『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書) (岩波新書 新赤版 1255)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312550

作品紹介・あらすじ

日本映画を代表する名作として、幾重にも栄光の神話に包まれてきた黒澤明の『七人の侍』。しかし世界のいたるところで、いまなお現代的なテーマとして受容され、その影響を受けた作品の発表が続く。制作過程や当時の時代状況などを丹念に考察し、映画史における意義、黒澤が込めた意図など、作品の魅力を改めて読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 去年は黒澤明生誕100年。日本映画専門チャンネルでも一年をかけて黒澤明特集をしていた。そうこともあり、この本を買ってみたのだが、色々と発見があって楽しかった。

    この本の狙いは冒頭の「エピローグ」でうまいこと語っているので、そのまま書き写して本の紹介に代えたい。

    「時は戦国、ある山間の小さな村に侍の墓が四つ並んだ。野心と功名に憑かれた狂気の時代に、全く名利を顧みず哀れな百姓たちのために戦った七人の侍の話。彼らは無名のまま風のように去った。しかし、彼らのやさしい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられている。彼らこそ侍だ!」
    1954年、東宝で「七人の侍」を監督するにあたって、黒澤明が予告篇のために記した文章である。だが歴史的には16世紀後半、多くの農民は武装していたし、百姓はただ「哀れ」な存在などではなかった。侍と百姓、そして野伏せとの間の境界は、今日のわれわれが考えるほどに厳密なものではなかった。撮影の途上で黒澤は作品の結論を大きく変更する。「彼らこそ侍だ ! 」という確信に満ちた叫びが退けられ、侍なるものを巡る懐疑と戦闘をめぐる後悔とが大きく前面に取り上げられることになる。
     同年のゴールデンウィーク直前に公開されるや「七人の侍」は虚無的な結論を嫌われ、農民を侮蔑したものだと批判される。またその一方、再軍備問題を説くフィルムとして賞賛される。ヴェネツィア国際映画祭における受賞が全てを変える。今日ではこのフィルムは日本映画を代表する名作であるとみなされ、幾重にも栄光の神話に取り囲まれている。物語は世界のいたるところで翻案され、ナショナリズムと抵抗闘争を説く装置として機能している。だが黒澤明が差し出した、虚無に通じる問いかけは、ここでは等閑にされてしまった。
     日本が敗戦を経験して九年後に製作されたこのフィルムに、今こそもう一度照明を当てるべきではないだろうか。誤解と思い込みの上に成立した過剰な栄光をひとまず払いのけ、それが製作された時代の社会的文脈と、延々と続いてきた日本映画の中の時代劇の文脈の交差点に立って、作品そのものを虚心に見つめなおす必要があるのではないだろうか。 

    冒頭の予告編は私も何度も目にし、耳にした。そういわれてみて、初めて気がつく。「彼らのやさしい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられている」しかし、実際の映画は最後の場面、農民たちは侍たちにひどくそっけなかった。一度は契りを交わした志乃も勝四郎を無視し、田植えに忙しい。侍たちの役割は終わった、もうどこにでも行っておくれという態度であり、「美しく語り伝えよう」という態度は微塵も無い。最初の脚本には、偽侍の菊千代を称える台詞、あるいは「侍はな…この風のように、この大地の上を吹き渡って通り過ぎるだけだ…土は…いつまでも残る…あの百姓たちも土と一緒にいつまでも生きる」という官兵衛の台詞があったらしい。しかし、本編ではそれは削られている。なぜか、もうここでは侍の戦いの意義は無視される。ただ、土饅頭の上を風か吹き抜けるだけだ。そこにあるのは、仏教的な無常観のみ、あるいは敗残兵に対する服喪の感情のみである。「我々は何の為に生きているのか」そういう問いであったといってもいい。しかし、この服喪の感情は、その後の「七人の侍」の栄光の中でみごとに無視された。ずっとあった予告編と本編との違和感を今回初めて正体を知ることができた。

  • 一章では黒澤の死をめぐっての個人的な感想ではじめる。そこから「映画ジャンルと化した七人の侍」と章立てして二章に入り、1960年にハリウッドのジョン・スタージェスによって、「荒野の七人」(原題Magnificennt Sevenn:気高き七人)としてリメイクされたところから話を始めて、あまたのアジアの映画から果てはアニメ映画「美女戦士セーラームーン」に至るまで、解説、紹介したうえで、「七人の侍」という映画が成立した1954年という時代背景にたちもどるという展開。

    1954年とは、平和国家を標榜する一方で自衛隊がつくられ、第五福竜丸の被爆が「死の灰」という言葉を生み、本多猪四郎が「ゴジラ」を撮った年であることに言及したうえで、黒澤の「構想」と苦難の「制作」過程を解説し、革命的「時代劇」として大ヒットするまでの「映画史」を論じたのが五章「時代劇映画と黒澤明」、ここまでが、いわば本書の前半。

