日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313335

作品紹介・あらすじ

まさしく歴史的な転換点に立つ日本。大震災を経てなおさら、経済・文化活動のあらゆる側面において根本的な変更をせまられるいま、この国に必要な「資源」とは何か?マネーではなく、誇りと充足への道筋を-。高度成長と爛熟経済のその後を見つめ続けてきた日本を代表するデザイナーが、未来への構想を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 日本の文化を踏まえ、日本人の強みを生かして、今後の世界における日本の立ち位置や進むべき道を説いた一冊。

    「デザイン」とは単なるファッションの創造のみならず、生活を作り上げていくもの。

    デザイナーの仕事とは建築も含め、色んな工業製品だけではなく、生活様式や社会生活まで「デザイン」すること。

    改めてスゴイと思いました。

    目から鱗です。



    また原氏の文章がとても秀逸で説得力を伴うものであったことも驚きました。

    物書きの人よりよっぽど綺麗な言葉を駆使し、時に熱を帯びた文章に感動を覚えます。



    ポイントポイントをノートに控えましたが、少し目の前が開けた感じがあります。

    これは繰り返し読んで自分の中にしっかりと植えつけたい本です。

  • 880

    坂茂は、紙管を素材として用いることで注日を集めた建築家で、日本よりも世界で知名度が高い。現在は活動の断 点をパリにおいている。紙管は一見弱そうだが、建築資材として十分な強度を持ち、生産しやすい上に解体後は簡単にリサイクルできるという特性を持つ。そこに着日した独創性と、それを活かした数多くの建築的実践に、斯界の価と興味を集めている。二〇一〇年フランスのメッス市に、第二ポンピドゥーセンターが完成したが、これは坂茂の設計によるものである。

    デザインとはスタイリングではない。ものの形を計画的・意識的に作る行為は確かにデザインだが、それだけでは ない。デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想でもある。 したがって、作ると同様に、気付くということのなかにもデザインの本意がある。

    おそらくは、直線と直角の発見、そしてその応用が、四角い形をこれほど多様に人間にもたらした原因だと思われ る。直線や直角は、二本の手を用いれば、比較的簡単に具体化することができる。たとえばバナナのような大きな葉 を二つに折ると、その折れ筋は直線になる。その折れ筋をそろえるようにもう一回折ると、直角が得られるのであ る。その延長に四角がある。つまり四角とは、人間にとって、手をのばせばそこにある最も身近な最適性能あるいは 幾何学原理だったのである。だから最先端のパソコンも携帯も、そのフォルムは古典的なのだ。そういえば、スタンリー・キューブリックの映画100年宇宙の旅》(一九六八年に出てくる教智のシンボル「モノリス」は、黒くて四角い板のようなものであった。

    円もまた、人間が好きな形の一つである。古代神具の鏡も、貨幣も、ボタンも、マンホールの蓋も、茶椀もCDも 正円である。初期の石器の中央に正円が完璧にくり抜かれているのを見て驚いたことがあるが、硬い石をドリルのよ うに回転させて、より柔らかい石をくり抜くと、ほぼ完璧な正円の穴を得ることができる。これもまた、回転という 運動に即応して人の二本の手が、頭脳による推理や演繹より先に、正円を探り当てていたかもしれない。いずれにし ても、簡潔な幾何学形態は、人間と世界の関係のなかに合理性に立脚した知恵の集積を築いていく基本となってい る。人間は、四角に導かれて環境を四角くデザインしてきた。そしてそれに劣らず円形にも触発されて、日用品に少 なからず円を適用してきたのである。

    柳宗理の父、柳宗悦は日本の民芸運動の創始者であった。民芸とは、用具のかたちの根拠を長い暮らしの積み重ねのなかに求める考え方である。石灰質を含んだ水滴の遠大なるしたたりの堆積が鍾乳洞を生むように、暮らしの営みの反復がかたちを育む。川の水流に運ばれ研磨されてできた石ころのように、人の用が暮らしの道具にかたちの然をもたらすという着想である。その視点には深く共感できる。

