『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)

著者 : 山折哲雄
  • 岩波書店 (2010年8月21日発売)
2.91
  • (0)
  • (3)
  • (4)
  • (4)
  • (0)
  • 49人登録
  • 7レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312635

『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • (2016.06.08読了)(2016.06.05借入)
    同じ著者の『親鸞をよむ』を読んだら親鸞の思想を理解するには、親鸞の弟子が書いた『歎異抄』ではなく、親鸞自身の書いた『教行信証』のほうがいいのではないかというようなことが書いてありました。
    もっとものことなのですが、『教行信証』を直接読むのは、ちょっと敷居が高そうなので、この本を読むことにしました。
    『歎異抄』で有名なのは、悪人正機ということですが、悪人正機を経典から裏づけようとしたのが、『教行信証』のようです。
    「無量寿経」では、悪人は除外されているので、使えない。「大般涅槃経」によれば、条件付きで許されそうです。でも、真仏土ではなく、化身土ということで、真の仏ではなく、仮採用という形の仏、ということですので、『歎異抄』が述べているような、「悪人正機」とはいかないようです。親鸞は、最後まで悩みぬいたということでしょう。

    【目次】
    はしがき
    第一章 総序―主題と目標
    第二章 依拠すべき原点と念仏―「教」から「行」へ
    第三章 難問に苦悩する親鸞―「信」Ⅰ
    第四章 見過されてきた不幸な事実―「信」Ⅱ
    第五章 未解決の課題―「証」から「真仏土」へ
    第六章 幻想の浄土―「化身土」
    第七章 葛藤と自覚―「化身土」から「後序」へ
    あとがき

    ●教行信証(ⅵ頁)
    原典(教)、実践(行)、信心(信)、悟り(証)
    書名自体が作品の主題をまったく明示していない(ⅴ頁)
    ●親鸞の結論(ⅷ頁)
    親鸞が最終的にたどり着いた結論が、条件づきの悪人救済の道だった。善き師につくこと、そして深く懺悔すること、の二つの条件がそれである。
    ●『教行信証』の主題と目標(3頁)
    第一主題―海のイメージのなかの浄土往生
    第二主題―父殺しの悲劇と救済の物語
    最終的な目標―悪を転じ、徳をなす正智
    ●親鸞の使用文字(16頁)
    親鸞は『教行信証』の全文を漢文で書いている。かれは晩年になって『和讃』を執筆することになるが、これは漢字仮名交じり文の形をとっている。仮名は、漢字の楷書体をあてた真仮名、つまり男手の仮名(カタカナ)である。もうひとつ、親鸞は消息文(書簡文)を書くときは、漢字と平仮名交じりの文章を書いていた。ここでいう平仮名は、さきの男手のカタカナ(仮名)にたいして女手の仮名と称されるものである。
    ●『教行信証』の主題と目標(44頁)
    二つの主題とは、第一に海上浄土ということ、第二に父殺しの悪人は往生できるのか、ということだった。一つの目標とは、悪を転じて徳を実現し、信(楽)を深めて証を達成すること
    ●選択(61頁)
    法然―「念仏」
    日蓮―「妙法蓮華経」
    道元―「只管打坐」(ひたすら座れ)
    ●法然(68頁)
    法然の『選択本願念仏集』は、阿弥陀仏の本願に帰依信順し、ただ念仏だけを唱えることだけで往生できるという主旨を、論理明晰に解き明かしている。
    仏教の全体を「聖道門」(聖者への道)と「浄土門」(救済への道)に分けて、前者を退ける。ついで「浄土門」を「雑行」(主我的な行)と「正行」(脱我的な行)に分けて、前者を否定する。最後に「正行」を「助業」と「正定業」の二つに分けて、前者を排除する。「助業」とは礼拝、読誦、観想などの行であるが、それらを退けて「正定業」すなわち一心に阿弥陀如来の名号を唱えることのみを最終的に選択すべきだ、という。
    ●五逆の往生(121頁)
    「大無量寿経」においては、五逆と誹謗正法のものは救済の網からもれるといって除外規定を設けている。五逆を無間の悪業ともいい、また正法とともに聖人も誹謗してはいけない、と言っている。
    「観無量寿経」の場合は、五逆のものでも往生することができるが、しかし謗法のものは往生することができないと言っている。
    「大般涅槃経」では、難治の機すなわち五逆と誹謗正法のものでも救われると説いている。
    ●親鸞と道元(149頁)
    親鸞が晩年になって常陸から京都に居を移したころ、道元は中国から帰国して宇治の地に興聖寺を開き、ようやく伝道活動に入ろうとしていた。この前後のころ、二人は京の都で同時代の空気を呼吸していたのである。
    ●悉有仏性(153頁)
    一切のものに仏性がある
    「悉有仏性」であるからには、たとえ父母を殺し、仏法を非難中傷するような極重の悪人でも、その人間には「仏性」があり、救われることになる。
    ●武者の世(162頁)
    「武者の世」を迎えて時代が大きく転換しようとしているとき、阿闍世逆害と悪人救済の物語がどれほど当時の戦乱に明け暮れる支配階級の心を揺さぶったか、その衝撃の深さを思わないわけにはいかない
    ●真仏土(178頁)
    「真仏土」とは善き人間(菩薩のような人)がおもむく浄土のこと、それにたいして悪しき人間(阿闍世のような人)がおもむくべき浄土が「化身土」

