新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 232
レビュー : 28
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313397

作品紹介・あらすじ

グローバル化が進み、ますます一体となる現代世界。その現実を前に、従来のヨーロッパを中心とした世界史像は、刷新されるべき時を迎えている。いまこの時代にふさわしい歴史叙述とはどのようなものか。歴史認識のあり方、語り方を問い直し、「世界はひとつ」という視点から、地球市民のための世界史を構想する。

感想・レビュー・書評

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  • ヨーロッパの歴史を通信で勉強している都合、本書が画期的な本であると紹介されていたので読んでみたが、歴史を高校で選択しなかったため、中学レベルの知識もあるのかどうか…の私には著者の訴えが今一つ?
    とりあえず、おおざっぱに時系列で世界の列強と呼ばれた国々の歴史を知りたかったが、わたしのような人にはお勧めできない。

    「世界はひとつ」を強く訴えてるが、とにかくどの章もこれの繰り返しで、もっと簡素に箇条書きにして要点だけ記述してほしい。

    しかもヨーロッパ中心とは現代人は感じてるだろうか?

    「世界はひとつ」の提案が最近の幼稚園や学校の学芸会で全員主役、のように響く。新しい世界史を産み出した暁には日本語が消滅するかも…とは~。

    世界を認識するためには共通の歴史を持つ事でなく、一人一人、みんな違ってみんな良い!じゃないかと思う。
    よその国や地域のことは歴史に興味を持った人がその人たちの言葉を真摯に学ぶことから始めれば言葉では言い表せないものまで感じ取れるのではないか。言葉にはそのような力があるのに。でも、とりあえずは自分国の言葉で先人が書いた書物を読むことがわたしたちには手っ取り早い。
    共通言語を鍛えるとか統一ってなるとどうなんでしょうか?

    やはりエライ大学出身のエライ人の上から目線に感じる。

    歴史家にご飯が食べられるようにするための「新しい世界史」を作るという議論であれば、一般人には無用の議論でもある。
    歴史で飯を食うためには「私は今を生きるから歴史は無用」と豪語する私の友人、知人のような人々に感心を持たせてみてはいかがだろうか。

    評価の高い本ですが私には能力不足でした…

  • テーマ史

  • [★★]「地理上のヨーロッパと、概念としての<ヨーロッパ>を区別すべき」という著者の主張はごもっとも。著者の言わんとすることは良くわかるが、①具体例が皆無に等しく、抽象的な理想論ばかり繰り返されるため、いささか空論に聞こえる。不完全なものでよいから、著者の書いた新しい世界史の教科書が読みたい。②世界史を初めて学ぶ学習者の視点が欠けている。歴史全体の概要を手っ取り早くつかむためには、著者の嫌う「時系列的」な「各国別」の記述もある程度は仕方がないのでは。

    p.104より引用
    >>すべて「正」の価値を含んだ概念としての「ヨーロッパ」の歴史は、地理的空間としてのヨーロッパ各地の過去を適宜取りこみ、それらをつなぎあわせて、あたかも「ヨーロッパ」が一貫した歴史を持っているかのように説明し叙述する。

    *著者の見解でなるほどと思ったのは、一見、文化間の交流を強調しているように見える叙述のなかにも、ヨーロッパ中心主義が潜んでいる、ということ。たとえば、「西洋古典文化をイスラームが保存し、ヨーロッパでは12世紀ルネサンスが開花した」という記述も、結局はヨーロッパ中心主義だとのこと。ごもっともである。
    *とはいえ、19世紀後半の歴史を、ヨーロッパを中心とせずに叙述することができるのか、というとかなり疑問...
    *著者は、ウォーラーステインの世界システム論も、ヨーロッパ中心史観に近似するものとして批判していた。ウォーラーステインも読まなくちゃっ!

