- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004312352
作品紹介・あらすじ
日本は同性愛者に寛容というのは本当だろうか。なぜ「見えない」存在なのか。エイズ問題や公共施設の利用拒否事件、ある殺人事件などを題材にしながら、異性愛社会に染み付いたホモフォビア(同性愛嫌悪)の諸相を描き出す。また、同性愛者が肯定的に生きていくための取り組みも紹介。同性愛者から見た、もうひとつの日本社会論。
感想・レビュー・書評
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セクシャルマイノリティの立場について、時代ごとの変遷が記述されています。
同性が好きというだけで殺されたり、精神異常者として治療の対象とされた過去。今の日本も差別や偏見が多いとはいえ、過去と比べるといくらかは権利が認められ、前進しているのだなと感じました。
またエイズの流行がセクシャルマイノリティへの「迫害の加速」、セクシャルマイノリティ自身の「前進の起爆剤」となった、相反する両面性について触れられていたことも興味深かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さくっと概要をおさえられる新書らしさが魅力、そのぶんさらっと流してしまった… セクシュアリティやジェンダーがいかに社会において可視化されにくく課題を持ち、偏った規範によって排斥されているか、ということを改めて思う
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つい最近まで、同性愛者は広辞苑で「異常性欲者」と定義付けされていたという。またこの本の中で取り上げられている「青年の家利用拒否裁判」は、同性愛者が常に"性的な"存在として見られてしまうことがその問題の根底にあるだろう。"普通の"異性愛者と"異常な"同性愛者、という構図が根強く存在するからこそ、同性愛者は自分の性的指向を隠す。そして闇に潜り、一人もがき苦しむ。
同性愛者の問題がエイズ、裁判、社会的偏見など様々な視点から論じられる。なるほど、世間がいかに"普通の"異性愛者を基準にして作り出されているかが分かる。このような状況は、何も同性愛者に限らず、この社会におけるマイノリティと呼ばれる人々にも通じるものがあるだろう。
同性愛の歴史や葛藤だけでなく、普通というものがいかにマジョリティの普通に過ぎないかがよく分かる一冊。再読したい。 -
「日本は同性愛に対して昔から寛容だった」とたまに言われますが、果たして本当にそうなのか? という問いに答えてくれる本です。
あとがきでも書かれていましたが、パートナーがいるかどうかを尋ねるときに必ず「彼女はいる?」「彼氏はいる?」という聞き方になる、という点からして、僕らは日常的に異性愛をノーマルなものとして考えているんですよね。
そうした日常的な感覚に、刺激を与えてくれる良作です。 -
実際の事例も細かに記されていて、内容の把握がしやすかった。「性同一性障害」と「同性愛」は何が違うのか、などの基礎的なことについても分かりやすく頭に入ってくる。まだまだ、自分自身の考えの足りなさや知識不足を感じさせてくれた本だった。
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「愛」を「生殖」に従属させるという発想が、そもそも即物的なイデオロギーだ。「種の保存」だとか「本能」だとか、誰が言い出したか知らない匿名のテーゼに束縛される必要は全くない。
生殖可能性を根拠に「異性愛+結婚=自然、同性愛=逸脱・病気・犯罪」という異性愛主義(heterosexism)と同性愛嫌悪(homophobia)が"正当"化される。恣意的なジェンダー規範の強制から自由でいられる社会を望むならば、それは同時にセクシュアリティの規範からも自由でいられる社会でなければならないのではないか。「性愛」というのは、個人のアイデンティティの奥深くに根ざしているものの一つだ。多様な生/性の在りようを包容できる社会が望ましい。
同性愛者は、往々にして「性」の側面ばかりが強調されて、常に同性間セックスのことばかり考えている「性的存在」とみなされてしまう偏見についての指摘は、興味深かった。
具体的なケースを通して、セクシュアリティの問題に限らず社会的マイノリティとどのように向き合っていけばいいか、考えさせられる本。 -
「男の絆」関連本。エイズ問題、青年の家利用拒否裁判などの事例をもとに、日本社会における同性愛と異性愛の現状や問題を論じた本。
巻末の映画ガイドが参考になった。 -
渡邊太先生 おすすめ
34【専門】367.97-K
★ブックリストのコメント
1980年代以降、日本社会で起こった同性愛をめぐる様々な事件の考察を通じて、日本社会に染み付いた異性愛主義(ヘテロセクシズム)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)を問い直す。セクシュアリティを考えるための入門書。 -
同性愛差別の歴史や判例について詳しく記されていた。
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日本の社会における「同性愛」の歴史・差別・認知についてバランス良く学べる一冊。私たちの暮らす社会は「異性愛」を前提として全てがシステム化されている。それゆえ、同性愛者の存在を認識することから始めなければならないと、著者は鋭く指摘する。また、「人権とは多数者の理解が得られないからこそ、その保障が強く求められるもの」という一節は、第2章で描かれる行政訴訟での主張と共鳴し、読む者の胸に力強く迫ってくる。