近代国家への模索 1894-1925〈シリーズ 中国近現代史 2〉 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312505

作品紹介・あらすじ

日清戦争や義和団戦争に敗北した清朝は、改革を試みながらも求心力を失っていった。そして、多様な国家像が相克するなか辛亥革命により中華民国が誕生するも、新たな国家像の模索は続いた。列強による「瓜分の危機」の下で、「救国」の考えが溢れ出し、さまざまな近代への道が構想された三〇年を、国際関係の推移とともに描く。

感想・レビュー・書評

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  • 「シリーズ中国近現代史」第2巻。実に盛り沢山の内容が新書1冊に収まっている。この時代、王朝名ではなく国家としての「中国」が知識人に意識され始めた。近代国民国家意識の芽生えと言えばそうだが、中国においては100%肯定的に捉えられるのか。従来ゆるやかだった藩部への統治強化は、少数民族の側からすれば不満だろう。まして知識人が考える「中国」は基本的に漢民族中心だった。本書は、教科書的通説や特定の歴史観に流れず、相対化して解説してくれる。

  • 共産党史観や国民党史観から距離を取る事により革命史観に依拠せず、また伝統から近代への転換を過度に重視せず、統一と分裂の二分法でもなく、多元的・相対的に叙述する事を意図しているらしい。
    その試みが上手くいっているのかどうかはよくわからない。が、歴史を何らかの尺度で「わかりやすく」叙述する事が、必ずしも変容過程の実態を表すわけではないという著者なりのひとつの警告であるように思える。

  • 「シリーズ中国近現代史②近代国家への模索」

    つまりは、清王朝だったり各地の軍事勢力だった地域が、「中国」という近代国家になろうとする、なんとかなった、という。そういう大河ドラマだった感じです。

    #

    日清戦争(1894)から、蒋介石によるなんとなくの全中国地域の制圧(1928)までの、およそ30年間に渡る中国の歴史を描いた本です。岩波新書242頁。2010年初版。

    この期間の中国、大変ですね。ほんとにお疲れ様でした。

    以下、とにかく備忘録。

    ●王様貴族様による清王朝の時代。
    ところがもうかれこれ100年近く、産業革命で圧倒的な武力や工業力を持ったイギリスなどの列強が、食い物にしていました。
    具体的には、国交を結んで貿易を始める。
    産業革命で色んな工業製品が出来て、国内で売りさばけないくらいできちゃって。
    それを後進国に持ち込んで売って儲ける。
    その為に、圧倒的な軍事力で脅して、不平等条約を結ぶ。
    具体的には、「うちの国に持ち込んで物を売りたいんだったら、モノによっては関税かけますよ。そうじゃないと、値段によってはうちのモノつくりが潰れちゃうからね」という、関税を自主的に決める権利を奪ったりする。
    こうなると、国内の産業は打撃を受ける。

    ●それから主にイギリスですが、麻薬を持ち込んで売ります。アヘンです。
    麻薬への免疫が無いので、流行ります。売れます。儲かります。
    このあたり、2017年現在で言うと、完全に犯罪者がやってることを、国家が堂々とやっています。
    それも、自国では禁じていることを、やっています。
    清国の方で、アヘンを取り締まろうとすると、いちゃんもんをつけて戦争を起こして、武力で屈服させて、アヘン貿易そのものを合法化させます。

    ●それから、香港を奪ったり、街の機能も徐々に「自国の出先機関」に使えるように奪って行きます。

    ●もうちょっと以前だったら、清王朝の国家行政機能も武力で奪って「完全植民地」にしちゃうところですが、
    それはそれでいろいろと面倒もあるので、「儲かればよかろう」で「準植民地」的に侵略しまくります。

    ●それもこれも、根本は、「軍隊が弱いから」。
    この時代は、国際間で「お前そのやり方はいくらなんでも可哀そうだろ」という世論を形成する場がありませんでした。
    つまり「いじめられてんねん。あんたら見て見ぬふりすんねんか?あんまりやろ」と、被害者が訴える場も無かったんです。
    メディア、報道、インターネット、あるいは国連とか、そういう機能もなければ、そういう概念すらありませんでした。
    (だから、今のモラルで加害国を民族まるごと批判したりしても意味がありません。また、この頃の状況を指して「だから2017年現在でも国家に強大な軍事力が必要だ」というのもナンセンスだと思います)

