マルティン・ルター ことばに生きた改革者 (岩波新書)

  • 岩波書店 (2012年6月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784004313724

みんなの感想まとめ

人間の罪深さと神の恵みをテーマにした本書は、宗教改革の立役者であるルターの思想を深く掘り下げています。ルターは教会の悪習を糾弾しつつ、民衆のために聖書をドイツ語に翻訳し、讃美歌を作るなど、彼らの魂の救...

感想・レビュー・書評

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  • 人間は自分自身の罪深さに絶望し、神の恵みをいただくしかないのだというルターの主張が、浄土真宗の親鸞の教えにとても似ていると思った。

    ルターといえば、教会の悪習を糾弾して新たな理論を打ち立てた神学者で、農民の一揆などには冷淡だったという印象もあるが、実際は民衆のために聖書をドイツ語に翻訳したり、讃美歌を作ったりと、民衆のことを大切に考えていたのだろう。本書でも、ルターは人々の魂の救済を第一に考えていたとあった。

    また、ルターは初等教育にも尽力した。当時子どもは働き手であって、教育を受けさせようと考える親が少なかったなか、ルターのおかげで初等教育が広まったそうだ。

    この本を読んで、もっとルターのことが知りたくなったので、少し勉強してみようと思う。

  • 欧州で暮らし始めて、キリスト教についての解像度を上げたかったんだけど、これでドイツとプロテスタントについての解像度がかなり上がった。下手なドイツの歴史本よりもドイツの筋が分かると思う。

    マルティン・ルターの本読んで思ったんだけど、プロテスタントは聖書中心、言葉の宗教なのかなと思った。

    マルティン・ルター
    プロテスタントの人。宗教改革の中心人物であり、1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に[2]、ローマ・カトリック教会からの分離派であるプロテスタントが誕生した。1517年、ドイツで宗教改革を開始した人物。ローマ教皇から破門されながら、批判を貫き、聖書中心主義、信仰義人説を掲げてキリスト教の新教(プロテスタント)を成立させた。

    Martin Luther(1483-1546)  1517年、宗教改革の先頭に立つことになったルターは、当時は全国的には無名な、ヴィッテンベルク大学の神学教授であった。当時34歳。1483年、ザクセン地方の銅鉱山の坑夫の子として生まれたルターは、エルフルト大学で法律を学ぶうちに修道院に入り、1506年に修道士となった。1511年末にはローマに行き、ルネサンス末期の雰囲気に接している。1508年からヴィッテンベルク大学講師となり、1512年に神学教授となった。彼は自己の信仰と、当時の教会のあり方の乖離に悩み、懊悩したが、ある時、聖書の「ロ-マ人への手紙」にある「信仰によってのみ人は義とされる」という言葉に感動し、救われたという。そのような中で1517年、ローマ教会が贖宥状の発売をドイツで始めたことに対し、『九十五ヶ条の論題』を発表し、宗教改革の口火を切った。ルターは、かねてからの考えである福音主義、信仰義認説、万人祭司主義などの理念を1520年に『キリスト者の自由』などの著作で発表し、表面からカトリック教会を批判を展開した。


    徳善 義和
    (とくぜん よしかず、1932年3月29日[1] - 2023年1月3日[2])は、日本の牧師、神学博士。エキュメニズムの立場から、教会史を講義している。ワルトブルクルーテル神学校より、名誉神学博士号を受ける。ルーテル学院大学、日本ルーテル神学校名誉教授。東京府生まれ[1]。1954年東京大学工学部卒業。1960年立教大学大学院文学研究科組織神学専攻博士課程中退。1957年日本ルーテル神学校卒業。卒業後、日本ルーテル千葉教会牧師、稔台教会牧師を経て、1964年より日本ルーテル神学大学(現:ルーテル学院大学)の学校専任教員になる。その間、ドイツのハンブルク大学、ハイデルベルク大学に留学する。

