大学とは何か (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.70
  • (22)
  • (47)
  • (38)
  • (6)
  • (2)
本棚登録 : 746
感想 : 69
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313182

作品紹介・あらすじ

いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 中世ヨーロッパで誕生した大学がどのような変遷をたどって現代の姿になっていったのかを丁寧に紐解いた1冊。
    世界の流れ、日本の流れをたどりつつ、現在の大学を取り巻く数々の問題にも言及しています。

    過去にも大学は瀕死の危機に追い込まれ、再び蘇り、今日に至っていました。
    その最初の危機は、グーテンベルグによる印刷術の発明というメディアの大革命の影響を受けており、現代の大学もまたインターネットの世界的な普及というメディアの大きな転換点に立たされています。
    歴史的な背景を知ることで、大学の現状や将来の大学像について考えるための材料を得ることができたように思います。
    大学をメディア、すなわち「知を媒介する集合的実践が構造化された場」として見る…この視点は意識しておきたいと思いました。
    消化不良の箇所もあるので、集中できる環境で再読したいです。

    図書館で借りて読んだのですが、かなりくたびれた外観だったので随分前に出版されたものだと思っていました…が、奥付を見たら2011年刊行とのこと。
    くたびれた姿は、多くの大学人が本書を手に取りタイトルの問いに向き合った証のように感じました。

  • 中世ヨーロッパからの大学の起源から、歴史的な大学の成り立ちや変遷を、その時々の時代背景や多大な影響を与えたキーマンなども含めてしっかりと述べられています。中世はさすがにイメージしづらいですが、後半の明治維新以降の帝大や私大の成り立ちやその後の臨教審・大学審議会を受けての環境変化は興味深く、そして今の大学が抱える問題は簡単なものではないことがあらためてわかりました。
    自由を基本原理として、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介するメディアが大学であり、自由の空間を創出し続けなければならない、と述べられています。
    大学を取り巻く状況は危機的ですが、それを乗り越えていくこともまた、大学の使命だし、大学に関わる人だけに任せるものでもないという気がしました。
    読破はかなり難解でした。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705917

  • 世界(欧米)の大学の歴史と日本の大学の歴史。それぞれに国家や宗教,産業,民衆との関係が表れる。
    日本の学校制度(大学)も始めから今のような仕組みではない。江戸時代→明治維新→産業殖産・富国強兵→世界大戦→アメリカ占領→学生運動→人口動態に合わせた対応→グローバル(米国)スタンダードへの表面的追随→?
    本書は大学とは何かについて大学教育に関わる人が知っておくコモンセンスかも。

  • ふむ

  • 半分が西洋の大学の歴史で、残り半分が東大中心の帝国大学の話である。教員養成大学についてはほとんど説明していないので、東大生向きの大学の説明となろう。

  • 大学の系譜的解説。実は大学も多義的なことが理解できた。かなり中身が厚いので再読の価値あり。一応世界史、メディア、リベラルアーツの軸があるらしい。
    ①中世大学
    欧州経済圏の中の自由都市に流浪の知識集団が定着したのが始まり。ボローニャに代表されるように法学(医学)が優越するが、アリストテレスのイスラム再輸入で神学(学芸諸学)のパリも発展。しかし托鉢修道会の浸透と宗教・領主による分割で大学が硬直し衰退。
    ②国民国家による再発見
    専門学校・アカデミー(実学研究)・印刷革命による出版(知識人網)産業の中、独でカントの「理性と有用性の峻別(哲学の理性の自由)」と共にフンボルトのナショナリズムを背景とした主体的国民育成の為の「研究と教育の統合(=文化)」による個人陶冶が大学を甦らせた。英国では「リベラルな知」として哲学が文学(シェイクスピア)と理学に分割され、米国は大学院(学位制度)を作った。
    ③帝国大学
    啓蒙ナショナリズムから儒学国学に代わって洋学が導入し、実学中心の官立専門学校を統合した「天皇=帝国」の大学として帝大が設立された。主導者森有礼の思想に天皇制とプロテスタンティズムの結合体のもとで国民は主体化する事があったのは面白かった。帝大が広がるにつれ、東大は管理、地方帝大は社会設計、植民地帝大はその両方の分科大学が設立された。また、福沢諭吉の流れを汲む私学や岩波中公の出版業が帝大システムと結合し、教養読者層に支えられた創造知空間(吉野作造等)を形成した。
    ④戦後大学
    南原繁は専門知と総合知の統合を目指し、旧制高校を廃止した。が、大学モラルは崩壊し、対抗運動としての学生闘争も潰えた。高度成長に伴う大学大衆化と理念の矛盾は46答申以後も規制緩和やサービス産業化に於いて継続し、公社構想や法人化、大学院の問題、「学生が大学を選ぶ」などでも噴出した。底流には大学の意義問題があった。筆者は、国家・企業社会に次ぐものは何なのか問題提起している。キーワードは国民国家の退潮とデジタル化(→空間的拘束からの解放・中世大学への再移行)、卓越性(→思想的拘束からの解放?)である。

    終章が非常に難解(特に脱指示化あたり)だった。エクセレンスとリベラル知の関係は表裏一体と感じたが、違うのだろうか。

    自分はコスモポリタニズム的な考えに懐疑的なのだが、一方で多国籍企業・大学を含めた一大市場が形成されているのは理解できる。しかし、教える側と一部の知識層はその波に乗れるだろうが、大衆はどうなるだろうか。大衆教育という役割を大学が担ってしまった以上、トップ大学とその他で分断が生じてしまわないだろうか(G型L型)。国民国家が希薄になったとして、世界規模の新階級が形成されたらそれはそれで怖い。そうしたときに中世大学の結末が気になりもう一度最初に戻り、歴史の循環性を疑うのもなかなか面白いものである。2021/1/23

    (注:その後丸山眞男の議論を読み、本書の議論の流れが丸山の議論を踏まえていることがわかった)

  • 「大学」という定義が歴史的にいかにゆらぎ、崩壊し、形を変えてきたのかを概観できる。「大学とは何か」に答えることではなく、この問いが成り立つ複数の地平の歴史的変容を捉えた本。
    あとがきでは、大学は自由を基本原理に据えたメディアだと定義。
    Keyは、「自由」やキリスト教思想、大学と出版文化の関係、にありそう。
    印象的な問いは「大学は誰のためか」。

全69件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

吉見俊哉の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×