    その流れに即して、物は「力」の表象である必要がなくなった。椅子は王の権力や貴族の地位を表現する必要がな くなり、単に「座る」という機能を満たせばよくなった。科学の発達も合理主義的な考え方を助長する。合理主義と は物と機能との関係の最短距離を志向する考え方である。やがて猫足の椅子の湾曲は不要になり、バロックやロココ の魅惑的な曲線や装飾は過去の遺物になった。資源と人間の営み、形態と機能の関係は率直に計り直され、資源や労 力を最大限に効率よく運用しようとする姿勢に、新たな知性の輝きや、形の美が見出されてきた。これがシンプルで ある。

    複雑さを力の表象としてきた長い時代が終わりを告げ、人間の暮らしの率直な探求から、家具が、家が、そして都 市や道路が再構築されはじめた。モダニズムとは、物が複雑からシンプルに脱皮するプロセスそのものである。高や 人々の欲望は往々にしてものごとの本質を覆い隠す。人々は時にシンプルの探求に倦んで、放蕩へと傾きがちであ る。しかし日を細めて骨格を見通すなら、世界はシンプルという中軸をたずさえて、この瞬間も動き続けているので ある。

    シンプルという概念は、権力と深く結びついた複雑な紋様を近代の合理性が超克していく中に生まれてきたという経緯を前節で述べた。しかしながら、日本文化の美意識のの真ん中あたりにある「簡素さ」は、シンプルと同じ道筋を たどって生まれてきたものではない。シンプルの誕生は百五十年ほど前であると述べたが、日本の歴史を振り返る と、そのさらに数百年前に、「シンプル」と呼びたくなる、笑簡潔に極まった造形が随所に発見できる。その典型がこの長次郎の楽茶碗であり、また、今日の和室の源流といわれている、立京都慈照寺に残されている足利義政の書院「同代斎」である。それらは、複雑さと対峙する簡潔さ中に力をたたえているが、シンプルとは本質的に異なっている。あえて言うなら「エンプティ」つまり空っぽなのである。その簡潔さはかたちの合理性を探求した成果でもなければ偶然の産物でもない。「何もない」ということが意識化され、意図されている。空っぽの器であることによって、人の関心を引き込んでしまう求心力として「エンプティネス」は体得され、瞬運用されていたのだ。

    簡素を旨とする美意識の系譜は世界でも珍しい。なぜなら、世界は力の表象のせめぎ合いで複雑さに輝いてきたからである。複雑さを脱して、簡素さへと意識を移してく背景には相応の理由があるはずだが、その理由はおそらくは応仁の乱という大きな文化財の焼失が京都を襲ったことに起因するのだろうと考えている。

    エンプティネスの視点に立つなら「裸の王様」の寓話は逆の意味に読みかえられる。子供の日には裸に見える王に 着衣を見立てていくイマジネーションこそ、茶の湯にとっての創造だからである。裸の王様は確信に満ちて「エンプ ティ」をまとっている。何もないからあらゆる見立てを受け入れることができるのだ。

    一方では家族のかたちも新しい局面を迎えている。工五十年前は四・一人であった平均世帯人数は、今では二・五人。世帯構成のトップは「一人暮らし」で、二位は、「二人暮らし」上位ふたつを合わせると、全世帯の六割になる。おじいちゃんやおばあちゃんのいる大家族は激減し、子供が巣立ったあとの夫婦二人の世帯や、離婚のの増加により独身者の世帯も増えた。この傾向には問題もあろうが、悲観するだけではものごとは前に進まない。この状況をポ ジティブに捉える視点が必要なのだ。世帯構成の変化は、東京の暮らしに新たな可能性をもたらしている。暮らし方 の異なる人々が、皆同じ間取りに住む必要はない。自分の身の丈に合った「住まいのかたち」を自由に構想すればい いのだ。集合住宅の外観は変わらないとしても、その内側にめくるめく多様性を育むことができるなら、それは豊か さでもあるはずだ。