    「キリスト教は、聖書という教典を拠り所とする点から見て、すぐれて「ことばの宗教」であると言える。ここでいう「ことば」には、二つの側面がある。日本語やドイツ語といったランゲージの意味での「言語」という側面と、語られたり、聴かれたり、書かれたり、読まれたりするワード、テクストの意味での「言葉」という側面である。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「ルターの生い立ちについて語るとき、父の影響を見逃すことはできない。ルターの父、ハンス・ルダーは、ドイツ中部テューリンゲン地方のメーラという村の農民であった。家系は永代貸借農家であったから、さほど困窮してはいなかった。しかし、このまま村にいても先は見えていると感じたのだろうか、若きハンスは村を出ようと決意し、実行する。当時としては異例の振る舞いである。  村を出たハンスは、隣接するザクセン地方に向かった。当時のザクセン地方は銀や銅、錫の生産量が飛躍的に伸び、活況を呈していた。この地で一旗揚げようと、ドイツ各地から労働者たちが集まってきていた。ハンスもそうした成功を夢見る若者のひとりであった。  銅鉱夫から身を起こしたハンスは、辛苦の末、銅の精錬炉三つを経営する実業家になり、町の名士の一人に数えられるようになった。一代で身代を築いた努力の人である。ルターはこの父から、自分の進むべき道を示され、人生の生き方を学んでいく。それは、努力して成功の階段を上っていく「上昇志向の生き方」であった。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「当時、ドイツの大学の多くは、これら二つの学風のいずれかに拠っていた。ルターの在籍したエルフルト大学はオッカムの学風で知られる。ルターは教養学部の頃から哲学を学んでおり、個体こそ実在して、その実在は意志と能力によって確認されるというオッカムの唯名論になじんでいた。神学研究を始めてすぐの頃には、オッカムによるミサ典礼書の神学的解説から学び、唯名論の考えを深めていた。それはまた、神の前に立つ個体が、意志と能力の限りを尽くして良い行いに努力し、恵みの神に受け入れられる水準にまで到達すべきである、という救済論にもつながった。  しかし、こうした救済論は結局、人間の意志と能力を肯定的、積極的に評価し、人間の努力に多くを委ねる人間中心主義にならざるをえない。エルフルトの学風は、この点でルターに大きな影響を与えた。修道生活に一層励まざるをえなくすると同時に、そうした努力に対する懐疑心を芽生えさせ、深い 藤に追い込んでいったのである。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「さて、研究のためには書物が必要だが、活版印刷が始まって、たかだか五〇年ほどの頃である。書物はきわめて高価で、稀少であった。家庭には聖書すらなく、書物を持っている人などほとんどいない。書物がある場所はもっぱら、修道院や大学などの図書館に限られていた。「大学に入って〔図書館で〕、私は聖書を初めて見た。その聖書は鎖でつながれていた」と、ルターは回想している。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「教授就任から半年後、ルターは「詩 講義」をもって、その職を本格的に開始することとなった。講義はロイコレア(白い砂)と呼ばれた大学の一室において、毎週月曜と金曜、夏は朝六時から、冬は朝七時から二時間行われた。ルターは死の前年まで、聖書、なかでも旧約聖書の講義を精力的に続けることになるが、聖書教授としての最初の講義のために選んだテキストは、修道士時代からの座右の書「詩 ​ 」 ​であった。  ルターは講義を始めるにあたって周到な準備をした。詳細なテキストづくりは、その最たる例である。「全詩 はキリストの詩である」という序文と、各詩 に表題を付した上で、ラテン語の詩 全文を印刷に付し、聴講の学生の手にもたせた。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「ただし、留意しておかなくてはならないこともある。中世以来の伝統あるヴィッテンベルクの町だが、ナチス政権時代には火薬工場が建設され、いまでは大きな化学工場を有する人口六万人の近代的な新市街がある。ナチスといえばユダヤ人虐殺が真っ先に思い浮かぶ。この「ルターの町」ヴィッテンベルクでも、いや「ルターの町」ヴィッテンベルクだったからこそ、厳しいユダヤ人狩りに努めたという、近くて暗い過去があることを忘れてはならない。この問題については、のちにまた述べることになるだろう。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「ルターがこう説くのは、人間という存在の奥底にある「罪」を見すえているからである。罪とはラテン語の聖書に訳されて、狭い意味になってしまった単語である。もともとのギリシア語の意味では、「まとはずれの」、神に「ふさわしくない」、神とは「反対の方を向いている」という意味の言葉であった。人間は心の奥底に、神に背く、どうしようもなくドロドロとした、どす黒いものを抱え込んでいる。自己の利益のためには神すら利用してやまない。ローマ書でパウロは、そうした人間の罪の大きさを伝えようとしている。ルターはそう捉えた。  人間の抱え込んでいる罪は、人間がどれほど真剣に心の底から正しくあろうとしても、どれほど知恵をめぐらせてみても、消せるものではない。人間がこの罪から救われるためには、自分自身の中にある知恵や正しくあろうとする心を打ち壊し、神から一方的に与えられる「贈り物」、すなわちイエス・キリストを一心に信じるほかはない。ここにルターは、詩 において見出した「神の義」という突破口から、信仰という生の全面展開へと歩みはじめることとなった。宗教改革の扉がまさに開かれようとしていたのである。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「ルターにとって聖書講義は、自身の聖書理解を学生たちと分かち合う活動であったと思われる。宗教改革とは根本的に「聖書を読む運動」といえるが、それはつまり、聖書をひとりで読むことから始まって、みんなと一緒に読み、読んだことをみんなと分かち合っていく運動である。その「みんな」に当たる最初の人たちが、ヴィッテンベルク大学の学生であった。  そして、『第二回詩 講義』が印刷物として出版されると、ヴィッテンベルクの学生以外に、書物のかたちでルターの理解にふれる人びとが現れるようになった。ルターのメッセージは大学の講堂を出て世に伝わり、生活のただ中で聖書を読む人が増えていったのである。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「 しかし、人間の罪をめぐって起きていた当時の状況に対して発言するということは、ローマ・カトリック教会という、ひとつの大きなシステムに対して疑義を提示することを意味する。中世までにローマ・カトリック教会は、神学や礼拝、組織のあり方、民衆の教化の仕方など、あらゆるものを包括する堅固で巨大なシステムとなっていた。当時の社会や生活の中で生じるすべての物事を、そのシステムを形づくる一つひとつの要素に位置づけ、組み込むようになっていたのである。次節でくわしく述べるが、「免罪符」もその要素の一つであった。  ただし、この大きなシステムには重大な欠陥があった。自分自身をチェックする機能がなかったのである。その問題点を指摘したのがルターであった。ただ一心に聖書のことばだけを探究してきた男が、いまやローマ・カトリック教会という無 のシステムに対して、根源的な問いを投げかけようとしていた。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「中世の異端裁判としては、ジャンヌ・ダルク、ヤン・フスのそれがよく知られる。異端裁判というと、異端決定から処刑までのすべてを教会が行ったように思われているが、そうではない。教会が行うのは異端の判決までで、そこから先、異端者は世俗権力に引き渡された。処刑は皇帝や国王の名の下に執り行われたのが普通である。  告発された人物が神学者の場合、事は神学論争、教会の審問、異端の決定、世俗権力の対応という順で運ぶ。ルターの場合もまさに同様であった。ただし、ルターに異端の判決が下ったのは、九五箇条の提題から数えて三年以上後である。これはきわめて異例の事態で、しかもルターは処刑をまぬがれた。教会が社会の中で絶対的な力をもち、世俗権力がこれに付き従う時代は終わっていたのである。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    #専門家が選ぶ新書3冊
    古典的なキリスト教神学者といえばこの3人ですねえ。

