〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312406

感想・レビュー・書評

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  • 近代化がある程度達成されることで、人びとが自分を他者と平等であるような存在だと考えるようになり、そのために自他の違いについてますます敏感にならざるをえないことが、現代の社会のさまざまなひずみを生み出していることを、トクヴィルをはじめ現代の多くの社会学者たちの議論を参照しながら考察している本です。

    ウルリッヒ・ベックによって焦点が向けられて以来、さかんに論じられてきた再帰的近代化の一つの側面を、わかりやすくていねいに論じています。著者は、単に問題の所在を指摘するだけでなく、それに対する処方箋を提示することもみずからの責務だと考えているようですが、結論としてはやや弱いと感じられます。また、かならずしもそうした処方箋を示す必要があるとも思えません。

    とはいえ、全体を通じて関心を惹かれた論点がいくつもあり、興味深く読みました。

  • <blockquote>文章は平易であるが、じっくり読まなければ著者の意図が見えてこない深い内容の本である。(AMAZONレビューより) </blockquote>

    確かに。
    買って丹念に読むこと決定。

    <blockquote>
    〈私〉が〈私〉であるためにこそ、デモクラシーが必要なのだ</blockquote>

  • 現代の日本人、特に若者の抱えているもやもやとした感情や思いを、社会学としてトクヴィルの平等理論を柱に用いて説明。

    ・〈私〉であることを強く求めるようになっており、そのため〈私たち〉というデモクラシーを起こす事が難しくなってしまっている。社会の中で以前は機能していた、公私をつなぐ中間の存在が、企業など、役割を縮小していることが一因

    ・一方で、〈私〉であろうとするには、社会が機能していなければならない。なぜなら、〈私〉であるためにはどうしても他との比較が必要であり、かつ、〈私〉でいてもよいという承認機能を持つのは社会であるから。

    など。

    他、印象に残ったこと。
    ・社会問題が個人問題として現出する。
    ・ノブレスオブリージュや名誉、といった概念は階層がある、つまり不平等を前提にした社会において成り立っていた
    ・グローバリゼーションにより、国家は「美観」を気にするようになり社会との差異を生んでいる。美観を気にする事により、そこについてくる事の出来ない国民を気にかけている余裕がなくなっている

  • 【読書その74】SMAPの「世界で一つだけの花」のように「ナンバーワンよりオンリーワン」。一人ひとりが私という存在を強く意識する社会。その中にあっていかに「私たち」の問題を解決するデモクラシーを実現するか。郵政選挙での自民党の圧勝時の中曽根元首相による「粘土が砂になった」という言葉は極めて重い。

  • 階級社会から平等社会への移行期に民主主義を見つめたトクヴィルを起点に、グローバルに平等意識が拡張された「私」時代の21世紀の日本及び世界でのデモクラシーの在り方について論じた好著。デモクラシーは権力の場に空虚を配置したフラジャイルなものであると同時に、それが故に常に内省を促すシステムであること、そして、個人主義が蔓延する現代で、各人の尊厳をリスペクトしつつ、「私」のイシューを「私たち」社会のイシューにして行く、ある種対話の場の重要性を提起している点に共感を覚えた。

  • トクヴィルの議論を契機としながら、個人化が進展した再帰的近代におけるデモクラシーの重要性を説いている。おおよそ、様々な社会現象を社会学や政治学の知見を用いながら、個人化の進展という視点のもとに分析する前半部と、そのような時代においてこそデモクラシーという政治制度が必要であることを主張する後半部に分けられる。そして最後に結論で本書での中核的主張をまとめてある。現代政治への規範的アプローチを考えるための手がかりを提供してくれる良書である。

  • 自分の中でそんな昔の視点で語られても今は違うんだよ、って思っていた「今」をきちんと解説してくれた良作。なかでも昔も格差はあったはずなのに、むしろ弱まったはずなのに、なんで今はそんなに平等平等って騒ぐのか、それの解説が一番しっくりきました。

  •  〈私〉が唯一の価値基準となった現代にデモクラシーを取り戻すことを論じた本。

     現代では〈私〉のことは〈私〉が決めることが前提となっていますが、〈私〉だけでは解決できないことも当然ある。そこで、〈私たち〉の意志で問題を解決すること(=デモクラシー)が必要となる。

     興味深いのは、現代は「前のめり」の社会になっているという論。全ての人がその仕事の”プロ”であることが求められ。待つことを許さない社会。その中では、今までと異なり、人生の見通しが立たないまま自己コントロールだけが求められる。

     そして、こうなった経緯には20世紀から福祉国家化が進み、家族の中でも個人化が進んだため、前提なしの状態で自分の生き方を決める必要性が出てきたため。

     ハージの「パラノイア・ナショナリズム」や「人間は希望する主体」といった論も面白い。前者は小熊英二『”癒し”のナショナリズム』で示されたような、”憂慮する市民”が不当に厚遇されているとされる人々(在日永住外国人など)に憤りを示す行為に見られる新たのナショナリズムの潮流。そして後者は、人間を希望する主体であるとし、社会は希望と社会的機会を与えるために存在するという論。もともと、国家と社会は単なる〈強制、被強制〉だけでなく、相互補完的な一面もある。

     現代人は自己に閉じこもり、政治や公共について無関心だが、他者の影響を受けやすいという論(リースマンの”他者志向”)がある。この背景には現代人が「自分は然るべきリスペクト(日本語の”尊敬”と異なり、リスペクトする側とされる側の立場が対等の場合でも用いる)」を受けていないと考えているためだとされます。そこで、著者は自己へのこだわりと他者との比較を「共感」で繋ぐ必要があると主張する。

     何だか、分かったような分からなかったようで消化不良。もう一度時間をおいて読みたい。全体的には同意できる内容だった。

  • [ 内容 ]
    一人ひとりが <私> 意識を持ち、自分らしさを模索する現代。
    分断された <私> と <私> を結びつけ、デモクラシーを発展させることは可能か。
    平等意識の変容と新しい個人主義の出現を踏まえ、これからのデモクラシーを構想する。

    [ 目次 ]


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    [ 参考となる書評 ]

  • タイトルにあるとおり、「私」という視点から現代社会について書かれている。「私」に焦点をあわせざるえない現代とは、言い換えれば、「社会」の底が抜けた「セカイ系」的な世界認識とも言えよう。そのなかで、デモクラシーはどのように成立しうるのかについて考察されている。現代日本を人文系学問のテクストから読み解くスタイル。現代社会を理解するうえで、参照点となる著作のレビューとしても役立つ良書。

著者プロフィール

宇野重規(うの しげき)
1967年、東京都生まれの研究者。東京大学社会科学研究所教授。専門は政治思想史、政治哲学。
1991年東京大学法学部卒業。1996年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。著書に、『デモクラシーを生きる―─トクヴィルにおける政治の再発見』(創文社、1998年)、『政治哲学へ―─現代フランスとの対話』(東京大学出版会、2004年)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ、2007年)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波 新書、2010年)、『民主主義のつくり方』(筑摩選書、2013年)、『西洋政治思想史』(有斐閣、2013年)、『政治哲学的考察―─リベラルとソーシャルの間』(岩波書店、2016年)、『保守主義とは何か―─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書、2016年)ほか。
近刊に、『未来をはじめる』(東京大学出版会、2018年)。

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