    ●ぢゃあなぜ軍隊が弱いのか?というと、「近代国家」と「国民国家」では全然なかったから。

    ●「近代国家」ってなんだろう?厳密なことは判りませんが、「農業に基づくだけぢゃなくて、工業もあって、商売貿易もする。だから、最新鋭の武器とか、情報も入ってくる。その前提としては、諸外国と交流できるような仕組みに世の中がなっている。王様がきまぐれで運営するのではなくて、議会とかがある。人の移動や商売の自由がある。世襲の身分制度から解放されている」。

    ●「国民国家」ってなんだろう?これまた厳密には判りませんが、「(今の日本で言うと)村とか県とかの単位ではなくて、国という仕組みに国民の帰属意識がある。国に税金を納めるし、国に徴兵される。当然その見返りとして投票権参政権があって、自分も国の経営者のひとりなんだ、という仕組み」

    ●「近代国家」ぢゃないから、武器も時代遅れだし、物量でも負けている。「国民国家」ぢゃないから、みんないやいやしか奉仕しない。軍隊は弱い。官僚役人みたいなチームとしても弱い。

    ●例えば日本も、江戸時代は圧倒的に「近代国家」でもなければ「国民国家」でもなかった。薩摩藩、とか江戸の町人、という気持ちはあっても、誰も「日本」「日本人」という意識は無かった。

    ●日本は地理的に島国だったから、そして幾つかの「ビッグで強力な藩」が、「小規模の近代国家・国民国家」への変換努力をしていたから、そして「地方の武士階級(主に下級武士)」がテロリズム的な?武力に秀でていたからか?兎にも角にも、清国を反面教師として危機感を高めて、国内自主革命を行ったのが「明治維新(1868)」。これで、なんとか「国民国家・近代国家」の末端に加わった。

    ●さてその日本が、「いじめられる側から脱出するためには、下位にいるいじめられっ子に対して、自分もいじめる側に立つ」という方向に舵を切ります。つまり、清国や李氏朝鮮に対して、これまでイギリスなどが世界中の後進国に行ってきたヤクザじみた侵略掠奪に打ってでます。まずいちばん近い朝鮮を言いなりの子分にして搾取しようとします。朝鮮は清国に「助けてくれえ」。ここに日清が激突。日清戦争。

    ●日清戦争は、日本が勝ちます。「誰がアジアの中でいちばんなのか=誰がイギリスを筆頭とする加害者グループに入れるのか」というマウンティングが決まります。日本です。

    ●日本は、朝鮮そして満州を、「日本に都合のいいマーケット」にしようとします。「おいおい、お前この間までいじめられっこだったくせに、生意気やってんぢゃねえぞ?黄色人種だろ?」という横やりを入れてきたのが、ロシア帝国です。

    ●ロシアは白人の国。いちおうヨーロッパの巨大帝国。簡単に言うと、日本を「いじめられっこ軍団」に戻そうとします。日露戦争(1904年)。

    ●明治維新(1868)から日露戦争(1904)の間に、日本は「近代国家、国民国家」として富国強兵に勤めてきたわけです。かなり無理をして。例えばその一環として、大量の留学生を欧州諸国に派遣したし、欧州列強との外交パワーゲームに何とか参加できるようになった。情報も収集した。それから、イギリスを筆頭とした先進国に、認めてもらうために当時なりの国際モラルをいじましく守ってきた。

    ●そういう積み上げたコネクションの結実が、日露戦争に向けた日英同盟だったり、ほぼほぼ引き分けだった日露戦争を、やや優勢なタイミングでアメリカに出張って貰って手打ちにしたような、外交に現れています。なんとか、「まあぢぁあ、朝鮮はお前のものにしていいし、満洲もまあ、優先的にシャブる権利をあげるよ」ということですね。ちなみにここで書いた「ほぼほぼ引き分けだったけど、やや優勢な状況」に持ち込んだのが、戦争現場を仕切る陸海軍人さんたちですね。司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の主人公たち。