    出村 和彦『アウグスティヌス――「心」の哲学者』 (岩波新書)
    山本 芳久『トマス・アクィナス――理性と神秘』 (岩波新書)
    徳善 義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 』(岩波新書)

    徳善義和『マルティン・ルター ことばに生きた改革者」読了。

    何よりまず感じたのは著者の深いルター愛。研究に裏打ちされた解説書のはずだがルターの物語を読んでいるようなルターの人間臭さを感じ好感を覚えた。これまで受験用の世界史として暗記しかしていなかった(そして故にほとんど忘れていた

    「それぞれの教派を順に見ていこう。まず第一に、一枚目の地図と同じローマ・カトリック教会の地域である。筆頭に挙げられるのは、ローマのお膝元イタリア、そして中世の間にイスラームの支配から脱したスペインである。この両地域ではローマとのつながりが依然としてかなり強い。次はフランスだが、ここはまた独特である。それというのも、フランスは教皇庁と政教条約を締結することで、上位聖職者の任免や、教会税からの国家収入などについて詳細な取り決めを交わしていたからである。つまり、ローマと注意深く距離をとることで、フランスは独自のカトリック世界を築くことに成功していたわけである。フランスでは「ローマ」は緩やかに存続していた。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「中世の神学は古代ギリシアの哲学と密接に関係していたが、トマス・アクィナスに見られるように、とくにアリストテレスの哲学に強く影響されていた。ただし、その内実はやや複雑である。中世の神学は哲学から多大な影響を受ける一方、哲学は「神学の端女」であり、神学に従属するものと見なされていた。聖書のことばによって神学を構築しなおす試みでもあったルターの宗教改革は「神学を哲学から解放する闘い」といわれたが、これは裏を返せば、哲学の神学からの解放をも意味する。ルターにその意図はなかったものの、宗教改革は、哲学が神学のくびきを脱し、自立した学問に発展していく道を開いたともいえるのである。  こうした動きは哲学にとどまらず、宗教改革によって、人間の生の様々な領域で広く脱キリスト教化が進んでいった。絵画や音楽の制作はその好例であろう。宗教改革は直接的には、こうした諸芸に危機をもたらした。教会という制作拠点が、宗教改革によって根底から突き崩され、主要な注文主を失うことになってしまったからである。しかし、そのためにむしろ、絵画は次第に教会の壁の外に出て、市民の芸術の一端を担うようになり、音楽もまた少し遅れて同じような道をたどっていった。文化の危機が反面、新しい創造の機会を生み出したともいえる。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「聖書のことばに立ったルターの改革は、教会の中だけに止まらず、人びとの生活の中にも浸透していった。そのなかでも筆者が注目するのは、学校教育の改革である。  さきにも指摘したように、この時代のドイツの人びとの識字率はとても低かったが、その要因のひとつに初等教育の不備があった。ルター自身も体験していたように、当時の初等教育は、各地の教会や修道院で司祭や修道士たちが読み書きを教えるという程度のものであった。それでも、教会の学校に通えるならばまだしもよかった。大半の子どもは、家の仕事にしばられて、学ぶ機会を与えられていなかったのである。  当時のドイツでは、子どもは「子ども」として見られていなかった。子どもは「小さな大人」であった。少し後の時代になるが、子どもが遊んでいる様子を描いたブリューゲルの絵画がある。子どもはみな、小さなサイズの大人服を着て、大人の使う道具のお古や、それに似せた木切れなどで遊んでいることがわかる。子ども服やおもちゃなど、ほとんどなかったのである。都市でも農村でも、庶民の間では子どもは貴重な働き手のひとりであった。その子どもを学校に送るなどという考えは、なかなか生まれない時代であった。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

    「私は、若い日からルターの神学に学び、多くの主要著作を翻訳してきた。キリスト教とは何か、宗教改革とは何かと考えるとき、問われているものは、突き詰めれば、人間の問題である。そして、いまこの問題を考えるとき、現代の人間にとって「ことばの回復」が、緊急かつ究極の課題だと思っている。このことを心の内に思いつつ、「ことば」が生きるために、生涯を し、歴史を動かしたルターの姿をここに書きまとめてみた。一人ひとりが自らの生き方の拠り所となることばをもち、そのことばに立って、生のどの領域でも、心を開き、心を込めて、語り、聴き、書き、読み、行動していくことが求められていると思うところ切だからである。」

    —『マルティン・ルター-ことばに生きた改革者 (岩波新書)』徳善 義和著

  • 宗教改革の立役者であり、歴史に与えた影響は大きい。偉大な人物であり、今日の我々の生活の様々なところで、彼の遺産を受け継いでいる。彼の生き様も素晴らし。

  • やさしく読みやすく、読むとルターが好きになりそうである。
    ルターの晩年の思想とそれがナチスに利用されてしまうところについては、興味深いのでもうすこし深ぼってみたい。

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=41352

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    https://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB09431603

  • 宗教改革を展開し、現在のプロテスタントに繋がるマルティン・ルター。非常に読みやすい文体で、スラスラと読めました。
    この本で描かれているルターには、キリスト教に対する深い理解と、熱心な信仰、そして自身に向き合う誠実な態度がありました。それらのどれか一つが欠けても宗教改革に辿り着くことはなかったでしょう。

  • 特に新たな発見を得ることはなかった

  • ルターの教義や反ユダヤ主義?的な要素が、その後の全体主義につながった可能性があるかもしれないという関心事にもとづいて読んでみた。

    が、あたりまえといえば、あたりまえだが、基本、神学系の人が書いていることもあって、基本、ルター側にたった評伝。

    というわけで、あまりダークサイド?には立ち入らないが、それでも、ルターとユダヤの関係、そして、ナティスのルター利用の話しもページ数はすくないながら、記述がある。

    なんと、ナティスは、ルターの作った讃美歌を行進曲的にアレンジして、民衆を鼓舞して、敵であるところのユダヤ人の戦いにむかわせたそうだ。おそろしいことだ。。。。

    というのは、個人的なマイナーな関心事だが、本自体のテーマは、「ことば」。

    なるほど、まさに「ことば」が世界を生み出すわけだ。そして、「宗教改革」であって、「革命」ではない。ゆっくりと民衆側から改革を進めていくプロセスは学ぶところ多し。

    とはいえ、この宗教改革を起点、政治プロセスが起動して、ヨーロッパはしばし戦争がつづくことになるわけだが。。。。

  • 全180ページのマルティン・ルターに関する小振りの評伝。ルターといえば、世界史の授業で、95か条の論題を教会の扉に貼りつけて、ローマ・カトリックに真っ向から喧嘩を売った人と思われているだろう。しかし、貼りつけた事に関しては、ルター自身は何ら言及しておらず、同時代の人々の目撃証言に当たるものもないとのことである。

    神の「義」の再解釈
    ルターの業績は、当時のキリスト教的統一世界において何が画期的だったのか? それは神の「義」を再解釈したことである。ルター以前は、神の「義」とは、「努力を怠る人間に対して、怒りをもって裁きを下すもの」として捉えられていたが、ルターは、神の「義」を「神からの『恵み』であって、イエス・キリストという『贈り物』として人間に与えられたもの」と解釈した。ルターによって、神は恐ろしい「裁きの神」から慈しみ深い「恵みの神」として再解釈されたと言える。

    十字架の神学
    ルターは「十字架のみが我々の神学である」と説いた。中世では、十字架とそこに磔にされたキリストの姿は、”忌むべき象徴”として捉えられていた。その像を180度逆転させて、むしろ無残に磔にされたキリストの姿こそ、神が人間に与えた「義」であり、人間の救いとは、キリストの受難と十字架の姿を、”神のあるがままの姿”として受け入れることで成就するとした。

    聖書というテキストの再翻訳
    ルターの大きな業績の一つとして、聖書をドイツ語に再翻訳したことも挙げられる。当時、聖書はラテン語に翻訳されていたが、民衆はラテン語を理解できず、単にローマ・カトリックから派遣された司祭の言葉を聴いているだけだった。ルターは民衆が日常で使っていたドイツ語に再翻訳したことで、聖書を大衆と共に「読む」行為が生また。それにより、ローマ・カトリックによる独占的な解釈が打ち破られ、民衆が各自で信仰と向き合うようになった。これが後の宗教改革へとつながったとする。宗教改革の元の語は、”Reformation(再構成)“である。本書では、Reformationにより、「キリスト教的統一世界であった西欧が、ルターの始めた運動をきっかけにして細分化し、キリスト教世界であることは変わらないものの、従来のあり方とは全く別の多様なキリスト教世界に再形成された」 (P.117) とまとめている。

    他にも、ゲルマン世界においては、損害に対して等価の賠償を必要として、その賠償には代理を持って当てられるという慣行があった。これが「贖宥」の起源である話も面白い。ルターを通して、中世の歴史と当時の社会が熟練の筆致で書かれており、大変おすすめである。日本人には解りにくいルターの思想を初めて知るには最適な新書であろう。

    評価 9点 / 10点

  • 中高生向き歴史読み物のような文章で書かれたルターの伝記本。

    読んでいるうちに宗教上の違いがなぜ大きな社会変動にまで結びつくのかという疑問を持ったので、宗教改革についてもっと歴史学的なアプローチを試みている本が読みたくなった。

    収穫としては、宗教改革はアリストテレスからの離反を目指していたという点や、賛美歌は庶民でも歌えるように作られたものという事を知れたところか。

  • 【宗教改革とは、そのルターが、聖書のことばによってキリスト教を再形成した出来事であった】(文中より引用)

    16世紀ヨーロッパにおける「宗教改革」を語る上で、決して欠かすことのできない人物であるマルティン・ルター。その半生を「ことば」というテーマで切り取りながら描いていく作品です。著者は、ルーテル神学校名誉教授を務める徳善義和。

    マルティン・ルターの簡潔にしてわかりやすい伝記として評価できるだけでなく、現代を生きる我々にも通底するテーマである「ことば」を軸とすることにより、その半生が今日的意味を持って迫ってくる作品でした。難解な解説といった趣もなく、非常に手に取りやすい一冊だと思います。

    目からウロコがたくさん☆5つ

  • 間口が広く取られているので読みやすく、歴史の大きな転換期というエキサイティングな題材もあって一気に読んだ。時代の変わり目の雰囲気も新書サイズながらそれなりに掴みやすい。

    カミナリに打たれて教会に入ったってのは知らなかったな。

  • 世界史の教科書での切り取られたルターでは、やっぱり浅かった。
    ここには生きたルターがいる。
    信仰にまっすぐ向き合ったルター。
    その限界ですら、共感を持って読み終えた。
    難解なところはない。
    reformation は改革ではない、再形成が訳語として適切だと。
    生きたドイツ語を作って使ったのが画期だったのだ。

  • 宗教改革者ルターの生涯と思想を「ことばに生きた人」という視点で描いた格好の入門書

    ・「自由であって僕」という逆説的意味をもつ「ルター」という名を自身の覚悟として用いる

    ・「恵みの神が授ける義という贈り物を心から受け止めることによってのみ救われる」という「一点突破」から神学的諸問題を解決する

    ・「宗教改革=リフォーメーション」は土台だけ残して建物全部を建て替える意味をもつ

    ・教会に集まって人びとが歌う賛美歌を始めたのがルターであり、生涯で五十編ほどのコラールを作詞、いくつかは作曲もした

    ・律法による絶望の下で福音が新しく姿を現す、「律法から福音へ」というルターの発見が「福音の再発見」と呼ばれる

    宗教改革500年の年にルターを、プロテスタントを、教会を、キリスト教を再発見できる本

    同じ著者による『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局、2017)もあわせてどうぞ

  • ルターの生涯を追いながら、ルターの思想がどのように形成されたかを丁寧に説いている。

  • 2017年1月22日紹介されました!

