
     講和条約を結んだことへ反発での焼き討ち
     だが続ければ日本は負けていたのではないか
     この戦争を評価して大正、昭和が生まれていく
     
    ・耳順
     言葉の意味に自身が持てなかったが
     人の発言から自分に適切な意味の可能性を引き出す、
     と解釈している
     相手の言葉を聞かず、相手を否定、たたきのめす
     それは欧米から日本へ伝わった習慣
     ゆとりを持つべきではないか
    ・文学
     戦争中に看護師らが演じたプッチーニの演劇
     原作への忠実度はわからない
     だが、文学は欠片として人間の歴史の中を伝わる
    ・横浜事件
     2008年最高裁は事件を事実無根と認めることを拒否
     この罪は戦後日本の特色
    ・人の強さ
     空襲後。焼け出されて無一物になったことを
     ものともしない明るい声。
    ・黒人
     南北戦争後に選挙権は与えられたが行使権はなかった
     選挙に行こうとすると、KKKによる首吊りリンチ
     鶴見俊輔の知人も車を爆撃された(1970年のこと)

     

  • 他の方がおっしゃるように、繰り返し語られるエピソードがある。それだけ脳に刻み付けられてしまっているのだろう。

  • (2016.01.31読了)(2012.03.12購入)(2010.05.06・第2刷)
    鶴見俊輔さん哲学者、2015年7月20日に、93歳で亡くなられました。
    追悼を兼ねて、積読の山から探し出して、読みました。
    鶴見さんの著作は、ほとんど読んでいないと思っていたのですが、既読リストを見ると、三冊ほど読んでいました。訳書を含めると四冊になります。
    この本は、『図書』に2003年1月から2009年12月まで、7年間にわたって連載したものを一冊にまとめたもの、とのことです。
    記憶の断片を少しずつつづったもので、同じ話が何度も出てきたりします。何度の出てくる話は、きっと思い出深いものなのでしょう。老人の思い出話に付き合ってみようと思われる方は、手に取ってみてください。
    太平洋戦争が、始まったときは、アメリカに留学中で、日本に帰る船が出るというので、その船で帰ってきた。外国語ができたので、軍隊に入れられたときは、外国のニュースを聞いてその内容を新聞にして、軍隊内部の数人に、配布していた。
    戦後は、『思想の科学』の発行に参加していた。
    ベトナム戦争のときは、べ平連の運動に参加して、アメリカの脱走兵に手を貸す活動に加わっていた。
    アメリカの黒人に対する選挙権は、法律上は、早くに認められたことになっているが、実際は、KKKなどにの妨害されて、行使できなかった。行使できるようになったのは、公民権運動などの成果によってである。
    アメリカを外からの眼で見ることができるようになったのは、メキシコに滞在する機会が与えられた時である。この辺のことは、「グアダルーペの聖母」に書いてあったように思う。

    【目次】
    一 はりまぜ帖
    二 ぼんやりした記憶
    三 自分用の索引
    四 使わなかった言葉
    五 そのとき
    六 戦中の日々
    七 アメリカ 内と外から
    書ききれなかったこと―結びにかえて
    あとがき

