- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313274
感想・レビュー・書評
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松尾芭蕉50歳、夏目漱石49歳、日本人は戦前まで「人間わずか50年」の言葉通りであった。それが、今は平均年齢は80歳を超える超高齢化社会である。しかし、年を取るとはどういうことか、高齢者の本当の気持ちはどうなのか、ほとんど誰も知らない。著者は短歌こそが老いの気持ちを掘り下げて伝える良い手段だと主張する。私もだんだんと老いていく。その時々の気持ちを短歌に詠んでいくことで、これから老いを迎える人の役に立てるのではないかと考えるし、多少とも興味を持って読んでもらえるのではないかと思う。「ふり向けば空席のみが増えてゆく最終バスのわれは乗客」「九十歳の先は幾歳でもいいやうなお天気の中花が咲くなり」(斎藤史)
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超高齢化社会における短歌の効用を説いた作品。
老いをテーマに短歌を解説したもの。
短歌は自己肯定が基本というのをおもしろく読んだ。 茂吉の『つきかげ』が老いの歌として再評価されている。宮柊二亡き後の英子夫人や齋藤史らの女性の歌には、つきぬけたおもしろさがあって惹かれた。
俳句や短歌の短詩系表現に関心はあるのだが、自分で作ってみようという気にはなかなかならない。 -
超高齢社会における「老い」の歌の味わい深さを歌人が紹介。
「要介護などと認定さるるとも俺は生きるぞよろしいか妻」とは竹山広。こころの円熟が巧みなユーモアを生んだ。「老いてこそこころ淋しく園内婚96歳かがやいており」(中辻百合子(辻の「しんにょう」は点が二つ))は、施設のなかで同居する男女を祝福した89歳の歌。「寮母の名目隠しをして当てさせるこの時ばかりあちこち触る」(諫山健剛)は91歳。清らかなエロスの日常詠がある。
「生き方を変へたいつてそれは無理だらうやうやく老いの深くなる淵」は83歳の岡井隆。同い年の馬場あき子も、「雪降る音竹のささやき聞く夜は油断ありふと年を取るなり」。ともに、老いの外にいる自負をもつ。
俳句は人間の時間を超えようとする傾向にあるが、短歌は「私」に執着すると考察。「老いぬれば股間も宙や秋の暮」と永田耕衣の老いは自分の股間を覗きこみ、宇宙を感じている。経験の幅が広がる本。
(「週刊朝日」 2011/10/7 西條博子) -
老いというテーマと短歌をうまく融合させて語られていて、おもしろかった。短歌の口語表現が俵万智あたりから広まったことを知った。きっとこのとき、思いっきり敷居が低くされたのだろう。俳句で表現することは難しい。短文や小節もまた大層だ。短歌ならば、一息で自分の思いが伝わるかもしれない。しかも口語で・・・・。年老いてこそ、短歌・・・・ということだろうか。
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