マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

著者 : 徳善義和
  • 岩波書店 (2012年6月21日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313724

作品紹介・あらすじ

ことばの真理を追い求め、聖書を読んで読みぬく。ひとりの若き修道士の飽くなき探究心が、キリスト教の世界を根底から変え、新しい時代への扉をひらいた。マルティン・ルター。宗教改革者。聖書のことばをひたむきに見つめ、ヨーロッパに中世と近代とを画す歴史の転機をもたらした生涯を描く。

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 宗教改革の立役者であり、歴史に与えた影響は大きい。偉大な人物であり、今日の我々の生活の様々なところで、彼の遺産を受け継いでいる。彼の生き様も素晴らし。

  • 間口が広く取られているので読みやすく、歴史の大きな転換期というエキサイティングな題材もあって一気に読んだ。時代の変わり目の雰囲気も新書サイズながらそれなりに掴みやすい。

    カミナリに打たれて教会に入ったってのは知らなかったな。

  • 世界史の教科書での切り取られたルターでは、やっぱり浅かった。
    ここには生きたルターがいる。
    信仰にまっすぐ向き合ったルター。
    その限界ですら、共感を持って読み終えた。
    難解なところはない。
    reformation は改革ではない、再形成が訳語として適切だと。
    生きたドイツ語を作って使ったのが画期だったのだ。

  • コンパクトにまとまっていてわかりやすい。教会の厳しい批判者としてのルターのイメージが強かったですが,神との一対一の対話というアウグスティヌス以来の伝統を復活させ,民衆にわかりやすく語りかけた小さな町の先生という優しい一面を見ることができました。

  • 宗教改革者ルターの生涯と思想を「ことばに生きた人」という視点で描いた格好の入門書

    ・「自由であって僕」という逆説的意味をもつ「ルター」という名を自身の覚悟として用いる

    ・「恵みの神が授ける義という贈り物を心から受け止めることによってのみ救われる」という「一点突破」から神学的諸問題を解決する

    ・「宗教改革=リフォーメーション」は土台だけ残して建物全部を建て替える意味をもつ

    ・教会に集まって人びとが歌う賛美歌を始めたのがルターであり、生涯で五十編ほどのコラールを作詞、いくつかは作曲もした

    ・律法による絶望の下で福音が新しく姿を現す、「律法から福音へ」というルターの発見が「福音の再発見」と呼ばれる

    宗教改革500年の年にルターを、プロテスタントを、教会を、キリスト教を再発見できる本

    同じ著者による『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局、2017)もあわせてどうぞ

  • ルターの生涯を追いながら、ルターの思想がどのように形成されたかを丁寧に説いている。

  • 2017年1月22日紹介されました!

