『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書)

著者 : 四方田犬彦
  • 岩波書店 (2010年6月19日発売)
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  • レビュー :10
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312550

作品紹介

日本映画を代表する名作として、幾重にも栄光の神話に包まれてきた黒澤明の『七人の侍』。しかし世界のいたるところで、いまなお現代的なテーマとして受容され、その影響を受けた作品の発表が続く。制作過程や当時の時代状況などを丹念に考察し、映画史における意義、黒澤が込めた意図など、作品の魅力を改めて読み解く。

『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 「七人の侍」ジャンルとは ①圧政者の脅威に晒されている脆弱な共同体 ②それを外部から支援するアウトローの助っ人たち ③そこに芽生える恋。  「セーラームーン」もそういうパターンだったとのこと。著者は書いていませんが、その意味では「アバター」などは完全に該当しますね。このようなパターンというのは「ローマの休日」や他にもヒットした映画で多くありそうです。この映画制作が決定した1952年がどういう意味があるのか、戦争から7年しかたっておらず、満洲開拓団を思い出させる状況。そして再軍備・・・。自民党政権の喝采を浴びたということが大変興味深い視点です。そういえば 7人と農民たちの人間性が豊かに描かれていたことに対して、野伏せたちが全く顔さえも描かれていないのは、改めて勧善懲悪の二元論であったと言われればその通りです。この構図は最近の映画ではないものかも知れません。菊千代の持っていた系図から、映画の設定年が1587年になっているのは、秀吉の刀狩り命令の1年前ということを考えるとまた一興です。撮影年が1953年であり、異常気象の年の苦労もあったようです。7人の人間像の解説については、もう一度映画を見ながら確認していくと楽しそうです。志村喬と木村功の関係が、イカロスとダイダロスの親子関係に模しているというのも新しい視点です。

  • 2012/3/6購入
    2012/11/26読了

  • 去年は黒澤明生誕100年。日本映画専門チャンネルでも一年をかけて黒澤明特集をしていた。そうこともあり、この本を買ってみたのだが、色々と発見があって楽しかった。

    この本の狙いは冒頭の「エピローグ」でうまいこと語っているので、そのまま書き写して本の紹介に代えたい。

    「時は戦国、ある山間の小さな村に侍の墓が四つ並んだ。野心と功名に憑かれた狂気の時代に、全く名利を顧みず哀れな百姓たちのために戦った七人の侍の話。彼らは無名のまま風のように去った。しかし、彼らのやさしい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられている。彼らこそ侍だ!」
    1954年、東宝で「七人の侍」を監督するにあたって、黒澤明が予告篇のために記した文章である。だが歴史的には16世紀後半、多くの農民は武装していたし、百姓はただ「哀れ」な存在などではなかった。侍と百姓、そして野伏せとの間の境界は、今日のわれわれが考えるほどに厳密なものではなかった。撮影の途上で黒澤は作品の結論を大きく変更する。「彼らこそ侍だ ! 」という確信に満ちた叫びが退けられ、侍なるものを巡る懐疑と戦闘をめぐる後悔とが大きく前面に取り上げられることになる。
     同年のゴールデンウィーク直前に公開されるや「七人の侍」は虚無的な結論を嫌われ、農民を侮蔑したものだと批判される。またその一方、再軍備問題を説くフィルムとして賞賛される。ヴェネツィア国際映画祭における受賞が全てを変える。今日ではこのフィルムは日本映画を代表する名作であるとみなされ、幾重にも栄光の神話に取り囲まれている。物語は世界のいたるところで翻案され、ナショナリズムと抵抗闘争を説く装置として機能している。だが黒澤明が差し出した、虚無に通じる問いかけは、ここでは等閑にされてしまった。
     日本が敗戦を経験して九年後に製作されたこのフィルムに、今こそもう一度照明を当てるべきではないだろうか。誤解と思い込みの上に成立した過剰な栄光をひとまず払いのけ、それが製作された時代の社会的文脈と、延々と続いてきた日本映画の中の時代劇の文脈の交差点に立って、作品そのものを虚心に見つめなおす必要があるのではないだろうか。 

