- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313625
感想・レビュー・書評
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君が代の本当の歴史、意味が
書かれていませんでした
反対派の人々の中にも
本当のことを知らないままの
人も多いと感じました -
「君が代・日の丸」に反発するのはなぜか。反対する人たちの「帝国主義の象徴だから」という説明は、今までどうもしっくりきませんでした。それは、思想信条の自由を振りかざしてわがままを貫き通すことではないかと。
これは長いあいだ僕の「当たり前」だったわけですが、この本は、政治家や国家にとっての「当たり前」が教育に押し付けられてゆく過程を描き出していると思います。
儀式の一部である不起立はとんでもないことだとか、日本人としての誇りだとか、そうしたものが法を作り、条例となり、それが人々を拘束してゆく。そして、その拘束を拘束と思わなくなってしまう。
それは、君が代の賛否を巡る議論さえ生じさせないということ。そして、歌うことありきになったうえで歌いたくない人は別室待機などといった形で対処するということ。
僕が気になるのは、こうしたルールへの信仰とでもいうべきものです。そのルールが時代に合っているのか、根本を検証すべきなのに、ルールへの信仰はそれさえ阻んでしまう。ルールありきになってしまう。そんな中で過ごした人々はルールに疑問さえ抱かない(ばかな僕は、朝のラッシュだって、こんなシステムおかしいと思っている)。
この本は、君が代・日の丸に反対の立場を広めるための本ではないと思います。むしろこの本で問題になっているのは、是非に関する議論さえも防ごうとする「当たり前」の圧力であり、それに問題を投げかけようとする少数派が無視されていることなのでしょう。 -
初めて手に取った、君が代歌唱問題を取り扱った本。
憲法で保証された、思想の自由を強制的に抑えつける事と、それが引き起こすであろう問題についてまとめたルポルタージュ。
君が代を強制してまで歌わせるな、という意見はまだ理解出来るが、君が代を「自分の信念を持って」歌いたい人、記載こそされていなかったが、「歌いたいけれど、周りが歌わないと決めた人達だらけで、歌えなかった人」について降れていなかったのは残念だった。もう少し控えめの考え持った人の意見も聞いてみたい。 -
日本ってこんな国になってたんだ。
日の丸・君が代は今や強制されているらしい。斉唱中に起立しない教員は処罰されるらしい。どうやらそんな国は世界でも日本と中国だけらしい。これは凄い。
何故そこまでして躍起になって日の丸掲げて君が代を歌わせたいのかというと、エリート日本人を育てたいからみたい。それって選民思想に通じるものがあるような気もするけど。
個人的には日の丸については別にって気がしていて、何故ならかつて世界を侵略し植民地支配を打ち立てた大英帝国だって戦後に何か反省して国旗を変えたってこともないし、フランスだってアメリカだってみんなそうだ。看板変えれば何か変わるもんでもないし、むしろ背負い続けたほうがいいと思うから。最近の人たちは背負うといってもポジティブにとらえてるだろうけど。
ただ、いずれにせよそんなもんを強制してやらせるとかってのはなんともはや。しかし、最近の若者が右傾化しているのも納得。教育の力は恐ろしい。 -
読み始めるのにちょっと躊躇った。
記される世界は目を逸らしたい怖い現実ばかりだ。
だけど本当に書いてあるのは「目を逸らすことは怖いこと」という不変の事実。
考え方を学ぶはずの教育の場で、教員は考えずに従うことを強いられる。
それを見ながら子供は育つ。
歴史を見ると独裁体制を支えるのはいつだって、いじめにおける「傍観者」の位置にいる人たちだ。
読みながら「百枚のきもの」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/400110038Xを頭に浮かべていた。
ちょっと違うけど、ニュースで原発反対デモの参加者が「このデモには政治色がないから参加した」という内容の発言をしていた。いや政治だろ。
「政党・党派性」と「政治」だとか、「国」と「国家」と「政府」とか、「議論」と「喧嘩」、「意見に対する反論」と「人格全否定」などの区別がつけられないと、話し合いどころか闘うことすらまともにはできない。
それを教えるのも教育なんだけどその教育のためにまず戦わなくちゃいけないという…
永井愛の部分が普通の人の感覚っぽくてホッとした。
良くも悪くもコミットしていない人の、「よくわかんないけどそれ変じゃない?」というとっさの反応。
これが普通ならいいんだけど、どうなのかな。
→紹介されていた作品、『歌わせたい男たち』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4880593478 -
日本の教育現場のむごい状態である。諸外国の状態を心配している現状ではない。こうした状況が変わらない限り、教育のグローバル化はむりであろう。
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トップエリートを日本人のできる層がおさえ、優秀な外国人労働者を中間層に置き、できない下層の日本人については自己責任を徹底させる。しかし、教育がその気にならなければ、トップエリートは育てられない、そのためには、言いなりになる教員を作っていかねばならない。
「政治が、教育を支配しないとできない」
その際に、
トップエリートと下層の日本人がばらけないような国家イデオロギーの核となるものがいる。それが、日の丸君が代の担っている役割ではないか。
難波裁判 を支えた特徴のひとつは、'裁判官の言葉'として歴史認識を語っている点。
「日の丸 君が代」の果たしてきた役割について、明治から第二次世界大戦終了まで、「皇国史観や軍国主義思想の精神的支柱として」使われてきたのは「否定しがたい歴史的事実」である。そこから、「日の丸君が代」は、国旗国歌法制 -
メディアが断片的にしか取り上げないので、このようにしっかりした著書を読まなければ、相変わらず片寄った見解しか持ち得ていないだろう。
たとえば、国歌が気に入らないと言うのなら、なぜ新しい国歌を作らなかったのか・・・というような考えを持っていた。
しかし、この問題はそういうことが問題のではないのだ・・・ということが明確に述べられている。
これは明らかに国家が個人の信条を強制的にゆがめようとしている現実であり、ひとつが許容されると、泥縄式に(つまり、戦時中のように)個人の良心がむしばまれていくという、恐ろしいものなのかもしれない・・・・。
著者プロフィール
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