    ●バルラッハ(30頁)
    十七歳のころ、ニューヨークの図書館で働いていた。大学の夏休みは長いので、三ヵ月近く、一日おきくらいに近代美術館に通って、たくさんの作品にそれぞれなじみになった。その中にバルラッハの木彫があって、ひざをかかえ、眼をつぶって、歌を歌っていた。
    (2006年に、芸大美術館で、バルラッハの展覧会が開かれた際に見ることができました。)
    ドイツ・表現主義の彫刻家 エルンスト・バルラハ展
    会期:2006年4月12日(水)-5月28日(日)
    会場:東京藝術大学大学美術館 3F
    20世紀に大きな足跡を残した芸術家の一人、エルンスト・バルラハ(1870~1938)の日本で初めての回顧展です。
    彫刻、版画、劇作の分野で活躍したバルラハは、生涯「人間」をテーマとし、貧困や飢餓、戦争に直面する人たちの喜びや悲しみを 重厚かつ素朴な芸術作品に表しました。最も注目を集めるのが宗教性をもたたえる彫刻で、生と死の感情が簡素な輪郭線で重厚に表現 され、見る人を深い観照へと誘います。
    本展では生涯に約100点制作された木彫の中から12点を出品するほか、ブロンズ24点、素描75点、版画36点、関係資料な ど合わせて約180点の作品を通して、バルラハ芸術の全容を紹介します。(『芸大美術館のホームページ』より⦆
    ●ベスト・テン(44頁)
    私にとってのベスト・ファイヴというと、水木しげる『河童の三平』、岩明均『寄生獣』、宮沢賢治「春と修羅」、ウィルフレッド・オウエン「ソング・オヴ・ソングス」、ジョージ・オーウェル「鯨の腹の中で」があがってきた。
    五冊足してベスト・テンにしてみた。魯迅『故事新編』、司馬遷『史記』、夏目漱石『行人』、トルストイ『神父セルゲーイ』、ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィン』。
    ●三島由紀夫(68頁)
    今もって私には、三島について感想をまとめにくい。敗戦後、「春子」などの作品に私はひかれた。やがて六十年安保のデモのすぐあとに書いた「喜びの琴」にも共感をもった。
    著者三島のおこした政治行動にはついてゆけない。
    ●池澤夏樹(122頁)
    池澤夏樹の著作では『ハワイイ紀行』が前人未到の試みだった。
    池澤の著作に近いものを日本文学にさぐると、大岡正平の小説『野火』と実録『レイテ戦記』に行きつく。
    『レイテ戦記』は、これまで日本の戦争小説の書き落としてきた、フィリピン住民からアメリカと日本を見る方向へと一歩踏み出している。
    ●試験問題(143頁)
    試験問題になることのない「なぜ生きているのか」は、今もわからない。ただ、もう少し生きてみようと思って、問題をかかえているだけだ。
    ●白い丸(144頁)
    先生は黒板に白墨で丸を書いて、くばった答案用紙に同じものを書いてごらんといった。一年生はすぐ答えを書いて、ハイ、ハイと手をあげた。その中に、手をあげない子がひとりいた。先生はその子のそばにじっと立って感心していた。その答案は黒く塗りつぶされ、その中に白い丸が注意深く塗りのこされていた。

    ☆関連図書(既読)
    「語りつぐ戦後史(上)」鶴見俊輔著、講談社文庫、1975.08.15
    「語りつぐ戦後史(下)」鶴見俊輔著、講談社文庫、1975.09.15
    「グアダルーペの聖母」鶴見俊輔著、筑摩書房、1976.07.15
    「右であれ左であれ、わが祖国」オーウェル著・鶴見俊輔訳、平凡社、1971.10.25
    (2016年2月1日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。

  • 「波風立男氏の生活と意見」で書いた感想参照→
    http://blog.goo.ne.jp/namikazetateo/e/888587fa24219a873c7fe653bb84a2e2

  • 戦後思想史に大きな足跡を残した鶴見俊輔氏。7月20日に93歳で旅立たれました。
    この本は、鶴見氏が80歳から7年間「一月一話」として、連載された文章の集成です。(2015/7/28)

  • 読了。

  • 開戦時にアメリカのハーバードで過ごし、戦時中は海軍で過ごし、戦後は知識人としてオピニオンリーダーとして過ごされている著者の自伝的エッセイ。様々な時代を通り、経験され、足元のしっかりされた人の言葉は心地よい。

  • 吉本隆明「追悼私記」
    「中井英夫戦中日記」
    「おだんごぱん」
    「いっしょうけんめい生きましょう」
    内山節

  • 氏の思想の基層を成しているのは、5歳のときに号外で知った張作霖爆殺と米国による日本への2発の原爆投下という歴史であるように思えました。並外れた知性と感性から語られる言葉のひとつひとつに強い共感を覚えました。また、この書で触れられているピアズ・ポール・リード著『生存者-アンデス山中の七〇日』や水木しげる著『河童の三平』を読んでみたいと思います。

  • これは文体のつるつるした感じがとても素晴らしい。

  • ・驚くべき博識、柔らかい感受性、抑制の利いた名文。まさに範とすべき珠玉の文章群だ。しかし、そのような賛辞ですら本質的ではないと思えてしまうのは、氏が本物の思想家であるからだろう。

    「この戦争で、日本が米国に負けることはわかっている。日本が正しいと思っているわけではない。しかし、負けるときには負ける側にいたいという気がした」(p34)