    冒頭の予告編は私も何度も目にし、耳にした。そういわれてみて、初めて気がつく。「彼らのやさしい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられている」しかし、実際の映画は最後の場面、農民たちは侍たちにひどくそっけなかった。一度は契りを交わした志乃も勝四郎を無視し、田植えに忙しい。侍たちの役割は終わった、もうどこにでも行っておくれという態度であり、「美しく語り伝えよう」という態度は微塵も無い。最初の脚本には、偽侍の菊千代を称える台詞、あるいは「侍はな…この風のように、この大地の上を吹き渡って通り過ぎるだけだ…土は…いつまでも残る…あの百姓たちも土と一緒にいつまでも生きる」という官兵衛の台詞があったらしい。しかし、本編ではそれは削られている。なぜか、もうここでは侍の戦いの意義は無視される。ただ、土饅頭の上を風か吹き抜けるだけだ。そこにあるのは、仏教的な無常観のみ、あるいは敗残兵に対する服喪の感情のみである。「我々は何の為に生きているのか」そういう問いであったといってもいい。しかし、この服喪の感情は、その後の「七人の侍」の栄光の中でみごとに無視された。ずっとあった予告編と本編との違和感を今回初めて正体を知ることができた。

  • 極めて出来の良いエンターテイメント作品という認識しかなかったのだが、実は制作された時代状況と監督の戦争体験が強く反映されているという議論が面白かった。本著を読むと「七人の侍」が「ゴジラ」と同じ年に制作されている点も象徴的な出来事に見えてくる。また、一般的には映画史における古典として捉えられている「七人の侍」が、キューバ、パレスチナ、セルビアといった地域では、実世界とシンクロした現在進行形の作品として受け入れられているというレポートも興味深かった。

  • 七人の侍は名画という評価が定着されている。しかし、内容をよく読むと読むと百姓の描き方、七人の侍の描き方に問題があったり難解であったりと、結構問題のある作品であるのがわかった。

  • 黒澤明の傑作「七人の侍」についての映画論的、文化論的考察を収めた入門書。

    「七人の侍」が世界でどの様に受容されているかの体験談に始まり、作品成立の歴史的背景、ジャンルとしての「七人の侍」的物語、日本における時代劇の歴史と黒澤がそれにどの様な一石を投じたか、さらには物語の登場人物の分析からこの作品の映画史的価値が浮かび上がってくる。

    日本映画の殺陣の歴史と身体性についての入門としても興味深い。

    侍一人一人の信条、行動様式を書き出すだけでも、とても一本の映画とは思えない複雑な物語であることが明らかになる。

    四方田氏は黒澤が悪玉である野武士達を一面的にしか描かなかったことに批判的だが、存在にとっての脅威とは常に不気味な匿名性を持った集合体であり、その枠組みでは黒澤の目論見は正しいのでは、とも思う。「用心棒」では悪党も描いている。

    三池崇史「13人の刺客」が「七人の侍」的と思っていた僕は、三池も「七人の侍」というジャンル映画を撮ったのだという形に認識を改めさせられた。

    「七人の侍」と同時期に公開されていたのが「ローマの休日」なんだな。黒澤に比べるとオードリー・ヘプバーンは足りなさすぎる。まあ、僕がヘプバーンが嫌いなだけかもしれませんがw

  • 黒沢礼賛ではなく、冷静に論説されていてよかった。
    時代背景の勉強不足なども指摘されていた。
    批判、礼賛ではなく、何がすばらしいのかをしっかり見据えて書かれている。

  • 世界的な「傑作」とされた「七人の侍」が、公開当時の1954年にどのように受け止められたのか。製作時の状況はある程度知っていたけれど、公開当時の評価については知らないことが多く、読んでよかったと思う。

  • 私にとって監督黒澤明「七人の侍」は永遠のマスターピース。意外な事に公開当時大ヒットはしたが反戦ムードにより評論家からは不評だった、社会状況、思想背景、時代劇の系譜から世界的名作を読み解き解説してくれて面白い。私が好きなキャラは勘兵衛と菊千代

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