- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004312598
作品紹介・あらすじ
戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。
感想・レビュー・書評
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初詣に行った時に感じたこと
これだけの人が神社を訪れているが、果たしてこの行為は何を指していて、いつから始まったのだろうか
その疑問の答えを確かめるべくこの本を手に取った
国家神道と宗教の二重構造という観点が、無宗教と言われる日本を体現していると感じた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705880 -
神道司令後、国家機関としての地位を失った神社神道ではあるが、神社本庁の活動を追っていくと、国家と天皇を主要主題として掲げている事がみえ、天皇崇敬の強化を目指していることが分かる。
国家神道は大別して形成期(祭政一致)、確立期(大教宣布の詔)、浸透期(教育勅語)、ファシズム期があるが、徐々に段階を上げて、江戸末期のバラバラたった国民を天皇や国体思想を用いて統御するはずが、時間を掛けて育った下からの圧力が強くなり、コントロールし切れず戦争へ突入していく。
この歴史を踏まえると皇室祭祀は未だ続いているし、神社本庁の本義も第二次世界大戦下と変わっていない、下火にはなっているが、絶えず涵養されている国体思想、天皇崇拝というのは危険じゃないかと筆者は述べている。筆者の言う通り、先の大戦を省みるならば、天皇崇拝を標榜する神社神道及び、天皇制は完全に解体されるべきであったと思った。 -
国家神道について書かれたもの。詳細な分析を基に学術的に書かれており、特に出展が明確に示され説得力がある。国家神道の経緯についてよく理解できた。ただし、著者は国家神道のあり方に反対しており、随所に国家神道を推し進めた政府に反対するような言い回しがあり客観性に欠け違和感を感じた。最期に「空虚な中心」と書いているが、著者は実は空虚ではないとし国家神道の復活を危惧しているが、私は国家神道を失ったからこそ現在の日本が空虚になってしまったと感じるのだが。
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●「政教分離」と「祭政一致」の共存をしてきた国家神道の在り方は興味深い。
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著者:島薗進(しまぞのすすむ)
【版元】
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1007/sin_k540.html
※ルビは適宜、全括弧[ ]の中に示しておきました。
【目次】
はじめに――国家神道が問題なのか? [i-ix]
国家神道の唱和を覚えた日本人
神道と神社は同一ではない
国家神道の教えから日本人論へ
国家神道の構造と骨格を描く
国家神道の解明が重要であるわけ
付記 [x]
目次 [xi-xiv]
第一章 国家神道はどのような位置にあったのか?――宗教地形 001
1 「公」と「私」の二重構造 002
真宗僧侶、暁烏敏[あけがらす はや]の日本精神論
皇道・臣道と真宗信仰の関係
庶民と高学歴の人々の違い
「政教分離」と「祭政一致」の共存
2 「日本型政教分離」の実態 009
「神道国教化政策」で突き進む
非現実的な政策からの軌道修正
「政教分離」の内実
諸宗教集団と国家祭祀機関としての神社
国家機関としての性格を強める神社
3 皇室祭祀と「祭政一致」体制の創出 018
祭政一致国家構想の組み替え
皇室祭祀への国民参加の展望
新しい皇室祭祀システムの創出
皇室祭祀の中心施設としての宮中三殿
新たな皇室祭祀の体系――定期的な祭祀
国民の天皇崇敬を鼓舞する皇室祭祀
近代国家の儀礼システムの日本的展開
近代国家儀礼と「古代的」皇室祭祀
4 宗教史から見た帝国憲法と教育勅語 030
天皇崇敬と国体論――国家神道の新しさ
仏教優位の体制から神道が自立していく過程
大日本帝国憲法と「公」の秩序の神聖性
教育勅語の語っていること
教育勅語の枠構造
5 信教の自由、思想・良心の自由の限界 040
国家神道に反する考え方の排除
内村鑑三不敬事件と信教の自由、思想・良心の自由の限界
不敬事件の余波
久米邦武事件と批判的歴史認識の限界
久米への批判と言論弾圧
天理教の発生・展開とその抑圧
公認運動と妥協による教義変更
精神の二重構造を生きる
ナショナリズムの他の形態との相違
第二章 国家神道はどのように捉えられてきたか――用語法 055
1 国家神道の構成要素 056
国家神道の用語法をめぐる混乱
国家神道とは何か
思想内容から見た国家神道
国家神道は神社神道という考え方
国体論と日本国家の神聖性
国体論と国家神道の関係
2 戦時中をモデルとする国家神道論 065
天皇崇敬と現人神[あらひとがみ]信仰
明治後期・大正期の天皇崇敬
修身教科書の中の天皇崇敬
国家神道は現人神の観念を前提としない
神社神道を国教の基体とする見方
3 神道指令が国家神道と捉えたもの 074
GHQが目指した国家神道の解体とは?
