感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313144

作品紹介・あらすじ

感染症との闘いは人類に勝利をもたらすのか。防疫による封じ込めは、大きな悲劇の準備にすぎないのか。共生の道はあるのか。感染症と人類の関係を文明の発祥にさかのぼって考察し、社会が作り上げてきた流行の諸相を描き出す。共生とは理想的な均衡ではなく、心地よいとはいえない妥協の産物ではないのだろうか。

感想・レビュー・書評

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  • コロナ禍がなければ手にすることはなかったであろう本。1章、2章では、文明の揺籃期から始まった感染症の歴史に触れる。筆者は歴史学者ではないから致し方ないのだけれど、このパートの記載、特に農耕・定住やオリエントの記載はちょっと古い印象。参考文献もとても古い。その点では少し残念。

    筆者は医師で、国際保健学の専門家。だからむしろ本書で読むべきは後半部分。特に開発と疫病というのは思いもしなかった視点だった。なるほど。

    刊行は2011年なので、まさか世界がこんな風になるとは予想もしていなかっただろう。筆者は疫病との「共生」を説く。その道はとても険しそうだ。

  • 『感染症と文明』山本太郎
    読了。
    終盤は圧巻だった。ウイルスにとって毒性の高さは宿主を死に至らしめウイルスは住まいを失うことになる。つまり活発な感染がなければ滅びる。その上でウイルスの生存戦略のひとつは弱毒化であると。最終章のキーワードは「適応」であった。
    著者はいう。
    「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」
    感染症はなくならない。それは地球がなくならないことに等しい。

    素晴らしい本をありがとうございました。

  • 人が文明を得て栄えていくにつれ、多種多様な感染症が大小の感染を繰り返してきた。
    農耕文化が発達して定住が進めば、そこに感染症は入り込む。
    環境に踏み込み、あるいは環境を変化させれば、新たな感染症が広まるきっかけとなる。

    何度も流行を繰り返してきたペスト、スペインの侵攻に際して南アメリカにもたらされた天然痘や麻疹、西アフリカに派遣された宣教師を襲ったマラリア。
    人が新しい地に移動すれば病原体もともに移動し、(敵対的であれ友好的であれ)地域間の交通が増せば、その土地に以前は見られなかった感染症が現れる。

    感染症の病原体は得てして、宿主のシステムを利用するフリーライダーである。宿主を滅ぼそうとしているというよりは、自らの増殖のために、宿主のものを「拝借」する。都合がよければ、そこで増え、また次の宿主へと移動していく。
    それが時として、宿主には不快であったり、不都合をもたらしたりする。
    人のいるところ、感染症がまったくなくなることはおそらくなく、人と人との交流が重要である文明社会には、ある意味、感染症はつきものである。

    感染症の一因であるウイルスの場合、往々にして動物を宿主としていたものが変異して大きな流行をもたらす。
    元々は動物を宿主としていたウイルスがヒトに蔓延するまでにはいくつかの適応段階を経ると考えられる。最初は動物からヒトへの偶発的な感染の段階で、ヒトからヒトに移ることはない。次の段階ではヒト間の感染がおこるが、効率が低く、流行は長続きしない。さらにヒトへの適応が進むと、定期的な流行を引き起こすようになる。さらにはヒトの中でしか存在できないようになり、最終的にはヒトからも消えていく。
    現存するウイルスはこうした適応段階のどこかにあり、つまりはウイルス自身も変わり続けている。