  • 「ことば」を中心に編まれたルターの評伝で、専家の手になり、水準が高い。ルター(1518年まで家名の「ルダー」)は、1483年11月10日に生まれた。父ハンスは農民の子だが、ザクセンの鉱山にいき、労働者から身を起こし銅の精錬炉を経営する実業家になった。父は息子に期待し、幼いころからマルティンを学校に行かせ、教育をさずけた。異例だがエルフルト大学にいれている。すえは同業者の法律顧問にしようとしていた。ルターは優秀で1502年教養学士、05年修士、法学部に進んだ。青春時代はツィター(ギター)を弾いた。同年、故郷から大学に戻る途、突然の落雷に遇い、聖アンナ(イエスの祖母)に「助けてください。私は修道士になります」と祈った。この約束を守り、法学を捨て、アウグスティヌス隠修修道院戒律厳守派の裏門をたたいた。修道院で熱心に読むようにと聖書(ヒエロニムスのラテン語訳、ウルガータ)を渡された。生活は「詩編づけ」で、未明3時から夜9時まで7度の定時祷で一週間に二回り「詩編」を唱えつづける。ルターは完璧主義者で、徹夜祷や断食などの生活でも自分が救いに値すると確信できなかった。そんな迷いを抱え、07年に叙階され司祭となる。修道院上司からエルフルト大学での神学研究を命じられ、「服従」(修道士の誓いの一つ)する。11年、選帝侯新設のヴィッテンベルク大学に籍を移す。翌年、神学博士、「聖書を忠実に教える」と契約し、神学教授となった(教会の管理も任される)。メランヒトン(1497-1560、人文主義者、宗教改革の理論家)はヴィッテンベルグの同僚である。大学では「詩編講義」を行うが、「あなたの義によって私を解放してください」という文言の解釈に苦しむ。この「神の義」という言葉を「行為者の属格」(行為の主体を指すと同時に行為が相手に及ぶことを指す)であると気づき、「神の義」が神が贈ると同時に人間に贈られた救済、即ちキリストをはっきりと指しているという解釈に至った。これが「十字架の神学」であり、生涯の聖書理解の基礎となった。「裁く神」から「恵みの神」をみいだしたのである。ルターは庶民にむけてドイツ語で説教をした。民衆に響く言葉を「民衆の口の中をのぞき」ながら選ぶ経験は、のちのドイツ語訳聖書に結実する。「ローマ書講義」「ガラテヤ書講義」「ヘブライ書講義」で、人間には義はなく外からくること、ほんとうに人間の心の底をのぞき込めば、人智で罪は消せないと徹底的に「絶望」すべきこと、そして、「贈り物」であるキリストを信ずるほかないことを確信していく。1517年、マインツ主教あての手紙に「九五箇条の提題」(『贖宥の効力を明らかにするための討論提題』)を添付、神学討論をよびかけるが、無視される。マインツ主教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクは、フッガー家に援助され教皇に献金、マクデブルク・ハルバーシュタット・マインツの大司教職を兼任、献金の倍額の贖宥状(免罪符)を販売する許可を得ており、ドミニコ会士テッツェルが免罪符を販売していた。ルターは自ら「提題」を要約した「贖宥と恩恵についての説教」を行った。また、「提題」は各地で勝手に印刷され、農民・商工業者・騎士などが賛同した。アルブレヒトは異端の疑いでルターを教皇に訴え、18年、枢機卿カエタンがアウクスブルクで異端審問をしたが、ルターは自説撤回を拒否した(アウグスブルク審問)。19年、ライプツィヒでヨハン・エックと二週間にわたる討論をし、エックから「教皇の権威を認めないならヤン・フスと同じ」とレッテルを貼られる。ルターは「教皇も公会議も誤りを犯すことがある」と反論した(ライピツィヒ討論)。20年、教皇庁との断絶が決定的になり、ドイツ語著作に専念、『キリスト者の自由』などがなる。同年、エック起草の「破門脅迫の大教勅」がつきつけられる。ルターは自説撤回期限に城外で教勅と教会法を焼き捨てた。