アメリカ的な宗教観に基づく神道指令
神道指令の「国家神道」概念
制度上の用語としての国家神道
「神社神道」即「国家神道」説の欠点
4 皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて 084
国家神道と神社神道を等置しようとする傾向
神社神道の立場からの狭い定義
皇室祭祀にふれない国家神道論
国家神道と民間運動の重要性
皇室はを排除した国家神道論は成り立たない
「天皇制イデオロギー」という概念
個々の要素を切り離さない神道理解
皇室祭祀、神社神道、国体論
第三章 国家神道はどのように生み出されたか?――幕末維新期 097
1 皇室祭祀と神社神道の一体性 098
維新期に構想された国家神道
伊勢神宮と宮中三殿という二つの聖所
新皇室祭祀体系の創出
皇室祭祀と神社神道との一体性の強化
2 基軸としての皇道論 106
理念や思想としての国家神道
王政復古・神武創業
大教宣布の詔[みことのり]
隠れた指導理念としての「皇道」
明治期以降の「皇道」の語の展開
皇道思想の歴史
会沢正志斎[せいしさい]「新論」の祭政一致論
3 維新前後の国学の新潮流 116
大国隆正の政治的神道論
津和野[つわの]国学者の包容主義
祭政教一致の理念
政治的機能中心の神道論
4 皇道論から教育勅語へ 123
政治中心の「教」としての「皇道」
長谷川昭道[しょうどう]と皇道・皇学の興隆
皇道・皇学構想の普及
学校教育における「皇道」
聖旨教学大旨[せいし きょうがく たいし]から教育勅語へ
祭政教一致理念と教育勅語
国家神道の祭祀体系と「教え」
第四章 国家神道はどのように広められたか?――教育勅語以後 137
1 国家神道の歴史像 138
村上重良による時期区分
神道学者の国家神道史像
神社神道中心の国家神道史観
皇室祭祀・天皇崇敬・皇道論に力点を移して
新たな時期区分の提示
2 天皇・皇室崇敬の国民への浸透 146
学校行事の中の天皇・皇室崇敬
旅行・戦争・朝拝など
靖国神社の儀礼空間
靖国神社の国家神道教育
実存的深みに届く靖国神社
3 国家神道の言説をみにつけていくシステム 156
教育勅語・修身教育・国体論
歴史教育における国体論と国家神道
神社の組織化と皇道化
皇典講究所の設立
皇學館の設立
神職養成システムと皇道論・国体論
「国家ノ宗祀」としての神社
4 下からの国家神道の形成 166
国民自身が国家神道の担い手となる
宗教運動が国体論・皇道論を取り込む
田中智学[ちがく]と国柱会
大本教と出口王仁三郎[おにさぶろう]
皇道主義の取り組み
地域神職層の活性化
地域神職らが国家神道を盛り上げる
教育勅語で育った地域社会の諸勢力
多くの国民が身につけた国家神道
国家体制をめぐる「顕教」と「密教」
祭政一致体制の支配へ
第五章 国家神道は解体したのか?――戦後 183
1 「国家神道の解体」の実態 184
神道指令は国家神道を解体したか?