    ●閑話休題それはさておき。中国現代史に戻ります。

    ●日清戦争(1984)に負けちゃった。世界中が注目する、「アジアの伝統ある巨大なヤクザ一家 vs. アジアの新興勢力中規模ヤクザ」の戦いで、負けちゃった。
    「やっぱり、清国、弱いじゃん。よーし、みんなでしゃぶりつくそうぜ」ということになります。
    鉄道利権、地域の租借、アヘンの堂々たる商売など、列強の「清国しゃぶり」が過熱します。

    ●日清戦争に負けたことがきっかけ、中国内でも「こりゃあかん、変わらなきゃ」とようやく大きな流れが出てきます。
    まずは日本に学びましょう。
    「同じ黄色人種のくせに、短期間にいじめっこグループの下っ端に成り上がった。更には白人国家のロシアにも一応、勝ったようなふりができるまでのしあがった」。
    日本は、清国からするとまぶしい国だったんです。40年前まで、和服、ちょんまげ、サムライ、お殿様、寺子屋だったのに、あれよあれよと、洋服、憲法、議会、国立大学、という世界観にやってきたんです。
    「日本に学ぼう」。大量の留学生が来ます。魯迅だって蒋介石だって孫文だって、なにかしらか当時の日本を見聞して学んで行きました。(もちろん、底流に反発や反面教師部分もあったかもですが)

    ●また、清国王朝の中でも、「やっぱり、議会とか内閣とか近代化せんとあかんのちゃいますか?ほら、日本は一応、天皇っていうのは維持したままやってはるんやし」ということになってきます。
    清国という枠組みの中で改革をしようとする動きも出てきます。それなりに多少変えたり、と思ったら反動保守勢力にやられたりします。

    ●孫文を筆頭に、海外で主に過ごしているインテリ清国人たちの中で、「とにかく革命だぜ。もともと清国なんて満州人やないか。清国王朝のままでは、中国全体があかんようになるでえ」という勢力が出てきます。

    ●このあたりで初めて「中国」「中国人」という概念が大きくなってきます。それまでは「清国っていう王朝があって、俺は〇〇県の人」、みたいな意識な訳です。国民国家の概念の浸透。「清国を、ではなくて、中国を救おう。俺たち中国人やんか」。

    ●清国内は、混沌としています。なにしろ、この100年、大小規模の国家間紛争・戦争に負け続けています。関税制度、商売の状況は、もう外国にヤラれっぱなしです。それだけでも清国人の一般感情は「外国憎いぜ」なんです。ちなみにこの頃は、まだ主にその悪感情の相手は白人ですね。その上、庶民感情で言うと、まだまだ「白人はガイジンは、気持ち悪いし、悪人に決まっている」レベルなんです。メディアもネットも本屋さんもありません。迷信が支配しているレベルです。

    ●「義和団の乱」。外国憎いぜ、清王朝万歳、みたいな草の根レベルの武装集団蜂起が、物凄い勢力になって荒らしまわります。当然、諸外国は被害を受けます。そして、正式ルートで清国に抗議します。「あいつらちゃんと取り締まれよ」。ところが、もう清王朝はそんな武力能力判断力すら無いんです。義和団が北京に近づいてきて、西太后さんは「義和団と一緒に外国と戦うで」と、清王朝として正式に諸外国に宣戦布告しちゃうんです。

    ●この頃は当然、イギリスもフランスも日本もみんな、それなりの強力な軍隊を中国に常駐させています。それを義和団と清王朝にぶつけます。そして、あっけなく清王朝は敗北。義和団も何とか鎮圧。清王朝は、もう列強の言いなりで「うん、やっぱり義和団は悪者やねん。逮捕せよ」と発表。

    ●もうこの義和団の乱で、清王朝は「中国全土を事実上の武力権力で支配する集団」としては、無力であることがバレてしまいます。ここから25年くらい、中国全土はほぼ、「統一国家」ではない混乱状態が続きます。