    「日米交換船に乗るかときかれたとき、乗ると答えたのは、日本国家に対する忠誠心からではない。なにか底に、別のものがあった。国家に対する無条件の忠誠を誓わずに生きる自分を、国家の中に置く望み」(p225)

    ・その「気」や「なにか別のもの」について、氏は、「ぼんやりしているが、自分にとってしっかりした思想」(p34)という曖昧な表現を与えるのみで、明晰に語ろうとしない。おそらく、明晰に語ることによって、思想が思想でなくなることを深く自覚しているからであろう。氏ほどの文筆家が、「言葉にならない思い」を大切にしているという、この一事を以って、私は氏を本物の思想家と見なす。

    ・惜しむらくは、過去の著作との重複が多かったこと。

  • 「自分にとってしっかりした思想」という話が印象に残った。
    「この戦争で、日本が米国に負けることはわかっている。日本が正しいと思っているわけではない。しかし、負けるときには負ける側にいたいという気がした。」という一文。

  • 実はコノ本じゃなくて、編集グループ〈SURE〉の本をUPしたかったのですが、Amazonでは扱っていないようなので、、、
    http://www.groupsure.net/

    岩波書店のPR
    「戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光るこの多彩な回想のなかでも、アメリカと戦争の体験は哲学を生きぬく著者の原点を鮮やかに示している。著者80歳から7年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」を集成。 」

    えっ「一月一話」!!!!!!!

  • 不良少年として生きる……国家と個人との関係を思考し続けてきた鶴見俊輔氏の力強い回想録。

     「くに」にしても「かぞく」にしても、それは現象として仮象的に存在するものにすぎず、モノとしての実体として存在するわけではない。しかし、誰もが一度は「くに」や「かぞく」を巡って「引き裂かれてしまう」のが世の常だろう。戦後思想史に独自の軌跡をしるす哲学者・鶴見俊輔さんは「不良少年」としてその歩みを始めた。名家・後藤新平の孫として生まれるが「不良少年」は日本を追われるように15歳で単身渡米、ハーバード大学へ進学して哲学を学ぶ。日米開戦とFBIによる逮捕、そして交換船での帰国と軍属の日々……。
     本書を著した時点で氏は88歳、自身の経験した出来事や人々との交流、そして印象的な書物の思い出を率直に綴っている。
     鋭利な知性と人間味溢れる感性が光る多彩な回想のなかでも、北米体験と戦争経験は、著者の思想的原点を鮮やかに示している。そしてみじんも変節がないことには驚くばかりだ。
     戦前、友人と日米開戦はあり得るのかと議論になったという。そのとき氏は次のようにいう。「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける」。国家と個人の関係を正視眼で思考し続けてきた氏ならではの重みある言葉だ。

     しなやかな知性とは、神の眼をもつことではない。たえず揺れのなかで自己を鍛え上げていく事なのではないだろうか。そのために必要なのは「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」ことだろう。
     社会の不条理に苛立つことは避けられない。そんなとき本書をゆっくり読むことをお勧めする。読むごとに目を閉じ、その言葉を噛みしめることで、もう一度歩み出す勇気をもらうことができる。

  • 鶴見氏の様々な戦前からの体験談が書かれていて非常に興味深い。
    日本を代表する哲学者の青年時期にどのようなことを考えていたのかがわかる。
    19歳で開戦を迎えて、その時ハーバードに留学していたのか。
    私も鶴見氏のように生きていきたい。

  • 人生の大先輩の言葉ひとつひとつが重みをもってのしかかり、激励してくるかのような読後感だった

  • 言葉が、心にしみいる感覚がたまらない
    一気に読んでしまいました。あふれでる言葉が少しの抵抗もなく、心にしみいる感覚が好きです。ほんとうに文章を読むことの心地よさを充分に味わいました。この一年間に何度も読み返しています。たしかになによりも名文ですね。知人、友人に幾度となく一読することを進めています。ひとつのエッセイに千文字ほどの文字からあふれる言葉から、文章に含まれた普通の人生哲学が、ふっと湧き上がるのを感じます。疲れた気持ちを解きほぐすエネルギーが、かすかに力強く満ちてくる息遣いを感じ取るのです。戦前戦後の日本と世界について、良きも悪いもすべてをはっきりと見据えた個人としての思考が著者の八十年におよぶ経験と行動において、静かなうちにも脈々とわきでる生命力にあふれんばかりです。淡々とつづられた言葉をまたあらためて読みなおしています。今日もまた、先輩の知人に一読するようにうっかりつぶやいてしまったしだいです。

