新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313397

作品紹介・あらすじ

グローバル化が進み、ますます一体となる現代世界。その現実を前に、従来のヨーロッパを中心とした世界史像は、刷新されるべき時を迎えている。いまこの時代にふさわしい歴史叙述とはどのようなものか。歴史認識のあり方、語り方を問い直し、「世界はひとつ」という視点から、地球市民のための世界史を構想する。

感想・レビュー・書評

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  • 10月から妙に本を読む時間が取れなくなったんですが、仕事が忙しくなったのか、飲み会が増えたのか…。どちらにせよ今年の年間100冊読了は厳しそうです。

    本著、タイトル通りに新しい世界史とは何かを構想していくものなのですが、正直なところ本著だけを読んでも、イメージが掴み切れないケースもあるのでは、と思います。
    私が本著を読んだキッカケが、著者の『東インド会社とアジアの海』を読んだからで、同著の内容がまさに、本著で触れられていた海洋史だったのかなと思うのですが、これが面白かったのです。先に同著のような具体例に触れた後に本著を読むと、考えがより理解できる気がします。

    さて、本著で感じたのは、紡がれている言葉の力強さ。
    抽象的な構想だからこそ、著者の思いが表れていて、志の高さを感じます。
    フランスや中国の歴史教科書と日本のそれを比較して、纏め方からして異なることから、「世界の異なった国々の人々が、互いに異なった世界史認識を持っているだろうことが容易に想像できる」としつつ、それを乗り越えて「世界はひとつ」とするための世界史を構想する、というのは非常にスケールが大きい話です。
    例えば、「イスラーム世界」という表現も、オバマ大統領が演説で使ったものが、中国ではそのくだりがバッサリ切られていたそうで、その心は「国内にいる教徒に、自分は『中国人』でなく『イスラーム教徒』だと自認されたらマズいから」というのも、世界は一枚岩ではなく、世界史も全くひとつになっていない、というコトがよくわかりました。

    読了して感じたことは、そもそものあるべきフォーマットは「文章」なんだろうか?ということです。
    著者は、歴史の「見取り図(ある時代の世界を鳥瞰する図)」を作った上で、その様相を現代と比較するアプローチを取る中で新しい世界史が生まれる、としていますが、ひょっとすると見取り図自体を、ICTで拡大/縮小だったり、コメントを自動で出したり、というフォーマットにした方が、より良い学びに繋がるのかも?
    少し脱線した話になってしまったかもしれませんが、本著で「フツーの歴史学者」の範疇を超えるようにも思える論に挑まれていたのを見て、そんなコトを思いました。

  • ヨーロッパの歴史を通信で勉強している都合、本書が画期的な本であると紹介されていたので読んでみたが、歴史を高校で選択しなかったため、中学レベルの知識もあるのかどうか…の私には著者の訴えが今一つ?
    とりあえず、おおざっぱに時系列で世界の列強と呼ばれた国々の歴史を知りたかったが、わたしのような人にはお勧めできない。

    「世界はひとつ」を強く訴えてるが、とにかくどの章もこれの繰り返しで、もっと簡素に箇条書きにして要点だけ記述してほしい。

    しかもヨーロッパ中心とは現代人は感じてるだろうか?

    「世界はひとつ」の提案が最近の幼稚園や学校の学芸会で全員主役、のように響く。新しい世界史を産み出した暁には日本語が消滅するかも…とは~。

    世界を認識するためには共通の歴史を持つ事でなく、一人一人、みんな違ってみんな良い!じゃないかと思う。
    よその国や地域のことは歴史に興味を持った人がその人たちの言葉を真摯に学ぶことから始めれば言葉では言い表せないものまで感じ取れるのではないか。言葉にはそのような力があるのに。でも、とりあえずは自分国の言葉で先人が書いた書物を読むことがわたしたちには手っ取り早い。
    共通言語を鍛えるとか統一ってなるとどうなんでしょうか?