    ●この清王朝の弱体化で、ロシア帝国は満州を植民地にしようと南下してきます。あわよくば朝鮮まで。という訳で。そして、日本と前記の通り衝突します。

    ●つまり、「清王朝」という死んだ獣の肉をどっちのものにするか、という争いですね。だいたい日露戦争っていうのは、戦場になったのは日本でもロシアでもありません。全部中国の土地で戦争してるんですね。見方によっては、中国側からするとこれほどの悔しい屈辱は無いとも言えます。

    ●日露戦争は日本が勝ちます。もう完全に日本が、「中国への加害グループ」の最前列にやってきます。満州でロシアが暴力的に手に入れた利権、鉄道およびその周辺の事実上の領土化とか、そういうのを日本が奪ったわけです。

    ●清王朝は日露戦争については「局外中立」を保ちました。とはいっても、自国領土が戦場になって、自国国民が被害にあってるんですけどね。

    ●そして清王朝なりの「革命無き近代化」を模索します。纏足はもうあかんやろ、とか。西洋風の学校ちゃんと作ろう、とか。今更もう、儒教とか言うてたらアカンで。憲法いうもん作らんと始まらんらしいでっせ。議会ちゅうのと、選挙いうのんもそうやで。どや、ちょっと日本とかヨーロッパに中堅の役人を派遣して勉強させよか?というような。

    ●だけれども、革命せずに制度だけ直していこうとしても、もう間に合わなかったんですね。もともと、清王朝っていうのは「徳川幕府」みたいな感じで、地方に行けばその地域なりの行政に任せきりで、中央集権になりきれてない。だから「清王朝」が「中国代表」として外国と紛争・戦争しても、みんなイマイチ必死にならないし、弱い訳です。そういう仕組みから直さないといけないのだけど、手が回らない。もう、義和団以降、清王朝は「なんとなく勝手に習慣で行政して暮らしている各地域」に乗っかってる、面倒なだけの古い装置みたいなものに堕ちてしまっています。

    ●このままじゃ、列強に更に食い物にされてまう。ほんまにあかんで。というシンプルな民族意識の上に、諸外国の状況まで判っている海外在住インテリが乗っかった。孫文を筆頭にした「革命運動」。これが徐々に浸透して、具体的には一部軍隊勢力にまで浸透してきます。つまり、軍隊も中央集権官僚主義に組織されていなくて、地方地方で勢力があったからですね。

    ●ちなみに孫文さんは、英語圏で医師をやっていたりしたんですが、革命の志士となり無駄に右往左往しているうちに、名が売れてきます。革命の志士っていうのはやはり、無駄を顧みず右往左往する体力と気力が必要なんですね。何度もクーデターみたいなことを企画しては失敗しまくります。孫文さんの人生は、蜂起と敗北のオンパレード。

    ●1911年、やはり一部軍隊の反乱が起こって「もうさ、俺ら清国認めないもんね」という独立宣言。これが2か所くらいで発生して、清国は軍隊を北京から派遣して鎮めようとしますが、武力衝突で負けてしまいます。もう、ぐっちゃぐちゃですね。ただ、反乱起こした方も、「ぢゃ、新しい国家作ろうか」って言ってもビジョンも思想も理想もなくて困っちゃう訳です。

    ●そのとき、孫文さんはアメリカにいたそうです。「うわ、こりゃ出番や」ということで急いで中国へ。反乱政府のボスに据えられて、1912年「これからは中華民国だもんね」という宣言。これが辛亥革命。大まか、中国の南部、南京周辺あたりを押さえているだけです。北京にはまだ清王朝がありました。

    ●諸外国も、貿易して儲けたいのに、あまりの混乱に困っちゃうわけです。そういう諸外国の肝いりもあって、北京の清王朝は、自主的に「清王朝」を辞めることにします。

    ●どういうことかというと。その頃の清王朝は、少年だったラストエンペラーの溥儀さんが皇帝。まだなんもわからん子供です。そして、清王朝の武力権力外国一切を、事実上背負ってたのが、軍人出身の政治家・袁世凱さんだったんですね。それで南京の孫文勢力と和平交渉とか、してはった。

