特高警察 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313687

作品紹介・あらすじ

日常行動の監視、強引な取締り、残虐な拷問…。悪名高き特高警察は、いかなる組織だったのか。その「生態」を膨大な資料・証言から解き明かすとともに、植民地朝鮮や「満州」での様相、ドイツの秘密警察ゲシュタポとの比較、戦後の「解体」と「継承」など、全体像に多角的に迫る。

感想・レビュー・書評

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  •  職場の本屋の平積みから購入。

     戦前の特別高等警察の位置づけ、捜査等の問題点、拷問などの実態を当時の詳しい文献を整理して分析している。

     自分はこれを読んで、どうして、当時の内務省警保局特別高等課が暴走したのかについて考えてみた。

     旧憲法においても、法律の枠内において捜査活動ができる前提であったのに対して、当時の共産党などに対する批判的な「空気」、「国体の本義を守る」という大義があったこと、法律を守らなくてもその大義に合致すればいいという意識があったことがあげられる。

     自分は、当時の「空気」をバックに、法律に従わないで行政が仕事をする危険性への警告と理解した。

     今も、いろいろな「空気」を背景にして、法律をきちんと守る意識が薄れていないか。

     例えば、大飯原発の再稼働について、内閣総理大臣が再稼働を指示したというが、原子炉等規制法では再稼働の判断は経済産業大臣、経済産業大臣に内閣総理大臣が指示するためには内閣法第6条に基づいて閣議で方針を定めることが必要だがそういう手続をきちんとやっているのか。

     なんとなく、政治家自体が小選挙区で選挙を得ていて、国民の選良のような印象だが、防衛大臣が民間人になったことでもわかるように、国民のチェックは、各大臣に、法律の枠内で権限を行使し、それを超えて強制力や国民の権利利益に関わる行為をしてはいけない仕組みになることによって担保されている。そういう基本的な議院内閣制の常識、ひいては、国民の行政に対するチェック機能を問題にする新聞等がないことを危惧を持つ。

     菅総理大臣が、まったく権限なしに、浜岡原発をとめさせたこともその一端だと思う。

     戦前も、多くの国民がたぶん、特高の脱法的行為を支持するような意識、空気をもっていたのだと思う。それにきちんとブレーキをかけるのが、法律だという意識を忘れないでいたいと思う。

  • 拷問は公式には認められていなかったが、いろいろと実行されていたようだ。
    特高警察は怖いものの象徴だったのだろう。
    ドイツのゲシュタポがユダヤ人や反政府に弾圧していたのも、特高が朝鮮人や中国人にやっていたことと同じ。

  • 特高は「官僚制の中でも最も強固な中央集権制を特質」としており、内務省保安課を頂点とする統制が効いていたとのこと。すなわちその活動は国家の意思に基づいており、出先が独走した関東軍とはこの点が完全に異なる。ということは、非難されるべきは特高のみではなくその当時の政策全体ではないか。「誰もが知る特高の大物」がいない点も関東軍と異なり、またあくまで全警察の一部門であった点はゲシュタポと異なるが、これらも特高の活動が行政の一部であったことを示しているのではないか。また大逆事件を機に創設され、昭和天皇の即位式を機に拡充されたとのこと、事件を機に組織を作り拡大しようと目論むのは現在の行政組織でも同じだ。事件対処よりも未然防止が重視されたため情報が重宝されたこと、情報収集に当たってはスパイや機密費も使われた点は現在の公安警察にも共通する部分は大いにあるだろう。

  • 怪談よりも幽霊よりも、コワイコワイ特高警察である。怪談を聞いても、
    幽霊を見ても殺されることはことはないが、特高警察に目を付けられたら
    拷問されて命まで取られてしまうのである。

    そんな特高警察の成り立ちから戦後の解体までを、丁寧に追ったのが
    本書である。

    戦前戦中の日本での活動は勿論のこと、朝鮮半島や大陸での特高の
    在り様も描かれている。

    特高警察と言えばセットになるのが治安維持法と破壊活動防止法。
    治安維持法が最初に行使されたのは日本国内じゃなかったのか。

    小林多喜二の虐殺を持ち出すまでもなく、特高の活動が活発になれば
    なるほど時代は暗黒になって行く。それは、朝鮮でも満州でも同じだった。

    思想弾圧の歴史については本当に悲惨だと思うのだが、共産党と一字
    違いだからという理由で無産党まで視察の対象って…出来の悪いコント
    かよ。

    国体護持を目的した特高警察の暴走振りは目に余るのだが、本書は
    多くの資料を駆使して事実を淡々と記しており読み易い。

    ドイツのゲシュタポとの対比なんか興味深かった。

    現在、日本には特高警察はないが特高を受け継いだのが公安警察だ。
    思想・信条の自由のある今の日本でも、この公安警察の活動なんて
    ほとんど知られていない。

    至る所に監視カメラがあり、インターネットの監視だって出来ちゃう今
    だって、表面に出ないだけであなたの思想はチェックされているかもだ。
    勿論、私も…なのだけれど。きゃ~、コワイ、コワイ。

  • 特高警察には、共産主義思想の弾圧と国体を護ることを目的とした組織だったようだ。
    今日よく知られる特高はドイツの秘密警察のような国民監視の暴力機構というイメージだと思われるが、どちらかというと反共のほうに重きがあったように感じた。

