〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)

著者 : 宇野重規
  • 岩波書店 (2010年4月21日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312406

作品紹介

一人ひとりが「私」意識を強く持ち、他人とは違う自分らしさを追い求める現代。分断された「私」と「私」を結びつけ、「私たち」の問題を解決するデモクラシーを発展させることは可能なのか。人々の平等意識の変容と新しい個人主義の出現を踏まえた上で、「私」と政治の関係をとらえなおし、これからのデモクラシーを構想する。

〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 政治思想史、政治哲学研究者による、現代社会における諸問題を概括した新書。本当にこれはすごい。
    多様な社会学的文献を引用し、今日本で起こっていること(政治の混迷、プリナショナリズム、自分探し、主体性の賛美等々)がどのような文脈の中で起こってきたことなのか、具体例に寄り添いながら丁寧に書かれている。

    信仰が失われ、家族制度が崩れ、不平等が明確には意識されない、〈私〉という個人に重きが置かれるこのポストモダンの世の中でニヒリズムに陥るのか、それとも未来に希望を持って生きて行くのか。
    目指して行くべき明確な方向性がない中、どのように模索するのか、そもそも模索を放棄するのか、個人的にずっとモヤモヤしていただけに、解決策が得られたわけではないが、モヤモヤの社会的文脈を改めて見直すことができた。

    はじめに、の文章がいいので一部引用したい。
    消費者の「自分らしさ」意識を満足させるための商品が、次から次へと生み出されています。とはいえ、それらは綿密な市場調査によって割り出された、類型化された「自分らしさ」に他なりません。「あなたらしさを演出する、定番アイテム!」などという吊り広告を見ると、なんともいえない気分になります。

  • 本書の位置づけは、おそらく時代診断的な記述理論といったところになるだろう。政治学や社会学、社会心理学の理論を用いて、現代社会を記述していく。「〈私〉」、「平等」、「デモクラシー」といった馴染み深い言葉をキーワードになっており、これらを手掛かりにあるべき社会像を構想しようと努めている。しかしながら、紙幅の都合からかあるべき社会についての規範理論には不満が残るといわざるを得ない。

  • 今年のベスト候補①

  • 2年前に読んだ.
    政治思想研究者の現代への眼差しに感動したことを覚えている.

  • 現代の日本人、特に若者の抱えているもやもやとした感情や思いを、社会学としてトクヴィルの平等理論を柱に用いて説明。

    ・〈私〉であることを強く求めるようになっており、そのため〈私たち〉というデモクラシーを起こす事が難しくなってしまっている。社会の中で以前は機能していた、公私をつなぐ中間の存在が、企業など、役割を縮小していることが一因

    ・一方で、〈私〉であろうとするには、社会が機能していなければならない。なぜなら、〈私〉であるためにはどうしても他との比較が必要であり、かつ、〈私〉でいてもよいという承認機能を持つのは社会であるから。

    など。

    他、印象に残ったこと。
    ・社会問題が個人問題として現出する。
    ・ノブレスオブリージュや名誉、といった概念は階層がある、つまり不平等を前提にした社会において成り立っていた
    ・グローバリゼーションにより、国家は「美観」を気にするようになり社会との差異を生んでいる。美観を気にする事により、そこについてくる事の出来ない国民を気にかけている余裕がなくなっている

  • 【読書その74】SMAPの「世界で一つだけの花」のように「ナンバーワンよりオンリーワン」。一人ひとりが私という存在を強く意識する社会。その中にあっていかに「私たち」の問題を解決するデモクラシーを実現するか。郵政選挙での自民党の圧勝時の中曽根元首相による「粘土が砂になった」という言葉は極めて重い。

  • トクヴィルをはじめ多くの思想家・理論家の言葉が引用されている。
    そのどれもが意味をもって2014年を照らしている。
    今民主主義について考えるにあたって、最良の一冊のひとつであるように思われる。

  • 階級社会から平等社会への移行期に民主主義を見つめたトクヴィルを起点に、グローバルに平等意識が拡張された「私」時代の21世紀の日本及び世界でのデモクラシーの在り方について論じた好著。デモクラシーは権力の場に空虚を配置したフラジャイルなものであると同時に、それが故に常に内省を促すシステムであること、そして、個人主義が蔓延する現代で、各人の尊厳をリスペクトしつつ、「私」のイシューを「私たち」社会のイシューにして行く、ある種対話の場の重要性を提起している点に共感を覚えた。

  • トクヴィルの議論を契機としながら、個人化が進展した再帰的近代におけるデモクラシーの重要性を説いている。おおよそ、様々な社会現象を社会学や政治学の知見を用いながら、個人化の進展という視点のもとに分析する前半部と、そのような時代においてこそデモクラシーという政治制度が必要であることを主張する後半部に分けられる。そして最後に結論で本書での中核的主張をまとめてある。現代政治への規範的アプローチを考えるための手がかりを提供してくれる良書である。

  • いろいろ違和感を覚える内容ではあった。

    宇野は、価値判断の基準が自己にしか準拠出来ない「後期近代」(=〈私〉時代)にふさわしい「デモクラシー」の必要性を語るのだが、本書では、「〈私〉時代のデモクラシーとはどのようなものか」というより、「〈私〉時代のデモクラシーにとっての前提は何か」というレベルの議論にとどまり、内容的にも、つまりは「デモクラシーの深化」=自意識を持った・再帰的な「デモクラシー」の必要性、というレベルでしか語られていない(だが、それは当初からの「デモクラシー」の理念ではなかったか?)。これは、新書サイズだから、という問題ではないと思う。門外漢のわたしにとっては、宇野の考える「デモクラシー」が、目的なのか手段なのか、思想なのか制度なのかが最後まで明確にならなかったこととかかわっている。

    宇野の議論を概括すれば、(1)「自分らしさ」「個性化」が何よりも価値的とされる「後期近代」では、〈いま・ここ〉の〈私〉のありようにのみ関心が集中するため、〈社会〉を具体的に構想し、思い描く能力が減退してしまう。(2)一方で、人間の承認欲求は〈社会〉を経由せざるを得ないので、空疎で現実性を欠いた〈社会〉の像が肥大化する危険が生じている。(3)そのような、いわば〈社会〉像の畸形化・自己肥大化を避けるためにも、〈デモクラシー〉によって〈社会〉を再創造=再想像するプロセスが欠かせない……というものになるのだろう。

    だが、そこで想定される「互いをリスペクトする」〈社会〉イメージは、「デモクラシー」とどのように結びつくのだろうか。この「デモクラシー」は、たとえば反原発デモやOccupy運動とは、どのようにかかわるのだろうか。制度としての「デモクラシー」が価値判断の内実を問わないことは自明。だが、思想としての「デモクラシー」は、より適切な社会といびつな社会とを、区別することができるのだろうか?

    たとえば、本書が捉えたような問題を、「政治の回復」「社会の回復」として考えるなら、まだ筋は通るように思う。だが、〈平等〉をめぐる人々の心性に注目したトクヴィルの思想に刺激されたという宇野の一連の議論には、抜き差しならない利害対立や、「デモクラシー」の土俵に乗らない/乗ることを認められない人々の存在をくくり込んでいこうとする姿勢が感じられない。かつて・そこにあった〈社会〉のイメージの綻びという情勢判断を前提にした対症療法でしかない、という感が拭えないのだ(たぶんそれは、宇野の日本の〈社会〉に対する表象なのだろう)。

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