神道指令は皇室祭祀にふれていない
皇室祭祀を温存した政治判断
存続する国家神道を直視する
日常的季節的皇室祭祀
戦後の皇室祭祀の諸相
皇室祭祀の制度枠組
2 神社本庁の天皇崇敬 196
民間団体となった神社神道
神社本庁憲章の天皇崇敬・神社崇敬
神社本庁が取り組んできた運動
天皇崇敬の強化を目指す
3 地域社会の神社と国民 203
氏子にとっての神社
神社神道がもっているさまざまな可能性
「国体護持」のゆくえ
国民の天皇崇敬の持続
持続する国家神道
4 見えにくい国家神道 214
正面からの天皇崇敬の主張
大嘗祭訴訟判決と国家神道
国家神道と「自然宗教」
「象徴」と「国体」
「天皇不親政の伝統」という論
空虚な中心?
参考文献 [225-233]
あとがき(二〇一〇年五月二日 島薗 進) [235-237] -
「国家神道と日本人」島薗進著、岩波新書、2010.07.21
237p ¥840 C0214 (2017.11.08読了)(2017.10.26借入)
『夜明け前』島崎藤村著、を読んだ余波で、「国学」→「廃仏毀釈」→「国家神道」と進んできました。
「国家神道」村上重良著、で明治憲法と教育勅語で国家神道の骨格が出来上がったと理解したのですが、この説には賛同していない方々もいるということです。
この本の著者の島薗進さんは、かなりの程度村上重良さんに賛同しているようです。
国家神道は、日本の敗戦によって消えてしまったと思っていたら、島薗進さんは天皇崇敬と皇室祭祀という形でかなり残っているのではないか? とのことです。
象徴天皇という形で憲法にも記載され皇室が残っておりニュース報道でも皇室の方々の動向が折に触れて報じられることからも、天皇崇敬の念は多くの国民の中に育まれているようです。これは、どうしてなのでしょうか? 特に学校教育や家庭教育で何か行われているようには思えないのですが。 日本文化の伝統? 不思議です。
【目次】
はじめに―なぜ、国家神道が問題なのか?
第一章 国家神道はどのような位置にあったのか?―宗教地形
1 「公」と「私」の二重構造
2 「日本型政教分離」の実態
3 皇室祭祀と「祭政一致」体制の創出
4 宗教史から見た帝国憲法と教育勅語
5 信教の自由、思想・良心の自由の限界
第二章 国家神道はどのように捉えられてきたか?―用語法
1 国家神道の構成要素
2 戦時中をモデルとする国家神道論
3 神道指令が国家神道と捉えたもの
4 皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて
第三章 国家神道はどのように生み出されたか?―幕末維新期
1 皇室祭祀と神社神道の一体性
2 新たな総合理念としての皇道論
3 維新前後の国学の新潮流
4 皇道論から教育勅語へ
第四章 国家神道はどのように広められたか?―教育勅語以後
1 国家神道の歴史像
2 天皇・皇室崇敬の国民への浸透
3 国家神道の言説を身につけていくシステム
4 下からの国家神道
第五章 国家神道は解体したのか?―戦後
1 「国家神道の解体」の実態
2 神社本庁の天皇崇敬
3 地域社会の神社と国民
4 見えにくい国家神道
参考文献(抜粋)
『中空構造日本の深層』河合隼雄著
『現代日本の思想』久野収・鶴見俊輔著
『象徴天皇』高橋紘著
「敗北を抱きしめて(上)」ジョン・ダワー著・三浦陽一訳、岩波書店、2001.03.21
「敗北を抱きしめて(下)」ジョン・ダワー著・三浦陽一訳、岩波書店、2001.05.30
『昭和天皇』原武史著
「日本の思想」丸山真男著、岩波新書、1961.11.20
『文化防衛論』三島由紀夫著
「国家神道」村上重良著、岩波新書、1970.11.27
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
あとがき
●国家体制(10頁)