  • 読了。

  • ヨーロッパ中心主義からの脱却、ますますグローバル化する世界の中での「歴史」の意義を考えなければならない。

  • 中心史観の排除
    地球市民主義

    なるほど

  • 時代ごとの人の集団のうごきの断面図をそれぞれにつくっていくこと
    銀河鉄道の夜の「それぞれ時代の地理の本」のイメージに近く思える。

  • 現行の世界史の問題点を挙げ、「新しい世界史」の構想を打ち立てた本。

    現行の世界史には、①日本人の世界史であること、②自と他の区別や違いを強調していること、③ヨーロッパ中心史観から自由でない、という問題点がある。

    私たちが世界市民の一人であることを理解できるような世界史にするために、著者は、これらの状況から脱却する必要があると述べる。

    たしかに高校世界史の大半はヨーロッパ関連にあてられているし、学生はそれが中心のように思うだろう。
    各国でどういった教育をするかということは、国際社会において大きなファクターになる。今後が注目されるところ。

  • 2013年47冊目

    【全体要約】
    日本人にとって世界史とは、高校で習う世界史に基礎がおかれている。しかしこれはあくまで日本人にとっての世界史であり、世界中で普遍的な世界史ではない。そして世界中の世界史はあくまでヨーロッパ、西洋を中心においた歴史観において構成されているため、世界中の人々のための世界史たり得ない。地球がこれほどにグローバル化した以上、地球市民のための世界史を考えるべきではないか。そのために必要な方策を探るのが本書の目的である。

    【構成】

    1章:日本人にとっての世界史
    ー日本の大学では、西欧に追いつくために西洋史(現在の世界史に近い)が研究され、ナショナリズムのために日本史が研究され、アジアを植民地にしていくために東洋史が研究されたという性格を持つ。ゆえに日本において世界史とは西洋史であり、高校で教えられる世界史はそれに東洋史をつぎはぎしたものに過ぎず、純粋な世界史ではない。日本での世界史は日本人にとっての世界史なのである。

    2章:今の世界史の問題点
    多くの国がそれぞれの歴史を持つ。それは国家が国家としてまとめるために歴史を必要としたからである。そのため、日本での世界史は日本人にとっての世界史である。そしてナショナリズム高揚のために、他国と区別することを目的としていた。最後に、ヨーロッパを中心にした世界の発展を叙述しているため、世界史は世界史というよりも西洋史である。

    3章:新しい世界史
    現行の世界史には上記の問題点がある。グローバル化が進んだ以上、それぞれの国民のための世界史ではなく、地球市民のための世界史、いうなれば地球史が必要ではないか。現在でもその克服は行われている。例えばバナナの世界史がある。これは国境を越えたバナナの歴史を描くことで世界史のある一側面を描き、ボーダレスな世界を叙述している。近年ベストセラーになった「銃・病原菌・鉄」なども世界を巨視的に描いている点で地球史に近い。しかしながら、それら多くの叙述はヨーロッパを中心に起き、それ以外を周辺においているため、ヨーロッパ中心史観を抜け切れていない。様々な史観と相対的な叙述、ヨーロッパを中心史観の克服が求められる。

    4章:新しい世界史への構造
    では新しい世界史はいかに描くべきか。ヨーロッパ中心史観を克服し、それを相対的な位置づけとして世界史を描くべきである。また、時系列的な書き方ではなく、重要な概念、①法の支配、②人間の尊厳、③民主主義、④平和の追求、⑤勤労と自由市場、という枠組みで描いていくべきではないか。なぜならば、これらは地球社会が向かっていく先として重要な概念だからである。また、ヨーロッパを相対的に描くためにも横のつながりを意識する必要がある。例えば、ある自由という概念はヨーロッパ以外の場所でも存在しており、それはヨーロッパの概念の対になりうる。こうしていく努力を重ねていくことで、地球史なるものが出来上がっていくのではないか。

