- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313168
作品紹介・あらすじ
現代に生きる人間は、国家とどう向き合い、自分のアイデンティティをどのように考えていくべきか。その問いと格闘してきた国際政治学者の軌跡。上巻は、上海で戦争を経験した少年時代、生き方に悩む青年時代、やがて学問と出会い、アメリカ留学を経て、冷戦・核時代のなかで平和問題に取り組み、社会的発言を繰り広げてゆくまで。
感想・レビュー・書評
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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東大リベラル派の系譜を丸山眞男から引き継ぐこの人の名前は大学紛争の前から良く知っていました。明治時代の両親の生まれ、そして米国での留学生活、南加大でともに学んだ両親の結婚、父の上海・東亜同文書院での教員生活の中国で見聞きしたこと。著者はそのような体験を経て、1944年に入学した一高での民主的な気風に触れるのですね。両親の爽やかで筋の通ったクリスチャンとしての歩みに救いを得たように思います。
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考え方や方向性が筆者とは相いれない部分も多いと感じたが、筆者が芯のある魅力的な人物であることはよく伝わってきた。学者の自伝は面白いものが多い。
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著者の坂本義和氏は、国際政治・平和研究の専門家。本書は坂本氏の少年時代から現在にいたるまでの回顧録です。
幼い頃の上海での鮮烈な経験、1960年代の東大紛争との関わり、冷戦期から今日に至るまでの「核軍縮・平和の問題」に対する精力的な国内外の活動等、大変興味深いエピソードが多数綴られています。特に下巻後半の「現実主義」と「理想主義」に関する坂本氏の視点は、氏の思想・活動の原点を照らすものとしてとても印象的でした。 -
「国家とは、そもそも高度に人工的なプロジェクトであり、人偽的なフィクションに他ならない。」との前提を置く。
国際政治、平和研究という新しい学問において日本を代表する学者としての著者は、幼少期から何を感じ、国家や日本人としてのアイデンティティをどう捉えたのか。
戦前から戦後、冷戦、そして9.11以降の米国一国の覇権主義終焉時代において、世界の頂点にたつキーパーソンたちとともに時代を駆けた坂本教授の回想から、今私たちが国際社会、そして国家とどう向き合い、生きるべきかを考えさせられる貴重な一冊。 -
著者は「目撃者」である。時代や人間の。淡々と話されてはいるが、周辺には激動の時代がある。構えない姿勢を保ちながら、常に冷静さを失わず、状況を見る目がある。時代のキーマンともさりげなく遭遇し、さりげなく世界中を見て歩いている。なんともうらやましい限りの人生だと思う。
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筆者は日本代表する国際政治学者。
戦争というう政治的、歴史的な問題の文脈の中で考えなければならないという問題意識があったのだ。
丸山に師事した。
国際政治を国家を主体に論じるだけでなく、グローバルな視点で語っていた。
筆者がアメリカに留学していたころは、まだアメリカには人種差別が残っていた。 -
あの『軍縮の政治学』『地球時代の国際政治』の著者の高名な政治学者:坂本義和が、こういうものを書くのかと首をひねりながら手に取りました。
おそらく80歳を超えるご高齢のなかで、総決算とでもいうべき著作で今までの堅実実直な政治学徒を逸脱する思惟を展開されるのでは、と期待して読みたいと思います。