    本が好きなら、壁という壁を本棚にして、図書館のように本を収蔵し、書物の迷宮に住めばいい。厳選された本に囲まれたなら、落ちついた読書がゆったりと満喫できる。

    石元泰博はサンフランシスコに生まれ、三歳で両親と日本に戻り、高校を出るまで高知県で過ごした。高校卒業後 に単身で渡来するも、帰米二世として第二次大戦中はコロラド州の日系人収容所で過ごす。そこで写真と出会い、や がてシカゴで本格的に写真を学ぶ。最初に購入した造形関係の書物が、モホリ=ナギの『ヴィジョン・イン・モーション』や、プゲオルグ・ケペシュの『視覚言語』、つまり当時の先駆的、実験的な視覚デザイン研究書であったというから、生来の才能の傾向がそちらを向いていたようで、シカゴではモホリ=ナギが渡米後に開設した「シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)」の写真学科に入学している。そこで構成的な視点で世界を 見る写真家としての基礎を身につけ、一九五三年に卒業している。ニュー・バウハウスは、モホリ=ナギの死を契機 にイリノイ工科大学に併合されるが、イリノイ工科大学そのものも、バウハウス最後の学長を務めた建築家、ミース ・ファン・デル・ローエがシカゴに開設した教育機関であった。したがって、石元泰博はバウハウス直系のモダニズ ム教育を経て写真家となったのである。

    花を活けるというのは、空間に気を通わせるということである。空間とは壁に囲まれた容積のことではない。意識 を配して、配慮の明かりが点灯している場所のことである。何もないテーブルの上にぽつりと石を置くと、そこに特 別な緊張が発生する。その緊張を介して人は「空問」にふと気をとめる。このように、施設の内に小さな蠟燭を灯す ように、ぽつりぽつりと意識が灯されて空間になっていく。花を活けるというのはそういう行為である。造形そのも のもさることながら、心の配信が空間に生気を生み出すのである。

    太平洋の真ん中にあるハワイ群島は、米国が先住民族から奪い取ってリゾートパークと化した場所でもある。しかしここに降り立つとそういう歴史を忘れてしまう。ウクレレや甘い、エレキギターでこの土地の音楽を聴き、フラの利きに感覚をゆだねると、気持ちの深奥が溶け出すのがわかる。現地語の、特に名詞は音韻的に感覚を弛緩させるような響きを持っており、「アラモアナ」「ハレクラニ」「フラ」「ロミロミ」などという緊張を解く呪文のような音組 をハワイアンのメロディとともに浴び続けると、身も心も蓄積した疲労と一緒に溶けてしまいそうだ。人に天才がい るように、土地にも天才的なリゾート地があり、ハワイは癒しの霊性に満ちているように思う。