    ☆関連図書(既読)
    「歎異抄」釈徹宗著、NHK出版、2016.04.01
    「梅原猛の『歎異抄』入門」梅原猛著、PHP新書、2004.06.02
    「歎異鈔」唯円著・梅原真隆訳、角川文庫、1954.10.05
    「歎異抄」杉浦明平著、岩波書店、1983.10.18
    「出家とその弟子」倉田百三著、角川文庫、1951.08.20
    「最後の親鸞」吉本隆明著、春秋社、1976.10.31
    「親鸞をよむ」山折哲雄著、岩波新書、2007.10.19
    (2016年6月9日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    人殺しの大罪を犯したような極悪人は宗教的に救われるのか。救われるための条件は何か。親鸞自身の苦しみと思索の展開をたどりつつ、引用経典の丁寧な読み解きとともに親鸞宗教思想の核心を浮彫りに。歴史的洞察や史料論的解釈、比較論的考察を交えながら、宗教思想史に屹立する親鸞をその自然な思想的相貌において捉え、平易に叙述する。

  • 「総序に読む二主題、一目標」.
     類書は多い.しかし、総序の記載構造を親鸞の思想形成で、重要なプロセスの表明と読んでいる、ようでもある.
     しかも『古事記』、『平家物語』、自著から末裔の蓮如に至る日本思想史上の枠組みにおいて、本書を理解しようとする意欲を示す.

    洋上浄土・悪逆往生、悪を転じて徳をなすの正智
     「二主題 一目標」とは、「洋上浄土・悪逆往生、悪を転じて徳をなすの正智」の思想.
     『教行信証』は末法世界、無常観の時代に執筆される.その世、時代をうけてか『古事記』の文脈に「総序」の思想を位置づけ、他方で『平家物語』の無常観に距離をおきつつ、無常観の脈絡は蓮如の時代に「白骨の章」に顕現する、と説示.

    原文307字、釈文572字
     ネット情報ながら総序は、原文307字、釈文572字で構成.その短文に一章をあててる.読了はしていないが、本書の基調は、実にこの論説に込められているのかも.そうした思いをいだく、いわば迫力に本書ははじまる.(岩波2新書 2010年).

  • 読みにくいので挫折

  • 相変わらず枝葉が多い。あと議論を散漫にさせる問題提起がおおすぎる。もっと1つのテーマに絞って、ストレートに書くべき。わけても最初の古事記のくだり、中盤の道元のくだりは、削除を推奨。

    ①親鸞は、『教行信証』で、極悪人の救済はいかにして可能かを考えた。
    ②それまで『大無量寿経』を中心に述べてきた論調が、「信」を論じるさいに『大般涅槃経』へと準拠する経典を切り替える。
    ③その断然を切り結ぶことにより、親鸞は法然を乗り越えただけでなく、後の日本思想史に大きな足跡を残すこととなった。(これは明示的ではないけど)