  • 内容の充実度は分かるのだが、資料・史実中心すぎて読み物としては今一つな内容。
    神奈川特高の柄沢六治がどれだあああけのものだったかとか、そうしたことをもう少し読み物てきに掘り下げて書く箇所があってもよかったとおもう。
    岩波の一冊としては、高見順の言葉「特高警察の解体をどうして自らの手でやれなかったのか、恥しい』が印象的な言葉だった。

  • -----

    『特高警察』が新たな取締り対象を求めて自己増殖化していくこと、ひとたび制定された治安維持法がその使い手である取締り当局の恣意的運用にまかされていくことを、大きな犠牲の代償として学んだ。ゲシュタポの「非社会的分子」の強制排除やスターリン粛正などに代表されるおびただしい権力犯罪を経験するなかで、思想を取締り、人権を蹂躙することが誤りであり、否定されるべきことが二〇世紀を通じて確立され、二一世紀に引き継がれた。
        --荻野富士夫『特高警察』岩波新書、2012年、232頁。

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    本書は、悪名高い「特高警察」の組織と実態を史料と証言から全貌を明らかにする。国内の動向だけでなく朝鮮半島や満州での活動、ゲシュタポとの対比、敗戦による解体と継承まで視野に入れたアクチュアルな作品。入門的類書の少ない中、便利な一冊か。著者の『思想検事』と合わせて読むべき。

    2011年は大逆事件から百年。著者自身あとがきで指摘するように「特高警察」百周年でもあることを私自身も失念したorz 高見順は「人権指令」発令直後「特高警察の廃止、--胸がスーッとした。暗雲がはれた想い」と日記に。自由や人権、平等といった価値を放擲するのは簡単だが、回復は至難。


    昨今、機能不全や制度疲労から「赤子と一緒に産湯を捨てる」議論が横行している。アローの不可能性定理をもちだせば、民主主義の多数決議論の原理的誤りは明らか。しかし原理的なるもの以前の気分で否定というのが一番コワイのじゃないか。手続きと形式が煩瑣としてもそれは、内実を保障する担保だから。

  • 国会設立時の政党活動規制のため高等警察が成立し、その後は労働運動や社会主義運動に取締対象が変化した。大逆事件を機に特別高等警察が創出された。治安維持法の整備などもあり1928年に特高体制が確立した。
    警察内部では花形部署であり、活躍すれば叩き上げでも出世できた。
    特高は共産党員検挙の暴虐性を暴露した小林多喜二を拷問殺した。その後の取り調べではお前も小林のようにするぞと脅すのが常套であった。スパイも活用されsと呼ばれていた。
    日本人に対しては処罰により思想を矯正するため死刑は回避される傾向があったが、満州人や朝鮮人など日本人以外に対する場合は、かなり峻烈であり、裁判は形式的、死刑も多く出た。
    戦後GHQにより特高警察は解体されたが、公安警察、思想検察を承継した公安検察、公安調査庁へ引き継がれ、50年代半ばには戦後治安体制が確立した。

  • 2018/08/19 初観測

  • これは戦前に起きたとんでもない出来事だと思いながらも、手が震え動悸がしたのはなぜだろう。先に読んだ「思想検事」の対として特高警察を捉えようと読み始めたが、こちらの組織の方が凄まじい。思想検事には高い知能とそれ故の距離感があるが、特高には理屈が通らない怖さがある。何を言っても無駄だと言う絶望。特高に知能は必要なくて、屁理屈を押し通す強引さと、考えもなくただ職務への忠実さとがあれば良い。つまりは誰もが特高になれてしまうかもしれない、その身近さに寒気を感じたのだろうか。
    そもそも人の考えを取り締まるって了見が私は嫌なのだが、その思想が私たちの生を脅かすとしたら(例えばヘイトとか差別のような)、私だって当然、拡がるのをやめさせようとしたいだろう。共産主義思想は当時、そんな位置付けだったのだろうか?そうだ、当時は民主主義ではなかった。「私たち」ではなく「国体(天皇中心国家)」を脅かす、それが共産主義思想だった。
    最初、共産主義思想の殲滅を掲げて始まった特高は、やがて共産主義でなくても国の意に反する気配を感じるもの全てを事前に取り締まるようになった。「日本無産党は日本共産党と1字違いだから」こんな理屈にもなってないこと言う国家組織、最悪。特に関心なかった「横浜事件」も、特高のデタラメぶりを知ったら、自分にも起きうることと感じて恐怖を覚えた。だって出版記念の宴会の集合写真が「アカの集会の証拠」とされて、拷問で4人死んでるんですよ。
    戦争が始まるともう、「思想」を取り締まる域を超えてる。兵隊に取られて戦死した夫を嘆くこともできないし、「お腹空いた」って言ってもいけない。そんな世の中を私は生きていく自信がないし、やがて見て見ぬ振りをしたり、特高的な行動をすることになるかもしれないことが怖い。当時の人の気持ちを考えると苦しさで胸が詰まる。
    この本を読んでると、彼らがこんなにも怯えた共産主義思想とは何か、またそもそも警察組織って何かということが次に気になってきた。戦後に引き継がれた「公安警察」にも俄然興味が出てきた。今までは暴力団を取り締まるくらいの認識だったけど、そういえばデモも彼らの管轄なのかも。また、日本共産党へのアレルギーは、この国の根っこには国体維持の思想がずっと維持されていて、民主主義出来てないせいなのかなとも思った。

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著者プロフィール

小樽商科大学教授。

「2011年 『太平洋の架橋者 角田柳作』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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