    ●その袁世凱さんが諸外国といろいろ交渉して。「孫文とかの勢力と太刀打ちするためには、もう、王朝だとアカンですわ。清王朝やめて、議会とか内閣とかそういうことにしまひょ」という意見になります。エンペラー溥儀少年の親とかそういうあたりに説得、根回しします。それで、1912年に溥儀さんは退位。「清王朝」は自主滅亡します。でもまあ、紫禁城(日本で言うトコロの皇居)には豪勢に住み続けてくださいよ。それでまあ、「俺皇帝だもんね」っていう肩書はもってていいですよ。みたいな条件です。つまり、何の権力も無くなった。

    ●南京周辺で、孫文が「中華民国」だもんね、という辛亥革命。清王朝の自主滅亡。これが1912年。つまり名目は色々コロコロしますが、事実上は「北京の袁世凱系列人脈の政権」「南京の孫文系列人脈の政権」に分断されます。この状態が1928年くらいまで延々と続きます。ただ、一応は北京袁世凱政権が、「中国代表」って感じなんですね。

    ●北京では、笑える混乱が続きます。議会かな、憲法かな、共和制っていうヤツ?いやぁ袁世凱を皇帝にしちゃおうよ。「あ、俺、皇帝なっちゃう?」で袁世凱は皇帝になります。なんだけど反発があって「あ、やっぱりやめます」。すぐに退位(笑)。権力争い。

    ●南京でも、孫文が圧倒的な支配力を持っていたわけではなくて。権力争い。孫文はそれに敗れて下野したり、また返り咲いたり、忙しい。

    ●それでも、全てが崩壊して外国の領土になったりしなかった。ひとつには、1914年、第1次世界大戦。これがみんなの予想に反して1918年まで続きます。つまり、「中国をいじめて搾取しようぜ同盟」の主役たちが、同士討ちを本国で始めたわけです。それが人類史上初の血みどろの総力戦になって、4年も続いちゃった。もう、中国に強大な軍隊を展開させてうんぬん、という余裕はなくなった。つまり、中国に投資する金が無い訳です。(一方で日本はこれで漁夫の利。列強の中国利権を更に併呑して、中国いじめの最前列どころか、ほぼ最大唯一のいじめっ子になってきます)

    ●そしてもう一つはロシア革命。ロマノフ王朝崩壊。1917年。巨大なヤクザ国家・ロシアももう、中国いじめてる場合ぢゃなくなってきます。革命後は今度は、西欧諸国全体とソヴィエトは緊張関係に入ります。

    ●ちなみに1915年に「もう列強もさ、自分の事で精いっぱいだし、俺が好きにやるぜ」という感じの日本が、「対華21か条要求」。これ、あの土地は俺によこせ、みたいな無茶苦茶な、ヤクザそのものの要求。嫌なら武力で...な、訳です。泣く泣く承諾する袁世凱。この辺で、「日本が憎いぜ」という中国人の意識が大きくなります。(そして言ってみれば2017年現在まで続くわけです)

    ●袁世凱さんが病死します。跡目争い。そして「中華民国」も何とか第1次世界大戦に、日本やイギリスの側で参戦します。

    ●第1次世界大戦が終わり、「一応戦勝国側だもんね」ということで中華民国は国際的な立場を上げようと努力します。つまり、日本が日露戦争1904でなんとか勝ち取ったような、「不平等条約の改正」とかですね。国際連盟で頑張ってみたり。

    ●なんだけど、中華民国自体がまだまだ国内的に弱体で、なめられて、なかなか実を結びません。

    ●一方で社会主義。マルクスレーニン主義の新国家ソヴィエトは、こっちはこっちで老舗のイギリスなど列強とバチバチやってます。なにしろ、日本も含め既得権益の強者からすると、「マルクス主義革命」なんていちばん困る訳です。言ってみれば金持ちからすれば、「がらがらぽんの大革命」になる訳ですから。弾圧します。

    ●それは、虐げられる側=中国、からすると、ちょっと魅力的な思想なわけです。「これまでの帝国主義的なりゆきの歴史経緯は全部一回、ご破算でやり直し」にできる訳なので。不平等条約とか。という訳で、孫文人脈の一部は、共産主義社会主義の思想も取り入れていきます。