    だいたいこんな感じのことを言っている。

    浄土への往還(行き帰り)を論じる二種廻向の1つである還相廻向の論が、半ば途中で切るかのように、駆け足で終えられていること。地上における浄土の建国ことは論じにくいので、中途半端になるのは当然なのだろう、とうのが通常の考え方。

  • 今流行りの親鸞の代表著書の解説書。
    タイトルが通常の主題ではなく、
    教、行、信、証という思想の目次を
    つなげたものという着眼点に興味
    をもった。
    回りくどい妙な比喩が多く、
    却ってわかりにくくなり途中で
    やめてしまった。

  • わかりやすく面白い。ただしそれなりの前提知識がいる。少し回りくどいきらいがあるが、親鸞の思考を教行信証とともにたどっていくという構成上しかたないかも。

    著者 山折哲雄

    目次
    はしがき
    第一章 総序 —主題と目標—
    第二章 依拠すべき原点と念仏 —「行」から「教」へ—
    第三章 難問に苦悩する親鸞 —「信」Ⅰ—
    第四章 見過ごされてきた不幸な真実 —「信」Ⅱ—
    第五章 未解決の課題 —「証」から「真仏土」へ—
    第六章 幻想の浄土 —「化身土」—
    第七章 葛藤と自覚 —「化身土」から「総序」へ—
    あとがき

    タイトルに見る謎
    選択本願念仏集、正法眼蔵、立正安国論などとくらべて、「教行信証」は主題を表していない。たんなる目次のようなもの。目次をタイトルにしているようだ。さらに「教行信証」はもともと「教行証」だった疑いがある。なぜ「信」が追加されたのか。

    二つの主題一つの目標
    主題一、海の浄土イメージ
    主題二、父殺しの悲劇と救済 (阿闍世)
    目標一、悪を転じて徳を為す

    古事記との比較はうがった見方に思える。帝皇日継(すめらみことのひつぎ)と先代旧辞(さきつのよのふること)という日本という枠の中での縦の系譜に対して、教行信証の「西番月氏(せいばんげっし)」と「東夏日域(とうかにちいき)」という横 (国際的な枠) を対比させている。インド、中央アジア、中国、日本の思想の流れを受け継ごうという話だ。

    七高僧
    龍樹、天親 (世親)、曇鸞、道綽、善導、源信、源空 (法然) を浄土の系譜とした。

    まず無量寿経に依拠すると宣言する。無量寿経には法蔵菩薩の四十八願がある。その十八願の最後には、「唯除五逆誹謗正法」と続く。五逆の罪と正法を誹謗したものはこの救済から外されると言うこと。いわゆる「除外規定」。

    これが問題になる。

    涅槃教、観無量寿経にアジャセの物語が出てくる。王子が父王を殺して、自分が王位に就く物語。
    アジャセのような極悪人は救われるのか。なぜか、その条件は?

    長い思考プロセスを経て答えを導き出す。それは善知識 (導いてくれる人) との出会い、そして懺悔であるとした。

    親鸞は法然の誠実な弟子でありそれは一生変わらなかった。しかし教行信証の内容は、法然の選択本願念仏集を乗り越える部分がある。この葛藤があったのではないかと筆者は言う。その葛藤故に、主題を明示したタイトルにせず、その施行プロセスの一部、教・行・信・証をタイトルにしたのだろうと。

    筆者はその意味で、教行信証を未完の作と考えている。

  • 教行信証とは、2つの主題、1つの目標を持つ
    しかし、内容は、親鸞が悩みながら書いたかのように
    かなり錯綜しているとのこと

    大きなテーマは、悪人正機(5逆を行った悪人の救済)
    これは、浄土教の最大経典である大経の第壱拾八願の例外規定に対する、挑戦。観経、涅槃経を元に克服しようとした。このために、仮の浄土を設定した。

    【所感】
    他力、縁を考え抜いた先には
    どんな悪人にも救いが必然。
    そのために大経の例外規定への挑戦ということか。
    繰り返しになるが、嘆異抄でも感じた、すべての人は極悪人だという感覚と、すべてに仏が宿るという感覚の先には、やはり全ての救いの必然という感覚になる。

全7件中 1 - 7件を表示

山折哲雄の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印

『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)に関連する談話室の質問

『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)はこんな本です

『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする