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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004312383
みんなの感想まとめ
ぼんやりする時間の重要性を再認識させてくれる内容で、現代の忙しい生活の中で忘れがちな「ぼんやり」の価値を探求しています。著者は、ぼんやりすることで心に余白が生まれ、より豊かな感受性や創造性が育まれると...
感想・レビュー・書評
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1.著者;辰濃氏は、大学卒業後、朝日新聞社に入社。ジャーナリストでエッセイスト。ニューヨーク特派員、編集委員、論説委員・・を歴任。1975~1988年まで「天声人語」担当。「文章の書き方」「文章のみがき方」「四国遍路」等、著書多数。名言は、「雨が降れば雨と共に歩く、病気になれば病気と共に歩く、風が吹けば風と共に歩く」。
2.本書;先人の言葉を傾聴し、自身の体験を交えながら、豊かさを模索したエッセイ。都市化は暮らしを便利にした反面、地球環境を破壊。時間と効率を常に追い求める生き方が現代人の心を荒廃。こうした認識で、辰濃氏は、“ぼんやりと暮らす事の価値を再認識した方が良い”と説く。三章構成(第一章;ぼんやり礼賛→常識に逆らった人、第二章;ぼんやりと過ごす為に→その時間と空間、第三章;ぼんやりと響き合う一文字)。
3.個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、感想を記述);
(1)第一章の中の『6.ぼおーっとして生きる』より、「深沢(七郎)が多くのエッセイで説いているのは、「終日ごろごろ寝転がって暮らせ」という事ではなく、「何もせずにひたすら森にこもれ」と説いている訳でもない。繰り返し言っているのは「楽しい時間を作れ」という事。「・・嫌な事は忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作る事だ。・・稼ぐのは面倒くさい事だが、楽しい瞬間を作る為にはそんな支度が必要なのだ。・・」
●感想(1)⇒「楢山節考」等の著作で知られる、深沢七郎氏の生き方です。氏の思想は、人間滅亡教(自分の食べる分だけ働いて、後はぼおーっとして暮らせばいい)と言われます。その生き方は、羨ましい反面、社会的にはやや問題です。人としての義務(仕事への貢献・子育て・・)を果たすという社会貢献が人間の責務だと思うからです。ただ、「稼ぐのは面倒くさい事だが、楽しい瞬間を作る為にはそんな支度が必要」と言っているように、“ぼおーっとして生きる”前提としての労働観に一安心。
「楽しい刹那の集積が人の一生」と言う深沢氏。しかし、この世は、楽しい事よりも、嫌な事・苦しい事の方が多いのでないでしょうか。苦しみを重ねる程、楽しさが倍加するのも事実ですが。
(2)第二章の中の『2.心安らぐ居場所で』より、「休むことが仕事に励む力を生む。・・いい静があるからこそ、いい動が生まれるのではないか。いい休みがあるからこそ、いい働きが出てくるという面もあるのではないか。暮らしの中心にあるのは、むしろ静であり、休みである。楽しい休みや、幸せな静があるからこそ、創造的な動や働が生まれるのだ。そう思えてならない」
●感想(2)⇒静の前提としての仕事について。高度成長を演出した企業には、家庭よりも仕事に力を入れる社員が多くいた、と聞きます。仕事の持帰りが当り前で、静の時を味わう事が難しかった時代です。今でこそ、働き方改革が叫ばれ、ゆとりある労働が奨励されます。評論家の中には過去の労働形態を悪のように言う人がいます。それは違います。ゆとり論議が出来るのも、先人の努力により、生活水準が向上したからです。問題はあったものの先人に感謝すべきです。私は、実務経験がなく、批判するだけの人達を信用しません。現場の苦労を身を以て理解できないのです。さて、著者が言うように「楽しい休みや、幸せな静があるからこそ、創造的な動や働が生まれる」に賛成です。“静”は難しく考えず、自分流で良いのです。私の静の一つは、連続休暇の時の家族旅行で英気を養う事でした。
(3)第三章の中の『「ぼんやり」響き合う一文字』より、「どんなに貧しい暮らしをしていても、心がたくさんの喜び、たくさんの満足、たくさんの感謝、たくさんの情け心に満ちていれば、その人は心の豊かな人、つまり“心の富める人”と言えるだろう。・・立居振舞いがいかにも閑居で、ゆったりしていて、落ち着いていて、急がず、いらだたず、こせこせせず、その一瞬を大切にする余裕のある人は“貴い人”と言っていい」
●感想(3)⇒著者が白居易の詩を自分流に解釈したものです。“心の豊かな人(富める人)”では、「たくさんの感謝、たくさんの情け心」が重要と思います。私は、幼い頃に母から、「他人様を優先しなさい、自分は後回しでよい」と言われました。それを思い出すた度に、母の“人への感謝心”を尊敬します。“謙譲の精神”は人間関係の潤滑油の一つという事でしょうか。次の“貴い人”になるのは大変難しい事です。苛立ったり・怒ったり・・は、人間の性です。「小人閑居して不善をなす」と言います。そうならないように、事ある毎に日々反省し、度量ある生活を心掛けたいものです。
4.まとめ;著者は本書の主題を、「ぼんやりする事、休む事、懶惰である事、閑な事、それらを楽しむ事の素晴しさを考える」と言っています。そして、「生を大事にする要諦は、今日という日の、今という時間を、ゆったりと、のどやかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きる事だろう」と締めています。“ぼんやり時間”は生活にメリハリをつける為にも、老若男女を問わず、万人に必要と考えます。本書は12年前に出版。社会環境は大きく変化しましたが、人間の本質は変わらず、息抜きは必要です。私は、“ぼんやり時間”をリラックスタイムと解釈。現在は、「早起きし、一杯のコーヒーに舌鼓を打ちながらの読書」が至福の時です。蛇足です。愛犬を亡くし、新たな癒しを模索中。(以上)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ぼんやりする時間」がもたらしてくれる様々なことを、多くのエッセイを紹介しながら説明しています。
時間や情報に追われている現代人にとっては特に、ぼんやりする時間を作ることが難しいですが、確かにひらめきや心の整理などはぼんやりした時間にできることが多いのではないかと思います。
つい生き急ぐかのように一日をバタバタと過ごし、何も行動に移さない時間はもったいないと思ったり、無駄な時間だと感じがちですが、もっと積極的に「ぼんやりする時間」をとろうと改めて思いました。
引用されているエッセイの数々の言葉にも興味をひかれたので、読みたい本が増えました。嬉しいです。 -
現代人、特に子供達に最も足りないものがこれ。
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「ぼんやり」の時間をもっと大切にしよう、というのが本書の主旨。
ぼんやりと過ごせば、心に余白が生まれ、感受性が研ぎ澄まされる。自然との一体感を味わい、心を解き放つことができる。それは人間の創造性の源となる。
筆者は、飛躍した言い方になるのは承知の上で、「ぼんやりしてみようよ」と主張することは「近代」を問い詰めることになるとも述べる。近代化は街を賑やかにする一方で森や闇、静謐、風土生命体などを奪ってきた。それは即ちぼんやりする場所や時間を奪うことでもあり、そのことが心の破壊とも繋がっているのではないかと。
このような主張でも文章が押し付けがましくないのは、筆者自身が自然の中で懶惰に、ぼんやりとしながら執筆を進めたからだろうか。
いわゆる「タイパ主義」という考え方が轟きはじめている現代にも響く内容だと感じた。
1930年に生まれ、大戦も含めあらゆる時代・世代を眺めてきた筆者だからこそ書けた文章なのではないか。絶版が残念だ。
らん‐だ【懶惰・嬾惰】
〘名〙 (形動) なまけ怠ること。また、そのさま。(精選版 日本国語大辞典)
関連本
串田孫一『山のパンセ』
谷崎潤一郎『懶惰の説』
ミヒャエル・エンデ『モモ』
【メモ】
図書館でたまたま手に取った。 -
ショート動画などコスパが要求される世の中でぼんやりする時間の貴さが説かれる。今の世の中の「絶対的にぼーっとする時間は無駄である。」という考え方をすべて崩してくれた本だった。
たまには何も考えずぼんやりしてみるのも良いかなと思えた -
スマホより、ぼんやり。
串田孫一、岸田衿子、池波正太郎、高木護、ソロー、深沢七郎、山田無文、バートランド・ラッセル、寒山、鴎外、良寛、熊谷守一 -
2010年に書かれた『ぼんやりの時間』。その時以上にぼんやりできなくなっている気がしている。
風が吹き抜ける場所で肩の力を抜いて、息を吐くことに重きをおいた深呼吸をする。木洩れ日を観たりコーヒーを飲んだりぼんやりする。気分転換として、気分という名のギアを『速く』から『ゆっくり』に変える。生きる糧を得るために必要な時間。意識的にとらないとぼんやりできないという状態がまずよろしくない気がしている。