    ●北京政府では、袁世凱亡きあとは、純然たる仁義なき権力争いが激化。無論、軍隊勢力を持っている同士がぶつかります。実際の戦闘にもなります。最終的に、満洲地方に勢力を持っていた旧軍人の張作霖が北京政府を抑えます。ちなみに張作霖さんは、満洲にヤクザ的に進出していく日本、その事実上全権を握って暴走する関東軍(日本陸軍の一部)と一時期蜜月。つるんでいたんですね。
    ※日本の関東軍、後の満州国などは、例えばアヘンの商売にも手を出して利益を出していました。
    ※そのあたり、ごたごたと短期間で「北京を抑えている実力者」は変わり続けます。その混乱の中で、紫禁城でぼんやりしていた若者・ラストエンペラー溥儀さんは、「いい加減にしろよ」と裸一貫で追い出されます。保護してあげたのは日本の関東軍勢力。

    ●南京の孫文人脈の側は。孫文さんは権力争いで下野したり、また迎えられたり忙しいんです。でも1925年に孫文は死にます。大まか言うと後継者争いに勝ったのが、蒋介石さん。軍人として日本の軍隊で学んだ人で、孫文人脈政権の陸軍の大ボスみたいなポジションでした。

    ●蒋介石さんは、孫文さん以来の宿願だった「北伐」を行います。北京に攻め上がって、北京政府を倒して、「中華民国」を単一の指導者を持った国にします。追い出された張作霖さんは満州に撤退します。

    ##########

    ということで、1928年、ようやく、「なんとなく中華民国として蒋介石がトップである国」になるんですね。

    ところがこれが、「次なる波乱の始まり」になります。

    もうこの時点で、「中国をしゃぶって、不当なヤクザ的要求をしてくる強国」っていうのは、事実上、日本だけなんです。

    その日本は、黙っていません。

    ここまでの混乱の間に、満洲の半植民地化を着々と進めています。

    そして、北京政府から逃げてきた張作霖は、もう利用価値が無くなったので、同じ1928年に爆殺します。
    (これはすぐに日本軍の仕業だとバレます。張作霖の息子の張学良は、蒋介石と同盟して、親の仇、日本軍と血みどろの戦いを開始します)

    1931年には、完全ないちゃもんから、関東軍は南満州に攻め込み、戦争、戦闘を開始します。満州事変。

    1934年には、関東軍が経営するダミー国家「満州国」。溥儀が皇帝に即位します。
    ちなみにこのときの満州国経営に関わった中国人人脈の中には、孫文人脈(蒋介石)に敗れた、かつての袁世凱人脈の政治家たちがいました。

    そして、さまざまな事件や戦闘を経て、1937年からは全面的に日本と中華民国は戦争に突入、1945年まで続きます。

    ############

    本としては全般的に、やや詳しすぎてツマラナイ流れもありましたが、全体像を、思想の善悪になるたけ囚われずに客観的に俯瞰しようとする姿勢は好感がもてて、面白く読めました。

  • 中国近代史シリーズ。

  • シリーズ2巻目は1890年ころから清朝崩壊後の1920年ころまでを描く。

    日清戦争での敗北、義和団事件はますます中央政府の勢力を弱め、政治の流動化を招いた。

    そんな中で1911年10月に辛亥革命が起き、翌1912年には中華民国が成立する。辛亥革命の発端について、高校では鉄道国営化への反発と習っていたが、実際には国営化そのものではなく、国営化に伴う金銭的な条件が問題になっていたということを初めて知った。また、成立間もない頃の中華民国は財政的に厳しく、清朝側の袁世凱に近づいたのも財政難を乗り切るためだったと知った。

    社会の不安定さの一方で、この状況が社会思想を考える必要を生み、陳独秀や毛沢東ほか様々な思想家の活躍につながったと見るのは面白い視点だと思った。

    また日清戦争の決着、第一次世界大戦の裏側で中国の領土併合を目論む日本。必死だったとは言え汚い国家である。

  • 9784004312505 242p+2p 2010・12・17 1刷

  • 日清戦争の1894年から
    国民党政府成立の1925年までを追いかける一冊であるが、
    筆者も言う通り複雑な要素が目まぐるしく絡み合い、
    革命に次ぐ革命が勃発するため内容の理解は難しかった。