1871年5月から7月にかけて全国の神社を官社と諸社に分け、官幣社、国弊社、府社、県社、郷社、村社、無格社に序列化する社格制度が制定される。全国の神社を国家が組織化しようというものだ。同年7月には従来の宗門改め制にかわって氏子調べ制度を制定し、すべての国民が地域の神社に氏子として住民登録することを目指した。
●皇室祭祀(20頁)
「伝統的」とか「古代以来の」と言われることが多い皇室祭祀だが、実は明治維新に際してきわめて大規模な拡充が行われ、その機能は著しい変化をこうむった。ほとんど新たなシステムの創出といってもいいほどの変容が起こった。
●教育勅語(38頁)
国家神道とは何かを知るうえで教育勅語がもつ意義は、いくら強調しても強調しすぎることはない。それは教育勅語が国家神道の内実を集約的に表現するものだったとともに、それが多くの国民に対して説かれ、国民自身によって読み上げられ、記憶され、身についた生き方となったからである。教育勅語は1945年以前の日本国民の、「公」領域での思想的身体を、また心の習慣を形作る機能を果たしたと言ってもよいだろう。
●信教の自由(41頁)
国家神道は「祭祀」や「教育」に関わるもの、あるいは社会秩序に関わるものと考えられたのに対して、死後の再生や救いの問題、あるいは超越者への信仰は「宗教」に関わるもので、それぞれ持ち場が異なると考えられた。
●神社中心主義(172頁)
日露戦争後の地方改良運動で「神社中心主義」が唱えられ、神社が地域社会の統合・活性化において大きな役割を果たすことが期待されていた。それに応じて神宮皇學館や皇典講究所で学んだ若手の神職らが天皇崇敬と神社活性化と地域社会の振興を結びつけた様々な活動を起こすようになった。
●皇室祭祀(190頁)
賢所では毎朝、男性の掌典により天皇の祝詞が唱えられ、女性の内掌典数人が潔斎をして「お供米」を供え、「お鈴」を奉仕し、掌典とともに「お日供」(おにぎり・魚・昆布・清酒など)を供える。続いて侍従が内陣で天皇に代わって拝礼(代拝)を行う。毎月1日、11日、21日の旬祭は一段と早朝で、天皇自らが拝礼することも多い。
年中行事にあたる祭祀には大祭・小祭があり、加えて節折・大祓などの神事があり、年に20回を超えるのが普通である。小祭では天皇は拝礼を行うだけだが、大祭では天皇が祭祀を主宰する。大祭は1月3日の元始際、1月7日の昭和天皇祭、春分の日の春季皇霊祭・春季神殿祭、4月3日の神武天皇祭、秋分の日の秋季皇霊祭・秋季神殿祭、10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭である。
●人間宣言(209頁)
天皇側近の侍従職にあった木下道雄によると、「神の裔」という「架空ナル観念」を否定するというGHQ側の原案に対して、木下が「現御神」という「架空ナル観念」を否定するという文言に変えるよう示唆し天皇もそれに同意したという。もし、そうだとすると、天皇は神の子孫だという国体論の重要な一角は「護持された」ことになる。
☆関連図書(既読)
「古事記」三浦佑之著、NHK出版、2013.09.01
「古事記」角川書店編・武田友宏執筆、角川ソフィア文庫、2002.08.25
「楽しい古事記」阿刀田高著、角川文庫、2003.06.25
「本居宣長」子安宣邦著、岩波新書、1992.05.20
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
「国家神道」村上重良著、岩波新書、1970.11.27
「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
(2017年11月9日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。 -
新書にしては難しいと思うけど、論旨は極めてまっとうなように思います。