中世民衆の世界――村の生活と掟 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312482

作品紹介・あらすじ

戦国時代、村では「領主は当座の者、百姓は末代の者」といわれていた。旅人にも開放されていた村のシンボル・惣堂や生産拠点であった周辺の山野などを舞台にくり広げられる土着の百姓の生活と村の掟を生きいきと描きだす中世民衆史。共同体として自立していきながら、近世にも継承される中世民衆の世界の深層にせまる。

感想・レビュー・書評

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  • 2010年刊、立教大学名誉教授。戦国時代民衆史を軸に著述してきた著者。本書は中世前期まで範囲を広げ、村掟、惣堂(村寺)、地頭らの農民への饗応、山野の帰属(村々の戦争)、越訴・直訴を論じる。特にアジールに通じる惣堂の役割につき中世後期の実態を叙述。「泣く子と地頭には勝てぬ」とのフレーズはそのまま維持できない点も意義深い。一方、土地に非緊縛的だった農民像は新奇でなく、「百姓の居留は民意しだい」(自主性)と「百姓は末代の儀」(土着性)との二本柱が中世全体を貫徹、との著者設定課題を本書で回答したとはいい難いか。

  • 見えてくる社会のそれほど上でも下でもない当たりの動き自体も面白いが、それをどうやって抽出するのかが一緒に書かれているのが何より楽しい。へえボタンがパカパカする感じはむしろその過程のほうにあって、それをうまく見せてくれるのがこの人の手際。

  • 村の自治権というものがどの様になりたってきたのか、能、狂言などに登場する、村の惣堂、あの旅の僧などが一夜の宿とし、あのよからの死者で出会う場所、そのような場所にもしっかりとした村の管理のもと運営されていたのには驚きました。
    また堂内に残されている幾重の落書きにも当時そこに滞在することとなった多くの人々の様子が、様々な情報を伝えている。
    近世へと通じる民衆の姿を考えさせてくれる本です。
    新書版も嬉しい!

  • 史料を並べてその解説をしていく形式だから、基本的に信頼性が高くて良いです。
    中世の村がそれなりに自治をしていて、決して虐げられるだけの存在じゃなかったのが、生々しく伝わって来ます。
    ただ、村の管理に苦慮する地頭や大名の対応が多めで、実際に出た定めの判例なんかは少し少なかった気がするので、そこが多ければさらに良かった。

  •  村掟。百姓はみずから村掟を定めた。応仁の乱をはさんで、その内容は大きく変化する。処刑も追放も財産没収もたんなる暴力にすぎなかったが、暴力の対象となった本人のイエの存続を許すようになった。村を安定させようとする傾向が現われたのである。追放されても召し直されれば財産は返還され、逃散した田畑は村が共同で耕作した。村はその能力を高めていた。

  • [ 内容 ]
    戦国時代、村では「領主は当座の者、百姓は末代の者」といわれていた。
    旅人にも開放されていた村のシンボル・惣堂や生産拠点であった周辺の山野などを舞台にくり広げられる土着の百姓の生活と村の掟を生きいきと描きだす中世民衆史。
    共同体として自立していきながら、近世にも継承される中世民衆の世界の深層にせまる。

    [ 目次 ]
    第1章 村掟―暴力の克服(村社会の暴力―戦国前期;追放解除と村―戦国後期;村と処刑者の財産;近世の村で)
    第2章 惣堂―自立する村(シンボルとしての惣堂;惣堂の落書を読む;惣堂と惣物―自立の基礎)
    第3章 地頭―村の生活誌(戦国の村の訴状;在地領主と百姓;不在領主と百姓;人夫の報酬)
    第4章 山野―村の戦争(山野河海の利は折半で;紛争の激化と和解)
    第5章 直訴―平和への道(目安箱の登場―戦場の村で;百姓の異議申し立ては秀吉自らが―豊臣期の村で;百姓直訴システムの広がり―豊臣期から徳川初期へ)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 引用も現代語訳で、とてもわかりやすく書かれていた。
    セイフティーネットという考え方や、農民にもかなりの自由があったことも理解できた。

  • 「清佑、ただいま在庄」の影響で購入。民衆はしたたかというか、したたかでなければ生き延びられなかった?

  • 著者の「刀狩り」を読んだときの衝撃は、今でも鮮明に覚えている。
    それまで漠然と持っていた、徳川身分社会での下層、一番弱い階級という「村」への印象。
    それが根底からひっくり返った。
    中世の「村」はこんなに強かったのか。
    そして、強かったからこそ、豊臣政権は「刀狩」を実施して武器を村から排除しなければ、秩序維持をできなかったのだ。
    考えてみれば、当たり前のことを、気づかせてくれた、大事な一冊である。

    中世の自立し、「自律」した村は、権力者や周辺の村とどういった関係性をもっていたのか。
    また、自検断といわれた、自治権はどういうシステムで働いていたのか。
    著者は文献やフィールドワークから探っていく。

    「自律」した村の姿は、「村が勝手に売られた」ときにどういうふうに対処したのかという場合にも現れる。
    それはともかくとして、わたしが注目したのは、「村を売る」ことがあるという逆説的な事実だ。
    自ら、よりよい主を求めて、時には今の主との交渉の切り札として、自分たちの村を「売る」権利をもつ。
    振り返って、自分たちがどこの主につくかは自分たちで決めることができる、という、村の姿が浮かび上がる。

    年貢を搾り取られるだけ搾り取られ、虐げられる村民、ではなく、弱ければ弱いなりに、知恵を働かせ権力と戦うすべを持っていた、(ときに現実に武器を持って)、「村」の姿は、今現在の「市民」」である自分たちの姿と比べてどうだろう。
    自由は、あるのか。
    保護されている、と真実いえるのか。

    中世の村の姿を通して、今現在の国のあり方を、わたしはいつも考えてしまう。

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