  • 著者、鶴見俊輔が80代で連載していたエッセイを纏めた本。著者は、ハーバード大の哲学科卒の哲学者であるが、文章は平易で読みやすい。
    青年の頃にアメリカに留学(放逐された?)した経験もあり、日本への視点も鋭い。その主義・主張・軸は加藤周一に通じるものがある。
    この主義・主張・軸は明治を知り、戦前、戦中、戦後を知る者の感性から生まれてくるものであり、現代社会の我々も心に留めておきたい。

    (引用)
    ・ベネディクトが日本文化を「恥の文化」としておおざっぱに規定したのに対して、作田啓一は、日本文化の流れに恥とは別に「はじらい」の感覚があることを、太宰治の作品の分析をとおしてくり広げた。

    ・「〇〇は古い」は、明治以来百五十年で最も長持ちしている文化遺産かもしれない。・・・文明はエスカレーターに乗っているように二階三階と進んでゆく、というまぼろしが日本の近代史にはあり、それは敗戦をはさんで復活した。・・・・温故知新は、新知識の学習とともに、私たちの目標としてあらわれる時がくる。

    ・なぜ、日本では、「国家社会のため」と、一息に言う言い回しが普通になったのか。社会のためと国家のためとは同じであると、どうして言えるのか。国家をつくるのが社会であり、さらに国家の中にはいくつもの小社会があり、それら小社会が国家を支え、国家を批判し、国家を進めてゆくと考えないのか。

    ・心は自分以外のものを見ていないと、正気を失う。アウシュビッツの強制収容所に閉じ込められたフランクルは、おなじ仲間の老女がいきいきと毎日を過ごしているので、どうしてかとたずねた。すると、彼女は道に見える一本の樹を指して、「あの木が私だ」と言う。

    ・日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正しく正当化する傾向を共有し、世界各国の大学もまたそのようにつくられていて、世界の知識人は日本と同じ性格をもつ、と信じている。しかし、そうではない。若い国家であるアメリカ合衆国においても、ハーバード大学は1636年創立、アメリカ合衆国の建国は1776年で、そのあいだのしばらくの年月は、米国の知識人の性格に影響を与えてきた。

    ・2百年前の渡辺崋山、高野長英、百五十年前の横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作、百年前の児玉源太郎、高橋是清、さらに夏目漱石、森鴎外、幸田露伴たちは、大づかみにする力を、その後の人たちにくらべてもっていた。

    ・日本の国について、その困ったところははっきりと見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける。

    以上

  • 岩波の「図書」で読んだはずだが,記憶のない話もかなりあった.でも,哲学者というのはものを考える基本が異なっている感じがする.
    膝を打つ話が満載だ.

  •  戦中、戦後を通して出会ってきた多くの人、本、出来事について語る。歯に布着せぬ物言いで読んでいて心地よく、簡素な文体であるにもかかわらず非常に滋味溢れている。気が利いたこと、本質を突くようなこと、その鋭さは、二人は全く違ったタイプの人間であるが小林秀雄先生を思い起こさせた。

    吉本隆明の『追悼私記』「三島由紀夫」には、こうある。

    「知行が一致するのは動物だけだ。人間も動物だが、知行の不可避的な矛盾から、はじめて人間意識は発生した。そこで人間は動物でありながら人間と呼ばれるものになった。
     <知>は行動の一様式である。これは手や足を動かして行動するのと、まさしく同じ意味で行動であるということを徹底してかんがえるべきである。つまらぬ哲学はつまらぬ行動に帰結する。なにが陽明学だ。なにが理論と実践の弁証法的統一だ。(中略)こういう哲学にふりまわされたものが、権力を獲得したとき、なにをするかは、世界史的に証明済みである。こういう哲学の内部では、人間は自ら動物になるか、他者を動物に仕立てるために、強圧を加えるようになるか、のいづれかである。」

     他方著者は今もって三島について感想をまとめられないという。三島の自死のしらせを聞いたときのうろたえがまだのこっているのだと。
     追悼の言葉は日常の言葉とかわらない。まにあわないことがあるのだ。と