Tranquility(静穏、静寂、静寂、静謐、平穏…)という単語を知った。
「静けさ」というだけではなく、そこには旅びとをまるごとつつみこみ、穏やかな気分にさせてくれる粒子があった。肩や首の凝りをやわらげるものが宿の内外に満ちていた(p.129)
色々な表現でのTranquilityがあって、微妙なニュアンスの違いを楽しむのも面白いなと思った。
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「ぽかんとしていると、そこら辺の景色がじつに鮮やかに見えてくる。木も、草も、小石も、空も、雲も、風も、日向も、小鳥たちも。どのように見えてくるかというと、木は木のごとく、空は空のごとく見えてくる。風の吹き様も見えてくるし、彼らのおしゃべりだって聞こえてくる」(p.61)
居場所とは「質のいいぼんやり時間」を約束してくれるところなのだ。(p.124)
色と空でいえば、色は実体だ。あらゆる事物は色という一文字で表すことができるが、その色を消し去れば、空の状態が現れる。
すべてを空にするという心の状態をへて、色、つまりあらゆる事物は新しい光を浴びて現れることになる。(p.160) -
背ラベル:914.6-タ
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勤勉で実直、頑なな平均的日本人像を地で行く人から見れば、「ぼんやりする」「ぼーとする」という言葉や行為には否定的だろう。
著者は、「ぼんやりする」ことを積極的・肯定的に捉え、余白(ゆとり、余裕でもいいかな)の時間をつくることが、豊かな人生を送る上に必要である…と説く。
朝日新聞記者として長年に亘って【天声人語】を担当した著者の文章には、言うまでもなく、無駄をそぎ落とした上での間や余白の取り方の上手さが、「ぼんやりする」ことで培った技として見事に結晶している。 -
大好きな本
和田秀樹さんの本に登場したので、図書館で借りて、
ぼちぼち旅に連れてった。
車窓の景色と内容が私を脱皮させてしまった。
読み返したくて、身軽になるため、処分する生活になってきてる中、本買ってしまいました・・・
大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさにしる(白隠)孤独からはなれ力が満ちてくるのがわかる -
自己啓発
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1 「ぼんやり」礼賛―常識に逆らった人びと(「ぼんやり」という貴い時間;「いそがなくてもいいんだよ」;散歩の醍醐味;放浪―マムシと眠る;夢想にふけって;ぼぉっとして生きる;自然にとけこむ;気分を変えるために)
2 ぼんやりと過ごすために―その時間と空間(「むだな時間」はむだか;心安らぐ居場所で;静寂のなかでこそ;温泉の効能)
3 「ぼんやり」と響き合う一文字(「闇」―蛍と星とダークマター;「独」―独りでいること;「閑」―逆茂木に囲まれて;「怠」―「一日四時間労働」の夢;「瀬」―心の余白)
著者:辰濃和男(1930-2017、東京、ジャーナリスト) -
夜静かにこの本を読んで、その日の荒れた心を癒して
もらった。
ぼんやりすることには肯定面と否定面があって、この
本は肯定面に徹底的にスポットをあてて、その効能を
やさしくきれいな日本語で教えてくれる。
「光」の恵みを考えるならば、「闇」の恵みにも思いを
いたす必要がある。「動」や「働」や「がんばり」が大切
だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」もまた、
いかに大切であるかを考えねばならない。
こんな思いを、池波正太郎や串田孫一などの著作や
言葉を引用しながら、書きつづっている。
上で、”やさしくきれいな日本語で”と書いたが、それも
そのはず、著者は1975年から88年まで「天声人語」
を担当していたその人。
だからというわけではないだろうが、各段落が比較的
短い。でもそのリズムが疲れた頭と心にはとても心地
いい。
最後まで読み終えて、「緑があるところでぼんやりしよう」
と決めて、今日それを実行に移した。
本書にあるとおり、”貴い時間”を過ごすことができた
気がする。 -
ぼんやりを肯定するための挑戦的な本。定年までつとめ上げた後の、ぼんやり生活を肯定するための本か?