21年、破門の大教勅が下る。教皇の意をうけ、神聖ローマ帝国皇帝カール五世がルターを召還(ウォルムス喚問)、法的保護を剥奪、いつ殺されるか分からない状況に追いやられる。カール五世は民衆の反抗を恐れ、ウォルムスからは無事に帰すように命じるが、帰途、ルターは消息不明になる。殺害の噂が欧州中に流れ、アントワープにいた画家デューラーも「希望がなくなった」と記す。だが、これはザクセン選帝侯フリードリヒの顧問官たちが行った偽装誘拐でルターはワルトブルク城にかくまわれ、「騎士ヨルク」として生きていた。当地で『修道誓願について』(修道制を否定)、『マグニフィカート』(マリア信仰)を著し、「パトモスの小島より」と署名し、メランヒトンらと文通する。やがて、ルターがワルトブルク城に生きていることは公然の秘密になった。隠密でヴィッテンベルクに帰還したとき、改革が熱狂主義によって騒乱状態になっていることを知り、仲間から聖書翻訳を懇願される。ワルトブルクに戻ると、ルターは10週間で『新約聖書』(1522年出版、『九月聖書』)を訳した。この訳にはルターが言葉を補った所があり、カトリックからさらに弾劾される。23年、ヴィッテンベルクに帰還、8日間の連続説教によって騒乱を鎮め、ゆっくりと改革に着手する。礼拝改革では賛美歌をつくった。教会財産の活用、地域福祉、学校教育の提案(児童には教育を受ける権利がある)など、庶民の生活改善をすすめる。24年、修道服をぬぎ、剃髪をやめ、25年、カタリーナ・フォン・ボラと結婚、26年、長男ハンスが生まれ、子育ての経験から信仰をやさしい言葉で解説した『小教理問答』(29年)を著す。同年、エラスムスと論争、エラスムスは人間には限定的だが自由意志があり、ある程度まで律法を実行できるとしたが、ルターは信仰については譲らなかった。これを期に人文主義者は宗教改革から離れた。ドイツ農民戦争(1525年)でルターは諸侯の責任を指摘し、農民の要求に配慮するようにと仲裁したが、農民の抗議が暴動に発展すると『農民の殺人・強盗団に抗して』を著し、諸侯に鎮圧を要請、10万人が虐殺された。その後、改革の傍ら、聖書を読み続ける生活をし、旧約聖書を翻訳、34年『旧新約聖書』がなる。1546年2月18日、アイスレーベンで君侯の争いを調停したあと、狭心症で死亡した。生涯の著作は544点、うちドイツ語著作は414点、各地で勝手に出版されたものをあわせると3183点になり、推定300万冊の書物を残した。ルターのいた修道院は腐敗とはほど遠く、ルターが直接聖職者の腐敗を目にする機会は少なかった。彼は「聖書を忠実に教える」という誓いを守りつづけたすえに、宗教改革になったのだと著者は指摘している。若い頃は「力によらず言葉によって」騒乱を鎮めたが、晩年、ルターは気が短くなった所があり、ユダヤ人の改宗がうまくいかないと「ユダヤ人はキリスト教世界に住むべきではない」と書いてしまう。これが400年後、ナチスに利用され、ユダヤ人虐殺の根據になってしまう。また、ルターが作った賛美歌「神はわがやぐら」はナチスの行進曲になった。ナチスはルターをキリスト教の英雄として利用したのである。文中では聖書学の造詣も開陳されていて「グロッセ」(行間注・欄外注)、「スコリエ」(講解)という注解方法も書かれている。著者はグロッセを「注疏」と訳しているが、漢文では「注」は「己の意を注ぐ」こと、「疏」とは本文と注を解釈したものだから、少し異なる。「罪」はギリシア語では「違う方向を向く」ことを指し、神から眼をそらすことを指す。ルターが学んだころの大学はオッカムの唯名論とトマスの実在論があったが、実在論を「普遍を問題とし存在と本質を問う」、唯名論を「個体を問題とし、意志と能力を問う」とまとめていて、うまい要約だと思う。ルターはアウグスティヌスに影響をうけているが、20世紀の実存主義にまで影響するアウグスティヌスの影響は巨大だなと思う。