    こうした話に加えて、開発によってもたらされたオンコセルカ症、結核がハンセン病を抑制した可能性といったトピックなども興味深い。

    感染症の歴史を見ていくと、流行する疾患も時代によって移り変わり、流行の大きさにも波があることが見えてくる。生活環境や気候条件、衛生状態、さまざまなものによって影響を受ける。
    好むと好まざるとにかかわらず、古くから感染症と文明は切っても切れない間柄にあった。
    時には大流行で多数の犠牲をもたらすこともあるが、病原体も宿主がいなければ途絶えてしまうわけで、宿主に非常に大きな打撃を与えることは、長い目で見れば病原体にとっても好ましいことではない。「そこそこ」のところに落ち着くのが彼らにとってもよいはずである。そうして宿主の中に残っていく病原体は宿主の環境適応性によい影響を与える可能性もあるという。
    環境は移り変わるものである。ある1つの環境にあまりにも適応しすぎてしまえば、環境が変わったときに対処ができなくなる。ある程度の振れ幅を許容できることが種の存続のカギとなるのかもしれない。
    一方で、病原体を根絶してしまえば、その病原体と闘うために有利であった遺伝子等もやがてはなくしてしまうだろう。
    つまりはすべての病原体を根絶やしにすることを目指すよりも、「共生」していく道を探るべきではないかというのが著者の主張である。

    だが、共生にはコストがかかる。
    著者は言う。
    共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない

    感染症には致死性のものも少なくない。共生にいたるまでに失われる命もある。
    目の前の感染症と闘いながら、クリアカットには解決しない、感染症とともに生きる道を探っていかねばならないのだろうか。

  • 2022年の1冊目。

  • 新型コロナ絡みで一時期話題になっていたので読んでみた。情報の少ない新型コロナを本書にあげられた感染症と比較するべきではないが、視野が広がった気がする。
    人の移動を伴う文明の伝播に、地理的な制約と同等かそれ以上に生物学的障壁が大きかったというのはこれまで意識したことがなかったので勉強になった。
    人類も他の動物もウイルスも適者生存していく以上、不利益も享受するしかないと思うが、それを一個人として受け入れることは、目に見える自然災害への対応以上の困難を伴いそう。

  • 本書は、国際保健学・熱帯感染症学を専門とする1964年生まれの医学博士が2011年に刊行した、人類と感染症との関係を全球的・歴史的に俯瞰し、共生のあり方とその方途を説く本。記述は平易で構成もまとまっており読みやすいが、稀に専門用語が注釈なしに出てくる。生態学や医学史、公衆衛生など話題が幅広い。

  • 「疫病と世界史」の副読本第二弾として読んだが、
    わかりやすかった。

    「疫病と…」と同じく歴史の流れに沿った章立てであること、
    具体例が丁度良い数とボリュームなことが、
    その理由と思われる。
    もちろん、
    大著である「疫病と…」に比べると物足りない感はあるが、
    副読本としては最適。

    一番印象的だったのは、
    1875年のフィジー諸島での麻疹の流行。
    オーストラリア公式訪問で感染したにもかかわらず、フィジーの王と王子は各地の族長と帰国を祝い、
    その族長たちが10日間の祝いの席から帰郷したことにより、
    フィジー諸島全体に全域に麻疹が広がることになった。
    その致死率25%、太平洋最大の悲劇だそうだ。

    しかし、この種の本をあまりに立て続けに読んだせいか、
    血を吸って赤く光るノミが、
    無数に部屋にいる夢を見たのには閉口した。

  • 493-Y
    小論文・進路コーナー

  • 人間の営みと感染症との関係が丁寧に論じられていて、示唆に富む文章が散りばめられている。
    この本の出版が2011年の震災後で、その10年後の今「コロナに打ち克つ」と言っている。それはもしかしたら近視眼的なものでしかなく、「共生」の道を早く歩き出さないと、大惨禍を保全していくことになりかねないのではないか。

  • 幕内秀夫さんが紹介していた。

    https://ameblo.jp/makuuchi44/entry-12701941642.html

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著者プロフィール

山本太郎(やまもと たろう)
総務局総務部副参事兼総務課歴史資料整備室長。
主な論著に『近世幕府領支配と地域社会構造―備中国倉敷代官役所管下幕府領の研究―』(清文堂)、「江戸時代の大原家」『大原孫三郎・總一郎研究』創刊号、「幕府領陣屋元村の掛屋と陣屋・地域社会─備中国窪屋郡倉敷村を事例として─」(『ヒストリア』第247 号)など。

「2022年 『絵図で歩く倉敷コンパクト版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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