忙しいことを否定するのではなく、ぼんやりの肯定面を探し出してまとめた本。
休み開けには、アイデアが湧き出るというのは、経験したことがある。なんとか、呪縛を逃れてぼんやりできるようになりたいと思った。 -
せわしない時代に、ぼんやり過ごすことの大切さを、様々な書物をひきながら綴ったエッセイ。バブルが弾けてからは、こうしたスローな価値観が珍しい言い分ではなくなったが、肩肘張らず、それでいて共感できる論説(?)の執筆者は、元「天声人語」のコラム子。どうやら、僕自身が受験勉強の題材に毎日天声人語を書き取っていた頃に、この人が書いていたらしい。親近感を得た。
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なんとなくいい本。
言わんとする事は、共感できるし。 -
いろいろな事例・書物・故事からぼんやりを記すエッセイ。多分そうなんだろうな、と思いますが、きっと実現するのはむつかしい。今の自分は時間の虜だから。ただ、少しでも取り込んでみたいなぁ、自分を守るためにも。
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「時間を大切に」みたいな書籍に触れる機会が多くなると、どうしても刺激的で密度の濃い時間を求めてしまう。そうしないと、貴重な時間の浪費という「大罪」を犯したことによる陰鬱とした気分に駆られてしまう。なんとか挽回しようと色々試みてみるものの、気持ちとは裏腹に、何も思い浮かばず、何も身に入らずで、今度は悪循環に苛まれる...。
本書は、そんな時はいっそぼんやりすることが有意義だと背中を押してくれます。しかし、それは決して時間を「有効」に使うことへの諦めではなく、それはそれで「有効」だとしているのが心強い。
「ぼんやり」に価値があるなんて、正直なところ半信半疑だったが、著者の「新幹線に乗っていると、草や木を詳しく見ることができないのと同様に、無駄な時間を切り捨てている人は、忙しい忙しいといいながら暮らしの周辺の細密な変化に気づくのが難しい。」という文章がヒントになり、ナルホド確かにと納得。では、「ぼんやり」の価値はどこにあるのか。
私たちは「動(頑張る)→静(休息)」の順序こそ当然だと考えてしまいます。が、著者はこの方向性は一度疑ってみるべきだとしています。「いい静があるからこそ、いい動がうまれるのではないか。」と。それらは一対の関係であり、両者は共存しうる。その観点で見ると、「静→動」も同等の価値がある。とすれば、一生懸命仕事を頑張ったから、ゆっくり休むという順序でなく、まず静かに休んでみることを起点にしてみたらどうだろうかと提言されていますが、この発想は目から鱗でした。
各々の方向性が同じくらい大事なんだと知ると、「動⇆静」のバランスの取れたギアチェンジが重要だと気付けたし、一端を担う「ぼんやり」にも立派な価値があると認識できました。何より、今後ダラダラする言い訳に説得力を持たせてくれた本書には非常に感謝。
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