    そして今日、アップルのCEOであるジョブズの死の知らせを聞いた。追悼の心はある。しかし感想はまとめられない。
    言葉がいま感じているその心に足りないこともある。

  • 知性というものについて、命というものについて、再度検討する視点をあたえていただきました。

  • 11/09/30。

  • [ 内容 ]
    戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。
    抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。
    著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。

    [ 目次 ]
    1 はりまぜ帖
    2 ぼんやりした記憶
    3 自分用の索引
    4 使わなかった言葉
    5 そのとき
    6 戦中の日々
    7 アメリカ 内と外から

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 名前も知っているし、原稿を読んだこともある。
    けれども、自分にとっての読み時があると言うのか、
    突然、その人の文章が身体に沁み込んでくる感覚がある。
    鶴見俊輔『思い出袋』を読む。
    岩波の雑誌「図書」に著者80歳の時から
    7年かけた連載をまとめた新書である。

    鶴見はハーヴァードの哲学科に学び、
    戦時中はシンガポール、インドネシアで短波放送の解読や
    幹部向けの新聞づくりなどの任務を果たした。
    後に鶴見がベ平連の活動として
    良心的兵役拒否の米兵を助けたことは
    幼少から大学時代、そして戦時中の体験に連続した行動であった。

    僕が鶴見に共感するのは、
    国家から意識の距離を置き、国家の過ちも見逃さないことと
    それでも国家に属することを受け入れる個人を貫く生き方だ。
    本書はそうした鶴見の考え方、生き方が
    平易な文章で書かれている。
    難しいことを平易に書くのが真の知性である。
    自分の中に生きる不良の自分に水を枯らさぬようにする
    と断言する80代。
    鶴見の全著作と時間をかけて対話したいと僕は思った。

    昨日は若手同僚の結婚パーティに出席した後、
    電車を乗り継ぎ、西太子堂の会員制角打ちKに寄り道した。
    うまい酒と簡素なつまみで鶴見の著作と対話してみたかった。
    Kの親父がで愛を込めて綴る
    名酒「小左衛門超活性にごり」は季節ものだけに
    店にあるうちに味わっておきたい。
    親父や常連らしき客が「あわあわ」と呼ぶのがこの酒だ。

    家族経営のこの店で「チーズ盛り合わせ」を注文すると、
    忘れかけた頃合いにおばあちゃんが運んできてくれる。
    わずか300円のつまみと侮るなかれ。
    4種のチーズ(ブリー、ほうれん草、トマト、クリーム)
    と軽く焼いたプレーン・ラスク3枚が小皿に並ぶ。
    これが日本酒に実に合う。
    親父の日頃の研究成果の一端を披露するつまみなのだ。

    テーブル代わりの酒樽に酒とつまみを並べ、頁を繰る。
    いい感じに酒が回り始めて、
    鶴見の言葉がするりするりと身体に入ってくる。
    にごりは気づくと腰を取られるから用心が要る。
    が、この「あわあわ」、もう一合だけ飲んで帰りたい。
    家までちゃんと帰れるかな?

    (文中敬称略)

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著者プロフィール

1922年東京生まれ。哲学者。15歳で渡米、ハーヴァード大学でプラグマティズムを学ぶ。アナキスト容疑で逮捕されたが、留置場で論文を書きあげ卒業。交換船で帰国、海外バタビア在勤部官府に軍属として勤務。戦後、渡辺慧、都留重人、丸山眞男、武谷三男、武田清子、鶴見和子と『思想の科学』を創刊。アメリカ哲学の紹介や大衆文化研究などのサークル活動を行う。京都大学、東京工業大学、同志社大学で教鞭をとる。60年安保改定に反対、市民グループ「声なき声の会」をつくる。六五年、ベ平連に参加。アメリカの脱走兵を支援する運動に加わる。70年、警官隊導入に反対して同志社大学教授を辞任。著書に『鶴見俊輔集』(全17巻、筑摩書房)『鶴見俊輔座談』(全10巻、晶文社)『鶴見俊輔書評集成』(全3巻、みすず書房)『戦後日本の大衆文化史』『戦後日本の精神史』(岩波書店)『アメノウズメ伝』(平凡社)ほか。

「2015年 『昭和を語る 鶴見俊輔座談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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