    バリ島は、バリ・ヒンディーという島独白の文化とオランダ文化の融合が薬味として効いていて、ゆるみや開放感 が主旋律になりがちなリゾートの空気をほどよく引き締めている。耳を澄ますとどこからともなくガムランの音が聞 こえてくるこの土地は、神々の島としての尊厳がどこかできちんと担保されている。しかしながら、ここに無数に作 られてきたホテルの着想も画一的であると言わざるを得ない。バリ風建築を採用したエントランスやロビー。海にし ても山にしても、その眺望をきれいに取り込んだ敷地の造作と、景観を集約するポイントに「インフィニティ・エッ ジ」すなわち近景を水庇で切り取る美しいプールがある。土地の風土を巧みに生かしたヴィラの数々は素晴らしい が、やはりその根底にあるリゾート観はまぎれもなく西洋スタイルなのだ。類型に浸るのが心地よさへの近道かもしれないが、そろそろお決まりの植民地式リゾートから自由になって、アジ ア式リゾートを考えてみるのはどうだろう。同じインドネシアならこんなアイデアはどうか。インドネシアは一万八 〇〇〇にも及ぶ島々からなる国で、東西はアメリカ合衆国と同じくらい広い。その島のひとつを「巨大植物園」とし て運営する。植物園といっても温室やフラードームが並ぶようなものではない。ガラスの温室も百面白いけれども、こではその土地の風土にあう植物を、できるだけなにもしないで、自然のままに育て上げるボタニカル・ガーデンである。ここでは花を愛でるのではなく植物そのものを味わう。珍しさや希少性を鑑賞するのではなく、旺盛な植物の繁茂 を楽しむのだ。立派なへチマがなっていたりマンゴーがたわわに実をつけていたり、その土地にごく普通に生育する あまたの植物がのびのびと葉を広げているような風情からは生命の精気を分けてもらえる気がする。人間の生命の場 幹にある更新する力と植物の力を共振させるとでも言おうか。贅の尽による逸楽ではなく、植物が秘める生命力と 交感する場所である。 白然植物園には繊細なハイテクが管理するヴィラをまばらに分散させる。透明なガラスで覆われたヴィラの内部は 空調で快適にコントロールされているが、居住空間は屋外のようにも感じられる。それぞれのヴィラと中枢施設をつ なぐのは整備された細い小道。そこを電動カートが行き来してあらゆるサービスを行う。個々のヴィラには、神経系が緻密に張りめぐらされるように、ハイテクの端末が余裕を持って配置されている。インターネットに接続するたびにパスワードを入力するような煩わしさもない。スムーズに世界のあらゆる場所に接続している。テクノロジーは白然と拮抗するのではなく、むしろ進化するほどに自然との親和性を増し、その境界を曖味にする。どこまでがが自然で どこまでが人為か分からないような融合感にこそ気を通わせるのだ。そのためには自然の贈与を素直に受け入れる建 築を考えなくてはならないが、これは建築家にとっても面白い課題になるはずだ。 植物関内には農場も並行して作っていく。土地の人々にここで働いてもらえれば理想的である。有機栽培で作られ る土地の野菜やハーブ、薬草を利用したレストランやスパも展開できるかもしれない。スパはアジア流の施術を基本 としたい。

    僕の仕事は「もの」を作るというより「こと」を作ることであると普段から言い募っている。だからこういう仕事 こそ本領である。デザインとは、物の本質を見極めていく技術だが、それが産業のヴィジョンに振り向けられたときには、潜在する産業の可能性を可視化できなくてはならない。

    建築家のブルーノ・タウトをして、すでに完成された建築があったと感涙させた桂離宮に限らず、日本の文化は美と誇りを携えていた。襖や障子のたたずまいは、空間の
    の秩序のみならず、身体の秩序、すなわち障子の開け閉てや立 ち居振る舞いという、躾けられた所作に呼応して出来上がってきたものだ。いかに美しく、そしてささやかなる矜持 を持って世界に対峙し、居を営むかという精神性が建築の秩序と一対をなしている。この美意識を未来の住まいの たちや観光のかたち、ホスピタリティのかたちへと活用していく構想については、本書で幾度となく触れてきた通り である。

    本書は『図書』に二〇〇九年九月より二年間連載した「欲望のエデュケーション」をまとめたものである。連載は 無理だと思っていたが、始めてみると不思議なことに、
    曲がりなりにも生活のリズムになった。

  • 原研哉氏のエッセイ連載をまとめたもの。
    デザイン、ものづくりで日本を語るとき、表現はどうしても保守っぽい雰囲気になるんだな、と思った。
    それとも、敢えて、国の文化方面にウケの良さそうなネタにしているのか。
    それでも大陸や西洋のいい部分、参考になるところはきっちり紹介してあるし、日本礼賛部分も当然著者の広い経験と実績、深い知識に基づくもの。
    日本の文化を守る、伝えるというのはこうあるべきと思った。