    後半は戦後社会の観客を前に超大作として登場した作品の内容が俎上にあげられる。

    六章、七章では「侍」、「百姓」、「野伏せ」という階層、階級を指摘したうえで、まず、個々の「侍」たちの背景を暗示し、個性を強調した演出の卓抜さが論じられる。

     続けて、戦乱の中で「百姓」から、浮浪児となったに違いない、「菊千代」が母親を殺されて泣き叫ぶ幼子を抱きしめて「こ、こいつは…俺だ!俺も‥‥この通りだったのだ!」と叫ぶ姿が、1950年代の観客に呼び起こしたにちがいないリアリティーと親近感のありか、「農民」の敵として登場する「山岳ゲリラ」、すなわち「野伏せ」たちの描き方に宿る日本映画のイデオロギーに対する批判と、それに縛られていた黒澤の孤独について、それぞれ論じられている。

     映画の細部についての言及は、筆者の博覧強記そのままに、さまざまな映画や、歴史資料を参照しながら繰り広げられて、興味深い。
    https://www.freeml.com/bl/12798349/1030672/

  • (01)
    1954年に公開された映画を約半世紀後の時点で分析する.
    個人的な映画体験から,この映画を体験した国際的な情況,制作された時代の背景,当時の時代劇の趨勢,また,この映画が対象した16世紀末にまで光をあて,現代との接続を試みている.
    いくつかの疑問が残る.
    この映画のヒットによりジャンルとしての「七人の侍」が現れ,有名な「荒野の七人」をはじめ類似する映画が後続したとする.が,その背後にはさらに,「七人の侍」が寄って立つところの物語の典型的なプロットや民俗,そして人類学的類型があったと考えることができないだろうか.
    また,歴史的な解釈をめぐって,この映画の監督である黒澤明は,侍側や百姓側に偏向しており,野伏せへの理解が欠けていると著者は指摘する.そしてその原因には,黒澤の二元論的な認識の枠組みや,当時の歴史学の成果から得られた認識の限界を指摘する.しかし,この映画で野伏せの個性が描かれていないのは確かであるが,野伏せが描かれていないわけではない.この野伏せの描写の意味はより深く点検されてよいし,脚本執筆時には,野伏せが侍や百姓と相同的な存在であったことは知られていたし,映画描写の細部からみても,歴史的な背景の探索にあたって,そうした史料や論考を参照した蓋然性は高い.むしろ問題にさせるのは,なぜあのように野伏せを描かないように描いたかであり,黒澤の歴史的認識や偏向による限界であるというより,それは黒澤が選び取った演出方法であるともいえる.

  • 七人の侍とゴジラは同年公開。いずれも、まだ戦争の記憶がまだ生々しく残っている中での作品であることを思い起こすと、七人の侍のラストシーンにもまた違った感慨が湧いてくる。パレスチナやユーゴスラヴィアなど紛争地で七人の侍がいまだアクチュアルであり続けることから出発する評論。

  • 「七人の侍」ジャンルとは ①圧政者の脅威に晒されている脆弱な共同体 ②それを外部から支援するアウトローの助っ人たち ③そこに芽生える恋。  「セーラームーン」もそういうパターンだったとのこと。著者は書いていませんが、その意味では「アバター」などは完全に該当しますね。このようなパターンというのは「ローマの休日」や他にもヒットした映画で多くありそうです。この映画制作が決定した1952年がどういう意味があるのか、戦争から7年しかたっておらず、満洲開拓団を思い出させる状況。そして再軍備・・・。自民党政権の喝采を浴びたということが大変興味深い視点です。そういえば 7人と農民たちの人間性が豊かに描かれていたことに対して、野伏せたちが全く顔さえも描かれていないのは、改めて勧善懲悪の二元論であったと言われればその通りです。この構図は最近の映画ではないものかも知れません。菊千代の持っていた系図から、映画の設定年が1587年になっているのは、秀吉の刀狩り命令の1年前ということを考えるとまた一興です。撮影年が1953年であり、異常気象の年の苦労もあったようです。7人の人間像の解説については、もう一度映画を見ながら確認していくと楽しそうです。志村喬と木村功の関係が、イカロスとダイダロスの親子関係に模しているというのも新しい視点です。

  • 東2法経図・6F開架:B1/4-3/1255/K

  • 四方田犬彦が語る、七人のサムライ、おすすめの一冊です。

  • 2012/3/6購入
    2012/11/26読了

  • 極めて出来の良いエンターテイメント作品という認識しかなかったのだが、実は制作された時代状況と監督の戦争体験が強く反映されているという議論が面白かった。本著を読むと「七人の侍」が「ゴジラ」と同じ年に制作されている点も象徴的な出来事に見えてくる。また、一般的には映画史における古典として捉えられている「七人の侍」が、キューバ、パレスチナ、セルビアといった地域では、実世界とシンクロした現在進行形の作品として受け入れられているというレポートも興味深かった。

  • 七人の侍は名画という評価が定着されている。しかし、内容をよく読むと読むと百姓の描き方、七人の侍の描き方に問題があったり難解であったりと、結構問題のある作品であるのがわかった。

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著者プロフィール

四方田 犬彦(よもた・いぬひこ):1953年生れ。批評家・エッセイスト・詩人。著作に『見ることの塩』(河出文庫)、翻訳に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)がある。

「2024年 『パレスチナ詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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