  • 読了。

  • 「ことば」を中心に編まれたルターの評伝で、専家の手になり、水準が高い。ルター(1518年まで家名の「ルダー」)は、1483年11月10日に生まれた。父ハンスは農民の子だが、ザクセンの鉱山にいき、労働者から身を起こし銅の精錬炉を経営する実業家になった。父は息子に期待し、幼いころからマルティンを学校に行かせ、教育をさずけた。異例だがエルフルト大学にいれている。すえは同業者の法律顧問にしようとしていた。ルターは優秀で1502年教養学士、05年修士、法学部に進んだ。青春時代はツィター(ギター)を弾いた。同年、故郷から大学に戻る途、突然の落雷に遇い、聖アンナ(イエスの祖母)に「助けてください。私は修道士になります」と祈った。この約束を守り、法学を捨て、アウグスティヌス隠修修道院戒律厳守派の裏門をたたいた。修道院で熱心に読むようにと聖書(ヒエロニムスのラテン語訳、ウルガータ)を渡された。生活は「詩編づけ」で、未明3時から夜9時まで7度の定時祷で一週間に二回り「詩編」を唱えつづける。ルターは完璧主義者で、徹夜祷や断食などの生活でも自分が救いに値すると確信できなかった。そんな迷いを抱え、07年に叙階され司祭となる。修道院上司からエルフルト大学での神学研究を命じられ、「服従」(修道士の誓いの一つ)する。11年、選帝侯新設のヴィッテンベルク大学に籍を移す。翌年、神学博士、「聖書を忠実に教える」と契約し、神学教授となった(教会の管理も任される)。メランヒトン(1497-1560、人文主義者、宗教改革の理論家)はヴィッテンベルグの同僚である。大学では「詩編講義」を行うが、「あなたの義によって私を解放してください」という文言の解釈に苦しむ。この「神の義」という言葉を「行為者の属格」(行為の主体を指すと同時に行為が相手に及ぶことを指す)であると気づき、「神の義」が神が贈ると同時に人間に贈られた救済、即ちキリストをはっきりと指しているという解釈に至った。これが「十字架の神学」であり、生涯の聖書理解の基礎となった。「裁く神」から「恵みの神」をみいだしたのである。ルターは庶民にむけてドイツ語で説教をした。民衆に響く言葉を「民衆の口の中をのぞき」ながら選ぶ経験は、のちのドイツ語訳聖書に結実する。「ローマ書講義」「ガラテヤ書講義」「ヘブライ書講義」で、人間には義はなく外からくること、ほんとうに人間の心の底をのぞき込めば、人智で罪は消せないと徹底的に「絶望」すべきこと、そして、「贈り物」であるキリストを信ずるほかないことを確信していく。1517年、マインツ主教あての手紙に「九五箇条の提題」(『贖宥の効力を明らかにするための討論提題』)を添付、神学討論をよびかけるが、無視される。マインツ主教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクは、フッガー家に援助され教皇に献金、マクデブルク・ハルバーシュタット・マインツの大司教職を兼任、献金の倍額の贖宥状(免罪符)を販売する許可を得ており、ドミニコ会士テッツェルが免罪符を販売していた。ルターは自ら「提題」を要約した「贖宥と恩恵についての説教」を行った。また、「提題」は各地で勝手に印刷され、農民・商工業者・騎士などが賛同した。アルブレヒトは異端の疑いでルターを教皇に訴え、18年、枢機卿カエタンがアウクスブルクで異端審問をしたが、ルターは自説撤回を拒否した(アウグスブルク審問)。19年、ライプツィヒでヨハン・エックと二週間にわたる討論をし、エックから「教皇の権威を認めないならヤン・フスと同じ」とレッテルを貼られる。ルターは「教皇も公会議も誤りを犯すことがある」と反論した(ライピツィヒ討論)。20年、教皇庁との断絶が決定的になり、ドイツ語著作に専念、『キリスト者の自由』などがなる。同年、エック起草の「破門脅迫の大教勅」がつきつけられる。ルターは自説撤回期限に城外で教勅と教会法を焼き捨てた。21年、破門の大教勅が下る。教皇の意をうけ、神聖ローマ帝国皇帝カール五世がルターを召還(ウォルムス喚問)、法的保護を剥奪、いつ殺されるか分からない状況に追いやられる。カール五世は民衆の反抗を恐れ、ウォルムスからは無事に帰すように命じるが、帰途、ルターは消息不明になる。殺害の噂が欧州中に流れ、アントワープにいた画家デューラーも「希望がなくなった」と記す。だが、これはザクセン選帝侯フリードリヒの顧問官たちが行った偽装誘拐でルターはワルトブルク城にかくまわれ、「騎士ヨルク」として生きていた。当地で『修道誓願について』(修道制を否定)、『マグニフィカート』(マリア信仰)を著し、「パトモスの小島より」と署名し、メランヒトンらと文通する。やがて、ルターがワルトブルク城に生きていることは公然の秘密になった。隠密でヴィッテンベルクに帰還したとき、改革が熱狂主義によって騒乱状態になっていることを知り、仲間から聖書翻訳を懇願される。ワルトブルクに戻ると、ルターは10週間で『新約聖書』(1522年出版、『九月聖書』)を訳した。この訳にはルターが言葉を補った所があり、カトリックからさらに弾劾される。23年、ヴィッテンベルクに帰還、8日間の連続説教によって騒乱を鎮め、ゆっくりと改革に着手する。礼拝改革では賛美歌をつくった。教会財産の活用、地域福祉、学校教育の提案(児童には教育を受ける権利がある)など、庶民の生活改善をすすめる。24年、修道服をぬぎ、剃髪をやめ、25年、カタリーナ・フォン・ボラと結婚、26年、長男ハンスが生まれ、子育ての経験から信仰をやさしい言葉で解説した『小教理問答』(29年)を著す。同年、エラスムスと論争、エラスムスは人間には限定的だが自由意志があり、ある程度まで律法を実行できるとしたが、ルターは信仰については譲らなかった。これを期に人文主義者は宗教改革から離れた。ドイツ農民戦争(1525年)でルターは諸侯の責任を指摘し、農民の要求に配慮するようにと仲裁したが、農民の抗議が暴動に発展すると『農民の殺人・強盗団に抗して』を著し、諸侯に鎮圧を要請、10万人が虐殺された。その後、改革の傍ら、聖書を読み続ける生活をし、旧約聖書を翻訳、34年『旧新約聖書』がなる。1546年2月18日、アイスレーベンで君侯の争いを調停したあと、狭心症で死亡した。生涯の著作は544点、うちドイツ語著作は414点、各地で勝手に出版されたものをあわせると3183点になり、推定300万冊の書物を残した。ルターのいた修道院は腐敗とはほど遠く、ルターが直接聖職者の腐敗を目にする機会は少なかった。彼は「聖書を忠実に教える」という誓いを守りつづけたすえに、宗教改革になったのだと著者は指摘している。若い頃は「力によらず言葉によって」騒乱を鎮めたが、晩年、ルターは気が短くなった所があり、ユダヤ人の改宗がうまくいかないと「ユダヤ人はキリスト教世界に住むべきではない」と書いてしまう。これが400年後、ナチスに利用され、ユダヤ人虐殺の根據になってしまう。また、ルターが作った賛美歌「神はわがやぐら」はナチスの行進曲になった。ナチスはルターをキリスト教の英雄として利用したのである。文中では聖書学の造詣も開陳されていて「グロッセ」(行間注・欄外注)、「スコリエ」(講解)という注解方法も書かれている。著者はグロッセを「注疏」と訳しているが、漢文では「注」は「己の意を注ぐ」こと、「疏」とは本文と注を解釈したものだから、少し異なる。「罪」はギリシア語では「違う方向を向く」ことを指し、神から眼をそらすことを指す。ルターが学んだころの大学はオッカムの唯名論とトマスの実在論があったが、実在論を「普遍を問題とし存在と本質を問う」、唯名論を「個体を問題とし、意志と能力を問う」とまとめていて、うまい要約だと思う。ルターはアウグスティヌスに影響をうけているが、20世紀の実存主義にまで影響するアウグスティヌスの影響は巨大だなと思う。

  • テレマンの声楽作品をルター派音楽家としての側面から勉強する中で、ルター派牧師先生から贈られました。音楽の中の「ことば」はよくよく考えられねばならないと改めて思いました。

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