    やはりエライ大学出身のエライ人の上から目線に感じる。

    歴史家にご飯が食べられるようにするための「新しい世界史」を作るという議論であれば、一般人には無用の議論でもある。
    歴史で飯を食うためには「私は今を生きるから歴史は無用」と豪語する私の友人、知人のような人々に感心を持たせてみてはいかがだろうか。

    評価の高い本ですが私には能力不足でした…

  • 歴史学とは何かとか、歴史学者が歴史というものをどのように捉えているかの一端を知れる本。

    自分は高校生のころ歴史というとただ年号を覚える暗記科目といったイメージしか持っていなかったが、そうではなく過去の失敗や教訓を現代や未来に活かそうとする学問なのだと理解した。

    • 川野隆昭さん
      僕は、歴史好きで、高校で、世界史日本史を選択し、受験で、えらく苦労したという人間です。
      趣味で、毎年、センター試験、共通テストの文系科目を解...
      僕は、歴史好きで、高校で、世界史日本史を選択し、受験で、えらく苦労したという人間です。
      趣味で、毎年、センター試験、共通テストの文系科目を解いていますが、最近の歴史科目は、かなり暗記軽視、歴史観や、事件の意義、歴史の流れを問う方向にシフトしている感じがあります。
      大学入試が、変われば、やむなく、高校のカリキュラムも対応せざるを得ないでしょうね。
      2022/07/23
  • ・世界全体が一体化しているにも関わらず人々が依然として国民国家の枠組みで共同体への帰属意識を持ち、思考・行動することへの課題意識から、地球市民としての認識を持つための世界史の在り方を提言。国軸、時系列軸を所与と考えた歴史観を見直すきっかけとなった新鮮な図書
    ・各国の世界史教科書の実態を整理しつつ、日本の世界史の問題点として、①日本人の世界史である、②自と他を区別する、③ヨーロッパ中心史観から自由でない、の3点を挙げ、これは近代歴史学の問題そのものと指摘
    ・新しい世界史の概念定義として「人々が世界はひとつであることを理解でき、自分がそこに帰属しているというような地球市民意識を持ちうる歴史叙述であること」とする。
    ・歴史の記述言語が概念を規定することにも言及。英語で通じること、理解が微妙にずれること、日本語でないと正しく伝わりにくいもの等。
    ・地球市民が持つべき重要な価値(引用元「戦略外交言論(兼原2011))として、①法の支配、②人間の尊厳、③民主主義諸制度、④国家間暴力否定、⑤勤労と自由市場。新しい世界史では、これらの価値を積極的にとりあげ、人間がこれらを追求してきた歴史をとりあげることを期待する。

  • 2021/3/13

    東大生でない僕が触れるのは憚られるが、東大世界史の大論述はつまるところ、この世界史観を目指しているように思った。たしかこの設問では、世界史を各国史からではなく、ある時代において世界全体がどのような動きをしていたかという鳥瞰的な視点から眺めることが要求される。これは著者の言う、時代別の歴史考察と、国民国家を廃した世界全体のうねり(モノを基軸にした世界の動きなど)を捉える歴史観に通ずる。

    では、そもそもこの歴史観に何の意味があるのか。それは「どこかに中心を置いた一義的な歴史観を改めること」とは別に強調されるように、「グローバル社会の現代に必要な知恵を過去に求めること」でもある。歴史は鑑と言うように、それは現代を考えるためだけではなく未来を類推するためにもなる。現代から未来へと続くグローバル社会には、グローバルに捉える歴史が必要とされる。「新しい世界史」はそれに応える要素を十分に備えていると思う。(ただし、高校課程でこの世界史を扱えばペーパーテストで点数化することは難しそう…)