    【評価】★×2.5
    【読書時間】90分
    【読んだきっかけ】東京大学における筆者のweb講義を受講し世界史の定義について興味を持ったため。

    【感想】地球史なるものの構想は評価できるが、そのための克服の発想は不十分であり(この点筆者も認めており、しかしながら地球史という概念を提示したい気持から本書の発刊を踏みきった模様。)、加えてその克服方法は不適切と感じた。以下2点である。1点目、筆者は現実社会を無視しているように感じる点。2点目、筆者は地球史の必要性に対してきちんと考えをまとめていないのではないか、という点である。
    以下詳しく記述する。
    従来の世界史がヨーロッパ中心史観に基づいており、それを克服する必要性に対しては共感できる。しかし何のための克服なのか。ヨーロッパ中心史観から離れることの価値が私には理解できなかった。なぜなら現実社会はヨーロッパの歴史により良くも悪くも侵食され、歴史が出来上がっているからである。現実の歴史、現状に目を向ければ、ヨーロッパを中心にする以外に世界史をまとめるすべはないのではないだろうか。どれほどグローバル化が進もうとも、安全保障理事会の常任理事国の多くは西洋国家であるし、国際会議でも西洋社会の方がプレゼンスが高い場合も多いだろう。このような社会はフランス革命や産業革命などの西洋の概念が世界を席巻したことの証左ではないだろうか。もちろん、だからといってヨーロッパ以外の国がおざなりになっていいわけではない。ヨーロッパ中心にまとめつつも、その功罪を適切に評価し直すことこそ新たな世界史になるのではないだろうか。フランス革命も産業革命も、良い部分を多く作りだしたが悪い部分も多く作り出した。現代社会の問題点の多くは西洋社会が作り出したといっても過言ではない。また植民地政策などの他国の蹂躙や大虐殺など、ヨーロッパが良くも悪くも世界をまとめあげた世界を描くことこそヨーロッパ中心史観の克服ではないだろうか。筆者のヨーロッパ中心史観への反論であるヨーロッパの相対化などは現実を無視した所業であると考えざるを得ない。
    上記のように、わたしは本書の考えに批判的である。しかし、現代社会に地球史なるものが必要である点には賛成である。歴史がそれぞれの国の帰属意識を作り出すことが目的であった以上、それを地球という規模に広げることもまた可能なように感じる。しかし、そもそも地球史の必要性が本書ではあいまいである。こここそが最も重要であるはずなのに。グローバル化したから地球史が必要というのは短絡的すぎる。筆者は、①法の支配、②人間の尊厳、③民主主義、④平和の追求、⑤勤労と自由市場の概念で地球史を描く必要性を唱える。それはこれらがこれから先の地球市民にとって重要だからとされる。歴史とは未来への指針を求める際の基盤となるものであるため、地球の未来のために必要な概念でまとめることこそが重要であると考えるのである。しかし、これらの概念でまとめた地球史を眺めた時、私たちは自分たちは地球市民と考えるだろうか?私はそうとは考えない。抽象的な概念でまとまるのは現代では難しいと考えるからである。地球市民として考えるには、より具体的な考えのもとに地球史なるものを描くべきではないだろうか。地球史の必要性とは、私はグローバル化した社会の中には、グローバル化した問題、例えば環境問題などが現れ、これを地球全体で解決する必要性にあるのではないだろうか。または、国際連合の発展のように、実際に国家がどのように統合されるようになってきたかという現実を描くうがより地球史足りうるのではないだろうか。筆者の唱える考え方はあまりに抽象的すぎ、現実の市民感覚に適合していないと思われる。また、自由という概念でまとめてみたところで、何かを中心におかなければ寄せ集めのつぎはぎだらけの歴史になるにすぎないのではないだろうか。
    地球史なるものを考えるためには、なぜ地球市民としてまとまる必要性があり、どうすればまとまるのかをより具体的に考えなければならない。筆者の考えは現在の世界史を批判するだけで、一つの世界史を描く資料を十分に示せていない。そのために本書は非常に消化不良を起こす。実際問題、地球史なるものが出来上がった時にどのような効用があるのかも疑問のままである。各国の歴史を知り、文明史を知り、自国の歴史を知る。それだけで個人としては十分であり、地球市民としてまとまっていないものを地球史なるもので地球市民としてまとめあげるのは難しいのではないだろうか。かつて各国の歴史が出来上がった時にように啓蒙化されていなかった市民に対して歴史を伝えるのとは現在はわけが違うであろうし。
    結論としては、本書の内容に疑問もあるが、世界がまとまっていないのに、地球史など無理なのではないだろうか。それこそ机上の空論ではないか。

    【お勧めか】一章の日本の世界史のとらえ方は読んでいて面白いです。しかし、ある程度知識のある方であれば知っている内容かもしれません。2章以降は議論がまとまる方向性がないのでお勧めできません。なので1章だけお勧めです、

  • 2階岩波新書コーナー : 209/HAN : 3410154057

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