    ページ数の都合からか歴史的な出来事だけを追う形になりがちで、
    その中にいる人間をなかなか意識できなかったように思う。
    もう少ししっかりとしたボリュームで
    この時代を描いた書で勉強したく感じた。

  • 本書は岩波新書の「シリーズ中国近現代史」の第2巻にあたり、日清戦争から孫文が死去する1920年代なかばまでを範囲としています。近代中国における地方の自立傾向は第1巻の感想でも書きましたが、本書が扱う時代では、それを如何に近代国民国家へと変貌させていくかの為政者の試行錯誤が見て取れます。国内は地方が自立傾向を強め、国外勢力は日清戦争後「眠れる獅子」の実態が暴かれると列強たちが群がって領土を「瓜分」していく・・・。そうした中知識人たちはそれまで自分たちをしばっていた華夷秩序からの脱却を目指し、自分たちの国を同一色とし、王朝名である「清」ではなく、国名である「中国」を意識するようになります。そのため、年の数え方もそれまでの「元号」ではなく、“孔子紀元”や“黄帝紀元”(黄帝とは漢民族の祖と伝えられている神話上の君主)を使うものも出てきました。中国三千年とか四千年とかいう言い方はここから来ているとのことです。また、この頃は皇帝のために命をかける所謂「忠君」よりも、国に殉じる「忠国」が強く意識されたそうです。
    辛亥革命を経て、袁世凱が「皇帝」を名乗りますが、地方の強い反発で彼は断念せざるを得なくなります。やはりまだ近代的な国としての中央集権化は形成されておらず、地方の独立制が読み取れます。しかし、この頃の中国は何となく無秩序状態のイメージがわきがちですが、決してそんなことはなく、行政はある程度機能していたこともしっかりと意識しないと当該時期の中国を見誤ってしまいそうです。
    最後に本書を読んで新たに知った授業で使えそうなことを箇条書きで。
    ・下関条約における遼東半島の割譲について、李鴻章は三国干渉を織り込み済みで調印している。
    ・1919年のカラハン宣言について、山川出版社の『詳説世界史B』では「1919年、ソヴィエト政府は中国に対し、外務人民委員代理カラハンの名で、旧ロシア政府が中国に有したいっさいの帝国主義的特権の放棄を宣言し、中国に歓迎された」(314ページ)と書かれているが、実はそれ以前にロシア革命が進展する中で中国政府はロシアがもっていた多くの外国特権や権益を回収していた。また、ソ連は通称問題や関税、国境問題、鉄道、外モンゴルの問題などは「今後の会議で解決」といって放棄しなかった。
    ・「二十一カ条の要求」撤回を受け入れられなかった中国政府は、ヴェルサイユ条約に加盟しなかったが、連合国とオーストリアとの講和条約であるサンジェルマン条約には調印したため、国際連盟に加盟することができた。

  • 中国やロシアのような超大国で多民族国家をひとつに統一するのには莫大なエネルギーが必要であることが、このような歴史書を読むと分かる。 また、各々の民族や地方が独立することがいかに困難なことかも歴史は示している。

  • 本書は1890年代後半から1920年代半ばまでを中心に叙述されている。辛亥革命で切れていないので、中華民国前半期、孫文の死去までを一つの区切りと見なすことになる。非常に複雑でわかりにくい時期ではあるが、著者は「救国」というキーワードとそこから発生するさまざまな国家像を手がかりに近代中国誕生の歴史を描き出している。

    辛亥革命期に各地の政治家・知識人たちは、電信を用いて「公論」を形成していったが、その空間的広がりを「通電圏」という。本書ではもちろん、革命期の公論形成にこうしたインフラが用いられていたことを指摘しているのだが、現代の中東民主化革命におけるインターネットを思い出した。

    また先日、文庫本で通読した浅田次郎の『中原の虹』が描く物語とほぼ同時期で、そうした面からもこの時代の歴史が興味深く読めた。浅田の小説ではこの電信インフラが西太后と光緒帝の悲しいエピソードに使われていた。思い出して、思わず涙した。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科教授

「2023年 『日中関係 2001-2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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