    究極的には世界中の人々がこの世界観を持ち、みなが平和に共存する社会が成り立てばいいよね。みなが自他の区別を持たない世界。そこは愛で満ち溢れている。文脈こそ違うだろうが、出身を問われて「世界市民だ」と答えたソクラテスはこの考えを先取りしていたのかも知れない。

  • 地球市民のための歴史。同時期の世界を横断的に並べ見取り図を得る。見取り図は時系列にこだわらない。ネットワークを意識する。

  • 【本書の概要】
    現在私達が学んでいる世界史はヨーロッパ中心史観によるものである。しかし、これからの時代は我々が地球市民であるということを強く認識するために、世界中の人々が、自と他の区別を強調せず、どこかの地域や国だけが中心にならない新しい世界史が必要である。
    この新しい世界史のためには、「世界の見取り図を描く」「時系列史にこだわらない」「横につなぐ歴史を意識する」ことが必要である。


    【本書の詳細】

    ①新しい世界史とは何か
    現在私達が学び、知っている世界史は時代に合わなくなっているため、現代にふさわしい新しい世界史を構想しなければならない。それには地球社会の世界史としての「新しい世界史」が必要である。日本の世界史、アメリカの世界史といった国民毎のものではなく、世界がひとつであることを前提として構想され、それを読むことによって、人々に「地球市民」という新たな帰属意識を与えてくれるものが必要だ。

    ②戦後~現代日本においての世界史
    戦後の日本の教育は、世界史の流れを、いくつかの地域世界の形成、交流、再編、変容と一体化の過程として捉えるところに特徴がある。とくに、異なった複数の部分のうち、ヨーロッパ文明世界とそこから生まれた諸国家が他より優位であり、実質的に世界史を動かして来たとされている。
    この考え方は現代に至るにつれゆっくりと変化していった。すなわち、優位のヨーロッパと劣位のアジアを対比的に描く世界史から、複数の地域世界が並立し、それらが次第に一体化して、ヨーロッパを中心とする世界秩序が形成されたという世界史へと変わっていったのだ。

    ②現代の世界史のどこが問題か?
    では、そのような世界史観のどこに問題があるのだろうか?
    まず一つ目として、現行の標準的な世界史認識が、あくまでも日本人による世界史の捉え方だということが挙げられる。日本の歴史教育は世界史⊃日本史という枠を取っており、日本の歴史が世界の歴史の中に、一本の筒のように内包している。一方、世界史⇔自国史という2つが完全に独立した形式を取る国もある。
    また、日本の歴史教科書は時系列史的な記述をしているが、時系列に沿わず、歴史上のトピックを適宜取り上げて、現代と照らし合わせて解説するという形式を取る国もある。

    二つ目の問題は、「自」と「他」を分けて二項対立的に世界を把握しようとする姿勢だ。言い換えれば、世界は別々の文明や国々が合わさって出来ているという世界認識に基づいて構想され、叙述しようとする姿勢のことだ。

    そして、三つ目は「ヨーロッパ中心史観」であり、これが目下最も悪影響を与えていると思われる。
    自分達を中心にして過去を理解しようとする態度は、世界中のどのような人間集団にも多かれ少なかれ見られる。しかし、日本人は「非ヨーロッパ」として「ヨーロッパ」から区別されたにも関わらず、ヨーロッパが世界の中心であり優れているという世界観を持っている。この価値観――ヨーロッパ文化が他地域文化に優越し、大航海時代を経て他の地域が「受動的に」ヨーロッパ的価値観を受け入れていったというもの――を前提とした認識が、現代の社会においては他国文化へのバイアスとして残り続けている。