  • デザインについて、車や家、素材など様々な視点から未来を描いたもの・

    ・富を所有するだけでは幸せになれない。
    手にしているものを適切に運用する文化の質に関与する知恵があってはじめて人は充足し、幸せになれる。

    ・良質な旅館に泊まると、感受性の感度が数ランクあがったように感じる。それは空間への気配りが行きとどいているために安心して身も心も開放できるから。しつらいや調度の基本はものを少なく配すること。
    何もない簡素な空間にあってこそ畳の目の織りなす面の美しさに目が向き、壁の漆喰の風情にそそられる。

  • クルマは「ドライブ」系から「モバイル」系へ。
    移動は個人から都市インフラへ。
     道路の白線という約束を頼りに運転の全てを委ねていた時代は過ぎ去るが、
     根源的な欲望としてのクルマも趣味性の高い乗り物として残る。
     
    「シンプル」が生まれたのは150年前。
     世界が「力」によって統治され、せめぎあって流動性をつくっていた時代には、
     人工の複雑さが威嚇の象徴だった。
     近代化という名のもとに、自由に生きることを基本に再編され、
     物は「力」の象徴である必要がなくなった。

    家を輸出する。
     テクノロジーにより家が制御され始めている。
     テレビもスピーカーも照明も壁と一体化していく。床がセンサーになる。
     靴を脱いで入る住環境は体と環境の新たな対話性を生み出す。

    世界で「評価される」より「機能する」
     日本独自の情報の流れを主体的に生み出していくこと。

  • 原研哉の最近の仕事、考えてること、これからやりたいこと。岩波の「図書」に連載されていた内容、ということで、「デザインのデザイン」よりは軽い印象。自身の概念や考えてることをここ最近はどう落とし込んできたか、みたいな。
    僕もその一人やけど、新書でなくて作品集ぐらいのレベルで図版もたくさん交えつつ、がっつり原研哉と向き合いたいって人は多いんではなかろうか。
    自らコミュニケーション・デザインが専門、というだけあって、相変わらず「モノが書けるデザイナー」さんだなぁと思う。

  • 新刊書なのにこれだけの人数が登録し、レビューも多い。それだけ期待された新書なのだろうか。それともこのデザイナーが有名なのだろうか。
    「安直にファッションという既存産業の仕組みにすり寄ってはいけない」
    西洋・アメリカに追従するのではなく・・・という視点が必要なのでしょう。今こそ、日本の「未来」のデザインを政府や行政がしっかり持ってほしいものだ。
    評価されることを期待するのではなく、主体性を持つことなのだ。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705937

  • 日本にある美しいものに、もっと目を向けたい。

  • 具体物からのみ成る物理的側面だけでなく、人と人との通い合いから成る精神的側面の二つを基軸にデザインについて語られる。潜在するものをひき出し開花させる、あるいは潜在的可能性を可視化させる、このような著者の考えるデザインの本質に深く共感した。そして「移動」「家」「観光」の中に感覚資源(繊細丁寧緻密簡素)が嵌め込まれた著者の創造の世界で遊びながら、移りゆく物や事の夢をえがいた。人を進んで行動に駆り立てる最初のきっかけは、あんなふうになりたい、という強い想いで、デザインが人の動機や暮らしに寄り添って文化が熟成する。

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著者プロフィール

グラフィック・デザイナー。1958年岡山市生まれ。武蔵野美術大学教授。日本デザインセンター代表。
文化は本質的にローカルなものととらえつつ、日本を資源に世界の文脈に向き合うデザインを展開している。広告、商品、展覧会、空間など、多様なメディアで活動。
著書は『デザインのデザイン』(岩波書店/サントリー学芸賞受賞)、『白』(中央公論新社)ほか多数。

「2014年 『みつばち鈴木先生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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