  • テレマンの声楽作品をルター派音楽家としての側面から勉強する中で、ルター派牧師先生から贈られました。音楽の中の「ことば」はよくよく考えられねばならないと改めて思いました。

  • ルターの信仰観では、スピリチュアル・ブームなど許されないだろう。非常に厳しい。しかし本来、信仰というものは厳しさを伴うものなのではないか。 #D46AB30

  • マルティン・ルターと言えば宗教改革の人。ということはもちろん知っているが、しかしじゃあ、具体的にどんなことを知っているのか、と問われたら殆ど何も知らないのだった。
    で、取敢えず入門編っぽいものを読んでみたけど、ルターの伝記ではないので、分かったような分からんような…。
    明らかに強迫神経症としか思えないルターがなぜ、民衆に届くように聖書の言葉を語りかけたいと思ったのか、がよく分からず、そこが分からないと、宗教改革の発端となった『95ヶ条の論題』をわざわざローマに問おうとしたのかが謎のままだ。

    そういったこととは別に、当時の世相なども触れられているのでそれは新鮮だった。
    例えばルターですら、修道院に入って初めて聖書を手に取った(しかも鎖で厳重に管理されている!)とか、当時の礼拝は全てラテン語だったので、一般大衆にはチンプンカンプンだったとか。
    聖書を読んだこともなく、礼拝で何を語られているのかもわからず、どうやってキリスト教を信じていたのだろう?
    当時の人たちのキリスト教信仰と、現代の我々のそれとは、随分様相が異なっているようだ。

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著者プロフィール

1932年東京に生まれる。東京大学工学部卒、立教大学大学院博士後期課程中退。日本ルーテル神学校卒、日本福音ルーテル教会牧師。ハンブルク大学とハイデルベルク大学神学部留学。神学博士(名誉、アメリカ、ワルトブルク神学大学院)。ルーテル学院大学/日本ルーテル神学校で38年教授、現在名誉教授。

「2017年 『ルターと賛美歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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