    これら3つの根っこには、ヨーロッパ(自)と非ヨーロッパ(他)を区別して、さらに自国と他国の歴史を「別のもの」として世界の歴史を構想するという問題点がある。

    ③新しい世界史のために
    我々が地球市民であるということを強く認識するために、世界中の人々が、自と他の区別を強調せず、どこかの地域や国だけが中心にならない世界史が必要である。
    そのためには、ヨーロッパという枠を必要とする従来の概念の「ヨーロッパ」史的解釈から自由になることが求められる。
    まずはこれまでのヨーロッパ史の通説を徹底的に吟味し、(1)それが概念のヨーロッパに関わる事象か、地理的なヨーロッパに関わる事象かを区別し、(2)概念の「ヨーロッパ」に関わる事象は原則として捨象し、地理的なヨーロッパに関わる場合は、それが境界を超えた周辺地域の事象とどのような関係にあるのかを検証するという地道な作業が必要になる。

    これはヨーロッパ中心史観だけではなく、イスラーム中心史、中国中心史においても同様のことが言える。あたかも特定の地域が地図上に固定され、他地域に影響を及ぼさない/影響を受けないような独立の存在と受け取られかねない記述を見直すべきである。
    また、世界に中心があるという見方も排除するべきである。

    新しい世界史では、相違は相違として認めながらも、異なった人間集団の特徴の間の共通点を見出すことを重視すべきだ。そのために、比較という手法を上手く活用し、世界全体が様々な側面で関係を持って繋がっていたことを示すような書き方を工夫することが求められる。


    ④新しい世界史のための具体的なアプローチ
    ・何語で書いてもいい
    ・様々な世界史の描き方があっていい。「世界はひとつ」を枠組みとして、様々な新しいアプローチが試みられ、実際に世界史が構想され描かれることが第一の段階だ。

    筆者は具体的なアプローチとして次の3つを挙げた。
    1 世界の見取り図を描く
    →ある時期の人間集団を横に並べること。
    2 時系列史にこだわらない
    →見取り図を時代ごとにいくつか作って提示し、それらを現代世界と一枚一枚比較すること。重要なのは、各時代の世界の見取り図を参考にして、現代世界の特徴と構造を理解することである。
    3 横につなぐ歴史を意識する
    →世界中の人々が、モノや情報を通じて緊密につながり互いに影響を与え合っていたことを説得的に示すこと。


    【感想】
    はっきり言って悪書である。
    筆者は、「世界は一つである」ということを強く認識するために、ヨーロッパ中心主義である現在世界史のあり方を見直して、世界の様々な地域が関係を持って繋がっていたことが分かるような「地球社会の世界史」にアップデートすべきと主張している。

    まず、現在の世界史が「ヨーロッパ中心主義」であるという認識に問題があると思う。世界では様々な国や文化が乱立していたが、明確に自国の記録を残せる文化はそのうちの少数であった。その記録の多さがすなわち歴史の多寡として、世界史におけるウエイトの割合を決定づけている。これは決してヨーロッパを優越的に描こうとする意図があるわけではない。
    いくら筆者が否定しようとも、大航海時代におけるヨーロッパとラテンアメリカ先住民の歴史的積み重ねには差があったのであり、その結果として歴史がヨーロッパを重点的に記しているだけである。世界を一つの大陸と捉えたときに、多くの出来事に加担した国にウエイトを置いて記述しなければ、それこそ人類の歩みを記すのに不公平を来たすだろう。
    加えて、国によってウエイトを変えているのは教育上の都合でもある。
    歴史の針を一秒進めるごとに全世界の関係性を学べれば、偏った物の見方は無くなるだろうが、そんな複雑なことを教えるのは現実的に不可能である。
    現在の歴史教育の方針は、あらゆる事象を網羅することが不可能な中にあっても、最大限効率的で満遍なく歴史を学べるように設計されている。それが故に、世界の地図を「ヨーロッパ」や「イスラーム地域」といった特性によってカテゴライズしているのだ。これには決して特定の地域を固定するような意図はなく、あくまで学びを効率的にするために類型化を行っているだけである。

    また、新しい世界史を作るための具体的な手法についても疑問が残る。
    筆者は4章で「様々な世界史の描き方があっていい」と言っており、私はこの考えに首をかしげてしまった。現在の世界史のあり方が一方向的であることを危惧して、どの国においても歴史認識のすり合わせが出来るような「一本化した世界史」の必要性を説いているのではなかったのか。
    さらに同じ4章の中で、ヨーロッパ史観から脱却するために「時系列史にこだわらない」ことの重要性を挙げているが、これもだいぶおかしい。
    筆者が文中で述べている通り、世界史は、「今日のグローバル化した世界で起こっている様々な出来事を深くバランスよく理解し、さらに私達の社会の将来の方向性を定めるために必須の教養」である。ここで一番大切なのは「将来の方向性」であり、歴史を学ぶということは、我々の現在地を過去の事例からメタ視点で眺めることで「未来へ続くグランドデザイン」を決めることに他ならない。
    であるならば、重視すべきは現在→未来という時間の流れにおける事象の関連性であり、これは過去から現在に至るまでの歴史の歩みを紐解かなければ類推できない。筆者の提唱するやり方のように、歴史を現代社会の構造把握のためにしか使わないのであれば未来への針路を決めることが出来なくなる。さらに、歴史から時系列を排するということは、その時代に行った意思決定と次の時代に生まれた結果の相関関係を軽視することにほかならず、それこそヨーロッパが他地域を侵略していった時代背景と変遷の理解を妨げ、ヨーロッパの優越的侵略を正当化するものになってしまうのではないだろうか。

    私には、筆者の言っている「新しい世界史」を作るよりも、各国の中で教えている世界史を、相違したままで構わないから幾重にも重ね合わせ共通点を確認し、「世界史」と呼ばれているもののレイヤーを厚くしていくほうが有用ではないかと思った。

  • ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』は当然参照されるだろうと予想していたが、川北稔『砂糖の世界史』も登場してきたのは、興味深かった。

  • 【地球社会の世界史は、世界がひとつであることを前提として構想され、それを読むことによって、人々に「地球市民」という新たな帰属意識を与えてくれるはずのものだからである。】(文中より引用)

    「ヨーロッパ」中心史観や時系列的記述,さらには国家を主眼に置いた方法など,多くの問題点を抱えると著者が指摘する世界史を,新たな段階へ進めさせるための方策について考えた一冊。著者は、東京大学副学長を務めた羽田正。

    本書が新たな世界史を丸々提示しているわけではないため,議論のとば口を考える上で有用な作品。歴史が持つ積極的な意義を改めて見つめ直しながら,新たな世界観の構築にまで思いを至らせることができるかと思います。

    グローバル化に関するここ10年弱の価値観の変遷を感じ取ることもできます☆5つ

  • 「新しい世界史」ってなんだろう……そんな軽い興味から手に取った一冊。これまでの歴史学で無自覚に濫用されてきた「ヨーロッパ」と「非ヨーロッパ」という歴史の捉え方に著者は異を唱え、新たな視点を提案している。問題点の指摘やその重大性は十分に理解できるものの、抽象的な記述が延々と続き、退屈。「新たな視点」を導入して得られるであろう具体的な記述がもっと欲しい。誰に向けて書かれた内容であるかが見えにくかった。

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著者プロフィール

1953年生まれ。東京大学名誉教授。専門は世界史。現在は東京大学東京カレッジ長を務める。従来のヨーロッパを中心とした世界史像からの脱却をめざし、国民国家やヨーロッパ対アジアという構図にとらわれない新しい世界史=「グローバル・ヒストリー」の方法による世界史理解を提唱し、各国の歴史学者との共同研究にとりくんでいる。著書に『新しい世界史へ』(岩波新書、2011年)、『輪切りで見える!パノラマ世界史』1~5(大月書店、2016年)、『グローバル化と世界史』(東京大学出版会、2018年)など多数。

「2022年 『角川まんが学習シリーズ 世界の歴史 全20巻+別巻1冊定番セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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